第四十話 草木のグルメ

「ニコさん、いる?」


 私がニコさんの果樹園に行くと、そこにいたのは豚の仔、スー・ジューだった。普段、あまり果樹園で見かけることはないが、エデン計画の様子でも見に来たのだろうか。


「ちょっとぉ、エナムくん、挨拶くらいしてよねっ」


 スーが文句を言う。

 挨拶も何も、今朝方会ったばかりじゃないか。そういえば、珍しくスーがあちこち出歩いているな。


「んぅー、まあねぇ。ちょっと、気になることが多くてさぁ。

 そうだ、ニコさんだったねっ。呼んできてあげるよ」


 スーはそう言うと、ニコさんの研究室へと向かっていった。


 しばらくして、ニコさんがやって来る。ただ、スーの姿はなく一緒にいたのはマグロの仔、エイティ・サーザンブルーフィンだった。


「エナムくん、準備はできてるよ。もうすぐ起きるはずなんだ」


 そう発言したのはエイティだ。酸素ボンベをつけているが、ハキハキと喋っている。

 なんだ、まだ目覚めていなかったのか。となると、今日、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に連れていくというのは時期尚早だったんじゃないかな。


「いや、それはジェーデンの希望なんだよ。目覚めたら、食堂に連れてきてくれってさ。だから、ちょっとくらい遅くなったって文句言わないはずだよ。

 ついでだからかな、食レポも取ろうってことになったのかな。これはシューニャが決めたはずだが」


 ニコさんがそう言った。

 食レポを行うのがどの動物なのか、それは私より上の権限を持つ存在によって決められている。それはジェーデンの女将さんだったり、ニコさんだったりするはずだが、シューニャの意志によって決まることが多い。というか、シューニャの意志を覆せる存在なんて、アニマルアカデミーには存在しない。


「まあ、いいや。目覚めの瞬間を一緒に見守るのも一興じゃないか。一緒に待とうぜ」


 それって、どれだけ待つことになるんだ。そもそも、本当に今日中に起き上がるんだろうか。

 仕方ない。これも仕事だ。とことん待つことにするか。


      ◇


 私達はその目覚めを待つ。


 そうは言っても、成長自体はすでに進んでいて、私の背丈ほどの大きさになっている。

 褐色の混ざったその幹は力強く、生い茂る葉の色は明るく瑞々しい碧だ。


 それは大樹の仔だ。


「この仔、なんていうんだっけ?」


 そういえば、名前は何だったかな。ふと、そう考えた私が声を上げた。

 それに答えたのは、ニコさんでも、エイティでもなかった。


「デケム=ミリア・ラクスです。エナムさん」


 それは植物の発した言葉だった。

 それを聞き、小規模ながら歓声が湧く。ついに目覚めたのだ。

 もっと時間がかかると思っていたので、私としては、もう、という感覚ではあったが。


「すごい! 第一声で名前呼ばれたね、エナムくん」


 エイティが歓声とともに、私に呼びかけてきた。

 なんか、私が言葉を発したタイミングだったからだろう。ちょっと失敗したかなという思いがあった。


「やれやれ、ようやくひと段落だな。どうだ、歩けるか」


 ニコさんがミリアに声をかける。

 その言葉に従い、ミリアはその根を地面から抜き出し、一歩、また一歩と歩き始めた。


「大丈夫なようだな。早速で悪いが、食堂に向かってくれ。ジェーデンにちゃんと食事ができるか見てもらおう。エナム、付き添いを頼んだ」


 起きてすぐにもうミッションがあるのか。まあ、食べることができるかどうかは最も重要なので、必要なことである。

 それにしても、ミリア、流暢にしゃべったな。この仔の脳はどうなっているのだろうか。クラゲの仔、ヤシロイも外的な脳をコンピュータに頼っていたが、それよりも高性能ということだろうか。


「まあな。エデン計画にはバイオコンピュータを使用している。これは所有者の身体に埋め込み、所有者とともに成長する生きたコンピュータなんだ。

 カメラやスピーカーなんかも対応してるから、視覚や聴覚のない生物でも、見れるし、話せる。

 これには今までの研究の結果を受けて、さらに発展したものを使用しているぞ。言っては何だが、スペックでいえばヤシロイのものより性能は上がっている」


 ニコさんが誇らしげに語った。


 読者の人間たちも察しただろうか。エデン計画とは植物を進化改造するための計画である。そのために、ニコさんは果樹園を営み、植物の研究を重ねていた。さらに、ダチョウのセラシーニやクラゲのヤシロイにも使われていたコンピュータがバイオコンピュータとして昇華されている。

 拍子抜けしただろうか。エデン計画が進行すれば、この場所はアニマルアカデミーではなくなる。それは動物だけの学園ではなくなるから、そう呼ぶのが相応しくないというだけのことだ。


      ◇


 カランカラン


 食堂の扉を開けると、扉に備え付けられた鐘が鳴る。それを聞いて、厨房からジェーデンの女将さんが朗らかな笑顔を浮かべて顔を出した。


「あらぁ、エナムちゃん、いらっしゃい。ふふ、その子がデケム=ミリアちゃんね、いらっしゃい。

 デケム=ミリアちゃんのお口に合うものができるといいけど」


 慣用句とはいえ、ミリアには口がない。どうやって食事をするんだろうか。


「じゃあ、すぐに準備してくるね。席で待ってて」


 その言葉に従い、私とミリアは椅子に腰かける。いや、ミリアは腰がないので、そのまま立ったままだ。


「私とエナムさんはだいぶ身体のつくりが違うようです」


 ミリアがそう言う。

 そりゃ、そもそも動物か植物かというところで大分違う。前回来た羊の仔、ヴァインは私と近いグループの動物であるが、生物として異なる点もあった。

 動物と植物は、それよりも遥か以前に進化を違えた生物なのだ。そこから動物の中で背骨を持つ脊椎動物が生まれ、陸に上がり、草食という個性を得て、牛はその地位ニッチを確固たるものとしてきた。植物もまた同じような進化史を持っているはずだ。


「エナムさんは草を食べる生き物なんですね」


 エナムがそう言葉に出した。ちょっと気まずい思いがある。

 ああ、そうか。ヴァインが言っていた複雑な気持ちというのはこういうことを含めていたのか。動物間であれば、草食動物は食べられるばかりだが、草木がアカデミーに加われば、草食動物も食べる側に入る。


「知っています。ニコさんから教えられましたから。生命は互いを食べ合うことで循環し、生き続けるものです。それを私は気にしたりはしません」


 ミリアの意見は正しい。食べることの否定は生きることの否定だ。食べないものは生きる資格を得られず、絶滅するしかない。

 私たちは食べるという選択をし、その資格を得てきた祖先たちの行動ゆえに今を生きているわけだ。


      ◇


「お料理できたからね、ミリアちゃん、しっかり食べてね」


 ジェーデンの女将さんはそう言うと、お皿をミリアの前に置いた。今回は私は付き添いに過ぎないが、私の前にはカブのスープを置いてくれた。

 優しい味わいながらも、コンソメスープがしっかりと作りこまれていて、絶品である。カブの柔らかくもしっかりとした美味しさを楽しめる。


 本題のミリアのための料理はどうか。

 それは茶色い塊だった。堆肥たいひだろうか。

 ミリアは根を伸ばし、その堆肥に向かわせた。そして、じっくりと吸い上げるようにその根を堆肥に潜らせた。


「ああ、これが食事というものなのですね。なんという快楽でしょうか。豊かで、優しくて、そして刺激的です。

 甘く、酸っぱくて、満足感がある。これは発酵してるということなんでしょうね。発酵した植物の味わいなのでしょうか。あるいは、これは動物の……」


 ミリアが歓喜に近い声を上げた。目覚めて最初の食事なのだ。感動があるようだった。


「ふふ、先ほどは偉そうに言いましたが、私も動物を食べる生き物のようです。でも、その味わいは素晴らしい。この快楽は止まりそうにありません」


 ミリアは夢中になって堆肥を平らげていた。お皿に盛り上げられていた堆肥はいつの間にかなくなっている。

 それに気づいたのか、女将さんが新しいお皿を持って現れた。それをミリアはがっつくように根を動かして、さらに吸い上げていく。

 そんなことが幾度となく続いた。


 ミリアの身体は次第に大きくなっていた。堆肥を吸い上げるとともに成長しているようだ。

 すでに私の体長を大きく超え、食堂の天井に近くなっていた。だというのに、女将さんはまだまだ堆肥を持ってくる。


「これ、今までで一番美味しいです。なんというんでしょうか、芳醇で、香ばしくて、とっても刺激的、でも優しい。

 これ、すごぉい」


 それは歓喜の叫びのようでもあり、悲鳴のようでもあった。

 それと同時に、ミリアの身体が一気に大きくなる。その幹は天井を突き破るが、それ以上に変化が大きいのは根だった。根の太さだけで私の体長を越えるほどの大きさになり、食堂の壁を突き破り、さらに伸びていく。


 食堂は壊滅した。いや、それだけじゃない。

 根はアカデミー中に根を張る勢いであった。周囲の建物を破壊し、それでもまだ伸びている。このままではアカデミーはどうなってしまうのだろうか。


「あらあらぁ、ニコってば、デケム=ミリアちゃんに一体何をしちゃったのかしら」


 ジェーデンの女将さんが困ったような声を上げていた。

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