1-2

 玉藻たまもが名乗るのと同時に電話は切れた。


「あ、おい、もしもし!?……はぁ?なんなん!?」


 人を深夜に起こしておいて、無言で切るとはマナーがなっていない。いや、深夜に電話してくる時点でマナーもクソも無いが。玉藻は心を落ち着かせるためにコーヒーを一口含む。


「……ふう」


 ふわりとコーヒー特有の苦みを帯びた香ばしい香りが鼻を抜けていく。やはりコーヒーは良い。心が落ち着く。本当は豆をひいた本格ドリップコーヒーが飲みたいが、最近はペットボトルでも十分においしい。まあ、喫茶店の味に届くことはないのだが、ずぼらな玉藻ははこれぐらいの手軽さで満足していた。

 玉藻はソファーに腰かけた。迷惑な電話で起されたことは腹立たしいが、そんなことで怒っていても時間がもったいないし玉藻自身がしんどい。


(……さて、起きてしまったからには仕方ないので仕事でもしようかな)


 玉藻は職業柄夜間の仕事も多い。深夜に起きること自体は苦痛ではない。今日はたまたま早い時間に寝落ちしてしまったようなので睡眠もそれなりに取れている。なので前向きに考えることにした。


 この探偵事務所は玉藻がほとんど一人で運営している。最近収集したデータをまとめたり、今月の収入と出費の計算。ホームページの編集、ステルスマーケティングなどなど。意外とやることは多い。


 しかし、そう考えているとまた電話が鳴った。黒電話からおなじみのベルの音が鳴り続けている。


(うーん、これはどうしたもんかな)


 電話線を抜くことも考えたが、仕事の依頼だったら一つ収入源を失うことになる。キュービックルーブは24時間営業を掲げている。その理由は顧客の依頼が緊急性を要することが多いからだ。仕方なく玉藻は受話器を手に取った。


「はいもしもし?」


『……………………』


 今度は切れなかった。だが無言だ。


「どちら様?」


『……………………』


 やはり無言だ。繋がっているのかと不安になるが、時折風の音のようなガサガサという音が入るので切れてはいないようだ。


「はぁ、なんだってこんな時間なのさ。目的はなんだい?」


『……………………ぁ……』


「あ?」



『…………しね…』



「は?」


 電話が切れた。


「あ、こいつ!この、ふざけやがって!」


 玉藻は受話器を放り投げた。それでも怒りが収まらないので、黒電話に向けて汚いハンドサインをお見舞いする。


「ばーか!あほ!人様に向かって死ねなんて言うなボケ!」


 玉藻は電話線を引っこ抜いて、とりあえず明日の朝まではそのままにすることにした。言いたいことだけ言って切るのも、いきなり人に死ねというのも、こんな深夜にそんな単純な嫌がらせをするのも全てが腹立たしい。流石の玉藻も怒りが収まらないまま、ソファーに乱暴に腰かける。はあ、コーヒーでも飲んで落ち着こう。そう思ってコーヒーのボトルを手に取った時、また電話が鳴った。


「……おいおい、マジか」


 ボトルを机の上に戻す。黒電話が鳴っている。

 もちろん、無線接続しているなんてオチは無い。つながるはずのない電話が鳴っている。

 さて、どうやら変なに目をつけられたらしい。冷汗が背筋を伝う。

 

 電話が鳴っている。

 

 チカチカと点滅していた部屋の隅の蛍光灯が突然消えた。

 

 電話が鳴っている。

 

 時刻はそろそろ3時半に差し掛かろうとしていた。

 

 電話が鳴っている。

 

 玉藻は大きくため息を吐く。またゼロ案件だ。霊に関わる案件は金にも評価にもならない。だからゼロ案件。霊だけに。

 

 電話が鳴っている。

 電話が鳴っている。

 電話が鳴っている。

 電話が鳴っている。

 電話が鳴っている。

 


 玉藻は覚悟を決めて受話器を取った。


 先ほどと同じ雑音と沈黙がスピーカーから流れる。確かに繋がっているようだ。一体どこの誰に?



『……………うしろ』



 ぼそっと呟くような声が受話器から聞こえた。


 毛が逆立つような感覚。急いで振り向くが、誰もいない。一瞬の安堵。


 だが、次の瞬間、受話器を押し当てている耳とは反対側から同じ声で



「 死 ね 」



 と耳元で言われた。

 そこで玉藻の記憶は途切れた。




 ◆◇◆




「……い………も…おい!玉藻!起きろ!」


 紺右衛門こんえもんの声が耳元で急に聞こえて驚いた。気づくとそこは事務所が入っている雑居ビルの屋上で、玉藻は胸の高さほどのフェンスをよじ登ろうとしていた。上半身は既に空中にあり、右手を紺右衛門が掴んでくれなければすでに落ちていただろう。


「……!!」


 血の気が引いて体が震える。危ないところだった。この高さではまず助からない。


「あ、ありがとう」


 なんとかフェンスから降りて紺右衛門を見ると、紺右衛門は膝に手をついて肩で息をしていた。長めの白髪を後ろでまとめた髪型も少し乱れている。彼も相当慌てて駆けつけてくれたのだろう。玉藻が紺右衛門にお礼をいうと、紺右衛門はやれやれとため息をついた。


「……まったく、あの程度の呪術にやられるとは情けない……」


「う、ぐぬぅ」


 いきなり小言を言われてカチンときたが、反論できなかった。さっきの電話は一種の呪術だ。今ならわかるが、おそらく最初に電話が鳴り始めた時からすでに玉藻は術にとらわれており、正常な判断が出来なくなっていたようだ。


「せっかく気持ちよく酒を飲んでおったのに、急にリンクが切れたから何事かと思えば、部屋はめちゃめちゃじゃし、お主はおらんし。慌てて上まで来てみれば自死寸前。仙狐家の巫女たるもの、例え家を出ても誇りは失うべからずじゃ」


 そう、玉藻は仙狐家の次女。巫女の資格をもつもの。千年近い伝統を持つ一族だ。でもそれが嫌で逃げ出した。逃げ出した玉藻に唯一ついてきてくれたのが紺右衛門だった。


 紺右衛門は仙狐一族に使える眷属の一人だ。外見は身長190cmを超える長身に白髪を後ろで縛った初老の男性。痩せ型で紺色のスーツをよく着ている。どこかの大企業の会長と言われても信じてしまうほど整った身なりと優雅な仕草で近所のマダム達に大人気。だが、その正体は稲荷神の力の一部を受け継ぐ白狐である。


 玉藻と紺右衛門は主と眷属という契約で結ばれていて、かなり深いところで同調リンクしている。玉藻から供給されるエーテルで紺右衛門は存在できているし、紺右衛門はリンクがある限りどこからでも一瞬で玉藻のもとに現れる。相互接続の契約は本来簡単に途切れたりはしない。術者である玉藻に何かあった時か、今回みたいに外敵から強制的に遮断された時ぐらいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る