第二十四話 女将のリアリー

 目が覚める。


 今日は大蝙蝠おおこうもりの仔、ラビン=ダラワ・フィリッピンから呼び出しを受けていた。何でも、ジェーデンの女将おかみさんの正体がわかったのだという。

 それが事実なのかどうか、女将さんに確かめに行くことになっている。


 私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここ、アニマルアカデミーにあっては、動物たちの食レポを集める仕事を担当している。

 しかし、残念ながら今日は食レポをするわけではない。ジェーデンの女将さんの食堂に食事に行くわけではないからだ。


 しかも、女将さんの正体を暴くという心苦しい行動を取らなければならない。

 やらなければならないことだし、知りたいという気持ちもある。しかし、やはりどこかに畏れや罪悪感も抱いていた。


 身支度を整えると、味気ない食事を摂る。ミルクとコンフレーク、それに牧草だ。

 いまいち旨味の少ないミルクを飲み、コンフレークもミルクで浸す。コンフレークには干した果実がまぶしてあった。甘く酸っぱい以外の味わいはないが、味気ない食べ物の中にあっては、それだけが救いだった。しかし、その量は多くない。味のないミルクを飲み、コンフレークを食べた。


 腹ごなしを終えると、ラビンとの待ち合わせ場所に向かうことにした。


          ◇


「おお、エナムじゃ。待っておったぞ」


 幼女のような甲高い声が聞こえる。その声の主は、アニマルアカデミーでも年長者である、真蛸の仔、明石あかし三津みつだった。


「三津さん、なんでここに……」


 私は咄嗟に疑問を口にする。

 しかし、待っていたということは、三津さんは私が来ることを知っていたということだ。私は誰かにそんなことを告げてはいない。ということは、ラビンが三津さんに伝えたということだろう。

 ジェーデンの女将さんの正体を探るべきだというのは、シャチの仔、ソラーク・コサートカを経由して、三津さんから教示されたことなのだ。

 ということは、女将さんの正体を独自に探るラビンも三津さんの指示で行っているということなのだろうか。


「いや、わしはラビンに指示したことなどないぞ。ラビンが自主的に行っておることなのじゃ。

 じゃが、百ノ介もものすけに相談に行ったみたいでのぉ、わしにも情報が回ってきたんじゃよ」


 百ノ介とは、カエルの仔、達磨だるま百ノ介もものすけのことだろう。

 しかし、それで三津さんにも話が行くとは、どれだけの情報網を張り巡らせているのだろう。


「まあ、よい。確かめておきたくてのぅ。

 エナムよ、おぬしはジェーデンの女将が何の動物かわかったのかの?」


 正直、私には女将さんが何の動物かはわからない。いや、わかるはずがないと思っている。けれど、どういう動物なのかは察しているつもりだ。


「ふむ、なるほどのぅ。それなら、わしはエナムを信じてみるとするかのぉ」


 ほっほっほ。そう笑うと、三津さんは去っていく。

 それと行き違いのように、オオコウモリのラビンが現れた。


「あれ? 三津さんが来ていたというのかい? それは残念だ。一度、会ってみたかったのにな」


 どうやら、ラビンは三津さんと会ったことがないらしい。ということは、彼女の言葉通りに、ジェーデンの女将さんについて調べていたのは、ラビン本人の意思ということか。


「そうだ。前に、シューニャの意志について君に尋ねたことがあっただろ。そして、それに一番近いのは女将さんだ。だから、女将さんの正体を考えたのさ」


 なるほど。ラビンの疑問は蝙蝠のグルメの時から変わっていないらしい。

 それにしても、ラビンは女将さんのどんな真実に辿り着いたというのだろう。


「ふふ。それについては実際に解き明かすところを見てもらおうかな」


 ラビンは不敵に笑う。


          ◇


 カランカランと扉の鐘が鳴った。それに反応して、ジェーデンの女将さんが顔を出した。


「あらっ、エナムちゃんに、ラビン=ダラワちゃん、いらっしゃい。今日はどんなお話なの?」


 いつもと少し雰囲気が違う。私たちは今日は食堂のお客さんではないのだ。

 女将さんは席につくように促し、彼女もまたその対面の席に座った。


「ええ、実は私はシューニャの意志が何か知りたいのです。それが女将さんにも関わることではないかと……」


 ラビンが話し始めると、女将さんの目が冷たく光った。


「そういうこと、外ではあまり話さない方がいいわ。いつ、誰が聞いてるかわからないから。

 それに、私が関わっているとはいうけど、確かに私も関わってるかもしれない。でもね、ラビン=ダラワちゃん。私と同じように、あなたもエナムちゃんも関わっていることなのよ」


 私も関わっている……。それはそうかもしれない。私の集める食レポもそうだし、そもそも進化改造された動物の仔たちはシューニャの意志によって生み出されているのだ。

 私は考え込んだが、ラビンは女将さんの言葉で慌てたようだった。早口になり、捲し立てるように女将さんに問いかける。


「女将さん、あなたの名前ですけど、ジェーデン。これはすなわち楽園ジ・エデンを意味するのではないですか?

 つまり、シューニャの意志は楽園の創設を目指している。その中枢こそが女将さんなんじゃないですか?」


 その言葉を聞き、女将さんはキョトンとする。そして、次の瞬間には噴き出していた

 一方、慌てたのは私だ。いや、慌てたというよりも、驚いていた。


「正体ってそれ? 女将さんが何の動物かわかったんじゃないの!?」


 思わず、口にしてしまった。そして、しまったと思う。

 女将さんに聞かれただろうか。恐る恐る女将さんの様子を見るが、まだ笑っている。気づかれていないようだ。


「アハハハハ、楽園ジ・エデンって! そんなわけないじゃない。

 私のジェーデンはあなたたちと一緒よ。6号エナムちゃんや12号ラビン=ダラワちゃんと同じで、単に1号ジェーデンってだけなの。深読みされても困っちゃう」


 ひとしきり笑うと、また冷たい目線を送る。その先にいるのは、ラビンではなく私だ。


「それで、エナムちゃん。あなたは私の正体がわかったの?」


 やはり、聞かれていた。こうなると、私の考えを述べなくてはならない。


「いや、あの、私には女将さんが何の動物かわかりません。というか、わかるものはいないんじゃないでしょうか。なんていうか、観測者がいないのではないかと……」


 私の言葉にジェーデンの女将さんは笑わない。ただ、その視線が痛いように突き刺さった。


現在いまは2023年ではないと、シューニャから聞きました。私には今が何年かはわかりませんし、おそらく、誰も数えていないのでしょう。

 けれども、過去2023年に遺された遺伝子情報から復元された動物の仔たち私たち以外にも、現在を生きる動物はいるはずです。この時代に適応して進化してきた動物が。

 女将さんはそうした動物から改造進化させられた動物の仔なのではないですか?」


 何の動物かわからない。現在は2023年ではない。この二つから導き出した答えだった。

 見当違いな予想だと、女将さんが笑ってくれるなら、それでも良かった。けれど、女将さんは笑わない。


「そうよ。私のしゅは誰からも観測されていない。ただ生きて増え、死ぬだけの動物よ」


 バサっと女将さんは背中に生えているヒレを動かした。ヒレはまるで花びらのように顔を中心にして広がる。その姿は、まさしく花のように美かった。

 いつも感じていた花のような香りは、それまで以上に濃く感じるようになり、思わず我を失いそうだ。


「たぶん、ラビンちゃんと同じ、蝙蝠から進化した動物なのだと思うわ。手のひらの水掻きは翼の名残のようだし。それにこの鉤爪。もしかしたら、木を登るためかもしれないけど。物を掴んでいた蝙蝠の影響かもしれない。

 何より、蝙蝠は哺乳類の中で最も豊富な多様性を獲得した種だもの。進化の幅が広いのよ」


 女将さんは私の予想を肯定していた。

 彼女の姿は花に擬態したものなのだろう。おそらく、その姿と香りに吸い寄せられた昆虫や鳥を捕食していたんじゃなかろうか。


「なんだ、俺の予想は見当違いだったか……。けど、何か手掛かりは得られたように思う」


 しばらくの間、意気消沈していたラビンだが、女将さんの姿を見て、元気を取り戻した。その美しさに英気を養ったのか、あるいは新たなアイデアを得たのか。


 私たちはすごすごと食堂を去る。

 その様子を眺めて、ジェーデンの女将さんはようやく笑った。


楽園ジ・エデンね……。なかなか面白いじゃない」


 扉を閉じる瞬間に声が聞こえる。その声は普段聞くものより、トーンの落ちた、低いものだった。


          ◇


 ジェーデンの女将さんが何の動物なのか。その答えに一応の終止符がついたのではないだろうか。

 予想通りだった読者も予想の外れた読者もいたことだろう。


 しかし、シューニャの意志が最初に改造進化させた動物が現在の動物だったとして、何かわかることがあるだろうか。

 むしろ、なぜその後に過去2023年の復元を行うことにしたのか、それが気にかかる。シューニャに意志にどんな意図があったというのか。


 それに、女将さんは花のような姿と甘い香りで獲物を引き寄せる生態だった。だとすると、今、女将さんが獲物を引き寄せるために使っているのは……。

 いや、これは穿ったものの見方に過ぎないだろう。考えるべきではないだろう。


 シューニャの意志がどこにあるのか。その謎はこれから解き明かすとして、次回は漁り猫スナドリネコの登場となる。

 歴史上、人類の友として進化してきた動物ではあるが、グルメにはどんな感覚を持っているのだろうか。

 期待してもらえると嬉しい。


 それでは、また来週、この時間、この場所でお会いできることを願っている。

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