第二十五話 漁り猫のグルメ
「あら、エナムくんじゃない? 随分と早いのね」
待ち合わせの公園で、彼女は眠り込んでいたようだ。ふあぁーとあくびをしながら、話しかけてくる。その口内から、もはや牙と呼ぶべきだろう長い犬歯が見え、私はドキリとする。
スラリとした体型に灰色の毛並み、何重にもなった縞模様と斑点が美しい。その前足は改造進化で人間の手のようになっているが、水掻きの名残があった。彼女——ティスエカ•ディーヴァラバララーは猫だった。
「いや、時間通りだと思うよ」
私がそう言うと、ティスエカは気だるげに返事をする。
「あらそう、あまり時間を気にしたことないからわからなかったわ」
自己紹介が遅れたが、私は野牛の仔、エナム•バンテン。ここアニマルアカデミーでさまざまな動物たちの食レポを集めている。
今回は彼女、ティスエカが対象となった。人間たちとともに進化してきた猫のグルメがどんなものなのか、関心のある人もいるだろう。その辺りに触れていきたいと思う。
「あのねぇ、エナムくん。私はイエネコじゃないのよ。
あ。そうだったのか。猫だというから、てっきり人類と暮らしてきた猫の一種だと思っていた。
「エナムくんはさ、たびたび野牛だって、野生の種であることをアピールするよね。なのに、他者にはそういう態度ってどうなの?」
確かに、周りへの配慮に欠けていたかもしれない。このことは反省しなくてはなるまい。
「別にいいけどね。他者への配慮なんて、群れを作る動物の感覚じゃない? 私には関係ないことよ。
そんなことより、お腹すいちゃった。早くジェーデンの
ティスエカの言葉もあり、私たちは食堂へと向かっていった。
◇
カランカラン
扉を開けると備え付けられた鐘が鳴る。その音を聞いて、厨房からジェーデンの女将さんが顔を覗かせた。
「あらぁ、エナムちゃん、ティスエカちゃん、いらっしゃい。今日は美味しいお料理を用意してますからねぇ。楽しみにしていてね」
今日は、と言ったのは、前回は食事に訪れたからではないからだろうか。まあ、そんなことは気にしてもしょうがない。
私とティスエカは席に着くと、女将さんの料理を待った。
そういえば、人間の中には、ペットとして猫を飼いながらも、自分のことを猫に仕える家来のように感じる人もいるらしい。半ばジョークのような発言だとは思うが、中には本気でそう信じてる人もいるのかもしれない。
猫はそれをどう思うのだろうか。人間を家来だと感じるのだろうか。
「はあー、どっちの立場が上とか下とか、いかにも群れを作る動物の考えそうなことよね。猫がそんなこと考えるわけないじゃない」
そう言って、ティスエカは鼻で
「ふふ、こんな考え方をするのも私が群れでの暮らしに馴染んできたからかもしれないわね。他者が何を思っているか考えようとするなんて。
実際、ほかの存在の考えることなんて、わかるわけないのに」
そう言って、自嘲気味に笑った。
彼女にとってアニマルアカデミーで暮らすことは群れの中で暮らすということなのだろう。
アニマルアカデミーが動物実験の施設である以上、どうやっても元々の暮らしを完全に再現することはできない。飛べなくなった鳶のイレヴンなどと同様に、漁り猫のティスエカもどこか歪んだ生を矯正されているのだ。
「そんな深刻になることはないわ。考えてもしょうがないことは考えない。それが長生きのコツよ」
気怠げな声色のまま、そう呟いた。
そして、何かを思い出したかのように私の目を見つめる。
「でもね、シューニャの意志を見極めること。これはしょうがないことじゃないと思うのよね。私もあなたに期待しているのよ」
どうにも、悪口を言われるよりも、期待を言葉にされる方が心臓に負荷がかかる。私にどれだけのことができるのか、自分でもわからないのだ。
プレッシャーを誤魔化すように、ビールのカタログを手に取って眺めた。すると、ページに写ったビールをティスエカが指差す。
「私、これにする。エナムくん、あなたもこれにしなさい。ね」
◇
グラスには黄金色に輝く液体が光を放っていた。
「乾杯」
私とティスエカがグラスを合わせると、カチンと音が鳴った。ゴクゴクと喉に流していく。
その上品な苦味がはっきり伝わる。その香りも味わいも際立ったものはないが、クセがないおかげで随分と飲みやすい。気がつくと、ついつい飲んでいる。そんなビールだ。
「それって特徴がないってことよね。メジャーな会社の出してるビールじゃなくて、このビールを選ぶ理由ってあるのかしら?」
ティスエカは選んだのは自分のくせにそんなことを言う。そう言われてみれば売りのわかりづらいビールではある。
とはいえ、単体で飲む分には十分に美味しい。
「料理ができたよ。味わって召し上がってね」
女将さんが料理を持ってきた。そして、私たちの前に置く。
ティスエカの前には鯛がまるまると入った煮込み料理が置かれる。私の前に置かれたのは魚の姿はなく、代わりにミニトマトやじゃがいも、ブロッコリー、ニンジンといった野菜が入っていた。
これはアクアパッツァだ。魚介と香草の混ざり合った香りが堪らない。
「うーん、美味しそう。早く食べましょ」
そう言うが早いか、鯛の頭に齧り付いた。バキバキと骨を砕き、飲み込んでいく。
あの鋭く長い牙が刃となっているようだ。
「これは美味しいわね。アサリやムール貝の出汁が染み渡っていて、複雑な旨みがあるわ。香草の香りも食欲を引き立てているようね。
何より、この魚の美味しさ。お肉はぷりぷりで新鮮だし、骨の歯応えもバッチリだわ。確かな満足感があるのよ」
だが、それゆえにティスエカは魚にうるさいはずだ。そのティスエカがこうまで誉めるとは、やはりジェーデンの女将さんの腕と目利きの凄さを物語っているのだろう。
「ああ、この貝も美味しいわ。アサリは噛み締めると濃縮された旨味が弾けるかのよう。ムール貝の複雑な香り、歯応えは何て言い表したらいいかわからないくらい。
そして、一緒に鯛を食べるのも美味しいのよ。味わいがより複雑になっていくみたい」
私も野菜のアクアパッツァを食べることにする。どの野菜も魚介と香草が煮込まれた出汁が染みていて、本当に美味しい。
私は魚を食べるわけではないが、ティスエカの気持ちが朧げにわかる。
ミニトマトの酸味と魚介の風味はピッタリと合う。弾けるように旨味が飛び出してくると、一気に出汁の風味と混ざり合った。まさに格別の味わいだ。
ジャガイモは柔らかく煮込まれていて、ホクホク。満足感のある美味しさがある。
ブロッコリーも香りと旨味がたっぷりで、その美味さが出汁の味わいで増幅されているよう。実に贅沢な一品と化している。
ニンジンの甘さ、新鮮さはこの中にあって目の覚めるような特別感がある。噛み締めるごとに美味しさと満足感が行ったり来たりする。
「ふふ、二人して別の料理を食べているような、同じ料理を食べているような不思議な感覚ね。肉食動物と草食動物、孤独に生きる動物と群れをつくる動物。それが同じテーブルで食事をするなんて、素敵なことなのかもね」
相変わらず気怠げな喋り方だったが、ティスエカの声は少しだけ嬉しそうに聞こえた。
◇
さて、こんなところで漁り猫のグルメを締めたい。猫たちの孤高を感じられる内容になっていたら嬉しく思う。
肉食と魚食で食性を分けるのに意義があるかわからないが、漁り猫は猫のグループの中にあって珍しく魚を獲る動物だという。そのため、足には水掻きがあり、泳ぐことにも適しているようだ。
その牙は鋭く、魚の骨を砕き、やすやすと大型の魚を平らげていく。
では、次回こそは人間とともに進化してきた動物に触れたい。来週は仔犬のグルメと呼ぶべき内容になることだろう。
それでは、また来週、この時間、この場所で会えることを願っている。
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