第二十六話 仔犬のグルメ

「よぉ、エナム。ここだ、ここだ」


 声が聞こえた。暗がりに佇む真っ黒な影が言葉を発している。

 しばらくして、目が慣れてくると、それが真っ黒な体毛をした動物であるとわかる。突き出た鼻、ピンと立った耳。それは黒犬だった。

 待ち合わせしていた相手の名は、ノインツェーン・ドーベルマン。黒犬の仔だ。


 自己紹介もしておこう。私の名はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーで食レポの収集という任務を行っている。

 今回は彼、ノインのグルメを探っていこうと思う。犬は人間とともに進化してきた生き物だ。その辺りの食性の変化にも迫っていきたい。


「その辺りのことは私にはわからないな。ただ、適切な量のタンパク質を摂れることが望ましい。筋肉を衰えさせたくないんでね」


 そう言うと、さり気なく腕の筋肉に力を入れた。確かに、筋骨隆々とした肉体である。

 ノインは鍛えることが趣味なのだろうか。


「鍛えること自体が目的じゃないさ。当然、鍛えているのは手段だ。君にシューニャから与えられたミッションがあるように、私にもミッションはある。そのためには身体をなまらせるわけにはいかないんだ」


 ふーん。ノインにも使命があるんだな。

 身体を鍛えなきゃ執行できないミッションってどんなものなんだ。


「私はドーベルマンだ。ドーベルマンに与えられるミッションは要人の警護に決まっている。主君を守ることこそ私の喜びだ」


 随分と忠誠心の高い動物の仔がいたものだ。犬というのはこういうものなのだろうか。


「ほかの連中のことは知らんさ。でも、ドーベルマンたる我が一族は皆同じ気持ちのはずだ」


 そんなもんかね。まあ、いいか。そんなことより、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に向かおう。私は私で使命があるんだ。


「それはありがたい。宿舎では馬鹿の一つ覚えみたいにドライフードばかり。いい加減飽き飽きとしていたんだ。

 どんな料理を振る舞ってもらえるのか、楽しみだよ」


 そこには不満を持つんだな。でも、食事にこだわりがないよりもあるほうがいいだろう。それでこそ、食レポを記録する甲斐があるというものだ。


          ◇


 カランカラン


 扉を開けると、備え付けられた鐘の音が鳴った。

 それに合わせるように、ジェーデンの女将さんが顔を出す。私たちに気づくと朗らかな笑顔を見せてきた。


「あらぁ、エナムちゃん、ノインツェーンちゃん、いらっしゃい。二人に喜んでもらえるよう料理を作ってるからね。楽しみにしててね」


 その言葉に俄然と食欲が掻き立てられる。私とノインはウキウキとした気分で席についた。

 厨房からは油のジュワーとした音と香ばしい匂いが漂ってきている。今日は揚げ物ということだろうか。


「いや、この匂いは揚げているわけじゃない。油多めで焼いているようだな」


 ふむ、だとしたらなんだろう。焼き物なんて多すぎて予想もつけられないな。


「私には何となくわかる。だが、必要以上に言葉を重ねることはあるまい」


 ネタバレしないような配慮ということか。

 一般に犬は嗅覚の優れた動物として知られる。とはいえ、それは人間から見た話だ。単純な嗅覚の鋭さでいえば、牛の方が鋭敏といえる。

 とはいえ、それにも得意分野があるのだ。草の匂いの嗅ぎ分けなら私たち牛に分があるだろうが、肉や油に関しては犬の方が詳しいことがわかるようだ。

 これもまた食性の違いによるものだろう。


 さて、油の多いものが出るのであれば、ビールを選ばなければな。

 私はビールのカタログを手にした。

 そして、ちらとノインを見る。使命感の強いノインは果たしてビールを飲むのだろうか。


「ああ、私もいただこう。今日は非番だ。少しくらい飲んでも問題ないのさ」


 その言葉を受けて、ビールを探す。そして、とあるビールを見て驚いた。

「水曜日のネコ」。うわぁ、こんなビールがあるんなら、先週頼みたかったな。せっかく、漁り猫スナドリネコのティスエカが来ていたというのに。


「いや、せっかくだ。それを頼もうじゃないか。

 私とて食肉目の一種。猫の要素だって、多少はあるだろう?

 それに今日は水曜日だ」


 うーん、猫の要素なんてあるかなあ。ある程度、近いグループの動物であることは間違いないんだろうけど。

 もしかして、猫の人気を羨んでいたりするのだろうか。


 まあ、いいや。このビールを頼もう。


          ◇


「乾杯」


 白みがかかったビールの注がれたグラスを合わせると、水曜日のネコを飲む。

 透き通った味わい。もっと言えば水のような味わいだ。そこにハーブの雑多な香りが追いついてくる。うん、これは美味しいのか?

 二口目。今度はホワイトエールというべき味わいに思えた。フルーティな味わいが強いのを感じる。まあまあ、飲めなくはないな。


「ふーん、これがフルーティな味わいというのか。もうちょっと濃い味わいが良かったな。というか、本物の猫でもこれを美味しいと思うとは考えられない」


 どうやら偽物の猫だという自覚があるらしい。


「ふふ、楽しそうに話してるのね。

 はい、お待ち遠様。今日はハンバーガーにしたのよ。味わって食べてね」


 そう言って、私とノインの前に皿を置く。

 それぞれにハンバーガーが置かれているが、私の皿にはフライドポテトが添えられており、ノインの皿にはチキンナゲットが添えられていた。


「へえぇ、ハンバーガーかあ。ジャンクな作りじゃないハンバーガーってことだよな。これは俄然、興味が出てきたな」


 そして、ソワソワとし始めた。尻尾がユサユサと揺れている。食べたくてしょうがないのだろう。

 早く食べればいいのにと思いつつ、その様子を眺める。はたと思いつき、声をかけた。


「食べて大丈夫だよ」


 それを聞いたノインは尻尾をピィンとさせて、ワンと一声吠えた。やはり、待っていたようだ。

 そして、尻尾をユサユサと揺らしつつ、ハンバーガーを食べ始めた。


「おお、これはなんというか、実にジューシーだ。肉汁が溢れてくる。この歯応え、肉の旨み、どれも堪らない。これは良質の小羊肉ラムだな。香りも申し分ないし、柔らかくて口の中で解けるようだ。

 それにバンズ。ふわふわだが、そんなに量はない。ちょうど良い食べ心地だな。あまりパンが多いとうんざりしてしまうからな。

 レタスやピクルスもいいアクセントになっていて、良い塩梅だ」


 丁寧な分析。これがドーベルマンの食レポだというのか。

 だが、補足した方がいいかもしれない。彼がバンズの量が少ないことを気に入ってるのは、肉食動物である犬には炭水化物がそれほど必要ないからだ。

 それと、おそらくこのハンバーガーは塩分少なめになっているだろう。多量のミネラルを必要とする牛と違い、犬は塩分の消耗が少ない。ただ、味覚は塩分を求めるため、彼に気づかれないよう、塩分を抑えているのだ。


 また、食肉目というグループ名が指すように、犬は肉食の動物である。とはいえ、より純粋な肉食である猫科の動物たちとは異なり、やや雑食よりの食性といえる。

 だから、レタスのような野菜も必要とするし、炭水化物にもそのエネルギーを頼っているのだ。


 私もハンバーガーを食べよう。

 豊かな味わいが口いっぱいに広がった。この味わいは大豆だ。大豆がパティの代わりとなり、その深い旨味が絶妙な味わいをもたらしていた。

 バンズはふわふわだがボリューミーで食べ応えがある。ノインのバーガーとは大きく異なるものだろう。

 それに野菜もいっぱいだ。レタスはシャキシャキで瑞々しい。キュウリはピクルスとして漬け込んであり、噛み心地が良く、酸味と旨味のバランスがいい。トマトもまた酸味があるが、それ以上に旨味の塊であった。

 それらの複雑な味わいが渾然一体となり、ハンバーガーとして絶妙なハーモニーを奏でている。アメリカ人の浅ましさが生み出したとは思えない、見事な一品といえた。


「ナゲットも美味いぞ。鶏肉ならではのさっぱりした旨味と程よく味付けされた衣の旨味。それが合わさって見事な調和を齎している。

 うん、これは自然と笑みがこぼれるな。幸せな味だ。いや、私はこれを食べるために生きてきたのかもしれない」


 その言葉の通り、ノインは笑っていた。

 ナゲットがよほど美味しかったのか、普段の食事があまりに味気ないのか。おそらく両方だろう。


 私はフライドポテトを食べる。カリカリに揚げられたポテトは格別だ。塩味も程よく、いくらでも食べられてしまう。

 そういえば、今回は揚げ物もあったな。どうでもいいことではあるが。


          ◇


 仔犬のグルメはこの辺りで締めたいと思う。


 猫と犬、似ているような似ていないような存在ではあるが、進化のグループとしてはまあまあ近い。猫が純粋な肉食動物として無駄のないハンターとして進化したのに対し、犬は群れをなすことにその適応を発揮した。

 どちらがいい悪いということではないが、そのせいか、犬は猫よりも早く人間との共生を始めた。その違いだろうか、犬は猫よりも雑食性が高い。


 さて、次回は熊のグルメとなる予定である。

 犬や猫とはまた違う形で人間と共存している動物だ。また、彼らと同じく食肉目の動物でもある。ここに来て、地上の代表的な大型肉食動物である食肉目の生態に迫ろうという腹づもりであろうか。


 うん? 食肉目の動物は以前にも取り上げたって?

 あったなあ、パンダのチューニー。所詮はパンダなど大型肉食獣としては最弱。草食に片足を突っ込んだ中途半端な存在よ。


 というわけで、来週の緋熊のグルメを楽しみにしていただきたい。

 では、また来週、この時間、この場所でお会いしよう。

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