超自然的なラブコメ

未田不決

超能力者は思い出す

第0話

 人間社会の支配構造の中で、上に立つ支配者が下の被支配者を従属させるために使われる力。その力は長らく『権力』、『財力』、『暴力』の三つであるとされて来た。

 それも、人間社会の分かり易い縮図であると言える学校の、教室の一コマを切り取ってみれば誰しも理解できるだろう。

 例えば、明るく、面白く、そして発言力のある『権力』を持つ生徒は、一人で教室全体の意思決定を行うことも出来るだろう。

 例えば、自由に使えるお金の多い『財力』のある生徒は、華のある学生生活を送り、尊敬と羨望の目で見られるだろう。

 例えば、体格に恵まれ、鍛え抜いた身体に『暴力』を秘めた生徒は、それだけで他の生徒を圧倒し、屈服させる存在感を持つだろう。


 しかし、十九世紀末からちらほらと誕生し、やがて世の中に台頭してきた異能の力を持つ者たちによって、原始的な支配構造には少しの変化が起こる。

 ――『超能力』の登場である。

 それによって一時の間、社会は混乱を極めたが、結局のところ『超能力』を四つ目の柱として人の支配構造は続いている。


「コホン。それじゃあ、以上で本日の議題は終了ということで。いやあお疲れ様でした。では他に、何か緊急の要件がある方っています? 無いなら解散にしますが……」


 国の限られた権力者たちが集まる議会の場を取り仕切るのは、ブロンド髪と色素の薄い鮮やかな瞳を持つ眉目の整った新参の若い男だった。最近当主が交代した猿女さるめ家の瑠偉るいという男で、瑠偉は控えめに手を挙げながら「どうですかー? 本当に無いなら締めちゃいますよー?」などと軽薄な調子で挙手を促した。


「――儂から一つ」


 ややも間があって、瑠偉が評議会を締めようとしたところでようやく一人の老人が挙手もせずに口を開く。議席の最も上座に座り、普段はろくに口出しすることもない旧時代の傑物。天國てんごく景光かげみつの地鳴りのように低く荘厳なしゃがれ声は、瑠偉のつくってきた和やかな雰囲気を一言で最大限の緊張に変える。

 けれど、天國は一向に二の句を言わない。老人特有のマイペースに瑠偉も辛抱出来なくなって、相槌で急かす。


「おや、珍しい。天國様どうなされたんですか?」

「……皆も知っておろうが、儂の世継ぎになる光治郎こうしろうが高校へ進学した」

「はい。勿論知っていますとも。北星ほくせい学園ですよね。天國様のお膝元、由緒正しい素晴らしい学舎ですとも」


 世間では冗談半分に國立なんて言われるが、超能力を持つ学生を受け入れて来た実績と伝統は本物で、北星は瑠偉の母校でもある。掛け値無しに良い学校だと思う。

 そんな瑠偉の太鼓持ちに機嫌を良くしたのか、悪くしたのか。天國は威圧的に鼻を鳴らす。


「フン。実はな、光治郎は……」


 またもや沈黙してしまう天國。しかしながら、今度はことさら重要そうに言葉の途中で間を取ったので、せっかちな瑠偉も固唾を飲んで成行を伺う。


「――童貞なんじゃ!」


 天國のまさかの発言に瑠偉を含め出席者たちは動揺を隠せない。

 光治郎くんが童貞。瑠偉は天國の孫である光治郎という男に会ったことがある。もう昔の話になるが、その時はきちんと兄貴分として務めを果たした。確かに、子供の頃から引っ込み思案というか、垢抜けない子だった記憶があるが、それが童貞だなんて。

 傾聴に徹していた他の家の者も「まさか!」とか「そんな!」なんて感嘆詞の後に各々が好き放題に言い合っている。


「んん? いや? ――いやいやいや。天國様? それはちょっと。この場で話すべきことでは……」


 ――光治郎くんの立つ背がない。


「そんなことあるまい! 光治郎は国の要じゃ。儂の亡き後、そして光治郎の後も天國の血は必要なのじゃ」


 瑠偉の想定とは裏腹に「天國の家が廃絶になんてなれば」と御歴々たちは真剣に心配している様子。


「そういうことではなくてですね。その、光治郎くんが可哀想ではないですか。こんな醜聞を、こともあろうかお爺様がなさるなんて。きっと何かの勘違いですよ。光治郎くんだって年頃ですから、変わってないように見えて、裏ではやることやってるんです。それが子供の成長ってもんですよ」

「いいや、あれは絶対に女を知らん。他でも無い儂には分かる。むしろ儂の勘違いであるなら、それに越したことはないわ。光治郎は本物の童貞じゃ!」


 この頑固ジジイ! 八十になってそろそろひ孫が待てなくなったからって何でも言っていいわけじゃないんだぞ!

 それ以上、光治郎くんを辱めてみろ。絶対に俺が大往生なんてさせねーぞ。――なんて心中で刺々しくなって行く瑠偉だが、かと言って不安もある。


「――そんなことありませんて! 光治郎くんも今年で十七でしょう。いくらなんでも、一人や二人経験はありますよ。ボクも十四の時にはもう――」


 正直、自分の時は引く手数多みたいな感じだったし、ちょっと光治郎くんにも問題があるのじゃなかろうか、と。


「……では、お見合いとかはどうですか?」

「いかん。見合いの話をすると酷く機嫌を悪くするのじゃ」


 普段の威風堂々とした姿勢を崩し、しゅんとする天國景光八十六歳。

 孫を追い込みたいのか甘やかしたいのかどっちなんだよ、ジジイ。いや、でも待てよ……。見合いとなれば天國家と釣り合うような美人で育ちの良い子も沢山いるだろう。男子たる者据え膳食わぬは何とやら。高校生にもなれば据えられてなくとも食いつきたくなるものだと言うのに。だのに、見合いを頑なに受けないということは、つまり――。


「……それなら学校に良い子がいるのでは? その子を自分のものにするまで待って欲しいと、そういうことなのでは! 一途ですね、光治郎くんは。立派な心意気ですよ」

「ううむ。猿女の家には正直期待しておらんが、まあよいわ。……皆よ。儂はどうにも孫というのが分からん。家の存続のため、儂に力を貸してくれんか」


 天國は老練の冷たい目で瑠偉を見て、諦めたように深い息を吐く。

 ――え、なに? なんだよその目。俺じゃ相談相手にならねーってか。光治郎くんに一番歳が近いだろう俺が? ざけんなよ年寄り共。お前ら老い先短いくせしていつもいつも長々世間話ばっかするから俺が仕切ってやってんじゃねえか。

 孫の話したいだけなら、俺帰るからな! どうせ頼りにならないんだろ? 俺もう帰る!


「――ってことがあって勝手に帰ってきた。本当に御歴々には困ったもんだ」


 家に帰った瑠偉はネクタイを緩めてようやく猿女家当主のプレッシャーから解放されると、早速に愚痴ってしまう。


「なあ聞いてる?」

「あのさ、普通にキモいんだけど。言わないと分からないわけ? なんで妹にそーいう話すんの。同年代の男子が童貞か童貞じゃないか聞かされて、私にどうして欲しいわけ? あと私の目があるところで着替えないで」


 リビングルームの大きなソファに横になってスマホを触る少女が、心底不愉快そうに捲し立てる。


「別に俺は何かして欲しいわけじゃないよ。単に光治郎くんが可哀想だよねーって話。――というかみやびは昔、光治郎くんのこと好きだったでしょ? 嬉しいんじゃないの、光治郎くんが未経験でさ。それとも経験豊富な男の子の方が好き?」


「は⁈ うっさい! キモい! 本当にあり得ない! ――そもそも誰なの、そのコウシロウくんって。天國様の跡取りなんて私知らないから!」


 雅はがばと身体を起こし、思わず兄にスマホを投げそうになるのをギリギリで思い止まる。

 今日はいつもの家の集まりだと聞いていたから当然帰りが遅れるものと踏んでいた。しかし、それがまだ日も落ちない時間に帰ってくるものだから、さして興味も無いのに「お帰り、早かったね」と言うと、兄はべらべらと聞いてもいない話をしだす。しかもデリカシーが無い。


「嘘、あんなに仲良しだったじゃん。ちょっとませてた雅が光治郎くんに直ぐキスしたり、将来結婚しようとか言ってて俺としてはヒヤヒヤだったのに」

「は……何それ。知らない。覚えてない、けど」


 暗に「リビングで着替えるな」と言われた瑠偉は脱いだジャケットと外したネクタイを小脇に抱え、それから特に何をしようというわけでもなく、手持ち無沙汰ながらも雑談を続けたい様子。

 いつまで続くのこの話……。そんなことより私漫画の続き読みたいんだけど。と雅は不満気に瑠偉を睨め付ける。


「ふーん。てっきり光治郎くんが居るから北星に入ったんだと俺は思ったんだが」

「しつこい! ホントに知らないから!」


 瑠偉と雅の兄妹は歳が九つも離れているから、歳の近い同士の兄妹と違って親密なわけでもない。それでも雅は瑠偉を尊敬しているし、感謝もしている。

 高校生ともなると古い慣習の根付く実家で生活するのは何かと息苦しく、学校に通う為にと今は兄の別宅に匿ってもらっている。兄が当主となっていなければ、恐らくそれも許されなかっただろう。

 かと言って当たり前みたいに兄が生暖かい目を向けてくるのを許すつもりはない。

 雅は普通に反抗期の真只中である。


「……そう。まあ十年以上も昔のことだし忘れてても無理ないか。……あ、そう言えば俺が実家から持って来たアルバムに確か光治郎くんの写ってる写真があったと思うけど、見る?」

「……ん」


 そんなの別に興味ない。勧められると遠慮したくなる、いかにも天邪鬼な雅はスマホの電源ボタンを押す。

「いいから、そういう」

「――雅とのツーショットだったはず」

「? なんでお兄が私の写真持ってるのよ!」

「そりゃあ可愛い妹だからな。待ってろ? 今取って来てあげるよ」

「誰も見るなんて言ってないでしょ!」




* * *




 北星学園は未成年超能力者の受け皿として創設され、最初は超能力を持つ者を持たざる者の中から隔離し、社会の安全を守るための収容施設であり研究機関でもあった。勿論、天國もその状況を良しとはせず、少しずつ超能力者の待遇改善に尽くし、最後は超能力者の割合が多くなったことで一気に超能力差別における上下関係は逆転するが――。

 それはまた別の話として、迷い人の指針となる北斗七星から名前を取った北星学園は未成年超能力者の増加と、学園を卒業し社会的地位を得た超能力者たちの支援を受け、東西南北から取って四つの学校機関へ分校する。

 今ではその歴史こそ浅いが、由緒正しい超一流の名門校に並する優れた教育機関として周知されている。

 学園も大きい。学生寮も大きい。そして改装を重ねてどこも綺麗。グラウンドよりも広い中庭が二つもあるし、学校とは別棟にある学食の建屋は最新式で、オフィスビルみたいに一面が採光ガラスで埋め尽くされている。言わずもがな提供される料理もやたらめったらに美味い。少し割高ではあるが。


「みやびー、早く行こ」


 在校生の八割近くが利用する学食は早めに行くか、それか少し遅らせて行かないとかなり混む。席に座れないことは滅多にないが、大体注文のカウンターは長蛇の列になっている。混み合わないための食券制だが、昼休みの一時間に全生徒が殺到するのだから混雑は避けられない。

 殆どの女子生徒の立場としては、そんなに食べるのも早くないのであまり遅らせるのは良策とは言えず、かと言って学食に駆け込む際の身体の押し合いも得意ではないので、結局その日一番人気のないメニューの列へ並ぶことに甘んじるしかない。

 丼ものと麺類は比較的提供が早く、かつ列が短いことが多いので狙い目だ。ただし、ラーメンだけは必ず長蛇の列になるので早めに見切りをつけた方が良いだろう。


「ねぇみやび?」

「しっ。静かに」


 雅が背後から抱き付いて来るクラスメイトを短く制する。

 クラスメイトのハルは雅にとって唯一と言って良いくらいの気を許せる友達。家柄が良過ぎると下らない策謀に巻き込まれることも多く、友達作りに結構苦労する。きちんと仲良くなれるのは権力に無頓着で、その癖自分勝手で図々しいタイプが多い。ハルも例に漏れず、態々雅と仲良くして他の生徒に邪険にされる変わり者だ。

 大抵独りぼっちな学友に寄り添ってあげる善良な自分に満足するか、二人きりの孤独に飽きたら離れて行くが、ハルはもう随分と長い。


「何、みやびは三組の子に用があるの? ……居ないなら先に学食行っちゃったんじゃない? 三組の方が授業終わるの早かったっぽいし」


 学友の声に耳を傾けず、雅は三組に屯して人目も憚らずに下品な話をする男子生徒三人を睨む。

 教室の端っこで息を殺し、控えめな声で談笑する垢抜けない男子二人組を注視する。

 教室の前列でポツリと黒板に向かいながら、孤独に惣菜パンを貪る眼鏡の変な男子生徒を見る。

 一人の女子生徒とイチャイチャと弁当の具材を交換する男子を眺める。


 この中に居るんだろうか。いや流石にかな。天國の家に生まれてああ軽率に育てるわけないし、あんな日陰者なわけもない。あんなに仲良い彼女が居るなら天國様がど……童貞とか言わないだろうし。


 高校二年の六月になるまで、雅は天國家の生徒が居るなんて知りもしなかった。超能力者の中で天國と言えば一番の権力者だから、学校にその血統が居れば絶対に話題になる。それも既に跡取りだと言われているのに。


 身分を隠してる? それにしたって、若くして跡取りなんて言われるくらいだから性格は目立ちたがりで、俺様的な感じの悪いやつだと思ってたんだけど。力の強い超能力者って大抵自信家だし。


「――ねえ誰探してるの? 気になる男子でも出来た?」

「んーん。昔馴染み」

「それ幼馴染ってこと? え〜いいなあ、幼馴染の男の子なんて」

「何。私男子なんて言ってないんだけど」

「そんなの分かるよ〜。だって男の子ばっか見てるし。どの子? あそこの三人の誰かでしょ、恥ずかしいなら呼んでこようか?」


 背後から大きな胸を押し付け、頬を擦り寄せてくる距離感の近過ぎるハル。次第にぎゅうと抱き締められる力が増し、柔らかな設置面が広がったところで「ぐぅ〜」という音が鳴る。


「ははは」


 そうっと背中から離れてハルは自分の腹部に手を当てながら気まずそうに笑う。


「――はあ。分かった。もういいよ。また今度にするから」

「ごめんね……」


 事あるごとに「また大きくなったかも」なんて嫌味みたいな告白をしてくる残酷な友人から、雅は顔と身体を逸らし、自身の控えめな成長を見下ろして嘆息を吐く。そして雅は俯きがちに学食へ歩き出した。ハルは遅れて歩き出して雅の隣へ並ぶ。


「そんなに栄養蓄えてるんだから少しくらい我慢できないの?」

「酷い。みやび今どこ見て言った? わたし気にしてるんだからね」

「気にしてるだけで大きくなるんだ。便利ー」

「分けてあげれるなら分けてるよ」



 学食には四人掛けの円テーブルが並ぶエリアと六人掛けテーブルが縦列するエリアと一人掛けのカウンター席がある。そして、それぞれ机単位で顔見知り同士の生徒が座るが、例えば男子生徒グループが座る近くには男子生徒が、同じく女子生徒グループが座る近くには自然と女子生徒が座るので、学食全体で見ても大まかに男子女子に別れて座るのが常だった。

 とは言っても雅とハルが掛ける四人席はポツンと浮いている。雅たちが着席する前から座っていた女子グループと、途中から来た無遠慮な男子のグループが近くにいるが、猿女の家の者だと分かるとあからさまに避けて遠くへ行く。


(美味しい……じゅわ〜って。久しぶりに食べたけど、やっぱりエビフライって美味しいなあ)


 ハルはサクリと軽やかな快音を鳴らし、少し遅れて嬉々として白米を口へ詰め込む。


「……D定食をフライ丼にしたのってわたし英断だと思うの!」

「ああ、そ」

「期間限定なんだって! 常設メニューにしちゃえばいいのにね」

「しないでしょ。定食なら味噌汁とサラダと漬物がついて来るんだから。それに揚げ物のD定食って重いし高いでしょ。人気がないからABCDのDなんだよ。別に揚げたてってわけでもないし」


(もう、みやびは全然分かってない! 揚げ物は後始末が大変だし、上手にあげるの難しいしで自炊出来ないんだから、こういうところで食べれると嬉しいんでしょ。どうせみやびは私がいっつも高カロリーなものばかり食べてるとか思ってるんだろうけど、私だってこれ以上太らないように夜ご飯は気を付けてるんだから。お腹が減って寝れない夜が続いてるんだから、いいじゃんお昼ぐらい!)


 憤慨するハルは恨み節をぶつけるみたいにガツガツと丼を食べ進めて行く。


(――それに、ちゃんと人気だし。並びたがらないみやびは知らないだろうけど、人気だから定食だと食べられないんだもん。本当みやびは文句ばっかり。食べたら絶対美味しいって言うくせに)


「じゃあ一口ちょうだい」

「ん! いいよ」


 ハルは笑顔で答える。事前に許可を取ったのにも関わらず、雅が二つあるカキフライの一つを箸で掴み、自分のところへ寄せるとハルは切なそうな顔をする。

 雅にとって生暖かい程度のカキフライは、一口一口幸せを噛み締めているみたいなハルほどに感動出来る代物ではないが、サクサクした衣とトロリとした中身の食感は確かに好ましい。


「……美味しい」

「でしょでしょ!」

「……でもみやび、今わたしの心読んだでしょ。えへへ、そんなにわたしのこと好きなんだ」


 口の端に濃いめの黒々したソースを付けて笑うハルに乾いた微笑みを返す。


「何? カンジ悪い」

「違う。ただ今日のハルはちょっと興奮しすぎてるから、こっちに届いて来てるだけ」

「それは……ごめん」

「何で謝るの? 私が自分からやってるんだよ」


 気まずそうに謝るハルを食い気味に否定する。

 むしろハルの心を盗み見てしまった自分こそ、もっと申し訳なさそうに縮こまるべきだ。罪悪感に慣れて開き直ってしまう自分は、つくづく人の上に立つ超能力者としての素質があると客観視して雅は辟易した。


「やっぱり、使ってるんだ超能力。でも何で? 好きじゃないんでしょ、人の心の中覗くの。特に人の多いところじゃ頭に負担が掛かるって」

「まあね。でも人探しには便利だから。使わないことないでしょ、こんな便利なのに、さ」


 便利だと言う割に暗い顔をする支離滅裂な雅にハルは特に何も言わない。ただそれまでの会話を続ける。


「人探しって例の子?」

「そう。でもこう生徒が多いとピンポイントで2-3のやつって、中々捕まんない」

「三組なのは分かってるんだ。他には?」

「名前だけ。コウシロウって言うらしい」

「苗字は?」


 天國。ただ、それを正直に伝えてしまうのは良くないだろう。


「……教えない」


 冗談ぽいニヒルな含み笑いをする。


「何で? ……いや、わたしは別に取ったりしないよ。みやびは男子苦手なの知ってるでしょ?」


 それを意中の男子を奪おうとしていると疑われているのだと思って、ハルは慌てて弁明する。


「それは知ってる。でも教えられない。私みたいに人の心を読めちゃう気持ち悪い人間がハルの心を読んじゃうかも知れないし。あと一応言っとくと横取りされたくないとかじゃないから。私が好き前提みたいな言い方やめて」

「……えー、違うの? まあ分かったよ。なんか複雑な事情っぽいし。――わたし、聞かなかったことにするね!」

「うん、ハルはやっぱり良い子だねー。そういうところは好きだよ」


 自由奔放のくせしていやに勘の鋭い友人に感謝して、雅は情報収集に戻った。


 それから他人の心を覗き見て得た飛び飛びの情報を精査し、雅はやっと目的の人物へ辿り着く。


 ――暗めの茶髪。ボサボサの天然パーマ。皺の多い制服。常に背中を丸めながらの不審な足取りでクラスメイトの間を窮屈そうに通り抜ける男子生徒。

 特にあの瓶の底面みたいなレンズの分厚い丸眼鏡を掛けるのには何か特別な意味があるんだろうか。あってくれないと困る。


「だっ……」


 ――さ。

 二日間の捜索の末ようやく見つけ出した男子の風貌に、雅は正直な感想を思わず口にしかけた。

 名前は安曇あずみ光治郎こうしろう。そしてコウシロウという少々仰々しくて古めかしいテイストの名前の生徒は都合の良いことに彼しかいない。彼が噂の天國様の跡取りであろうと雅は結論付けた。

 雅の予想通り天國という苗字ではなかった。しかし、その理由は分からない。兄に聞けば知りたい答えが返って来そうだが、一回こちらから話しかけると気を良くして聞いてもないことを喋り出すのが目に見えているので今は聞かないことにする。

 彼を少し観察した分かったことと言えば……あまりに冴えないこと。覇気もないし、その態度は弱々しく余所余所しい。落ち着かないのかこそこそと身体を縮め、何かあればへらへらしながら受け答えして周囲に溶け込むことを徹底している。

 あれで本当に天國家を相続できるつもりなのだろうか、彼は。

 超能力社会を背負って立てるとは到底思えない。

 この教室で一番肩身の狭そうな彼は、この日本で一番偉い人間の後任である事実が、安曇光治郎という人間をよくも知らない雅を不安にさせる。


「なあ、最近猿女さんがうちのクラス見に来てるけど、なんか用があるのかな?」

「さあ。お嬢様の考えることなんて俺には分かんねーよ」

「……もしかして俺たち監視されてる? 不味いな、お前ら心頭滅却しろよ。頭ん中真っ白にすんだよ、ほら集中!」

「監視? 心頭滅却? 何の話だよ急に?」

「ああ、お前は途中編入だから知らねーか」

「いいか? 超能力名家って聞いたことあるだろ。異能黎明期から超能力者のために活動してた、とか異能を乱用してた異能混迷期を治めたとか言われてる超能力者の中でも特別つえー一族がいてな。猿女もその名家の一つ。しかも名家の中でもダントツ上位のお嬢様なんだぜ。しかもあの綺麗なアッシュブロンドは地毛だから校則にも引っかからない! ――ハーフなのかって? 聞くところによると異国の血は混ざってるが、両親も本人も日本生まれ日本育ちらしい。まあ、そっちの方が親しみ持てるってもんだよな」

「バカ、興奮しすぎて大事なところの説明出来てねーよ。で、どこまで本当か知らねーけど、猿女の家には最強の精神干渉系異能が継承されてて、何もしないでも心の内を暴けるらしいんだ」

「え? それってつまり……」

「――待て、変なこと考えるなよ。猿女さんに悟られる。他人の心が見えちゃうってのは、俺らになんか想像が出来ない苦労も多いって話だからな。彼女を守るためにも、下手なことは考えるなよ」

「なるほど、承知した」


(猿女さん今日も綺麗だな。くぅ、可愛いー!)

(凄い美人……猿女さんって言うんだ。あ、こっち見てる)

(あ〜、午後からの日本史古典のコンボは憂鬱過ぎだろ。ゼッタイ寝るわ)


 二年三組に所属し、お昼はいつも教室で駄弁っている三人組がお手本のような笑顔を向けて来るのに雅は嘆息を吐く。


「はあ……」


 何故こう残念な輩が多いのか。……まあ顔と考えてることが一致している分かりやすいタイプの馬鹿の方が愛らしいとは思うけど、そういう無垢な人間の心を見るのが一番に罪悪感を感じる。

 潮時か。私もそろそろ教室へ戻ろう。


「なになにアンタら気持ち悪……あ、また雅様来てる」


(ミヤビって名前なのか。それはまた雅な名前だなあ)


 注目を集め出したのを察して雅は人間観察を終了する。


 ……でもあれが天國の家の超能力、か。

 『超念動』――最強の念力サイコキネシスと言われるその力は物体やエネルギーなどの全ての事象、他人の超能力にまで干渉できてしまうトンデモ念力らしい。

 私の、猿女の『心通力』でも干渉できない。まるでそこに誰もいないみたいに、私の超能力が効かない。これじゃあ、反応を伺うなんて出来ないな。


 帰り際、雅は自分の唇に人差し指でそっと触れてみる。


「あれ? ほっぺにちゅうとかって可愛いレベルの記憶だったけど、完全にマウストゥマウスだね。しかも、雅の方から迫ってるように見えるし。やるじゃん、このこのー」

「……」

「しかし、これにはお父様も肝を冷やしただろうね。家督を直ぐ俺に譲ったのも分かる気がするよ」

「――まあ、でも良いか。今は光治郎くんが童貞である現状に天國様は悲観しておられるわけだから、むしろ雅狙い目じゃない?」


 数日前に兄との会話を思い出し、と同時に十数年も前の埋没されていた記憶を思い起こして雅は顔を赤くする。

 私のこと覚えてるかな。あんなの絶対覚えてるだろうな、トラウマものだよ。あー忘れててくれないかな。やっと他人の心覗き見てなくても平気になったのに……。

 羞恥心の熱がこもった生暖かい息を全部吐き出して、いつもの冷静さを取り戻す。教室の引き戸の先に見えた唯一の学友に悟られぬように。

 目を輝かせながら「で、どうだったの」と耳打ちしてくるのが目に浮かぶ。

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