超能力者は隠れ潜む

第1話

「え、そうなの。あはは。分かった、僕の貸してあげる」

「ありがとうな。やっぱ安曇は頼りになるわ」

「ほい」

「センキュー!」


 光治郎が机の横に掛けたカバンからノートを取り出すと、活発な色黒のクラスメイトはそれを奪い取るみたく取り上げていった。


「あはは、どういたしまして」


 なんて控えめに手を振ってみるが、見えるのは自分の席へと駆け戻る級友の背中だけ。

 僕の迷惑なんて全く考えもせず、自分のことばかりの級友の態度に胸の中で黒い感情が渦巻いて行くのが分かる。

 ……あー、もう。課題ぐらい自分でしろよなあ。

 それを尤もな叱責を唱えることで沈めた。


 ――誰だよ、誰から漏れた? バレた? どいつもこいつも優しくしたら付け上がりやがって。知らないよ、お前が課題やってなくて困ってるとか、さ。それ僕とは無関係じゃん。てか誰だよ、お前。こちとらクラス替えから二ヶ月経っても顔と名前が一致してねーんだよ。

 二年になったらこういう好感度取りは止めようと思ってたんだけどなあ。


 光治郎はかつての決意を思い出し、思い通りにいかない現状に肩を落とす。間をおかず、続け様に背中を丸めることでその落胆は誰にも悟られることはなく、そのまま机の上で腕を組み合わせていつもの安眠モードに入ろうとすると――。


「ねえねえ安曇くん。あんまり甘やかすのは良くないんじゃない? 先生にバレたら安曇くんまで怒られちゃうし」


 と席が隣の真面目な女子が助言をしてくる。


「アイツが怒られる分にはどうでも良いけど、頑張ってる安曇くんが怒られたら私許せないよ」


 物静かで休み時間も勉強するこの女子生徒は、どうやら僕に少なくないシンパシーを感じているらしい。そりゃあ僕はなるべく目立たないようにと教室では静かに、そして真面目にしているが、でもだからって特別勉強好きというわけではない。


「そう? 僕は気にしないけど」


 ただ教室に程よく馴染んでいたいだけ。面倒だけど、何かあったらああいう世渡り上手を逆に頼らせて貰う腹積りだ。人間、持ちつ持たれつである。


「……それじゃあ、ああいうタイプの子はずっと安曇くんを頼りに課題やってこないよ。情けは人の為ならずって言うじゃない?」


 ――饒舌じゃん、やけに。

 光治郎は怪訝に思い、無意識のうちに眉間にしわが寄るのに気付いて、努めて無表情をつくった。

 言われずとも、僕は勿論人の為ならずの精神でやってるんだけど。……気にしないって言ってるんだからそれまでだろ? もう、鬱陶しいな。

 昼寝で外界との関わりを断とうとしているのを、お堅いお節介に邪魔されて光治郎の気分はさらに悪くなる。


「他人に優しすぎるのも良くないよ。まあ、それが安曇くんのイイとこr」

「――なら君が言ったら? 自分で課題しなさいって」


 素直で一番手っ取り早い感想が思わず口を衝き、光治郎は頭を腕に埋めて昼寝の体勢になった。ほんの一瞬の、目を離す数秒で、隣の女子が酷く驚いた顔をしたのが目に焼き付いて、顔を伏せた後で実に気不味くなる。


 ああ言っちゃったよ。黒い自分出しちゃった。今のは流石に出る杭過ぎたなあ。

 早いよ、だってまだ二ヶ月だよ?

 もう毒付いてこの先どうするの、僕は――。それになんか、「イイところ」って言ってなかったか、彼女。しつこいのは擁護できやしないけど、普通に心配してくれてるだけだったんじゃ……。

 席替えしたばかりで、まだまだ接点はあるだろうに、これは失敗したなという後悔が頭に付きまとう。


 光治郎は誰にも見られない机と腕の暗闇で深呼吸をした。鼻から大きく息を吸って、吐く分の息を長く少しずつ口から逃す。


 ……さあ、落ち着いて行こう。次の昼休みからはまた物静かで誰にでも愛想笑いする自分に戻るんだから。


 普段からこんなに尖った性格をしているわけでもないのに、この数日は殊更イライラが収まらない。何もかもが光治郎を逆撫でする。

 誰かが無責任なことに超能力を垂れ流しにしている――光治郎にはそれが分かる。


 超能学において、超能力によって起こるエネルギーは仮に干渉波と呼ばれ、未だにその実態は科学的に解明できていない。

 超能力を使っているか、いないかだけなら脳波測定によって観測できるが、それにも個人差があり、では超能力は脳の働きによって実現しているのかと言われれば、そう言い切れるだけの判断材料はない――らしい。勿論、機器類で計測することも不可能である。

 しかし、同系統の似た超能力を持つ者の間では超能力の衝突、力の押し合いは度々確認されており、衝突現象を知覚する超能力者の脳波を測定することで間接的に他者の超能力使用の有無、その強さなどを知ることができる。そして、超能力とは一方的に働く力ではなく同質の力ならお互いに干渉し合う性質の発見から、干渉波という用語が一般化した。

 例えば、物体を動かす超能力である念力サイコキネシスを用いた遊びがある。念力を持つ二人の間にボールなんかを置いて、それを綱引きの要領で引き合う“念力相撲”。どちらの念力が強力かを格付けする実に分かりやすいこの遊びだが、これと同じ強さ比べが他全ての超能力間でも起こり得る、ということ。

 大人しく授業を聞いているから、光治郎もやけに詳しくなっている。今なら穴埋め形式の問題でなくとも、論述形式だろうと完答できる自信がある。


 それはともかく、光治郎は『超念動』という面倒な超能力を持つせいで、多分全ての超能力が発する干渉波を感知してしまう。

 第六感――右のこめかみから左のこめかみへぐるりと描いた円環に干渉波が触れると、周囲三百六十度の感度で頭に直接ビビビと信号が流れてくる。

 例えるなら脳に敏感な触覚があるみたいな。脳に信号が、とばかり言っているがそれは頭で刺激を理解しているということで、実際は肌でも感じているのだが、やはり感覚的に優位であるのは頭だ。

 今も皮膚のあまりを指で摘んでいるような優しい痛みが、頭皮の奥にぼんやり感じられる。偶になら我慢できても、ずっと続けばやっぱりイライラしてしまう。


 透視能力やテレパスは日常的に使っている人も多いんじゃないか、と光治郎は思っている。――学校は特に。

 透視はどうせ服の下とかテストとか、邪な目的で使われてるし、テレパスは時間も場所も関係なくべらべら喋っているんだろう。

 ――新学期早々にこれだと本当に骨が折れる。

 生憎、光治郎は他超能力に干渉できるというだけで、今感じている干渉波がどういう能力なのかは分からない。

 だから、もしも考えていることを読み取れるとか、記憶を読み取れるとか、そういう超能力者が身近に居た場合に備えてジャミングしておくしかない。むしろ、光治郎は超能力者対策は昔から習慣付けるように躾けられて来たが、それでも干渉波を飛ばされるのに慣れているかと言えば別。

 詮索か、挑発か。何にしろ良い気分にはならない。


 僕としては最悪逆探知して報復してもいいのだが、最悪の自体になることなんて学校の中じゃ先ずないのは分かっている。

 学校と言わず、立場的にも完全にアウトかな。

 それが十分理解できているから踏み止まれてはいるが、結局は自分が耐え忍んでいるだけ。不躾な超能力者には本当良い加減にして欲しい、と光治郎は切実に願いながら、ただ次の授業が始まる予鈴が鳴るのを待つのだった。


 ……次の休み時間になったら謝ろう。



 無限にも感じられた四限目が終わると、光治郎はノートと教科書類を閉じ、重ね、それから億劫そうに身体を捻る。


「……あのお、その、さっきはゴメンね。僕……に、言い過ぎたかなって」


 謝る途中にも心苦しさが増していく。

 ――本当にごめん、実は名前だってよく知らないんだ。

 最初の文字が“は”であることは覚えている。ただ、花田なのか浜家なのか原口なのか羽山なのか。どれもしっくりとくるようで、どれも全然に自信がない。この場合、適当な名前で呼ぶのが一番に失礼であるから――だから、僕は君を君としか呼べない。


 勝手に自責の念に苛まれる光治郎が心底申し訳ないという顔で謝ると、隣の席の真面目な少女――多原は目を皿のようにした。


「え、そんな。安曇くんは謝らなくても。完全に私のお節介というか、安曇くんも迷惑だったよね、あんなにいきなり」


 多原は光治郎に向ける掌を振って慌てる。


「――私の方こそ、謝らなくちゃって。ごめんなさい」


 真面目な少女は光治郎の方に向いて座り直し、生真面目に頭を下げた。


「いやそこまでしなくとも。僕が嫌味っぽかったのは事実だし。何よりカンジ悪かったかなって。本当ごめん。最近疲れててさ、それで君に当たっちゃったんだ。だから、その、なんて言うかな。さっきのは気にしないでね」


 ――出来れば忘れて。これからは僕のことなんて構わないでいいからね。

 光治郎のする影のある弱々しい作り笑いには、実のところそんな意図がこもっている。


「そうなんだ。やっぱり、安曇くんって優しいんだね。全然気にしてないから。――それじゃあ、私お昼行くね」


 多原は席を立ち、少し居心地悪そうな照れ笑いを浮かべて手を振る。

 堅物な普段の印象とは違う柔らかな態度に、光治郎は思わず心を和ませながら手を振り返した。



 ――昼食。

 お昼休みは相変わらず教室で独り過ごしている光治郎。お昼休みのお供はメロンパンとプラスアルファ。通学途中のコンビニに売っているパン類である。

 パン一つだけではちょっと物足りないが、コンビニ弁当やらパスタやら炒飯やらはやり過ぎかなと思っているので、そこで辿り着いたパン二つ。これが中々丁度良い。

 本当はご飯派なのだが、おにぎりは海苔が口元や歯、服なんかにくっついて、しかも気付けない。加えておにぎりの数口も食べれば直ぐに手元から無くなって消えてしまうのが寂しい。空腹よりも気持ちが満たされない。

 その点、パンは大きさに対して質量が少なく、メロンパンなんて特に大きい部類で食べるのに時間が掛かる。プラスアルファは惣菜パンで、甘いメロンパンに対して塩っぱいものを気分で変える。新発売や期間限定の珍しいパンにハマってそればっかりになることもあれば、お気に入りが一ヶ月足らずで店頭から消えてしまい、仕方なく焼きそばパンかホットドッグに落ち着くこともある。

 ただ、サンドイッチだけは学食横の購買に並んでいるものの方が美味しく、コンビニで買うのは何だか損な気がするので買わない。


 今日はお好み焼きパンとメロンパンのコンビ。

 塩っぱいものを後に食べると眠れる食欲が増進されて、まだ食べたくなって満たされないので、いつも塩っぱいパンからの甘いメロンパンに、甘くないお茶を飲んで整っている。

 しかし、今日は何だか甘いのから食べる気分だった。


 光治郎は意気揚々とメロンパンの袋を開け、甘くて芳ばしい香りを脳で嗅ぐ。そうして鼻腔を幸福感で満たした後で、いよいよ口をあんぐり開けた。


「――安曇くん、だっけ? いつもメロンパンだよね」


 後方から話しかけて来たのは他クラスの女子生徒であった。

 見た目の垢抜けているギャルふうの女子生徒はニコニコと屈託のない笑顔を向けて来る。

 顔と名前が一致しないと言っても、流石に自分のクラスにいる顔か、そうでないかは光治郎にでも分かる。

 ……いつもうちのクラスの女子と一緒にお昼を食べてるやつだ。名前は勿論知らない。


「そ、そうだけど?」


 いつも同じの食べてるからって何?

 急に話し掛けられて戸惑う光治郎は、暗にそういう意味合いが含んでいると思われても仕方のない言葉を無意識のうちに返す。


「あたしもパンの中じゃ一番好きー。それ購買のじゃない、よね?」

「うん。……砂糖がガリガリしてる方が好きだから、コンビニの……みたいな」


 理由はちゃんとあるのだが、それを他人に話すのはいかにも通ぶっている気がして、喋り出してから現在進行形で後悔し、語気に自信が無くなっていく光治郎。

 砂糖食ってんだと感じられるのが好きだから購買のフワフワではなくコンビニのザクザク食感を光治郎は敢えて選んでいる。パン二つの光治郎のスタイルでは歯応えのある食べ物は希少であり、やはりメロンパンは欠かせない。


「分かる! え、どこのどこの?」

「せ、セブンだけど」

「一緒! あたしもセブンが一番好きかも」

「そうなんだ。いいよね……」


 話が広がらないなと思い段々笑顔が下手くそになってくる女子。

 終始気不味くて相手が何をしたいのか全く想像できない光治郎。

 女子は最初に声を掛けた時の明るいテンションを無理に維持するし、光治郎は例え不意打ちでも教室で演じている優しい人物を崩さないようにする。

 両者の思惑が空回りし、不自然さと不慣れさを隠し切れないようになると――


「ちょっとフウカ? 安曇くん困ってるじゃん」

「ごめんねー安曇くん、フウカは思ってること口に出さなきゃ済まないの。馬鹿なの」

「ほら帰っといで。邪魔しちゃったよね?」


 うちのクラスの垢抜けている女子生徒グループが割って入ってきて、それまでのぎこちない雰囲気を断ち切ってくれる。


「へへへ。ごめんね。今日はめっちゃ甘いものが食べたい気分でさ。つい話しかけちゃった」


 フウカと呼ばれた女子がそれまでの根明ぽい自信を崩し、弱々しく微笑むのを見て光治郎の中の何かの本能がくすぐられる。


「良かったら――食べる?」


 光治郎は袋を開け、齧り付きやすいように浮かせたメロンパンの、まだ傷一つない無垢な凸凹をフウカに寄せる。

 普段はそんなこと絶対にしない。年頃の男子として昼ご飯にパン二つでは明らかに物足りない。他者への施し分なんて一欠片として有りはしない。

 けれど、偶々甘いのから食べたくなっていた光治郎としては、同じく偶々甘いのを欲していたフウカの心情に妙に寄り添いたくなった。


「……いいの?」


 顔を赤らめて、フウカは心細そうに笑う。


「いいよ」

「じゃあ、一口だけ」

「――ちぎっちゃうね」


 そう言ってフウカはメロンパンの端から少し大き目の一口分をちぎり取り、それを口へ放り込む。少し無理やりに詰め込んで頬をパンパンに膨らませると、嬉しそうに目を細めた。


「んふふ。はにがと」

「どういたしまして」


 フウカとはそれで別れて、それぞれがいつも通りの昼食を取った。

 ついさっきの出来事を思い出し、その珍妙な一コマについて女子生徒たちが上げる黄色い声を背中で聞きながら、光治郎は気恥ずかしさと自惚れと混じる充実した昼休みを過ごした。



 放課後しばらくして、光治郎は上履きをロッカーに仕舞う手を止めた。

 聞き慣れた呼び出し音の後に鳴った、今さっきの校内放送を思い出して光治郎は眉を顰める。


『二年、安曇光治郎くん、生徒会室までお願いします。繰り返します――』


 呼び出し? 僕が? まさか。一体何したよ……というか、生徒会室って。声の主は女のもの。マイク越しに聞いても、心底優しそうな声色は少なくとも叱り付けるとかそういうふうではない。

 ――落とし物でもしたっけか?

 それでも普通、帰宅部生徒を放課後に呼び出すか。勘弁してくれよ。と億劫そうに上履きを地面へ自由落下させる。


 気乗りはしないが呼ばれたからには仕方ない。

 もう放課後で、無視して直帰することも出来ただろうが、ぐちぐち考えても始まらない。思考停止のままで上履きに履き替え、とりあえず放送に従い生徒会室へ向かうことにした。


 光治郎は生徒会室まで適当に歩いて辿り着いた。というのも、校舎の端の方には授業に使う教室ではない部屋――各委員会の持つ部屋が並んでいるところがあって、恐らくそこに生徒会室があるだろうと言う目算で歩いてみた。行けば行くほど不安になったが、結果的には生徒会室は委員会の集約される棟の最奥にあった。

 教室の質素な引き戸とは違う古めかしい扉を開くと、その先には二人の人影があった。二人とも目立つ赤毛をしていて、姉の方は柔らかくて温かく、弟の方は力強くて情熱的な赤っぽさ。その双子の姉弟のことを光治郎は知っていた。


「何で、七条しちじょう?」


 姉の七条日向ひなたと弟の七条晶あきらは家同士の付き合いがあってそれなりに仲良くしている。と言っても、光治郎は長らく天國の家から離れていたから、家同士というより子供同士で懇意にしていたことになる。


「ここって生徒会室であってる? でも、そう書いてあったし。……二人揃って生徒会室で何やってんの?」


 生徒会室の火元責任者のプレートまでは覚えていないが、一瞥した感じは確かに生徒会室だったはずだ。

 そもそも委員会棟に来たのが初めてだった光治郎は、知らないところを恐る恐るに歩いて来た。確認だって注意深くして、見間違いはないはずで――。


「本当に驚いたって顔してるね光治郎。俺言ったと思うけどな……それ以前に誘ったよね? 今期から生徒会の会長になったから、光治郎、書記か会計か何か雑用やらね?って」


 学校人気ナンバーワン。少し手を振るだけで女子生徒がキャーキャー騒ぐほどの美丈夫で、校内でアイドルみたいな扱いをされている晶。光治郎は学内の噂に耳聡いわけではないがファンクラブだってあるらしい。

 晶は普段の爽やかな色気ではなく、だらりと気の抜けた感じで事務用の机の縁に腰掛けている。

 その様子に、光治郎も伸ばした背筋を少し曲げ、片足に重心を任せて懈怠に立った。


「……あ、ああ。そんなこともあったっけ。僕なんか家関係のこと言ってるのかと。確か、お前も会長になったから俺の仕事手伝うか?ぐらいしか言わなかったし」

「そうだっけか?」

「もしかして、それが僕を呼び出した理由なの? 困るんだよなあ、校内放送で呼び出しなんて。悪目立ちするだろ、そういうことされるとさぁ」


 机や椅子と変わらない、教室に馴染み景色に溶け込むかのような静かで人畜無害なキャラクターが崩れてしまう。と、自意識過剰気味な被害妄想をして、目尻を細くして嫌悪感を露にする。


「晶、光治郎さまが困惑していますわ。校内放送をした件は申し訳ありません」


 学校人気ナンバーワン。廊下を歩くだけですれ違う全男子生徒が振り返るほどの美少女で、男女問わずに愛されている日向。光治郎でもファンクラブに入った、もしくは入っているというクラスメイトを数人知っている。

 そんな日向は普段通りの慎ましい微笑みのままで恭しく頭を下げる。


「――ですが、私たちのどちらかが教室まで御迎えに上がると、それこそ光治郎さまが嫌がるだろうと思いましたので」

「まあ、うん。そうだね。でも、だったら校内放送じゃなくとも電話なり、メールなり、方法はたくさん……」

「いえ、それは。……だ、大事なことですので、やはり直接お話しするのが宜しいかと」


 日向は身体をふわふわと左右に振って、顔を赤くしている。


「――光治郎。問題発生だ。お前にとってな」

「何だよ、改まって」

「ふふ、良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」


 晶は甚く楽しそうに「一度言ってみたかったんだ」と付け加えて笑った。

 光治郎は晶の不敵な笑みに少し躊躇う。その理由が気になるようで、知りたくないようで。

 でも、後に悪い方を聞くと立ち直れそうにないから、と――


「どっちも聞きたくないけど、じゃあ悪い方からにしてくれ」


 目を生徒会室のカーペットへ逸らし、落胆しながらに告げた。


「よし。……実は、最近御家が集まる例の定例会があったんだが、そこでお前の議題が出たらしい」

「僕の?」

「ああ。言わなくとも分かるだろうが、その議題の発端は景光様だ」

「じいちゃんか。ろくなこと言いそうにないな」

「……」

「で、内容は?」


 晶は口には出さなくとも「心して聞けよ」なんて意味合いの込めらていそうな力強い眼差しのアイコンタクトを光治郎に向ける。


「――内容はお前が童貞を拗らせてることだそうだ」

「は? ……どういことだよ。童貞? ――僕が? またまた。そんなことじいちゃんに分かるわけない。というか、拗らせてるって何だよ! 僕まだ高校二年なんだが」


 光治郎はむきになって捲し立てた。

 何故経験がないことを本家のじいちゃんが知っているかはさて置き、拗らせているという表現はいかにも侮蔑的だ。

 一般的に見たってまだ拗らせる段階ではない……よな?

 そもそも親父だって二十代半ばでお見合い結婚。じいちゃんなんか三十過ぎてからって話だ。そこまで童貞を守り通して来たのかは知らないが、いくらなんでも拗らせてるとは過言である。


 じいちゃんがそんなこと言うか?

 ――さては晶だな。コイツ、僕のこと勢いで馬鹿にしたろ。

 遅れて、睨むような目付きで晶を注視する。

 瓶底メガネ越しに、ぼんやりと拡大される鋭い目付きに晶は少しばかり狼狽える。


「――まあ、それは一旦置いといて。結果的に上流の超能力者の間でお前が童貞であることと、景光殿が曾孫を欲しがってるってのが流布された」

「……」

「天國の超能力を背負うってことは、それなりの超能力適正がいるだろうことは誰もが知るところだし、何より一度お前に子供が出来て、その子に力が遺伝しちまえばそう簡単に無視できない。俺らの居る世界ってのは良くも悪くも実力主義だからな。――まあつまり、お前とくっつけば天國の家に取り入れるって考えて、今頃躍起になってる連中が大勢いるってことだよ」

「……躍起になる? それって、どういう。それに僕に子供が出来るって、そんな歳でもないだろ」


 光治郎は乾いた笑いで一蹴する。

 冗談に決まってる。僕は高校生で子供作るなんて気は微塵もないぞ。


「そう思ってるのは案外お前だけかもな」


 晶は冷たく言い切ってみせる。


「は? 何だよそれ」

「だから。察しが悪いな。良いニュースはお前がこれから馬鹿みたいにモテるってこと。悪いニュースは今言った、跡取りとしてのお前の存在が明るみになったってことだ。学校、名前。それから童貞。これだけでも身近な人間からのハニートラップは避けられないってのに。見合いが通例とされるのを、今回は孫の自由恋愛に任せてみようって天國景光本人の威光があるからな。多少強引でもお前を惚れさせればオーケー。しかも穢れの知らない童貞だからな、一度関係を持つか、それとも持てないか。誰がお前を男にするかっていう、そういう早い者勝ちなわけだ。多分、もう静かな学校生活なんて送れないぞ」

「……両方悪いニュースじゃないか」

「んなワケあるか。モテなくて泣いてる奴もいる」

「それお前が言うのかよ」

「ああ、俺が一番知ってるさ」


 イケメンの癖に、嫌味か?と思えば、真に迫る顔をしている晶。

 そりゃそうか。コイツの存在があるからモテない男子も多いだろう。何しろアイドルだからな。嫌がらせみたいなのも聞いたことがある。

 晶と日向の姉弟は共に同性には心良く思われないだろう顔をしているが、双子の姉弟だからこそバランスが取れているところがある。

 あんなに綺麗なお姉さんがいたら、確かにそこいらの女の子になんて興味ないよね。とか。

 アイツ顔が良いからってうぜぇよな。でも日向さんと双子なら、そりゃ顔は良いに決まってるか。みたいな。


 別に僕は泣くほどモテたいわけじゃない。……いやそれは嘘か。改まることでもないが、モテたいに決まってる。

 ただ異性に好かれるとしても安曇光治郎として、だ。

 僕と親しくしたいと話す人間に下心があったのは、生まれ持った超能力とは関係なしに子供の頃から何となく分かった。天國の跡取りとしてモテたところで意味はないし、それで人気になるのだって嫌だから今まで静かに過ごして来たのだ。

 ――それなのに。


「ああもう何してくれてんだよ、じいちゃん。高校卒業までは好きにしていい――って話だっただろ。余計なことを。……言うに事欠いて恋愛だって?」


 右は左へバタバタ歩いて頭を冷静させようとするのだが、苛立ちは増すばかりである。


 僕はそんなの出来る立場でもないだろう。いや、やろうと思えば出来たのは事実だけども。

 むしろ、期限付きの自由を約束されて来たのに、そこまで発破をかけられても今まで何もしてことなかったわけだけども。

 じゃあ今からでも頑張るか?

 ――いや、これから僕がモテるのは、家の力があるからってことだろ?

 なんか今日やっと良い感じになって来そうだったのに。ようやく僕にも春が来たか、なんて。モテ期が到来したかって感じだったのに。

 ――今日?


「モテる……僕が? そんなこと」


 今までうんともすんとも言わなかった僕の春が、今日になって芽を咲かせるなんて都合の良いことあるのか。

 光治郎は俯いて考える。


「何だよ。もう心当たりがあるのか?」

「確認だけど晶、その定例会っていつの話だ?」

「もう五日も前のことだよ。本家に丁度いい年頃の子がいなくとも、五日もありゃ分家筋から何から探して、お前に当てがう手頃な女が見つかるだろうよ」

「そうか」


 光治郎はただそれだけをうわ言のように呟いて、生徒会室の隅で余っていたパイプ椅子に静かに腰掛けた。


「……そうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る