1-7

 まるで稲妻ような激しい閃光に玉藻の体が飲み込まれるのと、右近、左近が刃を突き立てるのはほとんど同時だった。直後、大地を揺さぶるほどの激しい音。まるで落雷のようだ。葛葉は想定外の出来事に思わず後ずさった。

 葛葉はお母様より玉藻を殺せと命じられていた。しかし、自分が仕掛けた程度で死ぬほど玉藻が弱くもないことを理解していた。ある程度の術式をかけて脅し、紺右衛門をする。そしてお母様には彼女が力を失ったと報告する。そうすれば命までは取る必要はないと考えていた。しかし、玉藻の力は葛葉の想像を遥かに超えていた。いま倒さなければ葛葉が危ないと判断した右近、左近が、切りかかるほどには強大な反応だった。

 一瞬の出来事で声を発することすらできなかった。二人は玉藻を殺してしまったのだろうか?

 葛葉の脳裏に様々な記憶が流れる。それは決して不快な記憶ばかりではなかった。確かに玉藻は憎い。自分とは違い自由に暮らしてきた。キツイ修行もほとんどなく、プレッシャーも少ない。期待されないという辛さと引き換えに自由を得た妹がうらやましかった。

 だが、殺したいほどではない。血のつながった家族を手にかけたいほどの呪いではない。後悔と絶望が募る。でも、葛葉は玉藻のようにお母様に逆らうことはできなかった。お母様の命令は絶対だ。どんなに辛いことであっても、仙狐の家と血筋を守るためにはやらなければならない。その気持ちとは裏腹に葛葉の頬を涙が伝った。


「なんのこれしきぃ!」


 いつの間にかうつむいてしまっていた葛葉は、玉藻の声が聞こえてはっと顔を上げた。

 そこには右近と左近の刀を腕で受け止めている玉藻がいた。だが、先ほどまでの姿とは異なる。金色こんじきに輝く衣に身を包み、手足は獣のように太く鋭い爪が付いている。陽光のように輝くエーテルをオーラのようにまとい、体内から噴き出した膨大なエーテルが狐耳と尻尾のように見える。まるで狐の獣人のような姿だった。

 よく見ると右近、左近の刃先は玉藻の皮膚に触れることすらできず、金色のエーテルによって弾かれている。


「うそ……」


 葛葉は絶句していた。それは古文書で読んだ神格化の術式とうり二つだったからだ。それは秘術とも禁術ともいわれる、神霊をその身に降ろす術式。当然誰もができるわけではなく、血筋と才能、そして神霊級を降ろす媒介が必要だ。

 見たところ、玉藻は紺右衛門と一時的に同化することでその領域に到達しているようだが、玉藻にそんな高度な術式が扱えるとは思っていなかったのだ。葛葉はこの術式が使える者は他にお母様しか知らない。

 一方、玉藻も焦っていた。玉藻は確かに術式の才はあまりない。記憶力は悪いし、怠け癖があり、大雑把。理想の術師とは正反対の性格。しかし葛葉とは異なり巫女としての才を生まれつきいた。稲荷神のかけらである紺右衛門の力をその身に降ろし、自らの力として一時的にする。さらにもとよりその身にわずかに宿るの力と合わせ、凄まじい力を発揮する。これを彼女は幼いころから研究し我流でものにしていた。このオリジナルの術式を彼女は「オーバーライド」と名付けた。を限りなく神域に近づけるため、あらゆる呪術に対して絶対的な耐性を持ち、同格のものでなければ傷をつけることすらできない。しかしその分消耗も激しく、この姿を維持できるのはもってあと六十秒。しかもそのあとは一時的にほとんどの能力を失う。紺右衛門の実体化もしばらくできない。それゆえの奥の手だった。


「そりゃ!」


 玉藻が両手で受けとめていた刀を弾き、即座に右近に打撃を撃つ。右近はとっさに防御する。だがその防御を貫通し、拳が突き刺さる。


「!!!」


 目に見えぬほどの速さで吹き飛ばされた右近は木を4、5本へし折ったあたりで止まり、地面に倒れて動かなくなった。


「……!化け物め……!」


 それを見た左近の目の色が変わり、刀を構えなおす。


「よくも右近を……許さん!」


 だが、直後に玉藻を見失う。


「何?……上か!」


 見上げると上空に燦然と輝く玉藻の姿があった。たった一蹴りで飛び上がったのだ。

 金色に輝くエーテルが周囲を照らし、それはまるで極小の太陽が夜空に現れたかのようだった。

 あまりの眩しさに左近は目がくらむ。


「セイハー!」


 次の瞬間落下の力を利用した強烈な蹴りが左近の額にめり込んだ。

 左近はダメージに耐えられず、エーテル体を保てなくなったのだろう。ぽふんと音を立てて姿を消した。


「はぁ、はぁ、何とかなるもんだね」


 着地した玉藻は少しよろけながら立ち上がる。

 葛葉は腰が抜けたのか、その場にへたり込んでしまっていた。葛葉の目の前まで来ると、玉藻はオーバーライドを解除した。金色の衣や体を覆っていたエーテルが大気中に溶けるように消えていく。現界時間まで残り二十秒ほど残しているので、玉藻は何とか動けているが紺右衛門は姿を消していた。


「お姉ちゃん」


 玉藻が声をかけると、葛葉は顔を上げた。


「私と一緒に暮らさない?」


「……え?」


 あまりに予想外の提案で葛葉は驚く。


「そんなの……そんなの無理よ!」


 葛葉が言うと玉藻は笑った。


「何とかなるよ」


「でも、あの家は、家はどうするの?千年以上の歴史があるのよ?私の勝手でどうにもできない!」


「今日からお姉ちゃんが当主になればいいよ」


 玉藻は葛葉の手を取る。


「あの土地もお母様も、古いものは全部捨てて、新しい仙狐家をお姉ちゃんが作るの」


「そんな、そんなこと……」


「できるよ。お姉ちゃんなら。本当はお母様より強いじゃん」


 玉藻はほほ笑んだ。

 その後ろにゆらりと左近が現れる。


「…!待って!」


 左近は葛葉の刀を玉藻に突き立てた。

 

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