第8話 準備諸々

「うわぁ! ご、ごめんなさい!」


 相変わらずメイド服を着させられたニコラ様が躓いて持っていた資料を撒き散らした。

「だ、大丈夫ですか!?」


 私は資料よりもニコラ様に怪我がないかを確認するため駆け寄る。


 今までため込んできたものを全て語り、ようやく踏ん切りがついた私は新たな地区を管理する屋敷の執務室を整理していました。


 リーンベルト家の皆様の前で我慢できず、親とはぐれた子供のように泣いてしまい思い出すだけでも顔が赤くなります。


 それでも、今までお父様の前でも泣かないと決めていたはずが、皆様を見ていたら幾重にも結ばれた紐が解けたかのように泣いてしまった。


 ああ……あんな風に優しくされた経験がないからどうしよう!?


 ニコラ様も前日のことを気にしていないのか、普通に接してくださっているけれど、あんな醜態を晒してしまったのが本当に申し訳なくて仕方がないです。


「あ、大丈――」


 互いに手が少し触れました。


 すると、ニコラ様は顔を真っ赤に上気させていた。私も同じように顔が熱いです。


 それでも平静を装っているだけで、本当はニコラ様も私と同じような気持ちでいてくれるのが少し安心しました。


 ローベル殿下とはこんな風な気持ちには全くなりませんでしたから。


「それにしても、良いのですか? ニコラ様は一国の王太子です。私のようなを手伝うなんて」


「大丈夫ですよ。ボクがそう望んだことですし、何より王太子として他の種族と交流しておかなければ国の平和なんて築けませんから」


 道の上に一線を置いたようにしたまっすぐな志に少し胸が高鳴りました。


 帝国と王国の王太子にこうも差があるとは驚きです。


 ローベル殿下は平民すら見下しており、自分以外と交渉できるのは同じ位の人間のみというお考えですから。


 以前、私が多種族との交易も勉強の内と進言しましたが『高貴な人間が薄汚い亜人と喋る訳がないだろ。それにそれはお前の役目だ』とはね除けられました。


 一国の王がそのような幼稚染みた振る舞いはふさわしくなく、王と成り得るなら脇隔てないお考えを持ってほしかった。


「偉いですね。そういう考えをできるのは素晴らしいと思いますよ」


「そうですか? この世界に生きているなら……いや話が通じるならボクは話したい。戦争は悲しみを生むだけで何も解決しませんから。話し合ってそれが解決できるなら超したことがないんですけどね」


「ニコラ様の言うとおりです。争いは両者に甚大な被害を被るだけですから」


 言葉で語るより武力を行使するのは簡単。


 しかし、互いにぶつかり合ってもわかり合う訳でもなく、騎士等が命を落とすだけでは飽き足らず、罪のない平民が大勢犠牲になるんです。


 彼らは国に住んでいるだけで、政治にも戦争の火種になるようなことは一切していない。


 だけれど、一度戦争が起きれば貴族は安全な場所で指示を飛ばして戦況を見守るだけで、戦火に巻き込まれ失うのはいつだって平民や騎士を含めその家族や恋人達です。


「ボクは『勇者』を授かりました。でも、これは本当は必要ないと思うんです。加護も必要としない世界が一番平和なのかなって思うんですよ」


 ああ、この人は本当に素晴らしい考えをお持ちのようです。


 私も似たような思想で加護という他人と比べられるものがあるから、同じ人間であってもそれを基準に見下し貶し合う。


 だからこそ、私たち人間に特別な力は必要なく、この口は平和を語り、この手は相手の手を取るだけで良いんです。武器も力は重荷になるだけで例えあっても誰かの傷つけ命を奪うものではないですから。


「ニコラ様なら実現できますよ……」


「それを形にしたのはエリナ様ですよ」


「え?」


「貴女は、亜人族達やあの魔族とも交流を図り復讐の炎を消したのです。だれもしようと思わなかった偉業を成し遂げた……ボクにとっては貴女は理想の人間なんですよ」


「ニコラ様……」


 私の行いは間違っていなかったのですね。


 ローベル殿下や他貴族から呆れはてたような軽蔑の眼で見られ、『お前は貴族ではない!』、『この裏切り者が!』、『あの方は人の皮を被った亜人ですわ』、『侯爵令嬢とあろう者が愚かなことを』と、万年番頭と陰口を言われていました。


 それでも自分の信念を曲げることなく、国の平和を願って私らしさを貫き通してきましたがお父様やオリバーさんやミレスおばあ様以外には認められませんでしたが。


「だから、今度はボクも貴女を支えながら学んでいきたい。それに貴女のお陰でボクは生きていられるようなものですから」


「それはどういうことです?」


「まだ、内緒です! いつかときが来たら話しますね!」


 話をはぐらかされてしまいましたが、いつかそのときが来たらニコラ様が語ってくれるそうなので楽しみにしていましょう。


「それにしても、王女様はいつもこんな感じになのですか?」


 作業も一段落して、ニコラ様の専属執事となったアルバスさんがお菓子とお茶を用意してくださったので小休憩がてら頂いていました。


 ご用意されたものはどれも素晴らしく、特にハイエルフが作った果実のジャムは格別で美味しいです。そのついでにニコラ様に王女様のお話をお伺いいたしました。


「ああ、母上はいつもこんな感じですよ。『聖女』とは別に『直感』っていう加護も持っているので」


「二重加護持ち!?」


 おとぎ話にしかないと思われていたものが、実在するとは思わずティーカップを落としそうになる。


 二重加護持ちは、数千万人に一人いるかいないかの奇跡。ただでさえ、『聖女』や『勇者』ですら希少ともいうのに改めて聖女様の凄さを実感しました。


「やっぱり驚かれますよね? 父上も結婚した時に知ったそうです」


「驚くというか本当にいるとは思わなくて……」


「その反応が当たり前ですよ。帝国の異常事態も全て直感で防いで来てましたからね」


「それは直感というより未来予知の類いの間違いでは?」


 つまり、この新地区計画も彼女の持つ『直感』がもたらしたものかもしれない。


 私も詳しい内容は知らないが、自己にて扱えるものではないとしか聞いたことがありません。


「母上によれば、ふとした瞬間に考えや最善の策が思いつくそうなんです。自分の意思では一度も使ったことがないそうで、大体は国を左右する出来事に発揮するみたいですよ」


「なるほど……」


「今回の件は、母上が元々しようとしていた計画でしたが、残念なことに亜人達との関係がまだ浅はかだった故に実現は数十年はかかると思われていました」


「それで王国を追放された私が適任と?」


「ボクがエリナ様と結婚したいと父上に相談した際に母上が思いついたみたいですけど」


 ニコラ様はふぅふぅと冷ましながら紅茶を口にされていました。


 偶然とはいえ、王女様の抜け目ないやり方は素晴らしいとしか言いようがありません。


 それにしても面と向かって、改めて結婚をしたいと言われるとむず痒さがありますね。自分の意思に反したことを無理やりせねばならぬような重苦しい政略結婚とは違い、これは言葉に言い表せませんが温かさが染み渡ります。


 初対面や今の服装にまだ疑問は残りつつありますが、こんな素敵な方に求婚されるのは本当に嬉しく思います。


 まだ、しっかりとした答えは決まっていませんけど、ニコラ様のようなお優しい方と結婚できたらきっと幸福に満ちた家庭を築けるかもしれませんね。


「ニコラ様、失礼いたします」


「ああ、アルバスですか。入ってください」


 規則正しいノックと共に聞き覚えのある声がした。


 それに反応したニコラ様が入室を許可すると、アルバス様がお辞儀をして入られてきました。


 この方はリーンベルト家に代々仕えており、作法はもちろん剣術等も修めるなどすごい人らしいです。


 また、帝国の学院で執事見習いを育てる講師を兼任しているらしく、帝国の内部事情を知りたければ彼に聞けば良いと仰せつかっております。


「エリナ様、ニコラ様。ハイエルフの代表の方がお見えになっております」


「あれ? 予定より早いですね。明日の昼頃と聞いておりますが」


「ええ、私共もそう聞いておりましたが。どうやら、エリナ様がここにいると聞きつけて慌ててこられたそうです」


「その方はもうこちらに来ているんですか?」


「はい。来賓室にてお待ち頂いております」


 どうやらハイエルフの代表者が屋敷に到着したそうです。


 本来なら、明日の昼頃に到着すると魔法鳥にてご連絡があったのですが、既に来賓室でお待ちになっているなら急がないといけません。


 ニコラ様に視線を向けると首を縦に振られたので、アルバス様に指示を行い二人で来賓室へ向かいました。

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