第9話 ハイエルフ

「エリナ! もう大丈夫? なんか変なことはされていないわよね!?」


 来賓室に到着して早々に死にかけておりました。


「あ、あのミシェル……苦しいから離れて貰っても……」


「だめよ! あんな酷い目にあったのに気丈に振る舞おうとしている子をほかっておけないわよ!」


 私は若草のように柔らかで暖かい胸に押し込められている。


 密着しているせいかほのかに汗ばんでおり、甘い香りが鼻孔をくすぐり頭がとろけてしまいそうでした。


 同性とはいえ、ニコラ様やアルバス様がいる前で抱きしめられるのはやはり恥ずかしいです。


「これ、やめんか。エリナが困っておるじゃろ!」


「でも!」


「まずは話を聞いてからでも遅くない。エリナを心配しているのはお前だけではないのだ」


「わ、わかったわよ」


 助け船を出してくださったのは、ミシェルの祖父に当たる方で、齢九千を超えるハイエルフ族を纏め上げる族長のトレーフル様でした。


 はあはあ、と乱れた呼吸を整える共に顔の火照りを冷やそうと手で扇ぎました。


 相変わらず心配性なのとあなたのそれが凶器だと自覚してほしいくらいです。


「だ、大丈夫?」


「ええ、これくらい日常茶飯事なので」


「え!? 日常茶飯事なの!?」


「違います。言い方を間違えました」


 おかしいですね。まだ、遠くへ自分の心を放ったようにぼうっとしています。


「ふふん! 見たか人間! 私とエリナはこんなにも仲が――痛ッ! 孫娘の頭を殴るとか頭おかしいんじゃないの!?」


「馬鹿者! お前がいらん話をするからいかんのだ!」


 ニコラ様を指さし得意げな顔で自慢するミシェルを見かねたトレーフル様が、持たれていた杖で孫娘の頭へ容赦なく振り下ろし説教を始めました。


「大体、おじいちゃんがエリナを心配だからと言って慌てて帝国に来たんじゃん!」


「人のせいにするではない! ワシが散々、明日と言っておるのに『エリナが泣いている!』と意味の分からんことを抜かしてここに来たのはだれじゃった?」


「う、うぐ!」


 相変わらずお二人の仲はよろしいようで微笑ましいです。


 この方々は、帝国から遙か東に位置する精霊の森に居を構えており、トレーフル様は族長で孫娘のミシェルは次期長を継ぐことが決まっています。


 お茶の準備をしている容姿の整った使用人達が、感嘆のため息を漏らしてしまうほど美しいのです。


「お茶の準備ができております。また、エリナ様からのご要望で乳や卵などを使わないお菓子をご用意させて貰いましたので心ゆくまでおくつろぎ下さい」


 アルバス様は一礼してから、いつでも動けるように他の使用人達と共に壁際に立たれ待機する。


 私とニコラ様はトレーフル様達と対面になれるように反対の席へ腰掛けます。


「相変わらず気を使わせてすまぬのう」


「いえ、ハイエルフ様は動物たちと仲がよろしいのはご存じですから。それにしても、今回はお早いご到着でしたがいかがなさいました?」


 ハイエルフ様にお会いしたのが初めてなのか、ニコラ様は恐ろしい芝居の幕開きを待つかのように緊張気味なのが少し可愛らしいです。


 事前に帝国に関しての質問があればニコラ様が対応してくださり、大体の交渉等は私が役目を担うと打ち合わせしております。


 これに関しては、王女様の指示で亜人族や魔族の方々と親しい者が話をするのがスムーズと仰せつかっているんです。


「何、王国にいつもどおりエリナと交易をしようとしたら追放したと聞かされてのう。それで孫娘が心配のあまりに急いで来たと言うわけじゃ」


「それはお手を煩わせてすみません……お手紙を出そうとは思っていましたが、私も色々と立て込んでおりまして」


「良いのよ! あはなたがふじなら!」


「これ、食べるか喋るかどちらかにせんか。帝国の王子よ。孫娘の醜態を見せて申し訳ない」


「うぇ!? あ、大丈夫ですよ!」


 トレーフル様に頭を下げられてニコラ様は軽くパニックになられています。


 帝国でいえば彼の方が偉いですけれど、ハイエルフの方が我々より遙かに長く生きており敬うべきお相手です。


 ミシェルのお転婆具合は相変わらずのようですね……。


 私が抱いていたハイエルフの印象は、浮薄な情熱で左右されない理智を身体に染みついているような冷静さを持ち合わせている存在かと思っていました。


 しかし、蓋を開けてみればミシェルのように表情豊かな人ばかりでした。


 まあ、それは私のお父様とトレーフル様が友好関係があった故で、王国に来た際は打って変わった話し方や振るまいをされていました。


 それだけ、過去の歴史が尾を引いていると言っても過言ではないということです。


「それで、エリナはどうして王国を追い出されたの? 私達が聞いた話だと殿下暗殺未遂や聖女を陥れようと言われていたけど?」


 私がいないところで何好き勝手に言っていらっしゃるのでしょうか。


「私がそんなことをする人間に見えますか? とりあえず、一からお話しましょう」


 お二方が聞いた話と真相を踏まえつつ、殿下に婚約を破棄された件と妹にその座を奪われた挙げ句に国外追放を言い渡されたのをお話しました。


 ニコラ様は、私の心内を察してくださったのか優しく手を握ってくださいました。


 彼には泣いたあの日にお話をしてありますので余計に心配してしまったのでしょう。


「ふむ……そんなことがあったとは。辛い話をさせてすまんな」


「いいえ、お気になさらないでください」


「……許せない!」


「ミシェル!?」


 身体を激しく震わせるミシェルが急に立ち上がり涙声で言う。


 彼女の感情に呼応しているのか、窓ガラスや食器等が小刻みに振動する。


 おそらくこれは彼女が持つ魔力の影響であり、魔力耐性の弱い使用人達の気分が優れないのか顔色が悪い。


「やめんか!」


「だって、エリナは……エリナは……何もしてないのにこんな仕打ちを受けたのよ! 私たちが家族と認めた子を傷つけて怒らない訳がないじゃない!」


「黙れ。お前が怒るのはもっともじゃ。しかし、エリナがこうして無事にいるならそれで良いだろう。お前は一族に魔法鳥で伝言を送れ。『今後王国との取引は中止。これからは彼女がいる帝国と同盟を結ぶように』とな」


「ッ……分かったわ……」


 あのミシェルを黙らせる威圧感と共に一瞬とはいえ、彼女とは比べものにならない魔力が滲みでたときは背筋が凍りました。ニコラ様は泣いてはいませんが震えておりますけど。


「すまんのう。ワシの娘が未熟なばかりで」


「謝らないでください。私を心配してくれているのは理解していますので。それにしても、良いのですか? 王国との取引を中止にしても」


「よいよい。お主がおらんのなら取引する理由もない。それに、ワシ等の同胞ともいえるものを傷つけた国などこちらから願い下げじゃ」


「トレーフル様……」


 赤ん坊をあやすように微笑まれました。


 私を同胞と呼んでくださるのは本当に嬉しいです。


 怒ると今のように怖いですが、本当はとても優しい一族なんですよ。


 私はトレーフル様の怒りを数度体験しておりますが、初めての方からすればたまったものではないでしょうね。


「して、そちらの王子様はどうしてそのような格好を?」


「あ、ニコラ様のことですか? その何というか……とても言いにくいのですけど……王女様の趣味でございますよ」


「趣味……王子、強く生きられよ」


 何かを悟ったのかトレーフル様は深く突っ込みませんでした。


 ニコラ様も聞かれないことに安心したのか頭を下げられます。ここにミシェルがいたら……考えるのはよしましょう。


「こほん、それでは私が担当する地区についてお話してもよろしいですか?」


「ええ、聞きましょう」


 変な雰囲気になりつつあったので、私はわざとらしく咳払いをして、帝国の新しい政策についてトレーフル様と話を進める。


 その途中で一族に伝言を送ったミシェルも加わるも、分かってはいたがニコラ様の服装に関して根掘り葉掘りと聞いたのは言うまでもありません。

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