第十九話 オルカのグルメ

「よう、エナム。時間通り来たか。しかし、今日は暑いな」


 いつもの待ち合わせ場所で、ソラーク・コサートカが声をかけてきた。

 流線形の美しいラインをした肉体、白と黒のはっきり分かれた体色、それにつぶらな瞳。その尾鰭おびれは二股に分かれた足に改造進化されている。彼はシャチの仔であった。

 シャチといえば海洋における無慈悲な捕食者として知られ、サメでさえ敵うことのない、海のギャングと呼ばれている。


 そういう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 ここ、アニマルアカデミーでの役割は、さまざまな動物たちの食レポを集めることである。

 そして、今は真夏。灼熱の日々が続いていた。こんな公園を訪れるだけでも汗だくになってしまう。本来は海洋生物であるソラークは相当につらそうに見える。


「おいおい、海のギャングとは随分な言い方だな。俺たちは海洋の生態系の頂点に立つ存在だぜ。海の王者と呼んでほしいものだ」


 そこが気にかかるとは、随分と自信家のようだ。だが、シャチはクジラさえチームワークで狩り、特定の天敵を持たない生態トライアングルのトップに位置する。そう考えても無理はないのかもしれない。

 ただ、この場所は地上であり、無理やり足を作られた身ではそれもまた違う話だろう。


「ああ、まったくだ。海の王者というのも昔の話。これじゃ、おかに上がったカッパだよ」


 ソラークの言い様は意外に殊勝で、奇妙なおかしみがあった。


「ははっ、河童か。これはいい」


 その言葉がなんだかツボにはまり、私は笑い転げた。その様子をソラークは訝し気に眺める。


「そんなに笑うこともないだろう。お前だって、二足歩行になんてさせられて、食生活だって野生のものとはいえず、考え方だって変わったはずだ。お前が笑える立場なのか」


 それはもっともなことだ。しかし、私の笑みはそうした自虐的なものも含んでいる。ソラークの物言いがそうした私たちのおかしさを指摘しているようで、妙に面白くなってしまったのだ。


「そうかよ。じゃあ、一つ、俺からもヒントを出すことにしよう。

 シューニャの正体を探ろうと思ったら、まずはジェーデンの女将おかみさんの正体を見つけることだ。それがシューニャの思惑を読むきっかけになるだろう」


 ジェーデンの女将さん。確かに、正体不明の動物である。だが、そのことがシューニャの正体にまで直結するのだろうか。

 いや、行動の痕跡には思惑が残るものだ。それを探れば、あるいは……。

 しかし、ソラークはその真実を知っているのだろうか。知った風なことを言ってはいるが。


「まあ、三津みつさんの入れ知恵さ。三津さんも俺もあんたには期待しているんだぜ」


 同じ海洋生物としてのつながりがあるということか。三津さんも女将さんの正体を知っているのか、あるいは、その正体にシューニャにつながるものがあると睨んでいるということだろう。

 いや、あまり考えてもしょうがない。私はソラークを促し、ジェーデンの女将さんの食堂へと向かうことにした。


      ◇


 カランカラン


 食堂の鐘が鳴る。それに気づいたジェーデンの女将さんが振り返った。朗らかな笑顔で私たちを迎えてくれる。


「あらぁ、エナムちゃん、ソラークちゃん、いらっしゃい。ソラークちゃんの好きなものは覚えているのよ。期待して待っててね」


 そう言うと、笑顔のまま、厨房へと消えていく。

 だが、今日の女将さんの臭いは強烈だった。いつもは花のような甘い香りをしているのが、その香りが打ち消されて、キツい匂いしか残っていないようだ。


「そうかな。俺には良い匂いのように感じられるけどな」


 マジか。これがいい匂いだと受け取れるというのはどういう感性なのだろう。

 いや、食べ物は慣れることが大事だという。慣れ親しんだ食べ物は美味しく感じられるものだ。ということは、ソラークはこれから出てくる料理を食べたことがあるのだろうか。


「別に食べたことはないと思うぞ。でも、なんか美味しそうな匂いじゃないか」


 そんなものなのだろうか。まあ、いいや。

 あまり気にしないことにして、ビールを選ぶことにした。カタログを広げる。


「お、これいいんじゃないか」


 開いたページにあったビールをソラークが指さす。そうだ、彼の胸ビレは長く伸び、五本の指に分かれているのだ。これも進化改造の成果である。

 そこには、銀河高原ビールがあった。どうも、ソラークには縁遠いビールのように思える。


「だから、いいんだよ。俺には銀河も高原も縁がない。だからこそ、飲んでみたいんじゃないか」


      ◇


「かんぱーい」


 グラスに琥珀色のビールが注がれていた。そのグラスをカチンと合わせ、ビールを一気に喉元に流し込む。

 甘い。ハーブの香りとともに、甘さが前面に広がっていた。銀河高原ビールというから、高原のような澄み切ったビールをイメージしていたが、いまいち爽やかじゃないな。


「これがビールか。水みたいなもんだな。だが、このシュワシュワした感覚は面白い」


 ソラークはそもそもビールを飲んだことがなかったらしい。そもそも、炭酸自体初めてなのかもしれない。

 だが、そんなことはどうでもいいと思うほどの臭気が漂ってきた。それを持ってきたのはジェーデンの女将さんである。


「はい、お料理もってきたわよ。どうぞ召し上がれ」


 ドンと料理の入った皿を置く。そして、おもむろに蓋を取った。

 むわぁ~とした臭いが充満する。蓋の中にあっても臭かったのが、蓋を開けるとそれが直接刺さってくるようだ。

 衝撃的なのはそれだけではない。皿の上には、アザラシが丸々乗っていた。女将さんはその腹をナイフで裂くと、鳥のようなものが出てきた。


「本当はここから鳥の羽を毟る工程があるんだけどね、お客さんにさせるわけにはいかないから、もう済ませてあるのよ」


 そう言って、発酵した海鳥の塊をソラークと私の皿に取り分けていく。うっ、私の皿にも置くのか。

 これは、あれだ。キビヤックというやつか。アラスカに住むイヌイットの部族によっては、こうした発酵食品を作るのだという。アザラシの腹を開き、内臓や肉を取り出して、アパリアスという海鳥を詰め、油を塗って地面に埋める。そうして数カ月、長ければ二年ほど発酵させ、ようやく出来上がるのだ。


「これは美味しそうだ」


 ソラークは臭いはまったく気にならないようで、そのままキビヤックを口に入れた。

 あっ、まさかシャチって嗅覚がほとんどないのか?


「いやあ、実に濃厚だよ。塩気もたっぷりなのは、俺たち海の生き物にとってはありがたいね。ドロリと溶けた海鳥の食感もいいし、酸味もたっぷりだ。喉越しもいいね」


 海洋に住むシャチは嗅覚が退化しているんだ。味覚も、甘味や旨味を感じないと聞いたこともある。

 だから、キビヤックがちょうどよい御馳走になっているんだ。


「そうなのか。だが、確かにこのキビヤックは美味いな。歯も舌も喉も、いくつかある胃も喜んでいるようだよ」


 ん? シャチは胃が複数あるのか? 肉食動物なのに?


「確かに、肉食動物ではあるが、お前ら牛と同じ、鯨偶蹄目の仲間でもあるんだ。不思議はないだろう?

 お前の胃はいくつあるんだっけ。俺たちは四つある。食物を砕くための第一の食道胃、消化液で分解する第二の主胃、食物の流れを制御する第三の幽門胃、それに小腸の補助として栄養を分解する十二指腸膨大部だ」


 胃の数は牛とまったく同じだ。だが、その役割はまるで違う。

 牛の場合、第一の胃は微生物による発酵、第二の胃は反芻のために喉元へ戻す役割、第三の胃で消化し、第四の胃は最終的な消化と栄養の分解をする。

 とはいえ、胃が複数あるということは、まるで違う進化を辿ったわけでなく、近い進化を辿ったのだろう。


「しかし、地上の鯨偶蹄目はみんな草食だ。牛もそうだが、鹿、キリン、カバ。それに対して、海洋の鯨偶蹄目、クジラ、イルカ、シャチはみんな肉食だ。なぜなんだろう」


 ふと、話をしながら思い浮かんだ疑問を口にしていた。

 それに対し、ソラークはふと考えこみ、そして言葉を紡ぎ始めた。


「進化っていうのは環境ニッチに適応することだ。海洋に植物なんてないからな。海草は沿岸でしか手に入らない。海洋で生きていくには肉食にならざるを得ないのさ」


 それは考え方として正しいだろう。

 けれど、クジラ類の近縁とされる絶滅動物、メソクニスは肉食だったという。そもそも、地上の偶蹄目も最初は肉食だったはずだ。その中から草食に進化するものが出てくる。

 鯨類は肉食だったため、海洋に適応しても生きていけたというべきか。あるいは、草食だったのが、海洋に適応するために肉食に進化したのか。

 もっといえば、地上の肉食の偶蹄目はほかの肉食動物との競争に負け、草食への進化を辿らなかったものは絶滅してしまっている。進化というのも、実に奇妙な運命を進むものだ。


「そうだな。何百万年、何千万年もの道筋だ。正確なところなんて、なかなかわかるものじゃない」


 ソラークが考え込みながらも、そう呟いた。


「あらぁ、盛り上がっているのね。うふふ、親戚同士みたいなことだからかしら。

 お料理の続きを持ってきたのよ。キビヤックを絡めて食べてね」


 そう言うと、私には焼き野菜を、ソラークには焼いた肉を置いた。


「女将さん、俺は肉にはうるさいんですよ。残しても怒らないでくださいね。

 ……って、これ! アザラシの肉じゃん。大好物ですよ。これはテンション上がった!」


 ソラークはすでに喜んでいる。

 私の元に置かれたのは、キャベツ、ブロッコリー、カブ、ニンジンといった焼き野菜だ。美味しそうであるが、キビヤックと絡めることを考えると、憂鬱な気分になった。


「エナムちゃん、無理しなくていいけど、でも、気に入ってもらえると思って出したのよ。試してもらえると嬉しいな」


 女将さんにそこまで言われては、食べないわけにはいかない。

 キャベツをキビヤックの液状化した部分と絡めて、口に入れた。


「ん!」


 思わず、声が漏れた。それほどに美味であった。

 確かに濃厚な味わいだ。まず、塩味が強いが、それはキャベツをたくさん食べることで緩和する。そうして食べ続けていると、さまざまな旨味、酸味、甘味が破裂するように襲ってきた。新感覚の調味料のようでもある。これは実に奇妙な食の体験だ。


「いやいや、美味いぜ。アザラシ肉は。滑らかな味わいだよ。それがキビヤックと絡むことで、塩気もたっぷりになって、酸味もいいし、美味いんだな」


 人間の言語とシャチの感性の相性が悪いらしく、少し歯切れが悪いが、ソラークはその味わいを絶賛している。


「うふふ、エナムちゃんもソラークちゃんも喜んでくれて嬉しい。

 さあ、デザートよ。暑い日はやっぱりこれよね」


 私たちのテーブルにかき氷が置かれる。私の前にはいちごのシロップの乗ったかき氷が置かれ、ソラークの前にはぶつ切りにされた魚が散りばめられている。

 こんな暑い日にはやはりかき氷が美味しい。いちごのシロップもただのシロップではない。実際にいちごを砕いて、シロップで漬けたものが入っているのだ。こんな贅沢なかき氷はそうそうないだろう。


「いやぁ、これは本当に嬉しい。冷たくて美味しいなあ。イワシが入っているのもいいぞ。わかってるなあ、女将さん。本当に俺の好みをわかっているんだな」


 ソラークもご満悦だ。こんな暑い日はかき氷に限る。


      ◇


 これで、オルカのグルメを締めたいと思う。

 意外に思った人はいるだろうか。我々牛とシャチは同じ祖先を持つグループに属するのだ。ウシ目といったり、偶蹄目といったりと変遷の多いグループであり、今なお研究の進歩が著しい進化グループである。


 特に興味深いのは、シャチも牛と同じく胃が四つあることだろうか。なんでも、クジラによっては十以上の胃を持つものもいるらしい。

 そう考えると、鯨偶蹄目に属する動物は、胃の数を変化させやすいのかもしれない。

 胃を増やせるというのはエネルギーの吸収効率を上げるという、重要なアドバンテージがある。草食動物であれば、反芻を獲得し、草木のエネルギーを限界まで引き出す。元来、エネルギーを吸収しやすい肉食動物でも、より効率を上げ、毒素を退ける役割を担うのだろう。


 さて、次回はカバのグルメとなる。シャチと同じく鯨偶蹄目の仲間である。ここに来て、他種の生体を鑑みることで、仔牛のグルメがどんなものなのか、浮き彫りにしようとしているのかもしれない。

 カバはカバで面白い生体の動物なので、そこも楽しみにしてくれると嬉しい。


 では、また来週、同じ時間、同じ場所で会えることを願っている。

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