第十話 真蛸のグルメ
「やあ、君がエナムくんかね。噂には聞いておるよ」
達観したような印象の話し方ながら、幼児のような甲高い声が響いていた。
私の目の前にいるのは、私の腰ほどの高さを持つ動物がいる。丸くて、楕円状の頭部が眼に入るが、より特徴的なのは足というか腕であろうか。八本あるのだ。そのうちの二本が歩行のために太く進化しており、二本足で地面を立っている。残りの六本は手足として残されており、ぶらぶらと垂れさがりながらも、蠢いている。
そういう私は何者なのか。自己紹介しておこう。
私の名前はエナム・バンテン。ジャワ島を起源に持つ野牛の仔だ。
ここアニマルアカデミーから依頼があり、さまざまな動物たちの食レポを収集している。
今回はこれまでとはだいぶ毛色が違うかもしれない。今までもウナギのウィッタやカエルの
それに、三津さんはアニマルアカデミーの動物の中でも古株に当たる。貴重な話が効けるかもしれないし、失礼のないようにしないといけない。
「ところでのぅ。気づいてはおるか? アニマルアカデミーにいる動物たちには共通点があるのじゃ」
キンキンとした幼い声だが、言葉には含蓄が含まれている。
しかし、共通点とは何のことだろう。哺乳類が多い印象があるし、肉食動物も多い。だが、これは地球上の動物のバランスを考えれば、特徴といえるほどのものじゃないかもしれない。それに、まだ紹介していない動物の中にも多種多様なものたちがいる。共通点といえるほどのものがあるのだろうか。
私が考えていると、三津さんがそのまま答えを言った。
「それはな、どの動物も絶滅が危惧されているということじゃ」
なるほど。それは確かに得心の行く答えだった。
例えば、サバーはバーバリライオンという希少な種であり、一時は絶滅したと考えられていたほどに数を減らしている。前回登場してもらったイレヴンの属するアカトビも絶滅しかけており、一時期は数つがいにまで数を減らし、保護の結果、生息数が回復したという。
「それはつまり、アニマルアカデミーでは絶滅危惧種の危機回避のために、生体改造して動物たちを研究しているということでしょうか?」
私はなんとなく、アカデミーの目的に近づいたように感じた。そのせいか、ついテンションを上げながら、三津さんに質問を返した。
しかし、三津さんの返事は渋い。
「それはどうかのう。わしにはあのものの考えがそんな単純なこととは思わんのよ」
その言葉に私の考えも混乱する。絶滅種を研究して、それ以外の成果を得ようというのだろう。絶滅の原因究明とその回避、それ以外にどんな目的があるというのか。
「
いつもとは逆に、私は三津さんに促される。私は三津さんが周囲の色に体色を同化させるのを眺めつつ、ジェーデンの女将さんの食堂へと向かっていった。
◇
カランカランと食堂の扉が鳴る。その音が聞こえると、ジェーデンの女将さんが振り返った。
「あらぁ、
いつものように快闊な笑顔に癒される。私と三津さんは女将さんに促されるままに席についた。
「女将さん、今日は三津さんに来てもらったんで、とびきりの御馳走をお願いしますよ」
私がそう言うと、アハハと女将さんは笑う。
「何を言っているの。私はいつだって、とびきりの御馳走を出していたのよ。もちろん、今回も腕によりをかけて作っているわ」
彼女の自信満々な言葉に私は感心するとともに、強い頼もしさを抱いた。それは三津さんも同じようだ。
「これは、これは。どうやら、以前に来た時よりも腕を上げているようじゃの。これは楽しみじゃわい」
三津さんは期待たっぷりに頷いた。私も同じ気持ちである。
そして、いつものようにビールのカタログを眺めた。
「エナムくんよ、ビールを飲むのなら、これはどうじゃ?
ペールエールは甘くフルーティーなビールだが、IPAはそれにホップが多量に加わるため、苦みと麦の香りが強くなっているという。
銘柄は「ゆきちから」というのか。なんだか面白い。
私は三津さんに同意し、このビールを頼むことにした。
◇
「まずはサラダをどうぞ」
三津さんに出されたのはカニと海藻のサラダだ。そして、私には海藻を少なめにして、干し草とキュウリ、カイワレといった野菜が使われている。
カニの豊かな風味は草食である私でも食欲がそそられるものだった。
「これは美味しそうじゃ。だが、まずは……」
三津さんは目を細めてその喜びを顔に表しつつ、グラスを手に取った。私もビールの入ったグラスを手にする。
そして、「乾杯」と声を合わせて、グラスをかち合わせた。そのまま、一息にビールを飲む。
すっきりした飲み口だが、果実のような味わいがしっかりと感じられた。さらに、後から麦の苦みと香りが押し寄せてくる。けれど、それもまたビールの美味しさなのだ。
喉の奥へと注がれる冷たさと炭酸の刺激が心地よかった。
「これは美味しいですね。あ、あれ? あ、そうか。そこが口なんですね」
三津さんは手足をぱっくりと開き、その奥へとビールを注ぎこんでいた。タコの口は触手の中心にあるものなのだ。
「ほうほう、美味いのぅ。
そうじゃ、わしの口はここなのじゃよ。ふふ、遠い種族の中には漏斗を口だと思い込むものもいるようじゃがの」
そう言って、少しだけ振り返る。頭の後ろに円筒状の突起がちらと見えた。
漏斗と呼ばれる器官だ。その用途は……、いや、これは食事中に説明することではないだろう。墨を吐き出す器官だということだけ言っておく。
「ふむふむ、このサラダもなかなかの美味じゃ。カニとマヨネーズの相性が素晴らしいのぅ。カニの肉厚な感触、それと食欲をそそる香りとピッタリじゃ。コリコリした海藻も良いアクセントになっておる。
海中での暮らしを知らぬわしじゃが、なんだか懐かしい気分になってくるのぅ」
三津さんはカニのサラダを瞬く間に平らげていく。
意外にも三津さんは咀嚼していた。咀嚼というほどじっくり噛んでいるわけではないが、しっかりと料理を噛み砕いてから飲み込んでいるようだ。
タコにも歯のようなものがある。それは脊椎動物とは異なる進化を遂げたものではあるが、
「そうじゃの。自分ではわからないものなのだが、確かに噛み砕く瞬間に、味わいが弾けるというか、濃くなるような感覚はあるのぅ。その瞬間こそ、食事をする中での一番の喜びと言えるかもしれん」
私の思った通りのようだ。感覚は共有できないが、なんとなく想像できる。
真蛸のグルメというのも、極上の味わいを得られるものなのだろう。
それはそうと、私もサラダを食べる。カニの風味は確かに魅力的だ。野菜の美味しさを増幅してくれるかのようだった。
キュウリのシャキシャキした食感と瑞々しさ、カイワレのピリリとした辛さとフレッシュな味わい。それに干し草の豊かな食べ心地と反芻する喜び。それらがカニとマヨネーズによって一体感が出ており、一つの料理として完成されているのだ。
「うん。美味しい」
私と三津さんがカニのサラダを堪能し終えると、それを見極めていたのか、新しい皿が出された。
今回のメインディッシュ、シーフードパエリアだ。三津さんの皿にはイカ、エビ、ムール貝、アサリ、白身魚といった海鮮が多く乗せられ、私の皿にはトマトやパプリカ、エンドウ豆といった野菜が多かった。
「ほほう、これは実に見事じゃのぅ。米と具材のバランスよく混ざり合っておる。そして、この味付け。適度な塩味があり、海鮮から抽出された出汁が合わさって、極上の味付けとなっておる。
では、具材も食べてみるかの。うん、イカの弾力のある噛み心地、しっかりした肉質と確かな旨味、これは最高の気分じゃ。エビの香りも捨てがたいのぉ。旨味もたっぷりじゃ。
ムール貝。この美味しさは何と言えるかのぅ。凝縮された旨味に濃縮された海の味わいじゃ。わしの先祖もこの美味しさを味わっていたのだろうなぁ。アサリは美味い。知っておるじゃろ? これぞ旨味の塊、香りの爆弾というべき最高の食材よのぉ」
三津さんはパエリアを堪能する。
私も負けてはいられない。パエリアをバクバクと食べ進める。
米のモチモチした食感と混ざり合う野菜の美味しさ。味付けは三津さんの説明した通り、海鮮出汁と塩味によって、なんとも病みつきになる美味しさを秘めている。
トマトのしっかりした旨味、パプリカの先鋭的な味わい、エンドウ豆の満足感のある美味しさ。そのどれもがパエリアを引き立て、同時にパエリアによって引き立てられる。見事なコンビネーションと言えるだろう。
「うふふ、満足してくれたなら良かったわ。デザートもどうぞ」
女将さんが新たに置いた皿には、フルーツとカスタードクリームのタルトが乗っていた。フルーツはイチゴ、ラズベリー、キウイ、パイナップル、マンゴーがジャムになって織り混ぜられている。
タルト生地はサクサクとクリスピーな食感になっており、カスタードクリームの濃厚で滑らかな味わいとピッタリ合っていた。それにアクセントのように甘酸っぱいフルーツジャムがその味わいを主張する。
デザートはまったりと味わい、幸せに浸るもの。それにピッタリな料理だ。
「
三津さんの黄色い声が響いた。
◇
今回の真蛸のグルメはここまでとしよう。
初の無脊椎動物の食レポだったが、楽しんでいただけただろうか。ただ、タコと哺乳類というのは意外と似ているのかもしれない。異なる進化を辿った生物だが、ともに知能を発達させることで生き残ってきたのだ。
タコも哺乳類もともに頭脳を発達させた動物なので、そのための機能が似ているのかもしれない。噛み千切るための歯というのも、脳の発達に影響を与えるものだというしな。
さて、ちょっとだけ話が出てきたが、次回はコウモリに登場してもらおうと思う。
空を飛ぶ哺乳類であり、暗闇を好む種である。独特のグルメを発達させているのじゃないかと思っているが、どうだろうか。
それでは、また次回。来週のこの時間にまた会えることを願っている。
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