1-9
紺右衛門は走り去る玉藻に背を向け渡された髪束を懐にしまった。
「…さて、主から宝をいただいてしまった。わしはその価値に見合った仕事をせねばならん」
刀を鞘に納めたまま、居合のような構えをとる。
「同族を斬らねばならぬのは心苦しいが、主の
その様子を見て、右近、左近も構える。
「それはこちらとて同じ。何を考えておるのか知らんが、お前を返せば事を運ぶのが楽になる」
「かかか、若いのう。腕は立つが、貴様らはまだ若造じゃ。わしがただの年寄ではないことを教えてやろう」
次の瞬間、紺右衛門は走る。一瞬で間合いを詰め刀を抜く。
「!!!」ギンッと金属同士がぶつかり合う音。
右近はその一撃をかろうじで自分の刀で受けるが、その直後、右近の刀はぱっきり折れた。いや、紺右衛門の一撃で切断されたのだ。
再び間合いを取り紺右衛門は構えなおす。
「ほう間一髪防いだか」
「……これほどとは。正直驚いた」
右近は折れた刀を投げ捨て、新たな刀を虚空から取り出す。
「左近、本気で行かねば我らが負けるぞ」
「いや、端から勝ち目はないのじゃ」
紺右衛門が笑う。
「うるせぇ!」
左近が吠える。
右近と左近は左右に分かれ、交互に切り付けてきた。それを紺右衛門は後ろに下がりながらギリギリで捌く。
「右近、挟むぞ!」
「ああ、それは良くないのう」
紺右衛門は距離をとろうとするが、右近、左近のスピードの方が早い。
「破!」
「刺!」
二人の息の合った斬撃と突き!
「なんの!」
紺右衛門は刀の刀身で右近の攻撃を、鞘で左近の攻撃を弾いた。しかし、若干防御が間に合わず、スーツの胸元が斬れて血がにじむ。
「ふむ、逃げ足が取り柄だと思っていたが、大したことはないな。疲れておるのか?」
左近が薄笑いを浮かべながら言う。
「まあ、正直にいうと満身創痍じゃな」
紺右衛門も笑い返す。
「どうやらお前の主は黄泉の国に逃げたようだぞ。追わなくても良いのか?」
右近が電話ボックスの方を見て言う。
「ほう、よそ見する余裕があるようじゃ……な!」
そう言い終わるより前に紺右衛門が動く。一瞬で間合いを詰め居合のように抜刀。無駄のない流れるような斬撃。万全ではないとはいえど、その剣術に衰えは感じられない。
「くっ!」
しかし、相手もただものではない。右近は上体を崩して紺右衛門の斬撃をギリギリでかわす。そしてそのまま無理やり刀を横に凪ぐ。本来の剣術の型にはない強引な動きだが、それゆえ紺右衛門は予測ができない。
「むお!」
とっさに後ろに下がるが切っ先が脇腹をかすめる。
「へへ、危なかったぜ」
右近が笑いながら体を起こす。
「まるで獣のようじゃな……」
紺右衛門は脇腹を抑えつつ再び距離をとるが、明らかに劣勢だった。まだ致命傷ではないが、ダメージが増えるほど動きは鈍る。
右近、左近は確かに若いが、仙狐家次期当主の葛葉を守るよう現当主の命を受けた眷属だ。あらゆる面で一流の腕を持つ強敵だった。一方の紺右衛門は経験と知識、長年の鍛錬による体術はあれど、本来得意とするのは隠密行動。戦闘向きではない。数においても、能力値においても不利な戦いだった。しかし、それでも負けるわけにはいかない。紺右衛門は懐に手を当てる。これがある限り、紺右衛門は絶望しない。
「…さて、ここからが死線というわけじゃ。越えて見せようではないか」
紺右衛門は刀を構えなおした。
◆◇◆
あれからどれほどの時間が流れただろうか。玉藻は黒い水の中を漂っていた。まるでブラックコーヒーだ。でも、においも味もしない。墨汁のように光を通さない暗黒。もう、どこに向かっているのかもわからない。ただひたすらに辛く苦しい。死にたい。そう思っても死ぬことすらできない。辛うじで自我を保てているのは紺右衛門の狐玉のおかげだろうか。何が大切な事を忘れている気がする。しかし、もう思い出せない………
(このまま永久に漂うのだろうか。ここが黄泉の国ならば、はもう死んでしまったのかもしれない。嫌だな。やっぱり死にたくはないな)
玉藻はもう一度周囲を見渡す。だがやはり何も見えない。もう目が見えないのかもしれない。だとしたら、もう紺右衛門にも……
その時、声が聞こえた。澄んだ高い声。葛葉の声だ。
「たまもー!」
それは幼き日の思い出だった。
玉藻には術師や巫女としての才能がないと言われ放任されていた。通常は幼いころから行う修行にも参加させてもらえず、自分の部屋で本を読んで過ごす日々。唯一の話し相手は紺右衛門だけで、外の世界については紺右衛門から教わった。一方の葛葉は両親の寵愛を受けていた。長女として生まれた葛葉は幼いころから術師としての才能を開花させ、大人しか参加できない修行にも5歳から参加し、様々な役目をこなした。
それが羨ましかった玉藻は自分にもできることを証明したくて、ある日葛葉がよく行く修行場の結界に無断で踏み入った。その結果、結界に閉じ込められてしまい脱出する方法もわからず、長い時間を真っ暗な森の中で彷徨う羽目になった。その時最初に玉藻を見つけてくれたのは葛葉だった。
出口の無い、月明りすら差し込まない暗い森の中の結界を一人で歩き続けて、体力も精神力ももうほとんど残っていない。幼いながらに「私はここで死ぬかもしれない」と考えた。疲れ果てて、空腹で歩けなくなりうずくまっている時、葛葉の呼んでいる声が微かに聞こえた。声が聞こえた途端、本当に嬉しくてそれまで必死で泣くのを我慢していたのに、我慢できずに号泣していた。玉藻を見つけてくれた葛葉も泣いていて、二人して泣きながら手をつないで家まで歩いたのを覚えている。
あの時の葛葉の声がする。これは走馬灯なのだろうか?
目を開けた。
葛葉が玉藻を見下ろしていた。どうやら葛葉の膝の上に頭を乗せているようだ。
「…!たまも!」
葛葉は私を抱きしめた。
「帰ってこれたのね……!」
葛葉は泣いていた。
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