第二十九話 ダチョウのグルメ

「あらぁ〜、あなた誰だったかしら? というか、わたくし、どうしてこの場所に来たんでしたっけ?」


 私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーで、さまざまな動物たちの食レポを収集することが役割だ。

 そして、この場所はジェーデンの女将おかみさんの食堂への道すがら、君と待ち合わせをしていた場所になる。


「待ち合わせぇ〜、あなたと? そうだったのね。えと、ご飯食べるのね。待ち合わせ場所はここなのね。

 それで、あなたは誰だったかしら?」


 目の前にいるのはセラシーニ・マサイ。ダチョウの仔だ。体の大きさに比較して、頭はとても小さい。小顔といえば聞こえはいいかもしれないが、脳の容量も極端に少ないのだろう。

 鳥頭という言葉があるが、意外に頭のいい鳥というのは結構いるが、ダチョウは記憶力がとても悪かった。

 だから、代わりに記憶を蓄積するための補助脳がある。外付けの電脳ではあるが。


 ちょっと、そのスイッチ、オンにしてくれ。そう、それ。

 よくそんな状態でここまで来れたものだな。


「え、えと、これ? これ、なんだったかしら?」


 カチッ


「あー、思い出した、あなたはエナムくんね。そうそう、今日はジェーデンの女将さんの食堂に行く日だった。すっごい楽しみにしていたのよ。

 でも、さっき補助脳の充電が切れそうになって、バッテリーを切り替えたの。それくらいなら大丈夫かなと思ったんだけど、スイッチ戻すの忘れちゃってたみたい」


 なるほど、そういう状況だったか。とはいえ、電脳がきちんと機能しているようでよかった。

 記憶の曖昧なセラシーニの相手をさせられたんじゃ堪ったものではないからなあ。


「あはは、正直なのはエナムくんの美徳かもしれないけど、あまりそういうのは本人の前で言わないでほしいかしらぁ。

 ちょっと記憶から消しておくね」


 ポチポチ


 セラシーニはコントローラーを操作して、少しの間、ぼぉーだとする。記憶を削除したようだ。

 私も悪かったが、そこまでしないといけないことなのか。


「えと、なんだったかしら? もう、食堂に向かっていいの?」


 ああ、構わない。

 それでは、ジェーデンの女将さんの食堂に向かおうじゃないか。


          ◇


 カランカラン


 食堂の扉を開けると、添え付けられた鐘が鳴った。その音を聞きつけて、厨房からジェーデンの女将さんが顔を出す。


「あらぁ、エナムちゃん、セラシーニちゃん、いらっしゃい。今、料理を作ってるから、席に座って少し待っててね」


 女将さんは朗らかな笑顔を見せてそう言った。私たちは女将さんの言葉に従って、席へとつく。


「ねえ、エナムくん、わたくし、忘れているのかな。女将さんはどんなお料理を作ってくれるの?」


 セラシーニが尋ねてきた。

 そんなことは私にもわからない。サプライズというほどのことではないかもしれないが、出来上がるまで、どんな料理な出てくるか伏せられていることが多い。

 その驚きもまた、食事を美味しくする調味料の一つなのだろう。


「へぇ〜、そうなんだ。それでお食事が美味しくなるの? 不思議なことねえ」


 私たちの知能は進化改造によって人間に近いものにされている。その副作用とも違うのかもしれないが、人間の持つ美味しさの感覚を得ていた。

 人間が美味しさの中で重視しているのは情報だ。その情報をジェーデンの女将さんは巧みに操っているのだろう。


「うーん、なんだか難しくて、わたくしにはよくわからない。でも、それで美味しくなるのね。楽しみにしておこっと」


 それがいい。私もどんな料理が出てくるか楽しみだ。

 それはそうと、ビールのカタログを見よう。今日はどんなビールを飲もうか。


「あはは、何これ、変な絵! 面白いじゃないの」


 セラシーニが文字通りに首を伸ばして、ビールのカタログを覗き込んだ。そして、急に大笑いし始めた。

 何がそんなにツボにハマったというのか。


「ねぇ、そのビールにしよ。飲んでみたくなっちゃった」


 それもいいか。このビールを久しぶりに飲むのもいいだろう。

 けれど、こんなゲラゲラ笑っておいて、ビールを飲みながら吹き出したりしないのだろうか。


「あははは、大丈夫よ。それまでに収めておくから」


          ◇


 ビアグラスにビールを注ぐと、私とセラシーニはグラスを掲げた。そのままグラスをカチンと合わせる。


「かんぱい」


 そして、一息にビールを飲む。

 上品な苦味。まろやかな炭酸の刺激。その奥にほんのりと甘さがある。美味しい……といえば、美味しいのかな。

 ただ、ちょっとした贅沢としてのビールと思うと、ラガーとの差別化がよくわからない。まあ、エビスビールというのはそんなビールだ。


「ふふ、お料理を持ってきたのよ。どんどん持ってくるから、どんどん食べちゃってね」


 ジェーデンの女将さんが私たち二人分の皿を持ってきた。

 私の目の前に置かれたのはお浸しのようだ。緑色の野菜の上にかつお節が乗っている。


「この野菜は何?」


 セラシーニの前にも同じ料理が出されていた。

 葉と茎の色が鮮やかなグラデーションを描いている。葉野菜のようだが、ほうれん草のようにも見えるが、キャベツにも近い。これはケールかな。


「ケール?」


 キャベツやブロッコリーの原種だったかな。まあ、食べてみればどんな野菜かはわかるだろう。


「それもそうね。うん、シャキシャキ。食感がいいね。それに美味しい。なんていうのかな、優しい味っていうか、ちょっとだけツンとしてて」


 セラシーニがケールのお浸しを食べた。丸呑みにしていたが、食感も味わっている。砂嚢さのうに食感があるのだろうか。


 私も食べてみよう。

 確かに独特の歯応えが小気味いい。それにほんのりとした苦味がアクセントになっていて、出汁と醤油の味わいを引き立てている。どこか、ツーンとした味わいはカラシだろうか。これもいいアクセントだ。

 実に美味しい。私もセラシーニも瞬く間に平らげてしまった。


「あらあら、すぐに食べてくれるのね。作り甲斐があるわ。

 次の料理もできたからね。味わって食べてちょうだいな」


 そう言って、次の料理を置く。それは煮物だった。

 大根にニンジン、ゴボウ、レンコン、厚揚げ、それに少量の鶏肉。筑前煮と呼ぶべき料理だろう。


「うん、これも美味しいよ。お野菜に味が染み染みしてて、どれもすっごい美味しい。なんていうのかな、優しい味がする」


 さっきも優しい味だって言ってなかったか。早くもボキャブラリーが尽きてきたのかもしれない。

 私も食べてみよう。確かにしっかりした味付けだ。醤油の洗練された味わいに甘さが加わり、実に満足感のある味わいになっている。

 大根の歯応えと瑞々しさ、ニンジンのフラッシュさと甘さはしっかりとした安定感があった。ゴボウの香りは土気を感じさせるものだが、なんともいえず食欲を煽る。レンコンの歯応えと独特の香りもいいし、厚揚げの香ばしさと柔らかさも捨てがたい。

 鶏肉の旨みも格別だ。少量であれば、こういうのも悪くはない。


 そういえば、ダチョウは草食なのだな。

 これだけの身体の大きさと走力があるなら、狩る側に回っているようにも思うが、あくまで逃げる側のようだ。


「そうねえ、確かにお肉はあんまり好きじゃないかも。

 ちょっとだったら食べるけど、量が多いと気持ち悪くなっちゃう。エナムくんと同じじゃないのかな」


 草食動物は身体を大きくしやすい。牛もそうだが、ゾウなんかが顕著だろう。

 ダチョウも同じなのだろう。ただ、スピードは犠牲にはしていない。チーターから逃げ切ることだってできるという。それに、ダチョウは強い動物だ。ライオンを足蹴にして吹っ飛ばすこともある。


「さあ、次のお料理よ。これも楽しんでもらえるものならいいんだけど」


 私とセラシーニの前に皿が置かれる。そこにあったのは、こんにゃくだった。

 こんにゃくの脇にはワサビが添えられ、器の窪みに醤油が溜まっている。これはこんにゃくの刺身だろうか。


「わあ、面白い。どんな味なんだろ」


 こんにゃくにワサビをつけて一飲みにする。こりこりとセラシーニの砂嚢がうごめいた。


「うん、確かに不思議な食感。柔らかいというか、グニャグニャというか。でも、美味しい。味付けもいいし」


 こんにゃくの刺身はさっぱりとした美味しさだった。当然ながら、ワサビ醤油との相性もよくツルンと口の中に入っていく。

 これは面白い感覚だった。


「これもどうぞ。焼きそら豆よ」


 ジェーデンの女将さんが新たな皿を置く。どうやら、今回は和食のコース料理のようだ。懐石のようなものだろうか。


「うん、香ばしい。なんていうのかな、美味しい」


 もはや形容することも諦めてしまったのか、簡素な感想だ。

 私も食べることにする。焼き加減が絶妙で、そら豆の旨みが凝縮されているようだった。噛み締めるごとにその旨みが弾けるように口の中に広がる。

 贅沢で、豊かで、食欲を満たしてくれるいい料理だ。


「これが最後よ。ご飯とお吸い物。最後まで楽しんでもらえるお料理になってたら嬉しいんだけど」


 二つのお椀がそれぞれの前に置かれた。なんともいえない、いい香りが立ち込めている。

 蓋を開ける。松茸の炊き込みご飯、松茸のお吸い物がその中にあった。


「うわ、すごい豪勢じゃない。まだ食べてないけど、絶対に美味しいって断言できちゃうよ」


 セラシーニも歓喜の声を上げた。

 だったら、早く食べて、感想を伝えてほしい。


「えっ、いいの? いいのよね?

 うわ、なんだろう。松茸の香りが口の中に広がるよ。ご飯もちょうどいい味付けだし、言うことないくらいなのよ。なんていうか、ぴったりな味をしてるっていうか。

 それにご飯が多すぎないのもいいかな。わたくし、穀物ってあまり好みじゃないの」


 ダチョウは草食だが、穀物はあまり摂らないらしい。それで、あの巨体とエネルギーを維持できるのは、それだけ栄養摂取の効率がいいからだろうか。


 私も食べることにする。

 松茸の香りというのはなんとも心地よいものだ。これは野牛としての本能のものか、人間の知性を植えられているせいなのか、それはわからない。

 でも、その香りのままに松茸を食べる。こんな贅沢はないだろう。ご飯は醤油と出汁で味付けされており、松茸と調和し、媒体として松茸とご飯を一体のものとしていた。

 これは美味しい。


 なんともいえない幸福感に満ちた私はお吸い物を飲む。

 これにも松茸が入っていた。セラシーニではないが優しい味付けで、優しい塩味が身体中に広がっていく。

 ゴクゴクと飲んでしまう。それほどに病みつきになる美味しさを持っていた。


「うん、このお吸い物も美味しい。なんだろ、美味しいものって幸せをくれるよね」


 セラシーニはお吸い物を一息に飲み込むと、満足げに笑った。


          ◇


 こんなところでダチョウのグルメを締めたいと思う。

 ライオンを退ける力を持ち、チーターから逃れる速さがあるのだ。恐竜の力を今なお伝えている動物ではあるが、あくまで草食動物として進化している。


 食レポの中でこんなことを言うのもどうかとは思うが、ダチョウの糞にはハエがたからないという。効率的に栄養を体内に吸収しているので、糞には栄養が残っていないからだ。

 ダチョウは盲腸が長く、その盲腸に宿る微生物が植物を分解する。


 進化論でいうならば、草食ゆえに強くなったのでもなければ、生き残るために強くなったのでもない。強い鳥類だからこそ、サバンナで生き残ることができたのだろう。


 さて、次回はクラゲのグルメと呼ぶべき内容になるだろう。ダチョウで脳が小さいなどと言ってるが、実際に脳のない動物だとそのグルメ観はどうなるのだろうか。

 久しぶりに無脊椎動物の出番となる。期待してくれる人がいると嬉しい。


 ではまた来週。この時間、この場所でお会いできることを願っている。

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