第3話

 ──これは、画面の向こうに浮気し続けた罰なのだろうか。


 もとより、俺にモルラントをどうこうできる術はなかった。

 この短い手じゃスマホをいじることはできても、変わり果てたオフィーリアちゃんを抱き締めてやることすらできやしない。


 だってしょうがないだろ。モルモットなんだから。


 被験体という意味もあるがそうじゃない。

 齧歯目げっしもく・テンジクネズミ科・哺乳類。

 大昔にどこかの誰かがマーモセットと混同したのが名前の由来。


 そう。俺はゾンビウイルスに適合し、進化の果てに人並の知覚を得ただけのモルモットだ。

 ちなみにオフィーリアちゃんはメスのモルモット。もう見る影もないけれど、ホントいいケツしてたんだ……


 俺が自由になれたのも偶然だった。ゾンビ化した研究員が生前の習慣で檻を開けただけ。俺も感染してるから襲われる心配はなかったが、自由になったところで無力なことに変わりない。


 当然、研究所から出て行く勇気なんて持てなかった。そこに現れたのがあのギャル共だ。


 俺は……博士のスマホで叡智を学び、ペットショップの美女モルモットたちを眺めてられたらそれでよかった。変わり果てた同胞を見ながらメシを食い、オフィーリアちゃんを救い出す妄想に浸ってられたら、それだけでよかったんだ。

 なのに神様。この仕打ちはあんまりすぎやしませんか?


「あーもー全身ベッタベター。アイ、替えの服って何段目だっけ?」

「……下から二段目。いい加減覚えて」

「あはは、メンゴ♪ アタシもハナもす~ぐ忘れちゃうんだよね☆」

「む~。私はちゃんと覚えてるってば~」


 下着姿で冷蔵庫を物色する赤髪ギャルに、血塗れの金髪ギャルが頬を膨らませて抗議する。返り血ひとつ浴びていない黒髪ギャルは、二人の姿をダルそうに見据えて溜め息を付く。


「……じゃあハナに質問。チェーンソーが入ってたのは冷蔵庫の何段目?」

「────。わぁぁんミミちゃ~ん! アイちゃんがイジワルするよ~!」

「おらァ! かわいいハナを泣かすとは何ごとじゃい! アイの鬼! 悪魔! ゾンビ!」

「実際ゾンビだし」

「問答無用ッ! これでもくらえ☆」

「わっ……ちょ、私まで濡れるでしょ……!」


 波打ち際でじゃれ合うように、真っ赤な血の海で少女たちが笑い合う。

 ぱしゃぱしゃ掛け合う飛沫に混じって桃色ミンチが行ったり来たり。


 地獄かここは。

 もう思考を手放して眠ってしまいたい。

 でも諦めるな俺。この窮地を脱するために考え続けるんだ。


 いま、黒髪ギャルは自分のことを〝ゾンビ〟と言った。

 さもありなん。あの紅い瞳と葉脈状に広がる痣は、ウイルス感染者の特徴だ。


 亡き博士曰く、ゾンビ化した人間は得てして超人的な膂力りょりょくを得る。ウイルスによって脳のリミッターが機能しなくなり、理性を代償に肉体の潜在能力が解放されるのだとか。

 

 だとしても、普通のゾンビがモルラントに敵うはずがない。

 アレは解放された力が強すぎて肉体を維持できなくなった怪物だ。絶えず自壊して増殖を続ける癌細胞の化身みたいなものだ。

 そんな異常発達した筋肉お化けを、あのギャル共は無傷でぶちのめしてのけた。

 おまけに理性が残ってるゾンビなんて初めて見たぞ。規格外にもほどがあるだろ。

 まさか、奴らは博士が提唱した〝神を越えた人間〟だとでも……


「みーつけた☆」


 ──あ。

 しまったと、思ったときにはもう遅い。

 見上げた先には着替えを終えた赤髪ギャルの眩しい笑顔。

 俺はぬぅっと伸びてきた手にわし掴みにされ、隠れていた物陰から引きずり出された。


「物音の正体はお前かぁ♪ ……って、なんじゃこの生き物! ふわモコでめちゃかわじゃん☆」

「……モルモット? 実験動物の生き残りかな」

「すんすん。う~ん? その子、なんか変な匂いする~」

「マ? アタシも嗅いでみよ~っと♪」


(あ、ちょ、堪忍してつかぁさい……)


 赤毛ギャルが俺の腹に顔を埋めてくる。そのままモルモットの尊厳など気にせずくんかくんか。くっ……ころせ!


「うーん、そんなにくちゃいかー? くちゃくないよねゴンザレス~☆」

「ちょっとミミ。ノミとかいたら刺されるよ」


(失敬な。こちとら温室育ちで……ゴンザレスって誰!?)


 俺が身体をくねらせて遺憾の意を表明すると、今度は金髪ギャルが顔を近づけてきた。そうして念入りに一嗅ぎ、二嗅ぎ。


「ん~。ゾンビの匂いと似てるけど、やっぱりちょっと違うみたい。不思議なモルモットくんだねぇ」

「……そういえば、なんか知性みたいなモノを感じるね。目に光があるっていうか」


 警戒心が強いのか、黒髪ギャルは俺を訝しげに見つめるだけで近づいてこない。


(観察した限りだと、こいつが一番まともそうだな)


 俺は赤金ギャルに揉みくちゃにされつつ、ちょこまか手足を動かして、黒髪ギャル宛てに手信号を送ってみた。

 内容はシンプルに、〝まずは〟〝下ろして〟〝欲しい〟……と。


「なになに? 〝ミミチャン〟〝カワイイ〟〝ヤッター〟? おーおー、全身で媚びるとは愛いやつ愛いやつ♪」


(お前じゃねぇ。しかも一文字も擦ってないし……やめろ、頬をすり寄せてくるんじゃないっ!)


「……ミミの翻訳はどうでもいいとして、その子がゾンビじゃないのは確かかな」

「すご~い、まだ生きてる子がいたんだね~」


(そうだよふぁっきんギャルズ。わかったら見逃してくれ。いまなら仲間をミンチにしたことも許してやるから)


 そんな俺の願いも虚しく、赤髪ギャルはアニメ映画の獅子王よろしく俺を天高く掲げて言った。


「よっしゃー☆ 新鮮なお肉ゲットぉ♪」


(……新鮮? 何が? あ、俺か)


「……待った。外国だと結構ポピュラーらしいけど、実験用マウスだよ? 変な薬品とか染み込んでるかも」

「ふっふっふ、甘いよアイ。ゲロマズぴえん確定なゾン肉より、ケミカルマジカルなモル肉の方が億倍マシじゃん? そもそもアタシら腹壊さんし♪」

「……それもそうか」


 もしかして俺、食われる?

 いやいや、そんなはずない。ゾンビが生き物を襲う理由は〝ウイルスを広めるため〟か、博士のように〝執着物を守るため〟だ。勢い余って食ってしまうのは理性を失くしたがゆえの行動に過ぎない。まあ、よっぽど腹が減っていれば共食いくらいするかもしれないが……まさかそんな、ねえ?


「んじゃ、今日のメインディッシュはモル肉に決まりってことで──あっ」

「……逃げた」

「つ~かま~えろ~!」


(冗談じゃない、ギャルゾンビなんぞに食われてたまるかっ!)

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