第三十八話 ペンギンのグルメ

「あらあ、エナムちゃん、こんにちはぁ」


 私に声をかけてくるものがあった。流線形のボディ、ヒレのような翼、よちよちとした歩き方。

 ペンギンの仔、ヂビャノースタ・フォルステリだった。


「なんていうのかしらぁ、歩くのって大変よねぇ。エナムちゃんはそうでもないのかなぁ」


 自己紹介しておこう。

 私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーにおいて、さまざまな動物たちの食レポを集める仕事をしている。

 今回はペンギンのヂビャに食レポを行ってもらうことになっている。


 しかし、確かにヂビャは歩きにくそうだ。

 ペンギンというのは、というか、鳥はだいたいそうなのだが、歩くのに向く身体をしていない。その膝は体の内部に入り込んでおり、常にしゃがんでいるような姿勢を維持しているのだ。これで歩けというのは無理というものだ。


「なるほどねえ、エナムちゃん、わかりやすぅいぃ~。だから、歩くのって大変なのねえ」


 ヂビャがそのくちばしをカツカツと鳴らす。感心した時の癖なのだろうか。

 とはいえ、その足も泳ぐためには都合がいいはず。ペンギンは飛ぶことをやめた代わりに、泳ぐことにその身体を合わせた鳥なのだ。

 今は水陸両用だが、後の時代には完全に海に身体を合わせ、海洋の覇者になるともいわれている。その際はクジラの環境ニッチを奪うとか。


「アハッ、それは科学者のひとりの予想に過ぎないでしょ。私たちがどうなるのか、いえ、すべての生命がどう変わっていくかなんて、例え神様がいたってわかることじゃないと思うなあ」


 神様の想定か。

 神でさえわかるはずがないと、ヂビャは言った。けれど、シューニャは、シューニャの意志は、それをすべて計算しようとしているのだろうか。

 三津さんやシンクエから考えろと言われ、俺の中にはそんな想定が浮かんでいた。


「エナムちゃん、暗くならないで。未来のことを思うと途方もないのよねえ。

 でも、今は次のご飯のことを考えた方がいいんじゃない。ジェーデンの女将おかみさんのお料理を食べるのは久しぶり。なんだか楽しみだなあ」


 そう言いながら、ヂビャのヨタヨタとした歩きが少し早くなる。転ばないか心配だ。先端が指のように改造進化された翼を掴んで、私たちは食堂に向けて歩き始めた。


      ◇


 カランカラン


 扉を開けると、備え付けられた鐘の音が鳴る。その響きに反応して、厨房からジェーデンの女将さんが顔を出した、。


「あらぁ、エナムちゃん、ヂビャノースタちゃん、いらっしゃい。

 今、お料理の準備をしていますからね。もうちょっとだけ待っててね。あ、今日は特別に席が決まっているのよ。必ず、そこに座ってね」


 そう言われて、俺とヂビャは指定の席に座った。

 その前には何やらガラス箱が用意されており、その中にはすでに食材が用意されているようだ。


「ふふふ、ジェーデンの女将さんもなかなか面白い趣向をしてくれるものねえ。なんだか、楽しみになってきちゃった」


 ヂビャが声を弾ませながら、そう言った。

 なんとなく、魚料理の準備がされているのだなと、私も察する。


「あらあらあ、そういえば言い忘れてたねえ。この間はどうもありがとお」


 ヂビャからなにやら礼を言われた。なんだろう、何かしてたかな。


「エデン計画のお手伝いをしてもらったことよお。あれね、だいぶ助かっちゃったの」


 ああ、そんなことか。確かに、ニコさんから要請があって手伝いに行ったんだ。その場にヂビャもいたっけ。

 ヂビャはニコさんと仲がいい。ペンギンは漢字で人鳥と書くからだろうか。


「なんかねえ、鳥なのに直立で立って、二本の足で歩いているのが、人間みたいだってことみたいねえ」


 ヂビャは他人事のように言う。

 まあ、他人事か。人間が勝手に付けた名称なんて、アニマルアカデミーで暮らす我々にとって、何ら関係のない話だ。


 そんなことよりも今日飲むビールを考える方が建設的だろう。

 私がカタログを手に取ると、同じようにヂビャもカタログを手にする。そして、言った。


「ねえ、エナムちゃん。これなんか、どうかしらあ」


 私はその言葉に同意した。今回、飲むビールが決まった。


      ◇


「かんぱあい」


 ビアジョッキの中の褐色の液体を波立たせつつ、ヂビャの持つしジョッキにカチンと合わせる。その瞬間、ビールが少し揺れた。

 そして、それを一息に飲む。今回のビールはプレミアモルツの黒だ。

 すっきりした飲み口に纏わりつくような苦さと甘さ。この飲み口の爽やかさと後味の濃厚さを楽しむビールだろう。


「黒ビールのコクと豊潤さなのに、すっきりした飲み口ねえ。さすがはプレミアムというべきだわ。とっても美味しい」


 指名しただけあって、ヂビャにとって楽しみ方のわかるビールだったらしい。

 まあ、なんにせよ、口に合うなら何よりのことだ。


 そんな中にあって、何度となくジェーデンの女将さんが厨房から食堂へと行き来していた。料理というか、食材を運んでいるようだった。

 そして、私とヂビャの前に小皿が置かれ、その奥に木の板のような置物が置かれる。これも皿なのだろうか。


「じゃあ、今から握るからね。まずはお勧めを出すけど、食べたいものがあったら言ってね」


 女将さんがそう言う。握る? ということは……。


「ああ、今日はお寿司なのか」


 ペンギンのヂビャなら魚は好物なのだろうが、牛である私は魚なんてほとんど食べたことがない。食べられるものなんてあるのだろうか。

 そう思った私の前に置かれたのは、野沢菜の寿司だ。これは美味しそうだった。ヂビャのところにはイカの握りが置かれている。ただ、ご飯は少なめだ。


 野沢菜の握りを食べよう。

 シャキシャキした野沢菜の食感と、酢飯の柔らかさと酸味が食欲をそそる。噛みしめると、野沢菜のしょっぱさとご飯の調和が取れていた。よく漬かった野沢菜だ。

 一方、ヂビャはイカのお寿司を食べている。


「イカの滑らかな嘴触りが堪らなあい。酢飯とのバランスも良くて、満足感も凄いわあ」


 ヂビャは嘴を震わせながら、イカの握りを飲み込んでいった。一見咀嚼しているように見えるが、そういうわけでもないのだろう。


「これは砂嚢さのうを震わせているのよお」


 なるほど。鳥類は歯で噛み砕く代わりに、砂嚢に入った石で砕くのだ。そのために、身体を震わせる動きをしているのか。


「このお寿司、砕き心地もいいのよお。イカの柔らかいけど固い感じが程よくて、ほんと美味しい」


 続いて、女将さんが新しいお寿司を握ってくれる。

 私にはコーンの軍艦巻き、ヂビャにはイワシの握りだ。


 紺の軍艦巻きは、粒の一粒一粒が弾けるような食感をしており、弾けるごとにその甘さが口の中に広がっていく。それでいて、その甘さが酢飯や海苔と合っていて、抜群のハーモニーを奏でているようだった。


「イワシのざらめくような嘴触りがいいのよねえ。磯の香りとイワシの旨味が合わさって本当に美味しい。

 ああ、これ、敢えて骨をあまり抜いてないのね。それを砕くのがいいのよお」


 コーン軍艦もイワシの握りも美味しいお寿司だった。

 だが、こうなってくると、食べたいものも出てくる。


「そのナスビを握ってくれませんか」

「マグロって食べってみたかったのよお。中トロがいいかなあ」


 私たちが注文すると、女将さんは朗らかな笑顔のまま、指定のネタをシャリとともに握っていった。


 茄子の柔らかさとしなやかさが堪らない。溢れ出てくる汁気も塩味たっぷりで、茄子ならではの青い香りが癖になる味わいだ。


「これがトロなのねえ。とっても柔らかいわあ。とろけるみたあい。でも、本当に旨味たっぷりというか、もう、美味しいというしかないわねえ」


 寿司というのはどれだけ食べてもいい。

 私もヂビャもお腹がはち切れなくなるまで、ついつい注文してしまった。


      ◇


 こういったところで、ペンギンのグルメを締めたい。

 ペンギンは鳥類の進化において、水棲という性質を最も高めた動物といっていいだろう。その翼は泳ぐためのヒレのような姿に変化し、地上ではおよそ不向きといえる歩行能力だが、海にを泳ぐ上では有利な形状となる。

 そして、その食性は肉食であり、魚やイカなど魚介を獲ることに特化している。優秀なハンターでもあるのだ。


 その消化器官はこれまで紹介した鳥類とそこまで変わるものではないだろう。前胃で消化し、砂嚢で砕く。この辺りは鳥類の基本的な消化器官の特徴だ。


 さて、次回ではあるが、え? ちょっと、まって。これ合ってるのか? あ、えと、次回は羊のグルメとなる。

 おいおい、正気かよ。羊なんて牛と被り過ぎじゃないか。この前のキリンのグルメだって、相当無理があったっていうのに、羊だなんて、互いに同じものを同じ感想で食べるだけだぞ。


 まあ、上の決定なので、変えられないみたいだ。

 期待できないだろうが、期待してもらえると嬉しい。


 それでは、また来週、この時間、この場所でお会いできることを祈っている。

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