第十一話 蝙蝠のグルメ
「君は知っているか? ナイトストーカー、マナンブルス・ペロリズスのことを」
唐突に問われた。
その相手は
尖った耳と突き出た丸い鼻が特徴だろうか。
しかし、何のことだろう。私の知っている生物にはそんなものは存在しない。
ああ、自己紹介しておこう。私はエナム・バンテン、野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーで動物たちの食レポを担当している。
「バタヴィア列島で進化した地を這う蝙蝠だよ。この諸島では鳥類よりも先に蝙蝠が制空権を支配し、やがて天敵も少ないことから飛ぶことを辞めた蝙蝠たちが進化したんだ。
その中でも最も強力な捕食者がナイトストーカーなんだ。夜になると金切り声を上げながら走り回り、哺乳類や爬虫類を餌食にするんだと。
前足である翼は地面を走るために進化して、二本足で歩行する。逆に後ろ足は退化して、肩越しに垂れ下がり、物を掴むことに利用されるとか」
私が答えられないでいると、ラビンが説明を始めた。
よくわからない蝙蝠の話だ。私にはまるで思い当たる節のない生物だった。
「ふふ、これはドゥーガル・ディクソンが著した『アフターマン』の話だ。人類滅亡後の地球での動物の進化について書かれた書籍だよ」
それを聞いて、ようやく納得がいった。
小説の中での話のようだ。それなら知っていなくても無理はない。ただ、なぜそんな話をするのかがよくわからなかった。
「そんな馬鹿にしたもんじゃないぞ。『アフターマン』は人間の想像ではあるが、進化に根差した予想でもある。
全ての生物は
空を飛ぶことなんて、所詮は
ふむ。彼は
だが、やはり不可解なことがある。
「君は自分の改造され、無理やり進化されていることに納得しているんだね。でも、人間のような進化をさせていることはどう思っているんだ? こんなことに、どんな意味があるんだろう」
私がそう言うと、ラビンは首をすくめる仕草をした。
「さあな。それは君の方が詳しいんじゃないか、シューニャの意志は」
そんなことを言われても、私にはピンと来るものはない。
ラビンはラビンでアカデミーの謎を追いたいと思っているらしい。それで進化の話をして、私の話を聞きだそうとしたのだろう。しかし、残念ながら、その先の答えなんて私に知っているはずがない。
話していても埒が明かない。私はラビンを促し、ジェーデンの
◇
いつものように扉を開けると、カランカランと音が鳴る。そして、いつも通り、ジェーデンの女将さんの朗らかな笑顔が出迎えてくれた。
「あらぁ、エナムちゃん、ラビン=ダラワちゃん、いらっしゃい。ふふっ、珍しい組み合わせなんじゃない。でも、このレポートの主旨がそうなのかもね。エナムちゃんをあまり組まない動物と組ませるのも目的の一つなのかも」
笑顔を見せながらも、少し意味深なことをいう。それがシューニャの意志とやらなのだろうか。
「そういえば、ラビンの食性って何なの? やっぱり血を吸うのかな?」
今まで気にしていなかったが、蝙蝠の食事はなんなのだろう。血を吸うというイメージがあった。
「それか。まあ、その辺りは説明が少し難しいところだな。
血を吸う蝙蝠なんてそんなにいないんだ。なんて、説明で納得いくかい?
さっきも話したけどな、生物は
ちょっとした質問のつもりだったが、思いのほか、長々と話されてしまう。
ニヒルぶった印象の強かったラビンだが、意外と
「空の支配者は鳥類で、同じ飛ぶものでも日陰者ってイメージあるだろ。それは飛行への適応が鳥類よりも遅れたせいだ。
そのせいか、蝙蝠はさまざまなニッチに入り込んでいったのさ。多くは昆虫を捕食したが、大型の生物の血を吸うものもいるし、果物を好んで食すものもいる。種によって食べ物が違うのは消化器の進化によるものというよりは、環境に適応した結果だな」
要約すると、蝙蝠はいろんなものを食べられる、ということだろうか。
「厳密には違うけど、雑食と受け取ってもらってもいいよ。でも、僕としてはフルーツを食べるのが好ましいな」
ということは、ラビンの属する大蝙蝠は草食動物ということになる。しかし、草食性哺乳類の宿舎にはいないな。
「だから、少し複雑なのだ。その辺りはアニマルアカデミーの分類がそうなっているということかな」
わからないことばかりだ。
ただ、今日の料理が美味しいことだけを期待することにしよう。
◇
「はい、どうぞ、召し上がれ」
女将さんが料理入った皿をテーブルに置いた。刺激的で味わい深い香りが漂う。
真っ赤なソースが鮮やかにに広がり、美しく整った麺を彩っていた。スパゲッティボロネーゼである。炒められた玉ねぎと煮込まれたトマトの香りが堪らなく食欲を刺激していた。
「これは大蝙蝠のグルメとしてピッタリな料理じゃないか。蝙蝠のイメージである吸血をトマトでイメージしつつ、フルーツでもあるトマトをメインに据えた最適なメニューだ」
私は女将さんの深謀遠慮に感嘆の言葉を漏らした。ラビンは「吸血」という言葉に、何かを言いたげな表情をしたけれども。
そんなことより、ビールを飲もう。ラビンはフィリピンの大蝙蝠だから、同じ南国ということでオリオンビールにすることにした。
「乾杯!」
ビール缶をかち合わせると、一息にビールを飲む。うん、すっきりとした味わい。ゴクゴクと飲めるね。
麦の香りや苦みは抑えめだが、その分、飲みやすいといえよう。炭酸の刺激が心地よく、喉越しに特化しているのだろう。こういうビールもたまにはいい。
では、スパゲッティを食べよう。フォークでくるくるとパスタを巻き付け、ソースをたっぷりつけて食べる。
うん、美味しい。トマトの甘さと酸味が強調されつつも、スパゲッティソースとして味わいがしっかりとまとまっている。そして、その奥には旨味があるのだ。玉ねぎやセロリ、パセリといった香味野菜の香りもしっかりしており、トマトソースの味わいを際立たせている。
麺は細く打たれていて、やや主張が弱いものだが、ソースの味わいをしっかり楽しめるようにしているのだろう。
「うーん、
パスタもよく考えられている。蝙蝠の咀嚼する力が弱いのをわかっているんだね。だから、口の中で解けるようなパスタを用意してくれたんだ。
なんというのかな、女将さんの優しさや気遣いがそのまま美味しさになっているんだ」
ラビンがそう言いながら舌をチロチロと舌なめずりする。細く長い舌だ。この舌で果汁を吸い取るのだろう。あるいは、血吸い蝙蝠は大蝙蝠がフルーツの果汁を味わうように、動物の血を味わっているのかもしれない。
「あははっ、そんな大層なもんじゃないよ。うふふっ、たっぷり味わって食べてね。その後にデザートもあるのよ」
ラビンの口上を女将さんが笑顔でやんわりと受け止める。やはり、懐の広い人だ。
「いやあ、でも、本当に美味しいんですよ。なんていうのかな、刺激的な酸味や香りはあるんだけど、それを甘さや旨味が優しく受け止めているっていうか。
これは、ほんと、いつまでも食べていたい味だなあ」
女将さんの前では、ラビンといえど、慌てて表面を取り繕うしかないようだ。
しかし、彼の言うとおり、このスパゲッティボロネーゼは本当に美味しい。私は幸せな気分のまま、トマトソースを最後まで味わった。
「さあ、デザートよ。これも自信作なのよ」
そう言って、女将さんは小皿を二人の前に置いた。
色とりどりのフルーツが眩しく、その中央に生クリームとともに、茶褐色のソースが見える。その下にあるのは小山のような黄色いスイーツ。プリンアラモードだ。
「これは嬉しい。フルーツの詰め合わせが瑞々しく、不足がちなたんぱく質もミルクと卵から摂取できる。これは美味しそうだ」
ラビンが歓声を上げた。
だが、野牛にとってもこれは嬉しいデザートだろう。フルーツは言うに及ばず、ミルクを使った料理というのは仔牛にピッタリな料理だ。
「うん、フルーツの瑞々しさったらないね。マンゴーは甘くてとろけるようだし、パパイヤの酸っぱさと舌触りも堪らない。キウイの香りと酸味のバランスも素晴らしい」
大蝙蝠はフルーツコウモリともいう。それだけ、フルーツへの執念の強い動物なのだ。
ラビンもまたフルーツコウモリらしく、フルーツに夢中になっている。
しかし、もちろんフルーツだけで留まるデザートではない。
生クリームは甘さが程よく、まろやかな味わいだ。キャラメルソースの香ばしい味わいも抜群である。それがカスタードプリンと合わさることで、贅沢で、ビターで、とにかく甘い、そんな美味しさをもたらしていた。
「それはそうだね。複雑な味わいがプリンの甘さに集約していく。それがプリンアラモードの魅力だ。でも、やっぱり僕はフルーツの美味しさを推したい。フルーツとプリンの組み合わせが、クリームとの組み合わせが、それぞれ至福の美味しさとなっているんだ」
プリンアラモードは多重だ。誰もが自分の食べたいと思う組み合わせで味わうことができる。それは気分によって変えてもいいし、フルーツに合わせて変えてもいいだろう。
あるいは、私とさまざまな動物を組ませようというシューニャの意志はそういうところにもあるのかもしれない。
◇
さて、今回はここで食レポを終えたいと思う。
大蝙蝠のグルメはフルーティアンというべきものだったかもしれないね。蝙蝠も種類によっては、昆虫食や吸血食を好むという。そんな蝙蝠のグルメをレポートできる日も来るのだろうか。
また、今回、初めてシューニャという名前が出てきた。このものについては、いずれ登場する機会もあるだろう。詳細はその時まで楽しみにしていただきたい。
アニマルアカデミーにおいては重要な存在といえるかもしれないので、十分な
次回は蛇のグルメをお贈りすることになっている。アニマルアカデミーにおいて、蛇がどんな進化・改造を受けているのか、楽しみにしていただけると嬉しい。
でも、すでに蜥蜴のグルメはレポート済みである。果たして、代わり映えするものになるのか、正直不安でいっぱいだ。
では、また来週、この時間にこの場所でお会いできることを楽しみにしている。
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