第三十九話 羊のグルメ
「よう、エナム。時間通りじゃないか」
待ち合わせ場所に行くと、すでにその相手はいた。ハキハキとした語り口調で、溌溂とした声がする。
真っ黒な顔が印象的だが、その周囲にはふわっふわの真っ白い毛がクルンクルンと広がり、そのまま全身を覆っていた。羊の仔、ヴァインチャトライス・ヴァリサー・シュヴァルツナーゼンシャーフだ。やたら、名前が長い。
「ははっ、まあ、そう言うなよ。名前の法則はエナムとそんなに変わらないはずだけどな」
説明する前に、自己紹介しておこうか。
私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーでさまざまな動物たちの食レポを集めている。
さて、名前について説明してこなかったが、いい加減、説明しておいていいかもしれない。
エナムの意味は単純なことだ。6号という意味である。アニマルアカデミーで進化改造された6番目の実験動物であることを指す。
続いて、バンテンは私たちの種族としての名前だ。バンテンは別名をジャワヤギュウといい、インドネシアを中心に東南アジアに分布する野牛である。黒めの赤褐色の体毛が特徴だろうか。
それでは、ヴァインはどういうことか。
ヴァインチャトライスとは、やはり番号である。23号だ。
そして、続くヴァリサー・シュヴァルツナーゼンシャーフも種族名である。
「ははっ、説明ありがとう。まあ、そういうことなんだ」
しかし、問題は別にある。前回も言ったが、牛と羊、実に近い動物だ。この両者に異なるグルメ観なんてあるのだろうか。
「それはあるだろっ。たとえ同じ動物だったとしても、好き嫌いは別れるんだ。牛と羊なんて、同じ
確かに、牛と羊を同じ動物だなんて、少なくとも哺乳動物であれば思わないだろう。か細いラインではあるが、そこを信じて今回の食レポを進めてみようか。
「か細くねえよっ。ネコ科でいえば、ライオンとネコくらいは違うんだよ。
だったら、比較する価値はあるんじゃないか」
そうかなあ。まあ、そう思いたいねえ。
「物は試しだ。早速、ジェーデンの
ヴァインの提案に乗り、私たちは食堂に向かう。そういえば、お腹が減った。それに外で立ち話をするには寒い季節になっている。
◇
カランカラン
食堂の扉に備え付けられた鐘が鳴る。その響きを聞いて、ジェーデンの女将さんが厨房から顔を出した。
「あらぁ、エナムちゃん、ヴァインチャトライスちゃん、いらっしゃい。お料理もそろそろ煮えるころなのよ。もう少しだけ、座って待っててね」
この物言い、今日は煮物なのだろうか。確かに、美味しそうな香りが漂っている。
その匂いに楽しみな気持ちを刺激されつつ、私たちは席へと座った。
「そういえば、エデン計画ってそろそろ実行されるんだろ。楽しみな気持ちもあるけど、なんか複雑だよな」
ヴァインがそんなことを言う。
複雑って何だ。計画が上手くいくことは別にいいことじゃないか。
「そうかぁー。俺はエナムみたいに割り切れないなあ。俺たちみたいな草食動物からしたら、ちょっと複雑というか、後ろめたいというか、そんな気分にならないかな」
まあ、そう言われれば、そんな気分もなくはないかな。
それは私たちだって同じものじゃないのか。改造されて進化し、人間と同等の知能を得た。それが罪深いことと思うのは人間に近い考えを持ってしまったからだろうか。
それでも、私たちは生きていく。エデン計画で生まれるものたちもそれは同じなんじゃないか。
「それもそうだな。深く考えても、別に何も変えられないか。素直に、今日のご飯のことでも考えておく方が建設的だ」
その通りだ。そのためには、ビールを選んでおくことだが……。
私はちらとヴァインを見た。
「んん? なんで、俺を見るんだ。ビールだったら、俺も飲むことにするよ。今日は食堂で食事できる特別な日だし」
そうか、飲むか。まあ、別にいいか。
私とヴァインはビールカタログを眺め、飲むビールを決めた。
◇
「乾杯!」
私とヴァインは黄金色の液体の注がれたグラスを互いに合わせ、カチンと音を鳴らす。
そして、一息に飲んだ。
今回選んだのは京都麦酒のIPAだった。
すっきりとした飲み当たりが印象的。フルーティな味わいだ。その奥から強い苦みが走ってくる。とはいえ、IPAとしては苦さは控えめかもしれない。上品な苦みであり、それが心地よかった。
「いやぁ~、ビールって美味しいねぇえ~」
ヴァインの口調が変わっていた。なんだか、ふにゃふにゃした印象だ。ビールの一口ですでに酔っ払っている。
ビールに弱い羊。そんなのいるだろうか。いや、いる。目の前に。個体差によっては存在するということだろう。
「エナム~っ、酔ってない。俺、酔ってないよぉ~」
酔っ払いの常套句のような言葉を発する。それ、すでに酔ってる奴の発言なんだよなあ。
「ふふ、盛り上がっているのね。お料理できたから、持ってきたのよ」
女将さんはそう言うと、大きな鍋を私たちの前に置いた。その中にあるのはおでんだった。多種多様な具材が程よく煮えているのがわかる。
そして、女将さんは器を手にしながら聞いた。
「なんでも、好きなのを言ってね。取ってあげるから」
私は鍋の中身を見ながら迷う。すると、ヴァインが先に声を上げた。
「大根とゴボウ巻き、それにジャガイモ!」
ヴァインは酔っぱらっている。それでも、ジェーデンの女将さんは朗らかな笑顔を絶やさずに、ヴァインの言葉に従って器におでんの具材を余所った。
私も注文しなくては。
「えと、がんもどきと椎茸、それに車麩かな」
私が注文すると、同じように笑顔のままおでんをよそう。
よし、食べよう。
「大根はほくほく! なんかねぇ、味が染みていて美味しいのよぉ。それとゴボウ巻き。これまた出汁が染みついた皮にゴボウの土っぽい味がよく合うよ。
あとジャガイモも美味いんだよな。これもホクホクしてるけど、どこかホッとするような優しい味。でも満足感もある」
酔っぱらっていたヴァインは食べている間に酔いが
おでんを食べ終えると、さらに反芻して味わっている。まあ、反芻動物なのは知っていたことだ。
とはいえ、私もおでんを食べることにしよう。
がんもどきは崩した豆腐を生地にして、さまざまな具材を折り込んだ料理だ。おでんがひとつの宇宙であるとするならば、がんもどきはその宇宙に存在する小宇宙というべきか。
噛みしめると、おでんの出汁が広がる。美味い。さらに、ニンジンの甘さ、ゴボウの香りが伝わってくる。食べ進めると、一際旨味の詰まったものがあった。枝豆だ。
がんもどきにはさまざまな顔がある。それは多種多様な具材を内包したおでんの中にあっても異彩を放っている。
椎茸。これはおでんの具としては異色かもしれない。けれど、合わないはずがない。直径10センチほどもある大きな傘に噛みつく。噛み応えのある肉厚さ。噛みしめるごとに弾ける旨味。おでんにあっても椎茸は美味い。
車麩も珍しい具材かな。柔らかく水分を吸収する食材だ。出汁がたっぷりと含まれていた。それをゆっくり味わって食べる。五臓六腑に染み込むような美味しさだ。
「なあ、エナム。気づいたかい。羊と牛のグルメの違いがさ」
おでんを一皿食べ終えるタイミングで、ヴァインが声をかけてくる。
そんなものは、まったくわからなかったぞ。
「牛はさ、もともと平地の動物だろ。それに対して、羊っていうのは高地の動物なんだ。毛量が多いのだって、寒さに適応したからだし、山羊ほどじゃないにしろ、崖を登ることにも適している。
そのため、羊は低い草を食べて生きながらえていた。高い場所ほど高い草はなくなるから。高い草が豊富にある牛の暮らしとは違っていたんだ。
だから、俺は根菜みたいな低い場所の食べ物を選んだし、エナムは大豆だとか椎茸、小麦みたいな、高い場所の食べ物を選んだんだよ」
本当か? たまたまだと思う。私はヴァインが頼んだ具材も好きだし。
「女将さん、次は大根もらえます? あと、ニンジンとちくわぶ」
頼んだ後で、ヴァインに目配せする。根菜は私も大好きなんだよ。
「おい、わざとだろ。じゃあ、俺は厚揚げとコンニャク、それに餅巾着」
おでんはどれも美味しかった。けど、好きなものには個人差以上のものは感じられなかったな。
◇
こんなところで、羊のグルメを締めたいと思う。やっぱり、間が持ったのかどうか不安な回だ。
牛と羊、どちらも草食性の偶蹄目として進化したものの、生きてきた環境は少し違う。
牛は草食動物の中でも最も進化の進んだグループといっていい。地上の住みやすい場所には牛たちが暮らしていた。
それに対し、羊は少し生きにくい
環境が違えばグルメも違う。といいたいところだが、正直、それを観測することは今回はできなかった。細かくはあるのだろうが、どっちも牧草が好きだし、根菜も好きだしね。
さて、次回は、いよいよエデン計画のお披露目となる。
計画の詳細はまだ話すことはできないが、期待していただけないだろうか。
いや、私の意見としては、そんなに期待するようなものでもないとも思っているけれども。
とはいえ、アニマルアカデミーの方針が大きく変わる瞬間でもある。何が起きるのか、見守ってもらえると嬉しい。
それでは、また来週、この時間、この場所でお会いできることを期待する。
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