第二十一話 兎のグルメ
「よっ、エナム。待たせたんじゃねーの?」
大分遅れて現れたシエントウノ・コネーホは悪びれた様子もなく、そう言った。どうにもチャラい男だ。
彼はアナウサギの仔で、ピンと立った長い耳が特徴だ。全身は茶褐色の毛で覆われており、縦に割れてY字状になった口が印象に残る。
そういう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。
ここアニマルアカデミーで動物たちの食レポを記録している。さまざまな動物たちと会い、その食性を観察するのがミッションだ。今回はウサギのシエンが対象となる。
「まあ、まあ、そんなんは言いっこなしっしょ。俺たち小型の動物は、進化改造で無理やり大型化させられたから、エネルギー効率をどうするか困ってんのよ。ちょっと遅刻したくらい、大目に見てくれなくちゃ」
そう言われてしまうと、私としては反応に困る。
私は若干の小型化はされているが、サイズ感でいえば本来の野牛とそうは変わらない。大きくサイズ変更された動物の苦悩は私では理解できないからだ。
「ハハッ、まあ、そう考え込む必要はないでしょ。俺たちは俺たちで楽しくやってんだからよ。エナムはいい奴だな。けど、真面目過ぎると苦労するばっかよ」
シエンがそんなことを言う。余計なお世話というものだ。
しかし、小型の草食哺乳類がどんな食事をするのかは興味深いところ。ジェーデンの
「それよ、それ。俺、女将さんの料理は食べたことないんよ。すっげぇー楽しみにしてんだぜ」
そう言うと、シエンは目を輝かせる。そうしていると、ウサギらしい愛らしい顔つきなのになと思う。いちいち、言動が軽すぎるんだ。
「ままっ、早く食堂に行こうぜ。ウサギってのはすぐ腹が減るんだ」
その言葉に促され、私たちはジェーデンの女将さんの食堂へと向かっていった。
◇
カランカラン
食堂の扉が開くと、女将さんが振り返る。そして、私たちに気づくと、その気っ風のいい笑顔を向けてくる。
「あらぁ、エナムちゃん、シエントウノちゃん、いらっしゃい。お料理の準備できてるのよ。座って待っててね」
女将さんの言葉に、シエンもまた笑顔を返す。
「女将さん、お久しぶりっす。いやぁ、相変わらず美人ですねぇ。それに花のようないい香り。どこの香水を使ってるんすか」
おい、ナンパしようとすな。
この感じ、誰だかを思い出す。そうだ、カエルの
「モモっちね。あいつと俺はマブよ、マブ。よく遊んでんのよ」
変なところで繋がりがあるものだ。肉食の両生類であるカエルと草食の哺乳類にどんな関係があるというのだろう。
そういえば、ウサギと人間は年中発情期なのだと聞いたことがある。そんなことも影響しているのだろうか。
「そりゃどうかなあ。自分じゃわからんもんよ。綺麗な女に声をかける、それのどこが悪いのかねー」
まあ、いいや。そんなことよりビールを選ぼう。
私がカタログを取り出して眺めていると、シエンもまたカタログを持ってきてビールを選び始めた。
「そういや、これ飲んだことないな。なんか、悪いイメージあって」
私が今日飲むビールを決めた。すると、シエンもまた決めたようだった。
「へへっ、俺もエナムと同じやつかもなー。なんか思うとこ一緒かもねぇ」
なんだ、気持ちの悪い奴。
果たして、同じビールを選んだのだろうか。
◇
プシュッと缶を開けた。なんとなく、今回は缶のまま飲んでみることにする。
なんという運命のいたずらか、私とシエンはどちらもコロナビールを頼んでいた。
「かんぱーい!」
私とシエンが声を上げて、缶を掲げるとお互いの感をカチンと合わせる。そして、ビールを一息に飲んだ。
炭酸の刺激とともに、豊かな風味が広がる。少し辛口か。スッキリしていて飲みやすい。
「イェー、やっぱビールだねー。ゴクゴク飲めるぜ」
シエンも一息で飲んでいた。大丈夫なのか。ウサギの体質でアルコールの分解はどうだったかな。
「ヘヘッ、問題ないさ。気にない気にすない」
なんとなく呂律が回っていない気もするが、まあ、そこまで心配しなくてもいいか。
「はい、まずはサラダよ。よく味わってね」
置かれたのは、千切りにされたニンジンをドレッシングで絡めたシンプルなサラダ、キャロットラペだった。
「おおぉ~、ニンジンじゃねーの。さすが、女将さん、気が利いてるね。最高のサラダじゃん」
やはりウサギだけありニンジンが好きなのだろう。
食べてみる。ニンジンの甘さがドレッシングによって引き立てられている。シャキシャキした食感には堪えられない楽しさがある。これは美味しい。
それに、このコクはオリーブオイルだろうか。ドレッシングの出来もよく、全体が引き締まった味わいになっている。
「それそれ! これ、めちゃ美味いじゃん。ほんと、最高だよ」
シエンは口をバッテン状に広げながら、キャロットラペを口に入れ、はむはむと咀嚼していく。この食べ方はウサギならではの特徴といっていいだろう。
それにしても、シエンは私の食レポに乗っかる形か。ちゃんと自分の言葉で説明してほしいんだけどな。
「きちぃこと言うねぇ、エナム。そうだなー。
このねぇ、千切りにされてるのが食べやすいのよ。俺たちウサギってよ、実は口小さいのよ。広がりはするんだけど、齧りつけないっていうか。だから、細かく切ってくれてるのはすごい嬉しい。それだけで、俺のこと気遣ってくれてるんだってわかるわけよ。
あとは……なんだ。まあ、味についてはエナムの言った通りってとこで」
なるほど、食べやすさか。それもまた、料理において重要な要素なわけだ。それにも配慮するとはさすがは女将さんといったところだろう。
「ふふっ、喜んでくれて嬉しいわ。さあ、次のお料理よ」
そう言って、次に持ってきたのはキッシュだった。ニンジンを始め、キャベツ、ほうれん草、ブロッコリー、キノコといった具材がひしめいている。
「今回は卵の代わりに豆腐を使ったのよ。それに生地にはココナッツを使っているの。シエンちゃんでも問題なく食べられるはずよ」
ウサギは代謝が良すぎるため、穀物はあまり食べられないらしい。だから、女将さんはココナッツで代用したのだろう。また、ウサギには動物性たんぱく質は栄養過多になりがちなので、卵ではなく豆腐を代用したようだ。
「配慮あざっす。これまた美味しそうだよねぇ」
キッシュはパイに似ているが、お菓子ではなく、ケーキ状のおかずともいうべき料理だ。
まずは一口。野菜のさまざまな旨味が押し寄せてくるような、絶妙な味わいだった。それをまとめるのは豆腐とココナッツ。ふんわりとした食感とサクサクした食感で、食べ応えもある。それらの要素がしっかりとまとまっており、何とも言えない美味しさなのだ。
「そうそう、めちゃ美味いよ、コレ」
シエンがバッテンになった口をもごもごと動かしながら同意してくる。
だから、自分でも食レポしてくれんもんかね。
「んなこと言ったって、エナムが全部言ってんじゃん。食感もいいし、野菜も美味いし、言うことなし。これは幸せの味よ」
具体的な言葉は出ないが、まあいいか。満足しているなら、それはいいことだ。
私ももぐもぐとキッシュを食べる。食べ飽きない味わいがある。いつの間にかキッシュは食べ終わっていた。しっかりとした満足感があった。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
そう言うと、シエンが席を立つ。しばらくすると、戻ってきた。
そして、もぐもぐと何かを食べている。ん? キッシュはもうなくなっているはずだが。
まさか、排泄物を食べているのか?
「そういう言い方はよくないっしょ。そんなのは人間の価値基準に過ぎないんじゃね。俺たちウサギは本当に排泄する場合と、もう一度食べるために出すものがあるだけだっつの。
あんたら牛は胃の中のものを戻して、再度咀嚼する
そういうものなのか、まあ、それ以上触れないのが優しさかもしれない。
◇
ウサギのグルメはここまでとなる。食レポを期待した人の中にはショッキングな内容と受け取った人もいるかもしれない。けれど、ウサギの価値観では普通のことなのだ。鷹揚の気分で受け止めてあげるのが正しいのだろう。
牛の仲間たちは胃を複雑化し、反芻を取り入れることで、消化の効率を最大限に高めている。それに対し、ウサギが発達させたのは
盲腸は小腸と
シエンが反芻の代わりだと言っているのは、そういうことのようだ。認めたくないものだが。
ウサギのする排泄物には硬便と盲腸便とがあり、硬便が本当の排泄物であり、盲腸便は消化の途中のものというべきなのだろう。
だから、人間や牛の価値観で食糞していると思うべきじゃないのかもしれない。
さて、次回は久しぶりに魚類の登場となる。マグロのグルメというべき内容になるだろう。
魚類の中でも最も進化が先鋭化しているといわれるマグロである。どんなグルメがあるのか楽しみにしてもらいたい。
それでは、また来週、この時間、この場所でお会いできることを願っている。
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