第三十話 クラゲのグルメ

 私の目の前にクラゲの仔がいる。名前はべにヤシロイだ。

 無数の触手を備えた透明な身体をしているが、その中心には赤く発光するコアのようなものがある。


 骨格までは進化改造できなかったのか、あるいは原型を留めておきたかったのか、脚部は外骨格のような機械で覆われていた。

 そして、後ろに引きずるように引っ張っているカートの中にコンピュータが入っている。彼(でいいのか?)の思考はそのコンピュータに頼っていた。外的な脳なのである。


 もともとクラゲには脳に当たる器官がない。反射だけで獲物を探し、反射だけで外敵から逃げる。そのため、脳の代わりにコンピュータを使用することになったのだろう。

 しかし、こうなると、もう目の前にいるのがクラゲの仔なのかコンピュータ制御された人工生命なのか、よくわからなくなる。


「イヤ、クラゲノ仔ト思ッテモラッテ、問題ナイ。

 君ハ心トイウノガ脳ニアルト考エテハイナイカ? ソウデハナイ。脳ハ心ノ一部分デシカナイ」


 ヤシロイが語り始めた。うーん、やっぱりロボットと話しているような感覚である。機械音がするもんな。


 でも、心は脳にあるだろう。思考は脳でするんだから。


「マア、ソウ言ウナ。考エテミテクレ。

 例エバ、暑イト思ウ、寒イト思ウ。ソウ感ジルノハ脳デハナイ。肌ダロウ。ダトスルト、コノ場合、肌ニ心ガアルノデハナイカ」


 まあ、そう考えれば、脳だけが心というわけではないのか。


「全身ノ集合意識、ソレコソガ心ノ正体ダ。

 ナラバ、脳ノナイ私ニモ心ハアル。コンピュータハ、ソノ補助ヲシテイルニ過ギナイノダヨ」


 納得できるような、納得できないような。

 それがヤシロイの考えで、本人が納得しているというなら、今日のところは受け入れることにしよう。


 おっと、自己紹介が遅れてしまった。私の名はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 ここアニマルアカデミーにおいて、さまざまな動物たちの食レポを集めている。今回はクラゲのヤシロイの出番というわけだ。


「じゃあ、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に向かうとしようか」


 私が声をかけると、ヤシロイが微笑んだように感じた。


「アア、楽シミダ」


 コンピュータが情報を分析し、それが獲物を得るという反射的な感覚を得たのだろうか。いや、そんな分析なんて、してもしょうがないな。


 私はヤシロイを伴い、食堂へと向かった。


          ◇


 カランカラン


 食堂の扉を開けると、備え付けられた鐘が音を鳴らす。それを聞いて、ジェーデンの女将さんが厨房から顔を出した。


「あらぁ、エナムちゃん、ヤシロイちゃん、いらっしゃい。今、お料理の準備をしてるのよ。ちょっと待っててね」


 そう言うと、女将さんは再び厨房へと戻る。

 ジュワーという音が聞こえてきた。これは何かを揚げているのだろうか。


「揚げ物が出てくるんなら、ビールを飲みたいな」


 私はそう言うと、ビールのカタログを手にした。まあ、だいたいいつもビールを飲むんだけど。


「ヤシロイはビール飲める? 飲みたいビールはあるかい?」


 そう尋ねると、ヤシロイの機械の声が返ってくる。


「イタダコウ。

 タダ、ビールノコトハ、ヨク知ラナイ。エナム、君ニ任セヨウ」


 そう言われて、少し考えることにした。

 ヤシロイの白濁とした身体を見ていると、何となく白ビールを飲みたいような気分になる。

 じゃあ、これだな。


 私はビールの注文を済ませた。


          ◇


 「カンパイ」


 私の声とヤシロイの電子音が重なる。それとともに、ビールグラスを互いに合わせて、カチンという音を鳴らす。

 そして、一息にビールを飲んだ。


 今回はスプリングバレーのシルクエール、白ビールだ。

 ふわふわの柔らかな炭酸による、まろやかな口当たりが優しい。淡い香りが広がるが、苦味と甘さのバランスがいい。

 これはゴクゴク飲めるビールだな。


「フム、コレガ、ビールナノダナ。刺激的ナ味ワイ、ホワホワシタ感覚。コレガ酔イトイウモノカ。心地ヨイ」


 なんだ、ヤシロイは酒自体飲むの初めてか。じゃあ、あまり飲み過ぎないように、時間をおいて飲むことにしてくれ。

 酔っ払い過ぎるのは良くないからな。


「心得タ。注意スル」


 意外に素直に話を聞いてくれた。そこに、ジェーデンの女将さんが料理を持ってやって来た。


「はい、料理を持ってきたよ。ふふ、ちょうどビールと合うかもね。今日は海鮮の唐揚げなのよ」


 そうは言いつつ、お皿には野菜の素揚げも乗っている。私への配慮だろう。


「香バシイ匂イ。コレハ、食欲ヲソソルモノダナ」


 揚げ物の香りというのは匂いだけでお腹が空いてしまう。その感覚を共有できるということは、ヤシロイもまた生き物ということか。


「ソレデハ、早速イタダコウカ」


 ヤシロイが触手を伸ばした。

 それはイカの唐揚げだろうか。リング状になったイカの切り身がキツネ色にこんがり揚げられている。


「ヤハリ、コノ香リガ堪ラナイナ。触手ガ、コノ、サクサクシタ掴ミ心地ニ喜ンデイルヨウダ。

 ソレニ、イカノプリプリトシタ柔ラカサ、コリコリトシタ固サ、ソノドチラモ感ジラレル」


 まだ口にも入れていないのに、そんなことを言う。

 そうか、触手は手のようなものと思っていたが、それだけではないのだな。消化器官でもあるのか。


「ソノ通リダ。クラゲハ獲物ヲ捕エルト、掴ンダ触手カラ毒ヲ注射シ、痺レサセル。

 コノ、イカノ唐揚ゲハソノ感覚ガトテモ心地ヨイノダ」


 原始的な動物は狩りと食事、あるいは消化の境目が曖昧なのかもしれない。だから、このようなグルメの感覚もあるのだろう。


「口ノ中ニ入レテモ、素晴ラシイナ。サクサクトシタ食感ガ胃ノ中ニマデ続テイク。イカノ香リモシッカリ残ッテイルシ、旨ミモタップリ感ジル。

 少シズツダガ、満足感も感じているよ」


 ヤシロイが美味しく食べてくれたなら、それは何よりのことだろう。クラゲにもそんな感覚があるものなのだな。


 そうだ、私も野菜の素揚げを食べよう。

 まずはカボチャだ。サクサクとした食感が嬉しく、濃厚な甘さを感じる。カボチャの味わいがしっかりと出ていて、油で揚げることでその美味しさがブーストされているかのようだ。

 次はレンコン、爽やかな香りが心地いい。もともと独特の噛み心地があるが、それが素揚げにすることにより、軽快な食感に仕上がっている。

 そして、シイタケ。濃厚な香りと旨みが凝縮されている。外はパリッとしているが、柔らかくも噛み心地のある食感は変わらず、不思議な食べ心地だ。これは美味しい。


 私が夢中で食べていると、ヤシロイが魚の唐揚げを触手に取っていた。


「コレハ、イワシダナ。パリットシタ食感ノ奥ニ、柔ラカナ身ガアル。コレハ味ワイ深イナ」


 ヤシロイは鰯の唐揚げを触手で絡め取り、口の中に入れる。


「旨味モ申シ分ナイ。鰯ノ鮮烈ナ香リモ感ジラレル。

 アア、マルデ鰯ガ泳イデ私ノ体内ニ入ッテイクヨウナ新鮮サダ」


 さらに、ヤシロイはもう一つ魚の唐揚げを取った。今度はアジだろうか。


「鯵モ素晴ラシイ。サッパリトシテイルヨウデ濃厚。栄養ガ溢レテイクヨ」


 今度は、エビの素揚げを取る。触手が音を立てて、エビの殻を砕いているのがわかった。


「敢エテ殻を残シテイルンダナ。殻ニマデ旨ミガアリ、丁寧ニ調理スルコトデ食ベヤスクナッテイル。コレハ発明ナノデハ。

 ソレニ強烈ナ香リモ健在。コレハ美味シイヨ」


 ヤシロイは大喜びだ。

 どうやら、ジェーデンの女将さんの料理は脳のない動物をも唸らせるものだったらしい。


          ◇


 こんなところで、クラゲのグルメは締めたいと思う。

 ヤシロイの声が電子音のため、カタカナでの表記になってしまい、読みづらかったら申し訳ない。


 しかし、脳はなくても味がわかるとは、クラゲというのは不思議な動物だ。

 我々、哺乳類、あるいは脊椎動物と比べると、洗練されていないというか、原始的なように思えてしまう。だが、動物とはこうあるものという先入観に縛られているだけかもしれない。


 さらに、ヤシロイには今回明かされなかった恐るべき能力があるのだが、それは彼(でいいんだっけ?)が再登場した際に明かされるかもしれない。

 もしかしたら、もう出番はないのかもしれないが、これを読んでいる人間たちに応援してもらえれば、あるいは……。


 さて、次回はお待ちかねの馬の登場となる。読者の方々は待ってなかったかもしれないが、私は待っていた。

 我々牛と並ぶ草食動物の代表格だが、偶蹄目に対して奇蹄目と呼ばれるように、異なる進化を辿った動物である。一体、どのようなグルメ観を持っているのか楽しみにしてもらいたい。


 それでは、また来週、この時間、この場所でお会いできることを願っている。

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