第十七話 コアラのグルメ
「おい、こんなとこで寝てんなよ」
声をかけるが反応はない。仕方なく、肩を掴んで揺らした。
「……んー、だぁれぇ? あー、エナムくんかぁ。じゃあ、もうちょっと寝るね」
反応はあったが、また眠り始めてしまう。
彼女はフィフティン・コアラ。その名の通り、コアラの仔だ。大きな耳が特徴な愛らしい顔立ちが特徴だが、いかんせん寝てばかりである。こんな調子じゃ、ジェーデンの
かくいう私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。
ここアニマルアカデミーでさまざまな動物たちの食レポを集めることをミッションとして活動している。
「おい、寝てんじゃない。これから食事に行くんだぞ」
私はその大きな耳に直接ぶち込むように声をかけた。すると、ようやくもぞもぞとフィフティンが動き始める。
「あー、もう、起きるよ。起きるから。ふあぁ~、全然、まだ眠い。ね、まだ寝る時間なんじゃない?」
そんなはずはない。これから食レポを取らないといけないんだ。
ただ、
とはいえ、アニマルアカデミーも社会である。社会の中で寝たまま行動するなんて許されることではない。
「あはー、配慮してくれて、ありがとう。でも、眠いのよ。それは許してね」
うとうとしながら歩くフィフティンをどうにか誘導しつつ、私は女将さんの食堂へと向かっていった。
◇
カランカラン
扉を開くと鐘が鳴る。その音でジェーデンの女将さんが振り返り、私たちを見つけた。
「あらぁ、エナムちゃん、フィフティンちゃん、いらっしゃい。ふふ、すぐ準備するからね。席に座って待ってて」
朗らかな女将さんの笑顔が眩しい。その毛並みも血統書付きの犬のように艶やかだ。
私たちは彼女の言葉に従って席につく。その直後に寝息が聞こえてきた。
「おい、食堂は寝る場所じゃないぞ。起きろ」
私は女将さんの顔色をさりげなく窺いながら、フィフティンの肩を揺らす。
女将さんはフィフティンの様子に気づいていないようだ。それについては一安心だが、そのままにはしていられない。
「ああぁ、エナムくんか。どうなの、シューニャが何をしようとしているのかはわかった?」
シューニャの目的なんて私には窺えようはずがない。前回の問答で、どういう基準で動物たちを生み出しているのかはわかったが、その背景もその理由も、何の見当もついてはいなかった。そんなんで、彼女の問いに答えられるはずがない。
「ふわぁ、御馳走って言ったってさ、私はユーカリの一部の葉しか食べられないのよね。それで、どんなお料理を出してくれるのかな」
気づいたら、話題が変わっていた。
笹の葉のみを食べるという触れ込みのパンダと違い、本当にユーカリの葉しか食べられないのだろうか。
まだ、そうだとは確信が持てないが、
◇
「あ、私、そんなにいらない。ちょっとでいいのよ」
グラスにビールを注ぐと、フィフティンはそう言って制止した。グラスにはちょこっとだけビールが注がれているが、それを満足げにフィフティンが眺める。
ビールが苦手というわけでもなさそうだが、あまり飲みたくないのだろうか。
「ビールというか、水分をそんなに必要としないのよ。私、寝てばかりだからかな」
そんなものだろうか。コアラは元々水分をそれほど摂取しないのかもしれない。
それはそうと、ビールを注いだのだ。飲まなくてはいけない。
今回のビールは、東京クラフトのヴァイツェンだ。この前は沖縄のビールでヴァイツェンを飲んだが、飲み比べといこう。
「かんぱーい!」
私とフィフティンはグラスをかち合わせると、そのまま一息にビールを飲む。
麦の香りとともに甘さが伝わってくる。甘いお酒だ。こんなに甘い飲み物はほかにメロンソーダしかないんじゃないだろうか。
「エナムくん、それ言い過ぎ。でも、甘いね。それにふんわりとした飲み心地。こういうお酒もいいなあ」
フィフティンは東京クラフトを気に入ったようだ。そうは言っても、量は全然飲んでいないのだが。
「ふふ、料理もできましたからね、どんどん食べてね」
ジェーデンの女将さんが皿を持ってきていた。それを私たちの前に置く。
ユーカリの葉が一枚一枚丁寧に並べられていた。
「これが料理かあ。ユーカリの若葉は美味しそうだけど、いつも食べてるし、量もそんなにないかな」
そう言いつつも、フィフティンはユーカリの葉を口にした。そして、言葉もないままに、一瞬、動きが止まる。
「待って! これ、なに? すごい美味しい。なんなの、これ?」
そう言って、また一口。続いて、一口。さらに、一口。
気づくと、皿に盛られたユーカリの葉はなくなっていた。
「いや、あの、すごい美味しいよ、これ。え? それだけじゃダメ?
なんていうのかな、発酵しているのかな。噛み応えが全然違うし、酸味? 酸味かなあ。味わいが深い気がするのよ」
そんなに美味しいのだろうか。私も食べてみることにした。
一口食べると苦みがある。香りも濃厚だ。これは本来のユーカリの葉の味わいだろうか。だが、それはさっぱりとしたもので、味わい深いものだった。噛み心地はしっかりとしていて、お漬物のようなシャキッとした歯応えがあった。
これは美味しい。私はユーカリの葉を飲み込み、そして、反芻し、またその味わいを堪能する。
「なんだろ、牛にユーカリの葉を楽しまれると、なんか腹立つな」
そんなことを言われても困る。
だが、コアラは他者との生存競争を避け、競合相手のいないユーカリの葉を食料として選んだのだ。だから、ほかの種がユーカリを食べるのを本能的に嫌がるのかもしれない。
「そんなこと言わないの。二人ともに、食べてほしいから作っているのよ」
ジェーデンの女将さんがさらに皿を持って現れていた。
私たちの前にはユーカリの葉が何かを包んだような料理が置かれる。ユーカリの葉の包み焼だろうか。
「うわぁ、なにこれ? ユーカリの葉の中にさらにユーカリの葉の餡が入っている。
こんな料理もあるのね。なんていうか、スパイシーで、食欲をそそるわ。なんか、どんどん食べてしまいたくなる」
私も食べてみる。ユーカリの葉を噛み砕くと、その中から旨味のたっぷりな餡が口いっぱいに広がっていく。その中には、ユーカリの葉以外にも、タケノコ、きくらげ、ニンジン、シイタケ、白菜とさまざまな野菜が入っていた。それだけではない。噛みしめると、ゴマの風味、ショウガのさっぱりとした味わい、ニンニクの香りがどんどん伝わってくる。ほのかな甘さもあった。それぞれが絡み合い、実に深い味わいを醸し出しているのだ。
フィフティンの言うとおりだ。これは食べ進める手を止めることができない。
「ね、美味しいでしょ。私、ずっとユーカリの葉を食べてきたけど、こんなに美味しく料理できるなんて知らなかったよ」
フィフティンは満足げに、喜びの表情を浮かべていた。料理を作ったのは私ではないが、それでもその顔を見ていると嬉しくなってしまう。
「ふふ、フィフティンちゃんに喜んでもらえて嬉しいわ。最後に、デザートじゃないけど、茶わん蒸しをどうぞ」
女将さんはそう言うと、私たちの前に茶碗に入った料理を差し出した。
もちろん、これも美味しかった。ユーカリの風味、香りが前面に出た茶わん蒸しで、野菜を堪能するために特別に調合した料理だと思えた。卵の味わいはしつこくなく、食べるとどんどんユーカリの葉が現れるが、それが楽しくて仕方ないのだ。
茶わん蒸しの楽しさは宝探しの楽しさだが、いくらでも宝が出てくるような、不思議な茶わん蒸しだった。
「ああ、美味しい。本当に幸せな気持ちになれるね」
フィフティンも茶わん蒸しを堪能している。
「なんていうのかな、盲腸がずっと喜んでる。そんな感じだわ」
コアラは盲腸が発達していて、それによって大量のユーカリの葉を消化するという。それが喜ぶような料理だということだろう。
ジェーデンの女将さんの料理はただ美味しいだけじゃない。五臓六腑が喜ぶような、身体にいい料理なのだ。
◇
さて、コアラのグルメはここまでとしたい。
同じものばかり食べるという意味では、パンダと似通った動物だと思っていたが、また違う雰囲気のある動物だったのではないだろうか。
パンダは以前の食性を残しながらも、趣向と酵素を活かして、笹を食べることを選んでいた。それに対し、コアラはもうユーカリの葉以外のものを食べるのが難しいほどに特化した進化を遂げている。偏食というと印象が悪いが、それもまた進化の選んだ道筋なのだろう。
次回の話であるが、久しぶりに無脊椎動物に来てもらうことになった。
蝸牛にどんなグルメがあるのか、美味しさがあるのか、楽しみにしてもらえるとありがたい。
では、また来週、この時間、この場所で会えることを願っている。
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