第12話

 役場を出てから少し離れたところで、岡崎は足を止めた。まだ耳にあの受付嬢が言った言葉がこびりついている。

 梶野や西園寺の方を振り返ると、彼女らは表情を僅かに引き攣らせている。西園寺は居心地の悪さからだろうが、梶野のものは恐怖や不安から起因するもののように見えた。

「なんですの、あの役場。全員が全員、わたくし達を拝むなんて気色が悪いにも程がありましてよ」

「すかわて様の加護があらんことを、ですか。あの人達、まるで私達全員が加護を受けている様な口振りでしたね」

「田舎というのは、今朝わかったことすら村中に知れ渡るものなの? だとしたらあまりにも異様よここ」

「流石に田舎であることを加味しても、情報が回るのが早すぎる気がしますねえ。……あの人達、私達が私達に何か細工をしたとか十分に有り得そうですけど証拠も根拠もないですし。困りましたねえ」

「困りました、ではなくてよ庶民! 全く、貴女に関わるとろくな事がないわ!」

「そう分かっていながらいつも話に乗ってくださる先輩はお優しいですよねえ」

「……それは皮肉か嫌味のつもりなのかしら?」

「いえ、全然! 誓ってそんなつもりじゃないですよう」

 岡崎は西園寺の言及を逃れるため、足早に彼女から距離をとった。追いかけようかと思った西園寺だったが、まだ恐怖を感じているらしい梶野を放っては置けないと考え直して踏みとどまった。こういう時の岡崎のずる賢さは考えものである。

 ぼちぼちと歩く岡崎だったが、西園寺の怒りが冷めた頃合いを見計らって振り向き、梶野へ問いかける。

「あの、一つお伺いしたいんですけどよろしいですか?」

「え、あ、私……ですか?」

「はい、梶野さんにです。梶野さんにはお兄さん以外にご兄妹とかいらっしゃったりしますか?」

「え? いえ、私には兄だけですが……」

「なるほど、そうですか。……でしたらあの黒塗りはなんなんでしょう」

「話の全貌が見えないわ、黒塗りってなんのことなの」

「ああ、言ってませんでしたね、すいません。さっき受付の人が開いた帳簿、梶野さんの左隣が黒塗りされていたので」

 岡崎の返答に、西園寺は表情を険しくした。まるきり言っている意味がわからないとでも言いたげな様子に、岡崎は苦笑しながらも帳面がどんな様子であったかを簡単に伝えた。

 梶野はその話を聞いても、なんのことやら分からない様子で首を傾げるばかりだ。彼女の様子からして、梶野が言ったことは本当なのだろう。

 西園寺は岡崎の話に思うことがあったのか黙って、少し考えをめぐらせているようだ。何に対しての思考なのかは分からないが、彼女には引っ掛かりを覚える何かがあったらしい。

 しばらく春の陽気の中止まっていた彼女らだが、西園寺が口を開く。

「まさか梨奈が知らないだけで、別の兄弟姉妹がいたのではなくて? 今どき紙で戸籍を管理しているのはナンセンスだけれど、黒塗りにしているということはそこに名前があったということでしょう? なら、貴女の知らない兄弟姉妹がいてもおかしくないわ」

「やっぱりそうなりますよねえ、ご両親の欄ではなさそうでしたし」

「えっ、ま、待ってください! 私の知らない兄弟姉妹がいたかもなんて……そんな話、両親からも兄からも聞いていません!」

「誰も話したがらないわよ、そんな話。推測するに死産かなにかだったのではなくて? 死産した子供の話を喜んでする家族はいないと思うわよ」

「それには同意見です。梶野さんのことを思ってもありますが、自分達の心の傷を抉らないためにも敢えて伏せていたのではないでしょうか」

 岡崎の返答に梶野は返す言葉を失ったのか、そのまま黙り込んでしまった。処理が追いついていないのもあるのだろう。何かを話しかけては押し黙るということを繰り返し、遂には口すら開かなくなってしまった。

 彼女を黙らせたかった訳ではないが、反論しようにもできる言葉がどこにもなかったのだろう。梶野が口を開こうとしないのを確認してから岡崎は問う。

「どうしますか? このまま教会へ行ってもいいですが、家に戻って中を探してみます? お兄さんに話を聞いてみるのも手ですが」

「……多分兄は話さないと思います、こちらが証拠を提示しない限り。家の中なら夜の間でも母が入浴している間なら不審がられずに探せますし、教会へ行きましょう」

「あら、庶民しっかりした行動指針ね。綾に影響でもされたかしら?」

「お二方に依頼をした立場ではありますが、頼りっきりではいけないと思いまして……。それに家の中ならある程度目ぼしい場所は限られますから、時間のかかりそうな教会に行くのがいいかなと……」

「いいですねえ、そうしましょう! 私は依頼人の意向を最大限活かしたいと思ってますから、教会に行きましょう!」

「ええ、そうね。教会へ行ったら丁度昼頃になるから、どちらにせよ一度食事に戻る必要もあることですしよろしいのではなくて? 教会で情報が得られなければ、家の中を探してみてもいいでしょう」

 その方向でよろしくて?

 西園寺の言葉に、梶野と岡崎の双方が頷いた。それを確認した西園寺が岡崎に先へ行くよう促す。岡崎は強く首を縦に振ると、くるりと体の方向を前方へと直した。

 梶野の案内に従って教会へ向かうと、そこはよく見るキリスト教の教会というよりは集会所と呼ぶのが正しいような建物だった。決して大きくないが、そう小さくもない。可もなく不可もなくといったような建物がそこには鎮座していた。

 教会というのだから、もっと仰々しい建物があるものだと思い込んでいた岡崎と西園寺は少し肩透かしを食らった。しかし岡崎は意を決した様な表情になってから、その民家でもありそうな扉に手をかけた。

 扉は施錠されておらず、手前へと引けば力を入れずとも軋みながら開いた。教会内部は事務所と言った雰囲気で、随分と古い型のテレビやパソコンなどが置かれている。他には本棚や机といった事務作業用に設置されているもの以外に特段目に付くものはない。

 出で立ちが集会所なら、中身は事務所か。礼拝堂などが見当たらないそこをぐるりと見渡す三人に、中にいた普段着姿の女性が祈りを捧げるような仕草を見せてから満面の笑みを向けてきた。

「ようこそ、水込村へ。そしておかえりなさい神凪さん」

 その笑みは役場で向けられた、酷くカルトじみたそれによく似ていた。

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