第22話

 背後で屋敷の瓦礫が轢き潰される音がする。迫り来る不吉な地鳴りを感じ取ったのか、門前で騒ぐ野菜ゾンビもちらほら異変に気付き始めた。


 だが気付いたところでもう遅い。振り返った野菜ゾンビが知覚するのは、覚悟を決めて突っ込んでくる満身創痍のモルモットと、そのケツを熱烈に追い掛ける巨大な植物ドラゴントラック。もはや悪夢としか思えない狂気の絵面だ。


 音につられて振り返るたび、野菜ゾンビが一匹、また一匹とその場でフリーズしていく。迫り来る情報の洪水に理解が追い付かないのだろう。ウイルス進化でなまじ知覚を得てしまったのが運の尽きだ。


(退け退け退け退けぇッ!)


 呆然と固まる野菜の海を小さなお手々で掻き分けていく。


 当初の俺の目的は野菜に捕まったギャル共を解放することだった。

 ゾンビを倒す術がないなら、俺の代わりに蹴散らしてくれる奴を解き放てばいい。そもそもギャル共が捕まらなければ良かったとか考えてはいけない。


 しかし結果はご覧のありさま。野菜ゾンビの気を引く武器を探していたのに、見つかったのは逆立ちしても倒せやしないドラゴンゾンビ。けっきょくムリにムリを二乗してマジムリもう病む一歩手前まで追い詰められた。


 そうして絶体絶命の淵に立たされ、覚悟を決めたイケメンモルモットははたと閃いた。

 それは簡単な発想の転換。思いついてもやれるかどうかは根性次第という策も何もあったもんじゃないコロンブスの固ゆで卵。


 ──野菜ゾンビを蹴散らせるなら、別にギャル共じゃなくてもよくね?


 つまるところ、バケモノに捕まったバケモノを助けるには別のバケモノをぶつければいい。ともすれば野菜もろともギャル共が対消滅しそうな計画だったが、そこは奴らの頑丈さに賭けた。仮に死んでもこれなら俺の手による復讐の範囲内である。後は野となれ山となれ。


 群集を抜ける。同時に頭上に暗い影が落ちた。反射的に振り仰いだ先、目に飛び込んできたのは逆光を背負って振り上げられるドラゴンの脚。

 簀巻きにされたギャル共は依然として動けない。しかし拘束が緩んだのか、赤髪ギャルがツタでできた猿ぐつわを噛みちぎるのが見えた。

 視線が交差する。黒い空が降ってくる。


「マウ──」


 俺の名を呼ぶ赤髪ギャルの声は、続く衝撃に掻き消される。

 ドラゴンゾンビの全体重を乗せたフットストンプ。抗いようのない大質量の暴威が爆風となって炸裂する。


 鈍化して引き延ばされた時間の中、俺はふと戦艦大和の主砲実験で犠牲となった同志モルモットの記録を思い出す。現代ではロストテクノロジーと化した46cm3連装砲。その悪魔的爆圧により、甲板に設置されたカゴはひしゃげ、中身は無惨な粗挽き肉になっていたという。砲身で焼けばバーベキューができるね、ウフフ。お前らの血は何色だ。

 そんな血も涙もない実験ほどではないにしろ、質量爆撃じみたドラゴンの一撃は、死を受け容れるのに十分すぎるものだった。


 くだらない走馬灯レイトショーが終わり、世界に白い幕が降りる。

 手足の感覚が消失し、痛みもなにも感じない。痛覚が生存の証明ならば、俺はたしかに死んでいた。平衡感覚もあやふやで、身体の輪郭も行方不明。だけど思考はしっかりしてるのが気持ち悪い。


(……もしかして、これが死後の世界なのか?)


 だとしたら、ずいぶんとまあ味気ない。人間が描くあの世はもっとアトラクションチックなはずだが、モルモットのあの世はそうでもないらしい。もしかしたら神の野郎が制作費をケチったのかもしれない。だって知的なモルモットは俺しかいないし。


 どちらにせよ、俺はオフィーリアちゃんと同じ場所に逝くことはできないようだった。


 ──否、はじめからわかっていたことだ。秀でていようとなかろうと、逸脱した個は孤独になるのが自明の理。唯一ウイルスに適応し、進化した異物が〝みんな〟の枠に入れてもらえるはずがない。


 最初はその逸脱が誇らしかった。俺は消費されるだけの家畜とは違う、真の選民なのだと思い上がった。そんな恥ずかしい自惚れが、孤独の慰みにもならないと知ったのはいつ頃だったか。


 知性も理性も品もなく、ただ本能のままに生まれては死んでいくモルモットたち。かつての俺も同じモノだったはずなのに、いまではコミュニケーションを取ることすら難しい。人間だって、いまさら原始人の群れに混ざることなどできないだろう。混ざりたくても知性が野性を拒絶する。


 語りたくても語り合えず、愛したくても愛し合えるモノがいない。

 知性なくして言語が生まれないように、愛もまた理性の落し子なのだと思い知る。


 ……そうだ。だから俺は、〝オフィーリアちゃん〟という架空のペルソナを作ったんだ。


 それははじめから存在しなかったモノ。ないものと結ばれるなんて神様にだって不可能だ。

 気付いてしまえば目も当てられない、なんて滑稽な現実逃避イマジナリーフレンド

 

 そんな目を背けたくなる現実を受け容れたからだろうか。

 先まで何もなかった白い世界に、ぽつんと影が浮き上がる。


 艶やかな白銀の毛並みに、丸くて大きな赤い瞳。話したくても話せないから、都合のいい妄想ペルソナを貼り付けたアルビノの同族。いまではひとえに虚しいだけの、愛と名付けたモノの残骸。


 カタチを得たオフィーリアちゃんは、俺に向かって花のように微笑んだ。

 まったく、惨めにもほどがある。俺は死んでも独り芝居を止められない、寂しがり屋の道化だったというわけだ。


「……いいえ。あなたはまだ死んでいないわ」


 はたと──妄想の産物でしかないはずのオフィーリアちゃんが、俺の意志に関係なくささやいた。

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