第3話

 自分には価値があると誰かに言って欲しい奴は沢山居るはずだ。決して自分だけではない。

 少女は自分にそう言い聞かせていたが、いつだって彼女の心の中は暗澹としていた。

 それでも暗澹な少女は自分の人生がここで終わらず、恐らくずっと先まで続くだろうと信じていた。

 だから困るのだ。現段階の地位が数十年先まで続くかも知れない。その不安が暗澹な少女の心から光を奪っていく。


「逃げたい。」

「じゃあ逃げれば。」

 どこから来たのかよくわからない不明な少女の弱音に鋭敏な少女は即答した。

 よせばいいのに不明な少女は鋭敏な少女を睨みつけた。この助言に従っておけば良かったのに。

 不明な少女は自分に逃亡という選択肢は無い、と思っている。何故ならば秘密結社が作り出した改造人間達は変身する事で初めて人間ではない事がわかるようになっている。身体検査等をすれば話は別だが。

 これが何を意味するのかと言えば一見無害な少女が会場等の密集地帯に入り込んだ直後に頑強な機械の身体で暴れまわる事が可能だという事だ。

 テロリスト御用達の人間兵器。そんな奴等を野放しにする訳にはいかない。

 現代日本は犯罪があまり起こらない事を前提とした社会が設計されている。そんな中に銃刀法では禁止できない危険分子が紛れ込んだら大規模な社会混乱が起こる。

「確か『ガス人間㐧1号』という作品には」

「それ、私に言わなくていいから。」

 鋭敏な少女は不明な少女を止める。それで止まっていればよかった。

 現在時刻は朝の八時。二人は山中の公園の長椅子に座っている。鋭敏な少女は膝上のノートパソコンのキーボードを叩き、ノートパソコンとケーブルでつながっている不明な少女の首の後ろから修正版のコードを送り込む。損耗した手足のモーター交換は既に完了している。これでソフトウェアとハードウェアの修正は終了し、戦闘による損傷は不明な少女から一切無くなった。

 フルスペックを取り戻した親友に対し、鋭敏な少女は忠告する。

「力があるからって義務が伴う訳じゃないんだよ。」

「私はそう思わない。」

 即答であった。

 不明な少女の認識では、現段階で秘密結社が送り出す改造人間達を叩きのめす力を持っているのは自分だけだ。だからこそ自分が戦わなければいけない。戦う義務が自分にはあるのだ。いくら親友の気遣いといえど止まる訳にはいかない。

 鋭敏な少女はキーボードを叩くのをやめて信じられない物を見るような目で不明な少女を見たが、モバイルプリンターが印刷を完了したので紙を手に取り不明な少女に手渡した。

「残念だろうけど次も君の親友だよ。」

 鋭敏な少女の説明に、不明な少女は眉をひそめた。ひそめる程度で済んでいるはずがないのに。


 暗澹な少女は家に帰りたくなかった。秘密結社に連れ去られ、改造人間になった。もう二度と戻れない。自分の価値は永遠に喪失した。自分の勝ちも永遠に喪失した。

 そして、自分自身も永遠に喪失してしまった。

 だから同意を求めてくる機械の身体のメッセージを無視し続けた。のだが、目に入ってしまった。

 双子の妹と二歳歳下の妹。自分より遥かに優秀な二人の肉親。

 勝てなかった。勝てなくなってしまった。

 自分はどうすべきだ。自分には力がある、とは思わない。もう力を手に入れた自分は自分ではない。勝って当然の状態で、自分が努力した訳でもないのに突然手に入った力で、勝ったところで一体何になる。だったら無関係だろ。無視をしろ。だというのに心はざわめく。どうしようもない後悔が自分の胸をけたたましく叩いている。

 ここで。終わらせてしまえば。

 そう思って二人に向かって一歩踏み出した直後、背後からの改造人間の接近を機械の身体が告げ、反射的に振り返った。そこには、親友であるどこから来たのかよくわからない不明な少女が居た。

 不明な少女は暗澹な少女に告げた。

「一線を越える前に話をしよう。」

 

「あのさあ、次は私って訳?」

 明朗な少女は鋭敏な少女に言った。鋭敏な少女はノートパソコンのキーボードを叩きつけているが、明朗な少女にそのような誤魔化しは通じない。

「それ、意味あんの?何か仕事してるふりしなきゃいけない程、首領様って暇なの?」

 鋭敏な少女は画面に視線を落としたまま、手を止めた。明朗な少女は容赦なく追撃する。

「何がしたいの?私達を改造しておいて、始末させるなんて、普通じゃないよ。」

「私に選択肢は無い。」

「私『達』、の間違いでしょ。」

 鋭敏な少女は黙った。言い返せる訳が無い。自分達が、いや、自分の身体のしでかした事の大きさはどう言い訳した所で悪だ。だが一体どうすればよかったというのか。どうしようも無かった。どうする事も出来なかった。だって自分に自由は無いのだから。

 鋭敏な少女の沈黙に耐えられなかったのか、それとも最初から答えを用意していたのか、明朗な少女は鋭敏な少女に背を向けたまま言った。

「別に良いけどね。この身体になったお陰で出来る事は増えたし。手始めにお父さんとお母さんを殺したあいつでも殺そうかな。でも待ってあげる。ぎりぎりまで待ってあげる。私は優秀だから。」

 鋭敏な少女は答えない。明朗な少女には復讐をする権利がある。足りなかったのはそれを実行する為の力だ。そしてその力は自分の身体が既に与えてしまった。

 にも関わらずに待つというのだ。これこそ自由意思というものだろう。力の誘惑に負ける事無く自分を貫く。そして自分は貫けていない。

 その事を見透かしたのか、あるいは偶然なのか、明朗な少女は鋭敏な少女に言った。

「自分の人生を生きなよ。じゃないと後悔する。」

 そう言って明朗な少女は変身した。背中に蝶の翅を持った異形の怪人に。そして飛び去った。

 自分一人が残された山中の公園で、通電していない真っ黒な画面に目を落としながら鋭敏な少女は呟いた。

「後悔なんて何百回したかわからないよ。」


 不明な少女は暗澹な少女と一緒に住宅地近くの公園を歩いていた。その季節になると夜中に光を宿した蛍達が舞う公園だが、今はまだその気配は無く、また自治体の予算が足りてないのか色んな所が汚れたままになっていた。

 建てられた当初は綺麗であったであろう木造の見晴らし台に登って不明な少女は隣の暗澹な少女に言った。

「覚えているか。去年の夏頃、大人達に連れられてここで自然観察をしたのを。」

 覚えているか、だと。

 忘れる訳がない。そして忘れたくてももう忘れる事はできない。

 秘密結社による改造手術の影響を受けたのは運動能力だけではない。脳にも人工知能搭載の高性能コンピュータが内蔵され、記憶力は飛躍的に向上した。そんな事は不明な少女だってわかりきっている事だ。

 ただ一つの事実を、確認するまでもない事実を、確認する事に何の価値がある。

 暗澹な少女のざわざわした心の波は激しさを増すが、不明な少女は続ける。

「誰かを攻撃する力を与えられても誰かを攻撃する義務が与えられた訳じゃない。」

 だからそれがどうしたというのだ。そんな事はわかりきっている。そんな事がわかりたい訳じゃない。

 不明な少女の、明らかに作られた綺麗な発言は、暗澹な少女を更に苛立たせる。こんな事をしている場合じゃない。早く消し去らないと。もしあの二人がどこか遠くへ引っ越したら。追跡が不可能になったら。一生自分はあの二人に勝てなかったという事実を背負ったまま生きていく事になる。だというのにこの女は、ありがちな綺麗事をほざくだけか。

「誰にでも失敗はある。失敗する前でよかった。」

「良くない。」

 暗澹な少女は即答した。不明な少女は沈黙した。やはりそうか。上辺だけか。綺麗事を言いたいだけだったか。

 この女は私の苦悩を知らない。安全圏から何の役にも立たない道徳心にまみれた綺麗事を言っているだけだ。何者にもなれない恐怖を。何者かが自分を追い越していく恐怖を。この女は全く知らない。

 こんな奴だったか。自分の言葉で語れない程中身の無い空っぽの女だったのか。

 不明な少女は困惑した顔をしている。演技ではなかったのか。

 その程度、だったのか。

 落胆した暗澹な少女は、落胆したが故に、変貌した。異形の姿に。


 自分の価値とは何か。

 ひたすら何も考えずに試行と錯誤を繰り返せる安全圏に居る奴等をひたすら暗澹な少女は軽蔑している。何故ならば延々と繰り返される行動による没入は苦悩から人間を解放するからだ。

 没入出来ない行動に何の意味も無い。

 暗澹な少女の二人の妹はどちらも優秀だ。双子の妹に一度として暗澹な少女は勝利した事が無い。それならまだ良い。二歳歳下の妹は既に幼稚園児でありながら小学校の学習を全て完了していた。

 そして両親からの愛を一身に受けていた。

 新しい子が生まれたら両親はその子を愛するようになるという話は聞いていた。だがそれにしても異常過ぎる。こんな異常個体を愛せるものなのか。

 もし末妹が悪童であれば、才能だけあっても性格が伴わない傲慢な奴であると断ずるだけで良かった。いくら高い知能を有していても理性が伴わないのであれば猿と変わらないと自分に言い聞かせ堂々と見下す事が出来た。

 だが、末妹は人格者だった。幼稚園児でありながら人が死んだという報道に涙し、悪を憎む善良が擬人化したかのような異常個体であった。

 逃げ道は無かった。

 もし暗澹な少女が生まれた時に何らかの障害を負っていれば、それを理由に自分の妹達に対する劣位を正当化できた。

 もし二人の妹達が悪童であれば暗澹な少女は正しくあろうとし、それ故にどれ程二人が優秀でも心を病む事は無かったはずだ。

 だが現実はそうではなかった。

 ひたすら努力し続ける二人を前に、何事も長続きせず不安ばかりが増大していく彼女の心中。常に脳内が圧迫され続けている感覚。どうしようもなかった。

 自分価値とは何か。

 そんな事を考えられるモラトリアムという名の余裕はそんな事を考えられる強者にのみ与えられる特権なのだ。暗澹な少女には何も無かった。自分さえも。

 だから取り戻す。二人の妹達を始末する。その力が今の自分にはある。警察も軍隊もかなわない、圧倒的な力が。

 だというのにこの女は、部外者であるこいつは、何もわかっていないのに綺麗事だけをほざいて邪魔をする。

 じゃあやってみろ。全力で突破させてもらう。


 蟹を思わせる異形の怪人の姿に変貌した暗澹な少女は右腕の下腕と一体化した巨大な鋏を不明な少女の背中に向かって振り下ろした。

 不明な少女は振り向く事なく右手を振り上げ、素手で鋏の刃を掴んだ。完全に受け止めた彼女は肩越しに暗澹な少女の怪人態に視線を向けて、こう告げた。

「一線を越えたから始末する。」

 次の瞬間、不明な少女も怪人へと変貌する。

 秘密結社が作り出した二体のサイボーグ。午前の青空の下、すぐ近くに民家群があるのも気にせず両者は全力で激突した。


 どうすれば良かった。

 それについての答えを鋭敏な少女は一切持っていない。だって自分が無いのだから。気が付いたら今の立場に自分が居た。いつからだ。いつから自分はこの世界に存在していた。

 そんな事を思うのは彼女だけではない。

 この世界の殆どの人達が、物心付く前の事なんて忘れている。そしていつの間にか自分が何者かを知った状態で人生が本当に始まってしまう。拒否権なんてどこにも無い。その明確な事実は本来言い訳として使えるはずなのに、大勢の人間の人生を台無しにしてしまっているという現状がそうはさせない。

 私のせいじゃない。

 事情を知れば誰もがその本音に頷いてくれるだろう。そして誰も事情なんて知らない。自分はひたすら地獄に向けて走らされている。同意しなかった訳ではない。同意せざるを得ない状況に追い込まれただけだ。

 選択肢が無い者に突きつけられた選択肢は最早選択肢とは呼べないというのに。

「早く終われよこんな人生。」

 はるか遠くの別の公園で鳴り響く金属同士が衝突する音を超人的な聴覚で拾いながら鋭敏な少女はノートパソコンを畳んだ。

 

 自分の悩みはどうでもいい若者の浅い悩みである、と言われる事を暗澹な少女は承知していた。

 だが、それがどうした。今ここに居る自分が、他の誰でもない自分が、この状況から抜け出したいと願っているのだ。

 大人達はいつもそうだ。考え過ぎだよ。まだ若いから。いつだって同じ事を言って今ここに居る自分を抑圧しようとする。そうやって、そうされ続けて、その挙げ句がこれだろうが。

 異形のサイボーグ怪人へと変貌した暗澹な少女は口から無数の泡を放った。それらは木々の枝に接触すると即座に溶解させた。風に乗ってのみ流れていくはずの泡。しかしそれらは明らかに意思があるかのように不明な少女へと向かって、まるで人が走るかのような速度で進んでいく。

 不明な少女は、跳躍した。

 高さ50メートル。本来ならば人間が辿り着ける高さではないそれに不明な少女は一瞬で到達する。そして彼女の背中には直翅目の翅のような物が生え、体表は黒と緑の装甲に覆われていく。頭部には触覚と巨大な赤い複眼を備え、腹部には風車を思わせるバックルが出現する。

 秘密結社が作り出した改造人間。それが二人の正体だ。

 不明な少女の背面の翅は彼女の身体を下方に居る暗澹な少女めがけて急加速させる。当然、暗澹な少女はそれを許さない。驚異的な溶解能力を持つ無数の泡を不明な少女めがけて吐き出しまくる。

 だが不明な少女の翅は彼女を泡を軸とした螺旋軌道に載せ、更に加速させる。その速度に暗澹な少女は対応出来ない。

 顔面への蹴りの直撃。

 倒れたのは、不明な少女の方だった。

 あまりにも近付き過ぎたが故に彼女の背部の翅が泡に接触し、溶解。姿勢制御の一部を担っていた翅が欠損した事と、そして暗澹な少女が圧倒的耐久力で耐え、押し返した事で不明な少女は派手に地面を転がった。そしてその回転に逆らう事無く転がり続け、そして地面を蹴って暗澹な少女から離れた位置に着地した。

 暗澹な少女は不明な少女を睨みつける。

 こいつもそうか。あの大人達と一緒か。何の役にも立たず代替案も出さず、ひたすら抑圧するだけの輩に一体何が理解できる。自分には何も出来ない。自分は何者にもなれない。ただひたすら時間が過ぎていく。なのに他の奴等はそうではない。自分だけが置き去りにされる。その恐怖をお前は理解した上で私を蹴ったのか。

 再び不明な少女に向かって泡を吐き出す暗澹な少女。だが即座に不明な少女は両腕の開口部から高い指向性を有する炎の槍を照射した。一直線に伸びていく二本の高密度の炎。それは無数の泡を即座に蒸発させ、暗澹な少女に迫る。


 暗澹な少女が不明な少女と出会ったのはかなり前の事だ。

 生まれた新しい家族。それにより両親の愛情が自分から完全に離れてしまった、と思い込んだ暗澹な少女は家を飛び出した。夜中であった。今も十分幼いが、当時はもっと幼かった暗澹な少女は、完全に客観視を失っていた。夜中に突然両親に知らせずに家を飛び出し、ひたすら走り続けて、その後両親が迎えに来ない事に絶望し、自分は見捨てられたのだと泣き喚く。冷静に考えれば両親は超能力者ではないのだから迎えに行きたくても場所が不明だし、そもそも何も知らせずに夜中飛び出したのだから気付くまで時間がかかって当然だ。

 だが当時の暗澹な少女はひたすら自分から失われた両親の愛情について思考を巡らせて、ひたすら絶望していた。自己を客観視なんてできようはずもなかった。

 追い詰められた彼女は、思った。

 誰でも良いから私を見つけてくれ。

 そしてどこから来たのか不明な少女が暗澹な少女の眼の前に現れた。自分と同い年に見えるが、涙一つ流さず、完全に威風堂々としていたその少女を見て暗澹な少女は驚愕した。泣く事なんてどうでも良くなった。

 何故。ここに居る。こんな所に何故こんなにも幼い少女がこんな時間にここに居る。

 二人が遭遇した場所は山中に続く舗装された農道。誰がなんと言おうと不自然な状況である。だが、不明な少女はそんな事はどうでも良いと言わんばかりに暗澹な少女に話しかけた。

「まずは安全な場所に移動する。」

 二人は暫く歩いた後、山小屋に辿り着いた。そこは不明な少女は知った場所であるらしく、中に入って即座に電灯を点け、温かいコーヒーを入れて暗澹な少女に差し出した。幼い少女にも飲めるように牛乳で割って砂糖を多めに入れた気遣いは、暗澹な少女にも伝わった。

「飲みながらで良いから何があったのか話なよ。私で良ければ相談相手になってやる。」

 不明な少女のその言葉に、堰を切ったかのように暗澹な少女の口からは言葉が溢れ出した。自分が愛されていない事。これから先愛情を取り戻せるかどうか不安な事。何より自分というものが未だにどこにも存在しないという事実。それらを幼い彼女が幼いけれども必死に言葉の洪水として口から吐き出した。誰かにこの不安を理解して欲しかった。

 不明な少女は平然と言い放った。

「じゃあ、やれよ。行動しろ。君が君になる為に行動するんだ。ただひたすらに時間が過ぎ去っていくだけの日常は虚無でしかない。」

 行動しろ。そんな言葉、初めて言われた。

 大丈夫だよ。怖かったね。その内わかるよ。そんな綺麗事しか言わなかった両親とは異なり、はっきり、どうすれば良いのかを言葉にしてくれた。

 だというのに。

「君も、同じなのか。」

 あの大人達と。

 二本の炎の槍は暗澹な少女の装甲を貫く事は出来なかった。秘密結社が作り出した改造人間の中では最も強固な装甲を有する暗澹な少女には通用しない。高密度の炎を圧倒的装甲で弾き返しながら進んでくる暗澹な少女に対し、避ける事無く不明な少女は拳を叩きつけた。不明な少女が受けた改造手術は近接戦闘能力に特化した物だったが、それらは多人数相手の物であり、一体の強固な存在を叩きのめす為の物ではない。それ故彼女の拳は暗澹な少女の胸部装甲を砕くことは出来ず、暗澹な少女の巨大な鋏が不明な少女の頭部に迫る。だが、不明な少女はあえて暗澹な少女の鋏の内側に左手を突っ込み、最大出力で炎の槍を放った。攻撃用の部位である為放熱よりも強度を優先した構造になっているのが仇となった。確実な可動を優先する関節構造は圧倒的な熱量で融解し、暗澹な少女の右腕を制御するAIは彼女の同意を待たずに右腕の肘から先を切り離した。熱の影響で伝達系に異常が発生し、痛覚停止信号と血流停止信号が間に合わずおびただしい量の鮮血を右腕の切断面から溢れさせながら暗澹な少女が絶叫する。絶叫しながら、左手で不明な少女に殴りかかった。左手には鋏が無いが、胸部にも劣らない装甲をまとっている。これで思い切りぶん殴ればいくら不明な少女といえどただでは済まない。

 だというのに不明な少女は避ける事もせずに殴られた。

 殴る事が出来た。相手は凄まじい勢いで地面の上を転がった。とどめを刺さなければ。

 暗澹な自分の左手に殴った手応えが残らなかった事に右腕の激痛で気付けなかった程度には我を失っていたが、不明な少女が両腕を広げて何かを守るかのように立ち上がった事に違和感を覚える程度には我を失っていなかった。

 だから気付いた。不明な少女の遥か後方に、見覚えのある二人の少女がいる事を。

 そんな奴等の為に。

 そんな奴等。どんな奴等だ。そんな奴等を守る眼の前の少女は何者だ。自分はあの二人の肉親で、目の前の少女はそうではない。ではなぜこんな事になっている。

 不明な少女は、両腕を広げたまま人間態へと戻った。逃げないのか。怪人態の改造人間と戦えば死は確実だ。それほどまでに。

「あいつらに価値があるのか。」

 暗澹な少女が呟いたその瞬間、再び不明な少女は怪人態へと戻り、背面から炎の翅を展開し、地面からわずかに浮き上がった高さで一直線に暗澹な少女へと急加速し、その右足を胸部へと叩きつけた。そして次の瞬間、不明な少女の右足の両側面から凄まじい量の燃える推進剤が放出され、暗澹な少女の重装甲の怪人態を不明な少女から押しのけ、そのまま加速した。不明な少女の右足は足首の位置で本体から切り離され、にもかかわらず加速を続け、その上まるでドリルのように回転を始めた。暗澹な少女は身体は直立したまま、足で地面を削るように後方へとどんどん加速させられ、そして遂に不明な少女の右足の回転に表面装甲が耐えきれず、砕け散り、内部構造にまでの到達を許し、背面装甲が貫かれた。推進剤の炎を撒き散らしながら突き抜けた右足は、暗澹な少女のはるか後方で爆散し、暗澹な少女は耐久限界を迎えて人間態に戻り、大地に伏した。

 それを見つめる不明な少女は、既に人間態だった。不明な少女は暫く暗澹な少女を見つめた後、背を向けて歩き出した。胸部から流れ出るおびただしい量の血が大地を汚していくのを感じながら、暗澹な少女はわずかに首をあげて去っていく不明な少女の背中を見上げた。

 あいつらに価値があるのか、だと。そんなの決まっている。あの子は見捨てるような子ではなかったというだけだ。最初に自分と出会ったときにあの子は何をしてくれた。見ず知らずの自分に、山小屋まで案内してコーヒーを振る舞った。悩みを聞いてくれた。あの子はそういう子だった。見捨てる子ではなかった。

 両親もそうだ。本当に愛情を失ったと思っていたのか。新しい子が生まれればそちらに注意を割くのは当然の事だ。幼い個体は死にやすいからだ。

 行動しろと言われた、だと。殺せとは言わなかっただろうが。あの子はそんな酷い事を命じる子ではなかったはずだ。

 誰も見捨ててなんていなかった。

 ただ一つの事実を、確認するまでもない事実を、確認しなかった自分に何の価値がある。

 だから、あの子の姿は遠のいていく。

 待ってくれ。お願いだ。お願いだから。

 暗澹な少女の声帯を管理するAIは身体の異常により発声による更なる損傷が引き起こされると何度も警告してくるが、それらを全て閉じて彼女は声を絞り出した。

「ごめんなさい。」

 その直後、暗澹な少女の肉体は耐久限界を迎えたとAIが判断し、機密保持の為の自爆装置が作動し、彼女は爆発と共に永遠に消滅した。

 

「ここにお姉ちゃんが居たって本当ですか。」

 二人の少女の内、姉と思われる背の高い方がどこから来たのか不明な少女に質問した。

 不明な少女は言った。

「確かにさっきまでここに居たんだよ。」

 二人の少女は顔を見合わせ、それだけで意思疎通がとれたらしく、頷きあって、別れて周囲を捜索し始めた。

 何も知らない二人の少女の純真さにも心を痛めながら、不明な少女は遥か後方で起きた爆発の場所に目を向け、呟いた。

「ごめんなさい。」

 二人の少女に連絡したのは彼女だった。肉親の情を利用した作戦だったが、あの重装甲を突破するにはこれしかないと思った。

 一体誰が、心までは怪物にならかった一人の女の子を殺したいと思うのか。

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屠友戦記 中野ギュメ @nakanogyume

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