第二十二話 マグロのグルメ
待ち合わせ場所に来ていた。いつもの公園ではなく川べりだ。今日はあいにくの雨だが、夏の暑さが弱まり、涼しくなったように感じる。
まだ、待ち合わせの相手は来ていない。いつ頃来るだろうか。そう思案した時、川の水面がゴポゴポとざわめいた。そして、ザパァ―と水が噴き上がり、そこから流線形の肉体を持つものが現れた。
「やっほー、エナムくん。待ち合わせ時間通りかな?」
どこか青みがかっているが、黒い背中に白い腹、人間の手のように発達したヒレ。その姿はマグロから進化改造させられたマグロの仔、エイティ・サーザンブルーフィンであった。
そういう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーでさまざまな動物たちの食レポを収集することを任務としている。
今回は彼女、エイティのグルメだ。海洋における高次捕食者の一種であるマグロがどのようなグルメを嗜むのか、楽しみにしていただけると嬉しい。
「あ、そだ。これ付けなきゃ」
川から上がったエイティが何やら酸素ボンベのような器具を取り出して、背中に背負い、口元を装置で覆った。
肺呼吸に完全に適応させていないため、補助具が必要なのだろうか。そういえば、ウナギの仔、ウィッタはこんな装置を付けていなかったはずだけど。
「マグロは高速回遊魚だから、常に海水を循環させてなきゃいけないのよ。だから、それは外部装置に頼ってるってわけ」
そういえば、マグロは常に泳ぎ続けなくてはならないと聞いたことがあるな。その代わりに、補助具を使用しているのか。
「今日は少し肌寒いよね。でも、暑いよりはよかったかな」
そう言いながらも、走り回るように、すぐに先へ行ってしまった。随分と元気だ。
魚類は変温動物だから、涼しいとエネルギーが湧かないはずだけど、それとは無縁のように見える。
「あーっ、エナムくん、それは古い考え方だよ。恒温動物だとか変温動物だとか、動物はそんな単純に分けられないって知らないのかな。
私たち、マグロの仲間は特殊な筋肉の構造をしているから、動いた分発生した熱を体内に留めておけるんだ。だから、周りの温度にあまり影響を受けないのよ」
そうだったのか。いつの間にか知識が古いものになってしまったらしい。でも、そういうものかもしれない。人間は何かと動物に区別をつけ、大系を分けようとするが、動物というものはそんな単純でもない。
どこにでも曖昧な存在はいるし、
「そうねえ、確かに哺乳類と似てきてるとこはあるかも。それに一部のサメも同じように体温を保存するのよ。マグロとは全然違う動物なのにね」
それだけ体温の保存がすごい力だということだろうか。
「それはそうよ。やっぱり、周りに体温を影響される動物と違って、どんな時も全力を出せるんだから。その分、泳ぐスピードも泳げる範囲も全然違ってくるんだよ」
やはり、温度の保存はそれだけの価値のある能力ということだろう。しかし、その分、エネルギーの消耗もあるはずだ。つまり、腹が減りやすい。
私はエイティを促すと、ジェーデンの
◇
カランカラン
食堂の扉を開けると、扉に備え付けられた鐘が鳴る。その音に気づいて、厨房にいた女将さんが顔を出した。そして、朗らかな笑顔で私たちを迎えてくれる。
「あらぁ、エナムちゃん、エイティちゃん、いらっしゃい。ちょっと待っててね、すぐ準備するから」
そう言うと、女将さんは再び厨房に戻っていった。
残された私たちは席に座り、料理を待つことにする。
「あはっ、女将さんは相変わらず綺麗な動物だったね。でも、何の動物なんだろ」
エイティも疑問を抱いたか。もう何十回と言っていいくらい、この食堂に通っているが、一向に女将さんが何の動物なのか、私にはわからない。
哺乳類のようにも思えるが、背中にヒレがあったり、
「ふーん、エナムくんでもわからないんだ。不思議ね」
シャチのソラークはシューニャの意志を見極めるには、ジェーデンの女将さんの正体を明かすのが早いと言っていた。しかし、その正体なんてわかるのだろうか。
「直接、聞いちゃえばいいんじゃない。別に嫌がることじゃないでしょ」
エイティはそう言うが、どうも聞きにくい気がした。女将さんが嫌がるかどうかは彼女自身が決めることで、こちらで判断することではないだろう。話したければ、女将さんから話してくれるはずだ。
「エナムくん、優しいのね。大切なことよ。だけどね……」
エイティは何かを言いかけたが、止めた。
「そんなことよりビールでしょ。カタログ、取ってくれない?」
私はカタログを手に取って、エイティに渡した。すると、すぐに大きな声を上げる。
「あぁっ、これにしよ! 秋味だって。今日にピッタリじゃない?」
そうか、季節はもう秋になるのか。ビールも秋味が出てきているらしい。
そうなると、飲んでみるのもいいかもしれない。
◇
ビールをグラスに傾けると、濃厚な琥珀色の液体がなみなみと注がれた。
そのグラスを持つと、エイティのグラスにかち合わせる。
「かんぱい」
秋味ビールを飲む。爽やかな香りが広がる。炭酸がシュワっと喉元を通り過ぎる冷たい感覚。このためにビールを飲むんだなと思う。
ハーブの香りが豊かで、飽きのこない味わいである。食べ物と合わせるのもよさそうだ。
そう思っていると、女将さんが料理を持ってやって来た。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
そう言って、私とエイティの前にそれぞれ大皿を置き、さらに小皿を置く。さらに調味料を置いた。醤油だ。
大皿に盛られたのは刺身のようだった。といっても、私の皿には野菜の刺身が盛られている。もちろん、エイティには魚介の刺身が置かれていた。
「うわぁ、すっごい艶やかなお魚。なんだか、輝いて見えるよ」
大げさな言葉のようだが、実際に光って見える。いわゆる光物が多いのだろうが、それでも魚介の新鮮さとそれを殺さない包丁さばきによるところも大きいのだろう。まるで宝石のような輝きを持っていた。
野菜の刺身も美味しそうだ。
まずはカブを食べる。小皿に入れた醤油につけ、口に入れる。カブの瑞々しい香りと醤油の複雑な味わいのバランスがいい。シャキシャキした食感も魅力的だ。うん、これはいいものだ。
続いてズッキーニ。特徴的な香りが良い。水ナスの柔らかな口触りも美味しい。それにアボガドの濃厚さ。どれも美味しいものだった。
エイティの魚介の刺身はどうだろうか。
「うん、とっても美味しいのよ。
イワシの旨味が弾けるような美味しさ! ちょっとザラっとした食感もいいのよね。
アジの爽やかな風味も素晴らしいのよ。何個でも食べちゃえそう。
それに締め鯖。酢の香りと鯖の味わいがとてもマッチしてる。ふふ、笑っちゃうくらい美味しいのよ」
当然というか、魚介の刺身も美味しいようだ。
そこへ、再び女将さんが料理を持って焼てきた。香ばしい匂いがする。美味しそうな匂いだった。
「うわぁ、美味しそう。これは秋刀魚ね。あまり食べないんだけど、これは美味しそうね」
そう言うと、ジェーデンの女将さんが秋刀魚の塩焼きをエイティの前に置いた。そして、私の前には団子状のものを置く。
「はい、これならエナムくんも食べられるはずよ」
これも秋刀魚なのだろうか。私は少し困惑しつつも、女将さんのことだから、野牛の体に合ったメニューなのだろうと思う。
ただ、まずはエイティが食べる様子を見てみることにしよう。
エイティは秋刀魚に醤油をかけ、そこに大根おろしを乗せる。そして、一息に飲み込んだ。さらに、もう一匹同じように飲み込んでいく。
やはり、肉食動物はろくに咀嚼をしない。胃液の消化能力で一気に分解していくのだろう。
「うん、美味しい。香ばしい風味が堪らないし、焼き魚ならではの旨味ってあるよね。脂身もたっぷりで、味わいが濃厚だし、それに大根おろしを合わせると本当に堪らない。これ、何個も食べちゃうよ」
そう言うと、言葉通りに、いくつもの秋刀魚を飲み込んでいく。マグロの食欲とはなかなか恐ろしいものだ。
ついでだ。私も秋刀魚の団子を食べることにしよう。
口に入れる。これは秋刀魚を蒸した料理かな。
噛みしめるごとに、確かな旨味が伝わってくる。団子の中にはニンジンやサツマイモ、ほうれん草が混ざっていた。それに松の実やレーズンも入っていて、独特の香りと甘い味わいがある。レモンの皮やパセリも入っているらしく、酸味や爽やかな香りが複雑な味わいを醸し出していた。それらを秋刀魚の肉がまとめ上げており、絶妙な美味しさがあった。
うん、これなら殿様も目黒の秋刀魚をわざわざ所望せずに済んだだろうなと思う完成度だ。
◇
さて、こんなところでマグロのグルメを締めさせてもらいたい。
周囲の海温に影響されず、体温を保存するという進化を遂げた驚異の魚類。そのエネルギーを感じさせるものになっていたら嬉しい。やはり、熱とはエネルギーであり、エネルギーは力なのだ。力を制するものが食物連鎖の頂点に立つのだろう。
だが、それが必ずしもいいこととは限らない。捕食者には捕食者の、草食動物には草食動物の、そして草木には草木の役割があるのだ。
進化とはそれぞれの役割に適応すること。役割を持つ生き物は全て、その時点での進化の頂点といえる。そして、役割を失った生物は食物連鎖からひっそりと消えていくのだろう。
次回は亀が登場する。生態系において特殊な役割を果たす亀という生物を通して、正体化における役割とは何か考えていきたい。ウミガメのグルメというべき内容になるだろう。
では、また来週、この場所で、この時間にお会いできることを願っている。
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