第二十話 ヒポポのグルメ

「エナムくん、ここよ」


 テンションの低い、気だるい声がする。

 その場にいたのは、ずんぐりとした巨体だった。大きな顔から突き出た、大きな鼻、大きな口。二足歩行で立っているのは進化改造させられたからだ。日光に弱い生態はそのままなのか、日差しを避けるために日傘を差している。

 カバの仔、スィティーニ・キボコだった。


 そういう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 ここアニマルアカデミーで動物たちの食レポを集める仕事をしている。さまざまな食性の動物たちだが、意外な共通点があったり、逆に特異な食べ方や感性があったりと、なかなか面白いものだ。


 今回のスィティーニであるが、前回に引き続き、鯨偶蹄目くじらぐうていもくの動物である。陸上で暮らす大型の哺乳類は大部分がこのもくに属してはいるが、その中でも、前回登場したシャチの仲間である鯨類とは最も近縁に当たる。

 カバのグルメを通して、我々野牛や偶蹄目の動物とは何なのか。それを考える一助になれば嬉しいものだ。


「あら、ただの食レポじゃなくて、随分と立派な催しだったのね」


 スィティーニが囁くような力のない言葉で呟く。

 むむ、少し気負いが過ぎただろうか。


「そんなことないけど。ただ、私についていけるかなって思うだけ」


 スィティーニはやはりやる気のなさげな声で呟いた。


「私はいつもこうだから。あまり気にしないで」


 そういうことだ。彼女はこういうテンションだと思ったほうがいい。

 そういえば、前回、シャチの胃袋は四つだと言っていた。牛も同様に四つである。カバの胃はいくつあるのだろうか。


「カバは三つよ」


 スィティーニはぼそっと呟く。

 まさか、牛やシャチに共通する四つではなく、三つだというのか。とすると、カバとクジラの共通の祖先は胃が四つあり、系統が分かれてから三つになったのがカバなのだろうか。あるいは、もともと三つだったのが、海中で進化して、クジラたちは四つやそれ以上の数に進化したのか。

 何にせよ、鯨偶蹄目の動物が胃の数を変化させやすいという私の考えは真実に近そうだ。


「考え込んでるところ悪いんだけど、お腹すいちゃった。早く、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に行きましょ」


 気だるげにスィティーニが囁く。

 それもそうだ。このレポートの目的は食事。女将さんを待たせないうちに食堂へ行かなくては。


      ◇


 カランカランと扉に取り付けられた鐘が鳴った。ジェーデンの女将さんが振り返る。そして、私たちに朗らかな笑顔を向けてくれた。


「あらぁ、エナムちゃん、スィティーニちゃん、いらっしゃい。席について待っててね。すぐ料理を出すから」


 ホッと安心する。今日の女将さんからするのは花のような甘い香りだけだ。前回のような異臭はなかった。

 今回は平穏な気持ちで食べることのできるメニューが出るはずだ。


「そんなだったの? 前回のメニュー」


 スィティーニがぼそっと呟く。まあ、あの強烈な刺激は味わったことのない者には説明しづらいところだ。体験しないにこしたことはないと思うのだが。


「なんか、そう言われると興味出ちゃうな」


 不吉なことをダウナーな口調で囁かれる。なんとも、ゾッとする光景だ。

 だが、そんなことより、やることがある。今日飲むビールを何にするかだ。


「これでしょ、カタログ。なんでもいいけどさ、聞いたことのあるブランドでいいんじゃない。

 あ、これ、知ってる。バドワイザー。これでいいでしょ」


 あっさりと決まってしまった。料理が来るまでの間、若干、手持ち無沙汰になってしまうだろう。


「そんなこと言わなくていいんじゃない。楽しくお喋りしましょ」


 スィティーニは気だるげな声でそう言った。


      ◇


「乾杯」


 私とスィティーニがビールがなみなみと注がれたグラスをカチンと合わせた。そして、一息に喉元に流し込む。

 甘さとハーブの香りが口の中に押し寄せてくる。次いで、炭酸の柔らかな刺激。うん、抜群に美味いとは言わないが、ビールとはこんなものかもしれない。いや、ちょっと甘すぎるか。


「スッキリしていていいんじゃない。私は好きよ」


 スィティーニはぼそっと呟く。

 牛はアルコールを体内の微生物が吸収し、栄養とする。なので、ビールを飲むと体調がよくなるのだ。カバも同じなのだろうか。


「はい、まずはサラダよ。たくさん食べてね」


 置かれたはサラダ、これは水草だろうか。私の前に置かれたのは水草を持った一般的なサラダだが、スィティーニにはボウルが置かれ水の中に水草が入れられている。河で暮らすカバをイメージしたサラダなのだろうか。


「ふふ、これ、すごい気が利いてる」


 そう言うと、スィティーニはその巨大な口を開いた。鋭い犬歯が剥き出しになる。そこへと水草のサラダを流し込み、はむはむと咀嚼を始めた。

 カバの歯はそんなに多くないように見えるが、ちゃんと咀嚼できるのだなと感心する。


「前歯は確かに少ないけど、奥歯は多いのよ。犬歯が目立つし、かなり奥にあるから」


 なるほど。遠縁とはいえ、牛の仲間だ。反芻はできないらしいが、きっちりと草食に順応しているのだろう。


「でも、このサラダ、美味しい。水草の配合が抜群なのよ。ウィローモスの繊細な葉、アヌビアスの歯ごたえたっぷりの味わい、クリプトコリネのアクセント。そのどれもが絶妙な旨味が合って、それが巧く組み合わさってる感じ。それにこの水も旨味が溶けていていいドレッシングになっているのよ」


 スィティーニに倣って、私もサラダを食べる。確かにその組み合わせは見事なものだった。いつまでも食べていたいと思えるサラダだ。

 私はサラダの美味しさを噛みしめ、飲み込み、反芻して、さらなる旨味を味わう。


「はい、これがメイン料理よ。味わって食べてね」


 サラダを食べ終わるタイミングを見計らって、ジェーデンの女将さんが新たな皿を持ってきた。香ばしい匂いと沸き立つ湯気で温かい焼き物が乗っていることがわかる。


「これはニュマチョマね、ケニアの家庭料理よ」


 スィティーニがボソッと言う。私の知らない料理だが、焼き肉のように見えた。その横にはイモをマッシュしたものやニンジンやキュウリのスティックが添えられている。


「そう、スワヒリ語でそのまま焼肉を意味するの。スパイシーな味付けが特徴かな」


 そのまま焼肉だった。しかし、カバは草食のはずだが、肉も食べるのだろうか。ジェーデンの女将さんがそこを考えないはずはないのだが。


「お肉も好きよ。カバはだいぶ草食だと思うけど、肉も食べないわけじゃないの。野性のカバは状況次第では狩りもしたっていうしね」


 そうだったのか。牛も完全な草食とはいえないけれど(そもそも完全な草食、完全な肉食なんてあり得ない)、カバはだいぶ肉食に近いというのか。雑食よりの草食というべきなのだろうか。


「そうかもね。でも、このニュマチョマ、美味しいよ。ハーブの香りが堪らなく食欲を湧きたたせてくれる。なんていうのかな、風味が豊かなのよね。これはニュマチョマの特徴でもあるけど、女将さんの腕もあるんじゃないかな。羊肉の香りも相まって、なんかどんどん食べてしまう」


 カバの食欲はだいぶ強いようだ。我々牛とは違い、反芻をしないため、その分多く食べる必要があるのだろう。

 私の皿に盛られた羊肉はそれほど多くない。それをマッシュポテトと一緒に食べる。確かに、香り豊かな味わいだ。肉の旨味も強く感じた。油がジュワッと押し寄せる。それを中和するのがマッシュポテトだ。淡白な味わいがこういう時に嬉しい。だが、普通のマッシュポテトよりクリーミーな味わいに感じる。


「これはタロイモね。ジャガイモより滑らかな味わいだと思う。この横のトマトはカチュンバリ。パクチーで味付けしたサラダよ」


 スィティーニに促されるままに、カチュンバリも食べる。パクチーの香り高くクセの強い味わいがトマトの旨味と酸味と合わさり、何とも言えない味わいだ。

 これを羊肉といっしょに咀嚼する。うん、いい組み合わせだ。互いの良さを引き立てるように、それぞれの味わいが増幅される。肉はそんなに食べたくないが、たまになら食べたい美味しさといえるだろう。


「はい、デザートよ。楽しんでくれると嬉しいな」


 ジェーデンの女将さんが最後の料理を持ってきた。グラスの中にフルーツとヨーグルトが何層にもなって入っている。ヨーグルトパフェだ。


「あはっ、これも美味しそう。やっぱり、食後はデザートよね」


 あまり表情の動かないスィティーニが笑顔になった。やはりスイーツには食べるものを和ませる魔力がある。

 スィティーニは早速スプーンを動かし、パフェに手をつける。パフェの上層はバナナとマンゴーのジャム、その下にはヨーグルト。


「甘~い。バナナもマンゴーも甘くて柔らかくて、すっごい幸せな気持ちになる。ヨーグルトは酸味もあるけどほのかな甘さがあって、バナナとマンボーの味わいをクッションのように受け止めてくれる。これは100点。100点のパフェじゃない」


 今日一番のテンションでスィティーニが捲くし立てた。それだけ感動しているらしい。

 私もヨーグルトパフェを食べる。ヨーグルトは美味しい。優しい味わいがフルーツを包み、その甘さを時に引き立て、時に受け止める。甘いものというのは幸せな時間だ。それだけエネルギーの詰まった食べ物なのだろう。


「エナムくん、そんな分析、野暮じゃない。甘いものを食べると幸せ。それでいいのよ」


 スィティーニは幸せそうな表情でヨーグルトパフェをバクバクと平らげていた。


      ◇


 さて、これでカバのグルメを終えようと思う。

 牛とは何か、カバとは何か、クジラとは何か。それを考える一助になっただろうか。


 当然のことというか、草食の哺乳類は肉食の哺乳類から進化して、植物を消化する能力を獲得している。だとしたら、鯨偶蹄目の動物もまた、元来は肉食動物だったのではないだろうか。

 地上では、鯨偶蹄目の肉食動物は淘汰され、草食動物だけが残った。食肉目、すなわち猫の仲間があまりにも肉食に適していたため、競争に敗れたのだろう。


 その名残は、海洋へと逃れたクジラたちにのみ残っている。そう思っていた。

 けれど、カバの肉食性の強さを考えると、地上にもまだその名残はあったのだと感じられる。

 鯨偶蹄目は広いグループだ。また、別の仲間を紹介することもあるかもしれないが、今回でひと段落にできればと思う。


 次回は兎のグルメをお贈りする予定だ。小型の哺乳類を紹介するのは初めてかもしれない。彼らの食事の事情がどうなっているのか、何を好んで食べ、どんなグルメを持つのか。期待してくれると嬉しい。


 では、また次回、この場所、この時間で会えることを願っている。

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