1-5

 というのが、一週間ほど前の話。 

 当時現場にいなかった紺右衛門にその時の事を話すと紺右衛門は渋い顔をした。


「うーん、残念じゃが、それがきっかけと見て間違いないじゃろうな………」


「やっぱりかー」


 まあ、葛葉がそんなに優しいことをいうのは玉藻からしても違和感があった。弱者は蹴落とされて当然と考えている人だと玉藻は思っている。


「ということは、私を弱者として蹴落としに来たか」


「仙狐の家はどうして代々こうも家族仲が悪いんじゃ……」


 紺右衛門が悲しそうに言う。彼は遥か昔から仙狐家につかえる眷属だ。ゆえに色々と見てきているのだろう。


「別に仲は悪くないよ。ただ、利害が一致しなかっただけ」


 玉藻がそう言うと紺右衛門は苦い顔をしたが何も言わなかった。


「とりあえず結界は張りなおして、それで当分は持つかなぁ」


 そう呟いた時だった。

 

 反射的に音のする方を見ると、床の上で壊れた黒電話が鳴っていた。

 ぞわりとする感覚。しまった、と玉藻は思った。ビルの結界はまだ張りなおしていない。

 紺右衛門の方を見ると慌てた様子でこちらに手を伸ばしている。玉藻も手を伸ばそうとするが間に合わない。お互いの手が触れ合う直前、視界が揺れた。頭の上から墨汁を被ったかのように世界が塗りつぶされていく。辺りが暗闇に包まれて自分の手すら見えなくなる。だが、今度は卵の殻が割れるかのように暗闇に無数のひび割れが走り、それが割れるとそこは見覚えのない草原だった。

背の低い草が生い茂り、広々とした草原。木は生えておらず、遠くのほうは闇に沈んでいる。辺りは街灯もなく街の明かりもない。空を見上げても星すら見えない濃紺の空。そんな草原の真ん中にポツンと公衆電話ボックスが置かれていて、電話ボックス内の蛍光灯の文明的な明かりがその周囲をぼんやりと照らしていた。

 明らかに異常だ。普通こんな場所に電話ボックスは無い。仮に現実世界だったとして、もう何年も使われていないだろう。

 これは明らかに結界だ。結界とは単に封印したり防衛する術式ではない。常世とこよ(黄泉の国)と現世うつしよという異なる世界をものでもある。常世と接続された空間は現世から切り離されて隔離される。それが真の結界である。紺右衛門がビルに施した結界は、外部からの干渉を遮断するためだったから常世の影響をあまり受けないようにしていたが、今回のものは目的が異なる。術者は玉藻を現世から切り離し、常世に幽閉しようとしているのだろう。


「やってくれるじゃない………」


 常世には時間の流れが無い。永久に変わらない神域。ここにとどまっても時間は解決してくれないという事だ。まず、玉藻は明かにこの場所には異質な電話ボックスを調べてみようと思い、歩き始めた。数歩歩くと音がすることに気づく。

 また電話が鳴っている。

 電話ボックスの公衆電話が鳴っているようだ。そろそろこの音にもうんざりしてきた。しばらく電話は取りたくない。電話ボックスに近づき、ドアを開ける。狭いボックス内には緑色のボディが鮮やかな公衆電話が設置されている。外見に特に変わったところは無い。電話は鳴り続けている。電話ボックスの中に入ろうとして踏みとどまる。ボックス内部は空気が違った。普通の人であれば気づかないほどの違い。だが、玉藻にはわかる。このボックスがもう一つの結界になっており、その中はだった。これはまるで封印の術式。二重の結界に閉じ込め、対象を自ら常世に落ちるよう誘導する。常世に閉じ込められてしまえば、そう簡単には脱出できなくなる。というより、普通は永久に常世を彷徨うことになる。

 玉藻は静かに後ずさる。すると鳴り続けていた公衆電話の受話器が勝手に持ち上がり、下に落ちた。ケーブルが伸び切り、くるくると回る受話器から何かが聞こえる。


『お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ』


 淡々と抑揚のない低い声で呪詛が繰り返されている。鮮やかな緑色だった公衆電話のボディもだんだん色褪せ塗装がはがれ錆び始めた。時間を早送りしているように電話ボックスは朽ちていく。三方を囲うガラスには黒い無数の手形が徐々に増えていく。そして電話ボックスの床から黒い液体が染み出し始め、それがやがて人の形のようになる。枝のように細い手足に異様に大きい頭。虫のような挙動でカサカサと動いている。


「ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」


 声なのかすら良くわからない音を発しながら黒い影は這いずり、玉藻に近づいてきた。そして玉藻の足を掴もうとした時。


「……いや、お前誰やねん!」


 玉藻はサッカーボールを蹴るような感覚で足をフルスイングした。


「ばばばぼぶぁぁぁ………」


 黒い影は凄い勢いで宙を舞い、見事に電話ボックスの中に転がった。そしてそのまま蒸発するように消えていった。


「ゴール!」


 玉藻はガッツポーズをする。


「紺右衛門!」


「ここに」


 玉藻が呼ぶと同時にすぐ隣に紺右衛門が現れる。


「いやあ、こんなこともあろうかと狐玉を仕込んでおいて正解じゃった」


「うん、おかげでリンクも切れなかったよ」


 ポケットから狐玉のキーホルダーを取り出す。これは紺右衛門の毛で作られている。これにはエーテルが秘められており、玉藻を守ると同時に紺右衛門と玉藻をつなぐでもある。

 いつの間にかポケットに入っていたのだが、どうやら先ほどの一件があった後に紺右衛門が入れておいてくれたらしい。


「さて、とりあえずここから出ますか」


「そうじゃの」

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