第11話
午前八時過ぎ。キッチンから出てきた咲穂が、部屋を覗いてまあと声を上げた。まだ全員眠っていると思ったのだろう。三人が身支度まで整えていることに驚いたようだ。
岡崎と西園寺が机を元の場所に戻していたため、直ぐに朝食の準備が始まった。昨晩の食事とは打って変わって、朝食は洋風の食事が準備されていた。
「わあ、このスクランブルエッグトロトロで美味しいです」
「ふふ、牛乳を多めに入れて作ってるからかしらね。本当は牧場の牛乳を使えたら良かったんだけれど……」
「あら、この村には牧場がございますの?」
「ええ、山の上に。歩いて行ける距離だから行ってみたらどうかしら」
「いいですねえ、気分転換になって。昨日の夜は大変だったんですから」
「あら、なにかあったの?」
「ええ、まあ。下駄の音とか昨日の夜、聞こえたりしませんでした?」
「下駄の音? 特に聞こえていないけれど、もしかして梨奈達はそういう音を聞いたのかしら?」
「はい、なにかご存知ですか?」
「ええ知ってるわよ。それはね、すかわて様の加護の印なのよ」
すかわて様の加護。唐突な単語に、梶野を含め咲穂以外の人間が一瞬動きを止めた。聞きなれない単語を理解するのにわずかな時間を要したものの、彼女の言ったことを理解して岡崎は疑問を覚えた。
すかわて様は水込村の土着信仰だ、梶野に加護が出現するのは頷けても岡崎や西園寺にそれが出現しているのは妙だ。岡崎達は梶野の依頼がなければ、水込村に縁もゆかりもなかった。そんな彼女達にまですかわて様は加護を授けるのだろうか。
可能性があるとするならば、梶野と同じカテゴリーにいる為誤って加護を授けていることだ。今考えられるとしたら、同じ年代の女性ということだろうか。
もし仮にそれで加護とやらが授けられているのだとしたら、あまりにもすかわて様は加護を安売りしている。
「わたくし達はこの村の住人ではないのにすかわて様の加護をいただいてもよろしいのですか?」
「すかわて様は寛大な神様でいらっしゃるから。梨奈と仲良くしてくれているから、きっと加護を授けてくださったのよ」
「そういうものですか、私の知る神とは違いますねえ……」
「土地神様ですから。他のメジャーな神様と比べれば差異もあるかもしれません」
「……そういうものですか。まあそれはいいんですが、この村について詳しく知れる場所はありますか? 民俗学の研究をしているので、村の歴史であったり成り立ちが分かれば知りたいんです」
「だったら役場に行くのがいいんじゃないかしら、役場なら色んな資料もあるでしょうから」
「なるほど、役場。頭に留めておきますね」
岡崎は頭を下げて食事に専念した。西園寺もそれ以上聞くことは無かったのか、特に追加で問うことは無かった。
三人の食事が終わる頃、咲穂はまた祭りの準備のために家を後にした。村の中に出る場合には鍵をかけなくても大丈夫だからと、言い残す咲穂はどこか浮き足立った様子に見える。
食器をキッチンに運び、皿を洗ってから。岡崎達は玄関へと向かい靴に足を突っ込んだ。
「まずは役場でしょうか? 教会に行く前に村のことについて聞いておくのもいいかなと思うんですがいかがでしょう」
「わたくしは異論ないわ、貴女に任せるわよ。依頼を受けたのは綾、貴女なのだから」
「ありがとうございます、梶野さんもそれでよろしいですか?」
「あ、はい、私はそれで構いません」
ふあ、と欠伸をしかけていた梶野は慌てて頷く。誰も異論を唱えなかったため、岡崎達の目的地は役場となった。
梶野の案内で水込村の中を歩き、役場の方へと向かう。昨日はよく分からなかった村の全貌が分かるようになってきた。
のどかな田畑という印象は、何も間違いではなかったらしい。中央に近付いても、田畑が絶えることはなく続いている。自給自足という言葉がぴったりなほど、どこまでも田畑だけが広がっていた。
歩くこと十数分。のんびりと歩いて到着した役場は年季が入っており、今にも壁の一部が崩れそうになっている。補修が間に合っていないのか、ボロボロな印象を受ける役場の中は、やや古臭さを感じるものの清潔感を感じるものだった。
窓口を探し岡崎を先頭に近付けば、窓口にいた女性が顔を上げる。三人の顔をまじまじと見てから、女性はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「神凪さんところのお客さんですね、ようこそ、水込村へ!」
「もうお話回ってるんですか?」
「ええ、この村に来る方はほぼ居ませんから! それに梨奈さんは成人になりますし」
「え?」
「え、なにか間違えたことを言いましたか?」
受付の女性は、手元にあった帳簿らしきものをぱらぱらと捲り神凪と書かれたページで手を止める。そして帳面を確認して、またもう一度にっこりと笑う。
成人されるで間違いないじゃないですか、びっくりしちゃいましたよ。
何気ない一言が、異様に不気味で仕方ない。何故ここまで成人することにこだわるのだろうか。祭りがあるからだと言えばそれだけなのかもしれないが、どうにも居心地が悪い。
加えて、岡崎は窓口に近かったため少し帳面が見えて気がついたが、神凪詩嶌と神凪梨奈の間に黒塗りにされた枠が一つ見えた。帳面を覗き込んだ訳では無い為に、それがなんの枠かは判別がつかないが公的文書であろうそれに黒塗りをすることがあるだろうか。
あまりに不自然すぎる事の連続で、岡崎は水込村という場所自体に疑問を抱き始めていた。成人を村ぐるみで祝い、土地神を祀り、公文書から何かしらの記載を削除している。それ一つであれば気にも留めないであろうことがここまで続くとノイズになる。
ーーこの村は何かを隠している。
岡崎は確信した。昨日のすかわて様の使いのこと、そして彼女らに出現した幻聴。それらは隠された何かによって引き起こされているに違いない。
その何かを探るためにも、情報をさらに集める必要がある。岡崎は怪しまれないように愛想笑顔を作り、窓口を後にする。役場でこれ以上引き出せる情報は無さそうだ。あったとしても守秘義務だと言われてしまえば知る余地はない。
さて、どうしたものか。岡崎が梶野と西園寺を引き連れて役場を出ようとした時。背後からはきはきとした受付嬢の声が響く。
「すかわて様の加護があらんことを!」
その言葉の直後、何を思ったのか彼女は祈るようなポーズをとった。否、彼女だけではない。役場にいる職員全員が能面じみた貼り付けた笑顔で、同じポーズをとっている。
その光景はあまりにも不気味で、カルトじみた狂気を感じるものであった。
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