第三十七話 キリンのグルメ

「やあ、エナム。元気してたかい」


 私の頭上から声が響いていた。黄色と茶色の斑模様、角の生えた頭。けれど特徴的なのはそこではない。

 背丈は私と同じくらいに進化改造されているはずなのだが、その長い首はたいして縮んでいない。そのせいで、彼――サバ・ヌビアの頭は私の遥か頭上にあるのだ。

 なんていうか、首が痛くなりそうだ。


「それなんだよ。本当に油断してると、すぐに首が痛くなっちゃう。

 こんなに首が長いっていうのにさ、なんだって二足歩行に進化改造させられなくちゃなんないんだよ」


 キチンの仔、サバがぶーたれる。

 それを聞いて、私は周囲を見渡した。よし、誰もいない。

 最近は進化改造に対しての文句を聞くと上に垂れ込むものがいるらしい。油断も隙もない。


「おいおい、本当かよ。でも、確かに最近のアニマルアカデミーはピリピリしてるよなあ」


 おっと、自己紹介が遅れてしまった。

 私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーにおいて、あらゆる動物たちの食レポを収集する任務を受けている。

 今回はキリンの仔、サバに食レポを行ってもらうことになっている。


「トラブルがあると怖いよな。俺はできるだけ大人しくしてることにするよ」


 先ほど、率先して問題発言しそうになったくせにそんなことを言う。

 そして、次の瞬間、素っ頓狂な奇声が響いた。


「ああっ!」


 なんだ、何があったんだ。


「俺、財布忘れちゃったよ。これから寮に戻って、財布取ってきて、あー、間に合うかなあ」


 いやいや、今回の食事代はアニマルアカデミーから出る。お金のことは心配しなくていいんだ。


「あ、そうなの? じゃあ、安心だ。

 あ、でも、このあと買い物してから帰りたかったんだよな」


 それは自分で何とかしてくれ。

 サバに関わっていると、また問題を起こしかねない。とっとと、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に向かうことにしよう。


「そんな言い方ってなくない? でもま、腹減ったし、早く行くことにしようか」


      ◇


 カランカラン


 扉を開けると、備え付けられた鐘の音が鳴った。次いで、鈍い音が鳴る。


 どがっ


 サバが扉の上部に頭をぶつけていた。

「痛た……」と呻きつつ、頭を押さえながら、食堂に入ってきた。


「あらあらぁ、サバーちゃん、大丈夫?」


 その音を聞きつけて、ジェーデンの女将さんが早足で厨房から出てくる。

 彼女の声を聞いて、サバは複雑そうな表情をしながら、女将さんに言葉を返した。


「いやいや、大丈夫。いつものことなんで」


 そう言って、頭を押さえていた腕をどけた。

 女将さんは心配そうな表情のまま、再び声をかける。


「そうなの? サバーちゃんは背が高いから、気をつけないと」


 それに対して、サバは何か気まずそうな表情をし、その後、へらへらと笑いながらやり過ごした。


「うふふ、エナムちゃん、サバーちゃん、すぐにお料理持ってくるから待っててね」


 そう言うと、ジェーデンの女将さんは厨房へと戻っていった。

 その様子を見届けると、サバはひっそりとした声で私に話しかけてくる。


「今さ、女将さん、俺のことを7号サバーって呼んだよな。俺は70号サバなんだけど」


 ああー、それで複雑そうにしていたのか。

 7号サバーはライオンの仔、サバーのことだな。


「そうでしょ。桁違いとはいえ、間違えられちゃったよ。俺の印象が薄いからかな」


 いや、そんな問題じゃなくて単純に紛らわしいからじゃないか。

 確か、7号サバーがスワヒリ語で、70号サバがアムハラ語だったか。似通った言語だからこそ、こんな微妙な差になるんだろうけど、ややこしい。

 私は二人ともそれなりに関係があるから間違えないけど、女将さんくらいの関係だと、ごっちゃになっていてもおかしくはない。


「えー、そうかなあ。俺だったら間違えたりしないぞ」


 そりゃ、あんたは本人だからな。

 そんなことを言い合っていても仕方がない。今日飲むビールでも選んでいた方が建設的だ。


「あっ、ビール頼むんだ。俺、アサヒね。スーパードライ」


 カタログも見ずに、、サバが銘柄の指定をしてきた。ここには多種多様なビールが置いてあることを知らないのだろう。

 でも、それもいい。たまにはメジャーどころを飲むというのも乙なものだ。


      ◇


「かんぱい!」


 ジョッキに注がれた黄金色の麦酒を眺めつつ、俺とサバはジョッキを合わせる。そして、ビールを一息に飲んだ。


 すっきりした飲み口。爽やかな炭酸の刺激を味わう。

 甘さの奥に辛さがあった。それが味わいなのだろうが、さっぱりした飲み心地が口に残る。


「いやぁ、これだよね。このスッキリした切れ味、この辛さこそが美味いビールなんだよな」


 苦さを引き立てたビールも好きだが、辛口のビールもこれはこれでいい。サバは辛口のドライが好みのようだが。


「お待たせ。今日はうどんよ、よく味わって食べてね」


 ジェーデンの女将さんが料理を持ってきた。醤油と出汁の香りが漂う。食欲がわいてくるのが自分でよくわかった。

 しかし、私たちの前に置かれたうどん、並のうどんではなかった。採れたての山菜が散りばめられた極上のうどんだったのだ。


「これは凄いな。香りでわかるぞ、これは今朝のうちに山で刈ってきた山菜だな。手間がメチャクチャにかかってるはずだ」


 よし、伸びないうちに食べよう。まずは麺からだ。

 ツルっとした食感で口の中に滑り込んでくる。噛みしめると、しっかりと腰があり、食べ応えもばっちりだ。何より、つゆの味がしっかりと伝わってくる。昆布出汁の豊かな味わいが何とも言えない幸せを呼び込んでくる。


「おいおい、エナム、全部言っちゃってるじゃんか。俺、何も言うことないよ」


 そんなことはないだろ。サバなりの食レポをやってもらわなくては困る。


「そんなこと言われたってさ。でも、うどんは美味いよな。モチモチした歯応えもいいし、お出汁も美味しい。

 いや、エナムのと被るな。だから、無理だって言ったんだよ」


 じゃあ、黙っとくよ。

 まずは山菜を食べようじゃないか。何から食べる?

 俺が問いかけると、サバはワラビを箸で掴み、同時にうどんを掬うと、口元へと運ぶ。


「うん、まずはワラビからだな。

 これ、歯応え、めっちゃ独特。それで、噛むとどんどん独特の香りがしてきてね、美味いんだ。酸味? かな? それが溢れてくるのが気持ちいいっていうか。

 それにさ、ワラビを胃に入れて反芻して、その繰り返しがいいな。栄養たっぷりの山菜だからだろう」


 そう言って、サバは反芻する。

 キリンもまた牛と同じく反芻する動物である。鯨偶蹄目くじらぐうていもくなどという分類があるが、その中でもカバや鯨類、あるいは豚やラクダなどと違い、牛と近いグループに位置する。真反芻下目しんはんすうかもくと呼ばれている。

 反芻を完成させたグループだといっていいだろう。


「でもね、俺たちキリンは反芻しづらいんだよ。疲れる時があるっていうかさ。首が長いから。

 そうは言っても反芻は食事の一環だし、楽しい行為でもあるんだけどさ」


 そう言いつつ、サバは再びうどんを口にした。


「次はなめこにするね。これも食感がいいよね。その名前の通りに滑らかな口当たり。でも、噛みしめるとコリコリしていて、食感が堪らん。うどんにも合ってる気がする。

 あとは芋の茎かな。これは歯ごたえ合っていいね。これがあることで山菜うどんがボリューミーになってるよね」


 サバは次々と山菜を食べていく。まあ、一口で食べ終わるんだけどさ。


「姫竹も食べよう。これはタケノコだよね。細長いタケノコの輪切り。でも、コリコリした食感が歯ごたえ合っていいんだ。

 きくらげやえのきもアクセントになっていているよ」


 サバはさらにうどんを食べていく。よっぽど山菜うどんが気に入ったのだろう。夢中になって食べていた。

 そんな中、突如として、「ええっ!」と大声を上げた。


 一体、どうしたと言うんだ。


「タラの芽だよ! 信じられるかよ、山菜うどんにタラの芽なんて! なんちゅう豪勢な山菜うどんなんだよ」


 驚いているリアクションもいいけど、早く食べたほうがいいんじゃないか。うどんが伸びるぞ。


「そうだな。食べるぞ。

 んんんっ! 美味い! なんていうのかな、苦みが心地いというか、かえって爽やかというか。すげぇ美味いぞ、これ。食べてみろよ」


 私もタラの芽を食べることにする。

 お浸しのようになったタラの芽というのもいいものだ。

 噛みしめると苦みが走るが、さらに噛みしめると次第に甘さが際立ってくる。それにタラの芽独特の爽やかな香りが合わさり、得も言われぬ美味しさとなっている。


「だろ、すげぇ美味いよな」


      ◇


 今回はこんなところでキリンのグルメを締めたいと思う。

 牛とキリンは進化のグループが近い。なので、グルメ観も牛とそれほど変わらなかったのではないだろうか。

 ただ、キリンの首は長い。それゆえの反芻のしづらさもあるようだ。


 もっとも、それだけで反芻をやめる理由にはならなかったようだ。反芻は草食動物の到達点というべき、消化システムの完成形。

 それに首の長さというキリンならではの武器があり、ほかの動物の食べることのできない木の上の葉を食べることができる。それによって、地上最高の動物として繁栄したのだ。

 背の高さのことだけどさ。


 それでは、次回はペンギンのグルメに焦点を当てることになる。後の進化史において、クジラの環境ニッチを奪うともいわれるペンギンはどのようなグルメ観を持っているのだろうか。

 是非、興味を持ってもらえると嬉しい。


 では、また来週。この時間、この場所でまたお会いできることを期待している。

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