1-3

「でも、こんな時間まで飲んでるのは紺右衛門もおかしいでしょ。何時だと思っているのよ」


 玉藻がそう反論すると紺右衛門は少したじろいだ。


「…まあ、うん、ちょっとなじみのやつと盛り上がってしまってのう……」


 紺右衛門はかなりの酒好きだ。酒の中でも日本酒を愛しており毎日飲み歩いている。「稲荷神は豊穣の神だから仕方がない」と本人は言っているが関係あるのだろうか?

 最近は何処で飲んでいるのか知らないが、フラッと出て行ったと思えば、翌日の朝帰ってくるなんてことが続いていた。


「あなたも私も、少し油断が過ぎたってことね……」


「…うむぅ」


 紺右衛門も反論できないようで渋々うなずく。

 仙狐の家を出た直後は連れ戻そうとする追手も来たし、何かと騒がしかったが、数年も経過すると死んだと思われたのか静かになった。探偵業として受ける依頼も後に尾を引くようなものは受けていないし、大抵低級霊を祓って終わりか、簡単な呪術の解呪なので、「狙われる」という感覚をすっかり忘れてしまっていた。


「………とりあえず戻るぞ。ここは冷えるわい」


 二人してしばらく考え込んでいたが、紺右衛門がそういったので、玉藻たちは事務所に戻ることにした。紺右衛門は二の腕のあたりをさすりながら先に階段を下りて行った。玉藻も後を追うが、階段を下りる直前に振り返る。誰かに見られている気がしたからだ。だが、もちろん屋上には誰もいない。


「気のせいか……」


 玉藻は屋上に続くドアを施錠して事務所に戻った。


 事務所の扉を開けると、室内は荒れていた。まあ、荒らしたのは玉藻なのだが、その時の記憶はない。

 書類棚は倒れ、床には紙ファイルや書類が散らばっている。ソファーはひっくりかえり、黒電話の黒豆は無残にも破壊され壁際に落ちている。壁に向かって投げつけたのだろうか?

 コーヒーをぶちまけたのか床には黒いシミが出来ていて、足跡のように転々と外に向かって続いている。多分玉藻が屋上に行くときについたのだろう。


「このビルにかけていた結界が割られている」


 紺右衛門が指さした方を見ると神棚の神前用具として飾っていた皿やら小瓶が粉々に割れて床に落ちていた。


「ゆえに呪術にてられたのだろう」


 紺右衛門は冷蔵庫を開け、中のコーヒーの山に顔をしかめた。彼は酒好きだが甘党でもある。ブラックコーヒーは苦手なようだ。紺右衛門は諦めて、まだきれいなコップを探して水道水を汲んだ。


「本来、仙狐の家は神聖な巫女の血筋。神の依り代として強い霊力を持っている。が、それでも所詮は人間。わしとの接続が切れればこのざまよ。やはり、うかつにあれやこれやと触れるのは危険じゃ」


 そう言ってから水を飲む。


「うん、わかっている」


 玉藻も新しいコーヒーを冷蔵庫から取り出して、一口飲む。

 家を出てから、玉藻はいわゆる探偵として心霊や呪術など通常の手順では解決できない不可解な問題の解決を専門とする「キュービック・ルーブ探偵事務所」を立ち上げた。最初は同業者の手も借りつつ何とか契約を取り、最近ようやく自力でも日々なんとか生活できる程度の収入を得ていた。しかし、確かに最近は色々と手を出しすぎたのかもしれない。そのつもりがなくとも、呪いに触れれば、触れたものも呪われる。怨念や呪いなどの負の感情は不吉を呼び寄せる。

 

 今回、敵はこのビルの結界を壊してから玉藻の寝こみを襲い、紺右衛門とのリンクも切断するという並大抵ではない手際を見せている。呪い自体は単純かつ比較的弱い物だが、素人の仕事ではないだろう。玉藻はまさか自分の命が狙われる日が来るとは想像すらしていなかった。しかしよく考えてみれば他人がかけた呪いを解呪してまわるというのは、かけた側からすれば鬱陶しいことこの上ないのかもしれない。


「ここ最近この部屋に入った人は五人。たぶんその中の誰かが仕掛けてきている」


「ふむ、おかしな痕跡はなかったと思うんじゃがな」


「そうね。私も気づかなかった」


 幸いにも人の出入りは少なかったので消去法で犯人を導き出せるはずだ。

 一人目はとある学校の教師で先日解決した案件のお礼と支払いだった。


「あの事件は簡単な割に収入良かったなぁ」


 できるなら、全部このぐらいの労力であのくらいの収入を得たいものだ。

 二人目は情報屋の夢見月ゆめみつき。彼はオカルト系ブロガーで動画配信者でもある。彼のところに集まった情報を玉藻が買ったり、逆に玉藻が関わった事件の話を売ったりしている。呪術にも多少詳しいが結界を壊したり、呪術を仕掛けてくるほどの技量は無かったはずだ。第一、彼が玉藻を消しても得は無いと思う。

 三人目は目付きのヤバイおじさんで、妻を殺したいと相談されたがここは殺し屋の事務所ではないことを丁寧に説明したら、悪態をつきながら帰っていった。一応警察にも通報しておいたがその後は知らない。


「あれは怖かったのう。生きてる人間はやはり恐ろしい……」


 四人目は紺右衛門の呑み友人で猫又の不知火しらぬいだった。彼は怪異の一種ではあるが、人間に害をなす存在ではない。玉藻も会ったことがあるが、見た目は普通の猫である。ただし人語を話すし、こてこての関西弁だ。


「実は今日も不知火と飲んでいたのだ。確かに飲みすぎたわい……」


 そして五人目は………


「………まさか、お姉ちゃん……?」

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