第2話

 光治郎は生徒会室の適当な椅子に座り、すっかり項垂れていた。


 ――同じクラスにも居た。違うクラスにも居たし、最近は干渉波をだだ漏れにする輩も居る。

 ……そうだな、あれは確かに四日前からだった。

 時期的に見ても間違いなく自分のことを探っているのだろう、と光治郎は結論付ける。それどころか、今日に限らずとも今週好意的に接してくれた女子生徒の大体が疑わしい。誰にでも挨拶する律儀な生徒から、日直の仕事中に出会ったあの子、一年を担当する新任教師とちょっとした雑談をしたのだってこの四日間。

 さらに、晶の話によれば今後そういう手合いが増えるということらしい。

 ……素性がバレた上、相手は貞操を狙っている。同年代の女の子たちがである。

 そう考えると悪い気もしないのだが、そこで開き直って女遊びが出来るなら、多分こんな事態にはなっていない。もしもキャーキャー騒がれるようになったら――例えば七条晶のようになったら。

 ……それも悪くないかも、な。

 正直にそう思う反面、やはり億劫なことは変わりない。晶は顔が良いからモテるわけで、そうでもない自分に近付く子たちには下衆な計略があるのが分かっている。


「粗茶ですが」

「……ありがとう」


 光治郎は日向の淹れた紅茶に何の気なしに口を付ける。

 もやもや葛藤する頭のまま、粗忽にゴクリと飲み込むと舌先が熱いのを即座に通り過ぎて喉が焼ける。


「――ン!」

「火傷してしまいました? いけない。晶、直ぐに冷たい飲み物を」

「――平気ヘーキ。大丈夫だよ」


 早る日向をイガイガと焼けるような喉を震わせて制止し、まだ熱い紅茶を皿へ戻した。


「本当ですか?」


 日向は机に手を突いて、少し体勢を低くしながら光治郎の顔を覗き込む。最近の衣替えによって変わった夏服の頼りない襟元が何とも危うい。危ういというか、思わず釘付けになってしまい、その瞬間に丁度チラッとパステルカラーの下着が覗いた。


 薄ピンク……。

 心中で唱えてからハッとして、慌てて顔を背ける。


「まあ、何だ。あまり簡単に引っ掛かるなよ」

「簡単に引っ掛かると思ってるんだな、さては!」


 晶なりの励ましに光治郎は声を荒げる。

 もしや、邪で不審な目の動きを見られたか? とその表情を勘繰ってみるが、どうやら一部始終見られたらしい。

 姉に色目を使われたことに、良い顔をしない弟が冷ややかな目を向けてくる。光治郎もそれにアイコンタクトで応戦する。カッと目を見開いたり、目を細めて睨んだりして「違う、違う。今のは不可抗力だ」と言い訳してみるが、どうやらその意図はあんまり届いていなさそうだ。


 僕は絶対に悪くないぞ。僕の方から覗こうとしたわけじゃないし、無防備に近付いて来た日向が迂闊だっただけだからな。身体が本能に従っただけで、ちゃんと紳士的に目を逸らしただろう。

 首をブンブンと左右に振り乱し、頭の中で念じた文言を晶の顔目掛け送信する。


「やっぱり熱かったですね」


 過保護な日向に状況はより混沌となる。


(知るか。本能が揺らいでんならおんなじだろ。頼むから本当に気付けてくれよ。本当に。マジで!)


 晶は日向の目が自分に向いてないのを良い事に、威嚇をするような、罵声を浴びせるような顔芸で訴えてくる。


「――一応、七条の家でこの件については箝口令を敷いたとさ。それでも結構な家に知れてると思うが、一般生徒まで広がることはないだろうし、無闇矢鱈な手段で籠絡しようというのもいないだろう。まあ、それも光治郎が分かり易い誘惑に負けなきゃって話だが」


 棘のある言い方しかしない晶。


「学内で光治郎さまが何か実害を被るということはありません。現生徒会長として必ず、光治郎さまの平穏な学校生活を守ってみせますので」


 それとは対照的に日向は光治郎の隣に腰を下ろし、目を合わせて誠実に訴える。


「いいの、それ。学校の生徒全体の公益を考えるのが生徒会長の仕事だと思うんだけど」

「いいんですよ。多少の融通は効くんです。でなければ態々自分が生徒会長になる意味もないでしょう? みんなが公益性だけを考えるのならそもそも生徒会長選挙なんて必要ありませんし、私が私なりの生徒自治をしなければ候補者の中で唯一私が選ばれたことに、それから皆さんが私を応援して下さったことに何の意味もないことになってしまいますから」


 真剣な表情で話す日向は言い終わった後でクスリと破顔する。それを間近で見ていた光治郎は本当に同い年なのか疑いたくなった。

 一人の姉だからなのか。それとも生徒会長だからなのか。生徒会長に選ばれる人物ともなるとやはり言うことが違うと一先ず納得し、ややあってから「ズルい」と思った。


「それよりも。光治郎さま、今度からお昼は生徒会室でご一緒しませんか? いつまでも教室で済ませていては生徒の耳目を集めるでしょう。生徒会もまだ発足してから二週間と少し。こんな離れで食べる物好きは今のところ私共しかおりません。……どうですか?」


 光治郎が狡猾さに気付くより早く、日向は切り出す。

 細い指同士を合わせてつくる合掌を正面からやや左に置き、上目遣いでズッと自分の椅子を引きずって距離を詰める。


「いや、えーっと」


 上半身だけで退いて、戸惑いながらに検討してみる。

 悪くない提案だけど、返って目立つような気もする。だって、あの学園アイドル双子の晶と日向と三人きりで昼食だ。生徒会室という密室だからと言って、そこへ出入りするなら結果は変わらないのでは……。


「どうせ、また孤独に食ってんだろ。おにぎりとかサンドイッチとかパンとか。しかも夕食も不器用なお前がちゃんとしたもん食べれてるとは思えないし、ここは甘えておけよ。コイツ、最近料理に凝ってんだぜ」

「そうなんです。花嫁修行と言うのですかね。使用人から一通り教わって、自分で言うのも何ですが結構美味しいんですよ。光治郎さまが宜しければお作りしますが」

「……別にそこまでしてくれなくても」


 気圧される光治郎は弱々しい小声でやんわりと断ってみるが。


「そう遠慮なさらず。私の分の次手なので、ぜひ一度だけでも。忌憚のない意見が欲しいんです」


 日向は顔をぐいと近づけて、その意志の強そうな目をキラキラ輝かせる。


「分かったよ。じゃあ明日から……いや、急に言っても難しいか。金曜だし、来週からに――」

「いえ、ぜひ明日あすから。私、待ってます」




* * *




 ――昼休みを知らせるチャイムが鳴り、教員は慌てて授業を終わらせた。

 ……驚くなよ。

 自席を立つ光治郎は顔に出ないようほくそ笑む。

 別に特別親しくもない教室昼食組を一瞥し、軽くなったカバンを背負う。


「あれ? 安曇くん学食だっけ?」


 隣の女子生徒が教科書やらノートをトントンと束ねて尋ねる。


「そんなところ。――じゃあ」


 手を縦に振り、光治郎はあっさり教室を後にする。その背中を見送った者がどれだけいたかは分からないが、誰にも見えないところで光治郎はニヤリと口を歪めていた。


 背中で感じる不安感。心細いのとは違う。周囲の雑談が全て自分に向けられているような緊張感。自分が暇になった途端、教室に燻る負の雰囲気を一身に受けている気になってビクビクと一人で焦って、どうしていいか分からなくなり目眩がする。

 だから、ちまちま食べたり、寝たり、トイレに閉じ籠ることでやり過ごす。普通なら誰かに助けを求めるんだろうが、光治郎にはそれが出来ない。そんな甘い考えを許さない。


 ――それが今日から無くなると思うと実に身体が軽い。毎日あった迷いのルーティンが一つ無くなっただけで、こんなにも気分が良い。

 昨日まで生徒会室まで行くの面倒だなあ、と思っていたのが嘘みたいだ。

 いつになく上機嫌な光治郎は跳ねるように廊下を駆け抜ける。


「残念フウカ。今日から安曇くん、学食だって」

「あれじゃん? 嫌われたんじゃん、昨日のあれで」

「うそ⁈ でもメロンパンくれたよ」

「物欲しそうにしてたからでしょ?」

「しょーがないじゃん。朝ごはん抜いていつもよりお腹空いてたんだもん」

「ダイエット中だっけ」

「そうそう。夜ごはんだけ糖質制限してるの」

「で、痩せれた?」


 女子グループはケラケラ笑って食事をする。

 いつもより一人少ない教室で、いつも通りの時間が流れていた。


「――で、何だっけ。光治郎が言うには監視されてんだろ。精神干渉系の能力者に」

「……まだ僕を監視してるとは言いけれないんだけど」

「んや、はんへんにほうにひがいないらろ」


 日向の用意した絢爛な重箱には数々の惣菜が詰まっている。とても素人が作っているふうには見えないキラキラした品は、それぞれが第一線級のおかずであって、美味いのは言わずもがな、とにかく米が進む。

 ――いや、米が足らないくらいだ、と思う光治郎はすっかり貧乏性が染み付いている。

 一人一つの弁当箱ではなく、三段重ねのを解いて並べて、三人で一つの大きな重箱を囲む。晶はさっきからバクバクと遠慮なく料理を頬張っている。


「全然何言ってるか分からないけど。というより晶、ガッつき過ぎだろ。直ぐ隣に作ってくれたその人が居るのに、もっと大切そうに食べれないの」

「ふふふ。構いません。光治郎さまも男の子なんですから、これくらい一生懸命に食べて下さっても宜しいんですよ」


 少しも茶色く焦げたところのない黄金のだし巻き玉子を手で差して、「これなんかオススメですよ」と日向は微笑む。


「まあ日向はこう言うが、別に全部日向が作ったってわけじゃないからな。味が美味けりゃ俺はそれで十分だと思うんだが、見た目が気に食わないとかで使用人に用意して貰ったのも沢山あってだな。今日は何でか重箱になるし、ここまで俺に運ばせるし。いつもはこうじゃないんだ。いつもはもっと――ぎぎ」

「アキラ?」


 日向は張り付けたような笑みを浮かべる。

 くの字に折れた日向の手が途中まで見えて、晶は渋い顔で身体を弧状に曲げる。多分、机の下で日向が晶の腹か足かを思い切りにつねっているんだろう。

 いつもはもっと、どうなのか。少し気になるところだが、空気の読める光治郎は続きを聞いたりしない。


「相変わらず仲良いね」


 ただアハハと呆れ笑いをするだけ。


「話を戻すが、俺が思うにその精神干渉系の能力者は完全にお前を狙ってる。考えられるのは三つ。一つ目は、噂の天國家跡取りを探し回っている。二つ目は、クラスまでは分かってるが顔と名前の一致はしていない。三つ目は、顔も名前も素性も知っていて、その上で試してんだろうな、お前の力を」

「試してるなんて、そんな大袈裟な……あ、これも美味しいよ」


 魚の出汁がよく利いた玉子焼きはほんのりと甘い。水分はないのにパサパサという感じではなく、もっちりとしてほろほろと口の中で崩れる。この本場のバランス感が手作りだと思うと素直に感心してしまう。

 光治郎は卵の黄身のパサパサ感がどうしても好きになれないので、半熟ぐらいを想定して、半分ドロドロのオムレツとスクランブルエッグの間みたいなのを作る。生卵というのも得意ではないので、それをご飯にかけて中途半端な卵かけご飯にするのだ。


「よかったぁ。安心しました。玉子焼きって、それぞれ家庭の味が違うじゃないですか。甘いのとか、塩っぱいのとか。光治郎さまのお口に合ったようで何よりです。けれども、もっとこういうのが好きだ、なんて教えて下さればその通りにお作り致しますが」

「えー。難しいなぁ。これ以上なく美味いと思うけど」

「そんな……」


 率直な本心であったし、きちんと気も遣えたと思った光治郎であるが、何故だか日向は悲しげに眉を下げる。


「じ、じゃあ今度はオムライスがいいかも」

「オムライスというのはアレですよね⁈ チキンライスの上にオムレツを乗せて。その上にケチャップソースで、その……」

「そうそう。本家だとそういう家庭料理って食べない?」

「はい、済みません。あまり、経験がないもので。作るのは出来ると思います。練習しますから。ですが、その、上手く描けるでしょうか」

「掛ける? そんなの適当で――。でも、チーズ掛けるの好きかも」

「え」

「――おい、真面目に聞いてるか? ちゃんと考えてるのか? 俺が思うに、能力に自信があるなら多分一発だぞ。効かないだけで普通はお前の異常性に気が付くし、それが裏付けになる」

「そういうもの? 僕にも同質の力があるなら効かないこともあると思うけど……」


 もしも晶の言う通りなら、そんなの対策したってしなくなって結局バレることになるけど。

 それならどうして毎日毎日やってくるんだ? こっちの隙を伺って? むしろ一回乗ってあげた方が止めてくれるってもんじゃ……。


「――うま」


 頭のモヤモヤはローストビーフの程よい赤身に凝縮された旨味に全て吹き飛ばされる。


「でも、私改めて感服致します。光治郎さまは、干渉波だけで相手がどんな能力なのか大体は区別できるって、つまりそういうことですよね? そんなの第六感があるのと変わりない、私たちには分かることのない世界が見えているんですわ」

「まあね。利き超能力だけは自信あるよ」

「ふーなほほ、いっへるはあいはねーらろ。――ン。そりゃ、学校の誰かだってんならまだ良いが、その精神干渉しようとしてんのが部外者だったらって考えると、俺らや学校側にとっては既に只事じゃねぇんだぞ?」


 箸先を光治郎へ向け、晶は説教するみたいに語調を厳しくする。

 が、さっぱりした味付けの煮物をひとつまみした後で、今度はジュージューな天ぷらの盛り合わせに惹かれている光治郎には少しも届かない。


「うちの生徒だとしても問題はあります。そもそも無許可での超能力使用は校則で禁止されていますし、濫用というなら法律で禁じられていますから」

「――それだって、全然守られてないじゃん。上っ面だけ取り繕ってるのは僕が一番知ってるんだからさ」

「確かにそうだが……。何にしろ、相手は見つけた方が良いだろ。お前としても良い気はしてないんだろ?」

「まあ……」


 そりゃあ日々イラついてますけども。思い出すだけで、忘れていたかつての苛立ちがあたかも今の今まで連続していたみたいに頭がジクジクと重たくなって行くほどだけれど。

 光治郎は顔色を暗くする。

 ――あー気分悪くなってきた。ちょっと甘い物食べよ。

 椅子の横に置いたカバンからメロンパンを取り出して、素早くナイロンの袋の封を切る。


「お前、またそんなの」

「光治郎さま? もしかして、やはりお口に合いませんでしたか?」


 日向は肩を落とし、あからさまに落胆する。


「違う違う。思い出しちゃっただけだから。ほらイライラすると甘い物欲しくなるって言うじゃん。それに、大きなものに齧り付いてる時って、こう、満足感が凄いわけで。ストレスをぶつけられてる気がするんだよ。……単純に美味しさ勝負なら弁当の方が圧倒的。滅茶苦茶美味しいよ、日向の手料理」

「……本当ですか?」

「もちろん。これは僕が好きなだけ」


 何とか納得して貰えたようで、光治郎はほっと胸を撫で下ろす。それからメロンパンに思い切り齧り付いた。教室では他人の目もあるし、急いで食べても良いことないから控えめに咥えるのだが、今日は少しの躊躇なく、柔らかなパンに綺麗な歯形を残した。


「……分かりました。では、今度はもう少し一口のサイズを大きく用意致しますね」

「ん⁈ ……。――いや、別に。そうじゃなくて。今のままでも食べ易くて良いと思うよ。三人で取り分けるんだったら切り分けられてた方が摘みやすいし」

「俺の欲を言うなら重箱でってのは止めて欲しいけどな。こんなの毎日抱えるの阿呆らしいし、三人分にしても多い。作り過ぎてるのは明白だろ。俺には友達との付き合いもあるし、毎日生徒会で食えるってわけでもない。もし二人きりの時は、これ全部を二人で分けるのか?」


 割って入ってきた晶はつらつらと文句を言う。

 光治郎が聞く限り晶の言い分には確かに尤もなところもあるが、それでもよくもまあ女の子に臆面なく言えるな、と思う。姉弟だから勝手は違うのだろうが、滅茶苦茶に気不味い。


「……だって。光治郎さまの好みを聞きそびれていたので。どれでも良いからお口に合えば、と」

「――お前、重いぞ」


 晶の一言に生徒会の空気は冷え冷えとして、日向もカチカチに固まったまま動かなくなる。と、思いきや静かに目を赤くしている。


 ……言っちゃったよ。泣きそうになっちゃってるよ。止めたげてそれ以上は。僕を姉弟喧嘩に巻き込まないで。明日から生徒会室に来るのが辛くなるでしょうが。

 何て返す? 僕は何を言えばいい?

 さっき「美味しい」とはもう言った。ひたすらに美味しいことを推しても、お前それしか言えねーのかって感じだよな。

 なら「重くないよ」って言うか? でも重いとか重くないとか、僕分からないんだよな。説得力がまるでない上にむしろ急場の慰めに聞こえるだろ。「大丈夫、重くない、重くないよ」ってそれじゃあもっと辛いんじゃないか?

 じゃあなんて――。


 今し方補給した糖分でもって光治郎は頭をフル回転させる。


「――ジュ、重箱だけに?」


 半笑いの光治郎のフォローに、気不味い空気は一層凍り付くのだった。


「何にしろ、お前を監視してる超能力者は見つけなきゃならない。生徒会俺たちの立場からしても、お前からしても。分かったら放課後にも顔出せ」


 何か光治郎が全て悪いみたいになって昼休みは終わった。

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