第9話
そうして始まったカップメン作りは迷走を極めた。
まず、作り方を知っているのは
もちろん知っているだけなので、調理するには助手を選出するしかない。
しかし、頼りの黒髪ギャルは使い物にならず、寝かしつけている金髪ギャルも満足に手を動かせない。
必然的に、助手は赤髪ギャルに決定した。
(まぁ調理と言ってもお湯を注いで待つだけだし。そうそう問題なんて起きないだろう)
その致命的な楽観は、五分にも満たないわずかな時間で裏切られることになる。
「え、ここにお湯を入れるだけ? なんだ超カンタンじゃん♪」
赤髪ギャルは鼻歌交じりに台所へ向かうと、先ほどまで俺を茹でていた大鍋を軽々と持ち上げて戻ってきた。
(……いや待て。待て待て待て待て。一体それをどうするつもりだ?)
俺の心の声が聞こえてないのか、赤髪ギャルの歩みは止まらない。
「あ~、これはマズいね~」
危険を察した金髪ギャルが、黒髪ギャルを抱えていち早く退散する。俺も逃げ出したかったが、こいつらに生殺与奪を握られている以上そうもいかない。
無謀と知りつつ、俺は床に置かれたカップメンを守るように立ちはだかった。
(ステイ。ステイだ赤髪ギャル。そこで止まれ、止まるんだ)
ようやく思いが通じたのか、赤髪ギャルの巨大な影は、俺の身体をすっぽりと覆ったところで停止した。
見上げた先には後光のように照明を背負う赤髪ギャルのシルエット。手にした大鍋と重なる姿はさながら寸胴頭の妖怪だ。あれでは足下も見えないだろう。
その圧倒的な体格差に身震いしつつ、俺は慎重に心の声を送った。
(よーしよしよし。いいぞ、落ち着け。まずはその鍋をゆっくり床に置くんだ。いいか、ゆっくりとだぞ。……ねぇ、聞いてる?)
「いっくよー♪」
あ、そうか。
相手を見てないと読心できないんだっけ。
俺の制止など聞く耳持たず、赤髪ギャルがぐいっと大鍋を傾ける。
そのとき、俺はふと聖書の一節を思い出していた。
旧約聖書・創世記6:17──ノアの箱舟。
〝私は地の上に洪水を送り、命の息ある肉あるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう〟
──その日、俺は天の窓が割れるのを見た。
それは〝注ぐ〟という行為からあまりに逸脱していた。
解放された熱湯が、床上にちょこんと置かれたカップメンに殺到する。
その大質量を小さなどんぶりが受け止め切れるわけもなく。溢れ出たお湯は瞬く間に床を侵蝕し、真白い湯気を部屋一面に立ち昇らせる。
その一切合切を、俺は寸でのところで退避した机の上から見届けた。
「あはははは☆ まっしろでなんも見えん♪ こんなんでホントに作れんの~?」
(作れるかぁぁぁっ!)
助走を付けて跳躍し、けらけら笑う赤髪ギャルにドロップキックをお見舞いする。
しかし悲しいかな、体重差がありすぎてビクともしない。
俺は空中で身体を捻ると、すでに冷め始めた水浸しの床に着地した。
(ねぇ、なにこれ? お湯注ぐだけでこれじゃ前途多難なんてもんじゃないよ。前後左右難だらけだよ。こんなんでよくもまぁ旅してこれたな!)
「えへへ♪」
(褒めてないからね?)
ふにゃっとはにかむ赤髪ギャルの仕草に、俺は毒気を抜かれて脱力する。理性が吹き飛んでいることは承知してたが、まさかこれほどだったとは。
「マウスくーん。ちょっといーい?」
悲観に浸る時間すらもらえず、退避していた金髪ギャルがのんきな声で呼びかけてくる。
(はいはい。なんの用でしょう、か……)
半ば投げやりに声のした方を振り仰ぐと、そこには金髪ギャルの肩を借り、うつらうつらと船を漕ぐ黒髪ギャル姿があった。
(……ジーザス。勘弁してくれ。もしかして目を覚ましたのか?)
泣きっ面に蜂。災いは一人でやってこないとは言うものの、また黒髪ギャルに暴れられたらいよいよ収拾が付かなくなる。今度は俺に興味を持って、モルモットの躍り食いを始めるなんてこともあり得るだろう。そのときはもう是非もなかった。
しかし、待てど暮らせど黒髪ギャルが愚図り出す気配はない。
俺はカラカラに乾いた喉を鳴らして黒髪ギャルの言葉を待った。
しばらくの沈黙の後、黒髪ギャルはゆっくりと口を開いて、言った。
「……おしっこ」
(──は?)
「えっとね~、おトイレがどこにあるか教えてくれる~?」
(……ああ、トイレ。トイレね。そこの廊下をまっすぐ行ったところにあるよ)
「ありがと~。ほら、アイちゃん行くよ~」
「うぅ……」
「あ、そろそろ私たちのお腹も限界だから、戻ってくるまでに作ってくれてると嬉しいな! がんばってね~!」
そんな最悪の置き土産を残し、二匹のギャルゾンビが廊下の奥に消えていった。
結局、黒髪ギャルはダメなままだったらしい。
痛いほどの静寂が休憩室に訪れる。
俺はおそるおそる背後を振り仰ぐ。
待ち受けていたのは、ゴキゲンな笑顔を浮かべて俺の指示を待つ赤髪ギャル。
「んじゃ、次は何したらいいんかな? はやくおせーて♪」
もうどうにでもなれと、俺の中で何かが吹っ切れた気がした。
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