1-8

 玉藻は一瞬、胸の辺りが熱くなった感じがした。


「あえ?」


 下を見ると刀が体を貫通していた。すっと刀が引き抜かれると同時に立っていられないほどの激痛が走る。


「がはっ!」


 体が地面にぶつかる感触。血の味。傷口は熱くて体は冷たい。血が流れ出ていく感覚にまさしく血の気が引く。


「玉藻!」


 葛葉は自分の着物が血で汚れるのも気にせず、玉藻を抱き起こす。


「左近!どうして!」


「お嬢様、お母様のめいは絶対です」


 左近は刀に付着した玉藻の血を払い、鞘に納めた。


「あの老いぼれに刃先をずらされましたが、致命傷です。長くは持ちません。置いておきましょう」


 隣に右近も現れる。結局、彼らはであって、葛葉の眷属ではなかったのだろう。優先されるのはお母様のめいであって、葛葉ではないのだ。

 痛みを堪えつつ、必死に玉藻は考え続けていた。この状況を覆す策はあるだろうか。この傷は確かに深い。じきに玉藻は死ぬだろう。時間さえあれば、様々な術式に精通する葛葉なら治療できるかもしれない。だが、右近、左近がそれを許さない。となれば、まずは右近、左近、を何とかしないといけない。


「…紺右衛門……できそう?」


「…………」


 返事が無い時は否という事。


「…だよね」


 紺右衛門も消耗が激しい。もう一度オーバーライドすれば一瞬は戦えるが、おそらく5秒程度が限界。その短時間で二人を相手するのは難しい。打つ手は無しか……

 その時、玉藻の視界の角に公衆電話ボックスが映った。

 ……いや、まだ手はある。


「お姉ちゃん…」


「玉藻!私どうしたら……」


「公衆電話…鳴らして…つないで」


 玉藻がそう伝えると、葛葉も気が付いたようだった。


「そう、そうだったわ」


 葛葉はポーチからガラケーを取り出して、番号を押したあと通話ボタンを押した。

 公衆電話がなり始める。


「お嬢様、何をなさるつもりで……」


 右近が止めようとするが、もう葛葉は彼らの言葉は聞いていなかった。


「…紺右衛門」


 玉藻が呼ぶと同時に、公衆電話の受話器がフックからひとりでに落ちて、同時に玉藻の意識は闇に溶けていった。


 次に気がついたときには玉藻は先ほどの草原横たわっていた。紺右衛門が膝枕をしてくれている。彼が受話器を外して結界に接続し、玉藻をのだ。


「ここは常世と現世の境。さしずめ三途の川一歩手前といったところだ。なるほど、今の主にはお似合いじゃ。考えたな」


 ここは葛葉の結界。そう簡単には外部からは入れない。中から出るのも一苦労だけど、葛葉が協力してくれるなら何とかなるだろうと考え、玉藻はひとまず延命目的でこの結界を使おうと思ったのだ。それに、ここは現世より濃いエーテルに満ちている。紺右衛門はこちらの方が回復できるはずだ。


「紺右衛門の力でこの傷治せる?」


「うーむ、わしは治癒については専門外じゃからな」


 そうは言いつつも、紺右衛門は両手を傷にあてて治療を試みてくれていた。だが、純粋なエーテルにはせいぜい止血する程度の効果しかなく、治療するというのであれば再生を促す術式を用いる必要があるはずだ。


「だよね。紺右衛門、無理するとあなたも消えちゃうよ」


「ふん、主を守れん眷属に存在価値は無い」


 そう言ってから紺右衛門は少しうつむいた。


「……すまんかった」


「え?紺右衛門て謝れるんだ……」


 玉藻が驚いて言うと紺右衛門は「くっ、こんな時まで生意気なやつじゃ……」と苦い顔をして言った。その様子を見て玉藻は笑ってしまう。


「ふふふ」


「……しかしここからどうする?右近と左近はしかないとして……」


「いや、他にも作戦はあるよ。でもお姉ちゃんの協力がいる」


「協力?しかしここからどうやって?」


 私は電話ボックスを指さした。


「電話があるじゃない」



 ◆◇◆



 常世の影響を受けているこの場所は時間の進みが遅い。そのため傷の痛みや出血は止まっているように見えるが、実際は治っていないし、なんならじわじわと悪化している。余裕はない。

 玉藻は紺右衛門に肩を借りて何とか立ち上がり、電話ボックスに向かおうとした。

 さっさと連絡を取らなければ手遅れになる。


「ほう、ここが黄泉との境か」


 だが、間に合わなかったようだ。振り向くと、そこには右近、左近が立っていた。


「遅いので、こちらから来てやったぞ」


 二人は刀を抜く。


「おやおや。呼ぶ手間が省けたぞ」


 玉藻と紺右衛門はゆっくりと後ずさる。予定通りではあるのだが、想定外だ。

 当初は葛葉をここに呼んで、ついてきた右近、左近を常世に結界で封じるつもりだった。しかし葛葉がいないとなると、結界で封じることが出来ないし、こちらは紺右衛門しか戦えない。交渉が通じるような相手でもない。困ったことになった。

 何か手はないだろうか。一瞬で様々な可能性を考える。そうだ、やっぱりあの手を使うしかない。そのためには…………


「はん、ぬかせぇ」


 二人が刀を構える。


「紺右衛門、確かにアンタは強い。しかし、手負いの主を守りつつ、われら二人の相手はできまい」


「先ほどは一本取られたが、もう油断は無い。全力で行かせていただく」


「はー、やれやれ、わしは酒を飲んで暮らしたいだけなんじゃがな」


 紺右衛門も刀を抜く。


「行くぞ、老いぼれ!」


「これで終いだ!」


 臨戦態勢。今にも切り合いが始まろうとしていた。だがそうはさせない。


「待て!!」


 玉藻の大声に驚き全員が玉藻の方を見る。


「紺右衛門、刀を貸しなさい」


 玉藻がそう言うと右近、左近が笑った。


「何を言うかと思えば、貴様が戦うと言うのか?」


「先程の術はそう何度も使えまい。良いだろう。相手してやろう」


 どうやら二人は玉藻が戦おうとしていると思ったようだ。紺右衛門は困惑しながら玉藻に刀を渡す。玉藻の命令には逆らえないからだ。


「なにをする気じゃ!」


「……こうするのよ!」


 玉藻は自分の金髪を掴むと、刀で切断した。


「なんと!」


驚く三人をよそに、切った髪束を軽く結んでバラけないようにした。肩より少し下まで伸びていた髪は後ろだけショートヘアぐらいまで短くなってしまったが、今はそれどころではない。


「はいこれ」


 刀と髪束を紺右衛門に渡す。

 玉藻以外の全員がポカンとする中、紺右衛門の耳元に囁く。


「必ず呼ぶ。だから駄目よ?」


 それを聞くと紺右衛門は笑った。


「かっかっかっ、なるほど!こりゃ簡単には死ねんなぁ」


「任せたよ」


 そう言うと、玉藻は全力で走った。傷が痛む。だが立ち止まらず、振り返らず、電話ボックスを目指す。何度かつまずき倒れそうになりながらなんとかたどり着く。もう立っているのも限界に近い。受話器を取り耳に当てる。

 最後に紺右衛門の方を見ると、二人相手に劣勢ながらも耐えている姿が見えた。

(ごめんね。でも必ず呼ぶから)

 受話器から流れ出る呪いに呑まれて玉藻の意識は三度みたび闇に溶けていった。

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