第二十七話 緋熊のグルメ

「あ、エナムくーん!」


 その言葉とともに大柄の動物の仔が手を振った。全身を赤褐色の毛で覆われ、二本足で立っている。

 ほかの動物であれば、進化改造によって二本足にさせられたんだと思うところだが、彼女の場合、どうなんだろう。


「えぇ〜、そんなのわかんない。だって、生まれた時から二本で立ってるしぃ」


 あまり気にしたことがないらしい。

 彼女の名は、エゾ・アツィタ。緋熊ヒグマの仔だ。荒々しい見た目に反して、象のサハストラ・マキシマムらと同じく、若い世代の動物の仔に当たる。正直、若干の付き合いづらさを感じてもいた。


 そういう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 ここアニマルアカデミーで食レポの収集を行なっている。今回は緋熊のグルメというわけだ。


「ねぇ、エナムくん、私ってギャルに見えるのかな。毛の色が派手だからさ。違うんだけどなぁー。いっそのこと地雷系のコーデにしてみようかと思ってるんだけど」


 残念ながら、私にはファッションのことはよくわからない。野牛は服なんて着ないからだ。


「もうっ、エナムくんって頼りがいないなぁ」


 そんなことよりも、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に向かってしまいたい。それが私の仕事であるし、何よりも女将さんの料理が食べたくて仕方ないのだ。


「やったぁー。ジェーデンの女将さんのお食事楽しみ! 女将さんのお料理より美味しい食べ物なんてないもんね。久しぶりに食べれて、すっごい嬉しい」


 どうやら、アツィタは女将さんの料理を食べたことがあるらしい。

 食べたことのない動物の仔と食べたことのある動物の仔。そこに何か理由があったりするのだろうか。


 いや、気にしても仕方ないな。私はアツィタを促しつつ、食堂へ向かっていった。


          ◇


 カランカランと鐘の音が鳴った。扉が開くのに反応したのだ。

 それを聞くと、ジェーデンの女将さんが顔を出す。


「あらぁ、エナムちゃん、アツィタちゃん、いらっしゃい。ふふ、エナムちゃん、ちゃんとアツィタちゃんの面倒見てて偉いのね」


 朗らかな笑顔だったが、その物言いには少し困惑する。まるで、小さい子供の面倒を見る、少し年上の子供に対する言葉のようだった。

 女将さんにとっては、私もアツィタもそんな風に見えるのだろうか。


「もう、私そんなに小さくないよぉ」


 大柄な体躯の緋熊のアツィタが嘆きの声を上げた。

 けれども、ジェーデンの女将さんはにこにことした笑顔を向けるばかりだ。


「うふふ、美味しいお料理を作ってるからね。楽しみに待ってなさいな」


 そう言って厨房に引っ込んでいった。


「わぁ、美味しい料理だって! 何かな、何かな?」


 アツィタの嘆きの声はいつの間にか歓喜の声に変わっている。とはいえ、私も楽しみだ。

 今のうちに頼むビールを考えておこう。私はビールのカタログを手にした。


「何飲むの? ビール? 私も飲む! 何あるの? ねえ、何が美味しいの?」


 どうにも、かしましい。

 私は適当にそのページにあったビールを指差した。インドの青鬼だった。


          ◇


「かんぱーい!」


 グラスに注がれたビールを手に持ち、お互いのグラスを合わせる。そして、そのままビールを飲む。

 ホップの複雑な苦味が口いっぱいに広がった。まるで、いくつものハーブが重なっているようで、苦いというよりも、辛いというべき味わいである。

 しかし、意外にも全体としてはスッキリとした飲み心地である。辛さはいつの間にか甘さに変わっていた。フルーティな味わいである。


「うへー、なんか変な味ぃ。エナムくん、こんなの飲むんだね。

 私はもういらないや。エナムくん、飲んでぇ」


 どうやら、インドの青鬼はアツィタの口には合わなかったらしい。最初の癖を超えれば飲みやすいビールではあるが、そこまでは到達できなかったのだろう。


「わかんない。全然、美味しくないよっ」


 そう言って、そっぽを向いてしまった。仕方ない。ビールを残すのも何だし、余力があったら飲むことにしよう。


「ふふ、お料理ができたのよ。味わって食べてね」


 ジェーデンの女将さんが大皿を手に現れていた。それを私たちの前に置く。

 香ばしいチーズの匂いが漂う。小麦の焼けた香りも食欲をそそる。ピザだ。


「やった、やった! ピザだ! どうしよう、すっごい美味しそうなんだけど!」


 アツィタのテンションが上がる。ピザはテンションの上がる食べ物だ。

 熊の食べ物というと、ドングリのような木の実が一般にイメージされるかもしれない。あるいは、鮭を咥えた木彫りの熊も印象深いだろう。

 実際はどんなものだろうか。


「え? 答えなきゃダメ? ピザ食べたいんだけど!

 えと、私はお肉が大好きだよー。でも、魚とか、木の実とか、野菜も食べるかな。果物も好きだし。

 ね、もういい? 食べていい?」


 いいよ、食べて。


「ほんと? うわぁっ、なにこれ? 超美味しいんだけど!

 チーズは濃厚でトロトロだし、このお肉はなに? ベーコンとサラミっていうの? たっぷり乗ってて嬉しい! ピーマンやキノコもアクセントになってて美味しいよ」


 なるほど。好みとしてはやはり肉食なのだろう。雑食よりの肉食といえる。

 だが、野生の熊は草や木の実を多く食べるという。そのため、草食よりの雑食という評価を受けていた。とはいえ、猫と同様の食肉目のグループであり、その身体は肉食に適したものだ。

 大きな体を維持するには常に食べている必要があり、そのためには肉食だけでは足りないのだろう。そのため、無理矢理にでも植物を食べ、その栄養素を吸収しているのだ。


 大きい動物は強い。しかし、その維持は難しいものだ。

 食肉目において、強いのは熊かもしれない。しかし、ハンターとしての優秀さで見ると、猫科の動物たちにも狼にも劣ると見ていいのだろう。


「何、ごちゃごちゃ言ってるの! エナムくんも食べなよ」


 アツィタに促された。それに従い、私もピザを食べることにする。

 まず感じるのはチーズの美味しさ。そして、複雑に絡まったスパイスの味。これはカレー味のピザだな。カレーモントレーというやつか。これはインドの青鬼にピッタリかもしれない。女将さんの心遣いを感じる。


 カレーの風味とチーズの味わいは相性ピッタリ。そこにピーマンやポテト、マッシュルームの美味しさが加わってくる。

 何とも食べ応えのある美味しさだ。しかし、不思議なもので、瞬く間に一切れを食べ切ってしまう。


 ピザは一切れごとに異なる具材がなっており、それに合った味付けをしているようだ。

 草食の牛である私には肉のないピザを。肉食よりの熊であるアツィタにはお肉たっぷりのピザを用意している。

 細かい気遣いが嬉しい。


「ああっ、これスモークサーモンのピザだ! なんか優しさを感じる美味しさ。なんでだろ、生まれる前から、この味を知ってるみたい。

 サーモンは甘くて美味しくて、トロけそう。ベビーリーフが邪魔しないくらいのアクセントになってて、いい感じ」


 エゾヒグマといえば、鮭を漁る姿が有名だと先ほど話した。その先祖の記憶があるのだろうか。

 アツィタはサーモンを懐かしい味だと感じたようだ。


 私が手に取ったピザはコーンとカボチャのピザだった。甘い味わいがチーズの中に溶け込んでいて、実に美味しい。

 普段食べるコーンフレークもこんなに深い甘さがあればいいのになと思ってしまう。


 気がつくと、私とアツィタは随分とたくさんのピザを平らげていた。


「ふふ、たくさん食べわてくれると作りがいがあっていいのよね」


 ジェーデンの女将さんは満足そうな笑顔を見せている。

 それに対して、先ほどまで騒がしかったアツィタはずいぶんとおとなしい。どうも、様子が変だ。眠そうにうとうとしている。


「あ、まさか冬眠するのでは……」


 私は思わず声を上げた。だとすると、こんなところで眠らせるわけにはいかない。

 私はどうにかアツィタを起こそうとする。


「大丈夫よ、エナムくん。ちょっと眠くなってるだけだから」


 ふわぁ〜とアクビを漏らしながら、アツィタが言う。それが冬眠状態というやつではないのか。


「それにまだ秋に入ったばかりじゃん。冬眠はまだまだ先よぉ」


 今にも眠りそうな声を出した。

 慌ててアツィタを抱えると、私は彼女を引きずりながら、どうにかジェーデンの女将さんの食堂を後にした。


          ◇


 最後は少し大変だったが、この辺りで緋熊のグルメを締めたいと思う。

 ちなみに、まだ冬眠のタイミングではなかったようだ。寮へとアツィタを送り届けたが、翌日にはまたアツィタを見かけたよ。


 熊は強い動物だが、ハンターとしての洗練さでいえば猫たちには劣る。肉食の際は、ほかの動物に狩られた獲物を横取りすることが多いのだという。

 無駄の多い動物だともいえるが、やはり多少雑でも単純に強いということはそれだけで生存に有利なのだろう。熊の敵になる動物はそれほど多くないものだ。


 さて、次回は第二十八話。いみじくも二十八番目の動物の仔が登場する。

 次回はワニのグルメに迫っていきたい。爬虫類中でも最強といわれる肉食動物だ。どんな食の好みを持っているのだろうか。


 では、来週もこの時間、この場所でお会いすることを願っている。

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