第八話 暮らしのリズム

 野牛の朝は早い。のだろう、おそらくは。

 私は野牛の仔、エナム・バンテン。ここアニマルアカデミーで暮らしている。

 野性と呼べる感覚はすっかり抜け落ちており、朝起きようにも眠くて仕方がない。眠気眼ねむけまなこでアラームを止めて、そのまま眠る。

 意識が飛んだ。


「はっ!」


 ベッドから飛び起きた。どれだけ寝てしまっただろうか。

 時計を見ると、アラームが鳴った時間から五分が過ぎただけだった。ほっと一安心。まだ慌てるような時間ではなかった。


 私は起き上がると、トイレに向かった。その後、洗面台で顔を洗い、歯磨きをする。

 本来、野生動物であれば歯磨きなんて必要のないことだろう。しかし、アカデミーで暮らすに当たって、食生活が変わってしまっている。もはや、野牛としてではなく、アカデミーの生活者として、歯磨きをしなくてはならないのだ。


 一息つくと、朝食のリクエストを送信した。それに反応して、すぐに食事ボックスが開き、今朝のメニューが現れた。

 今日のメニューはアルファルファと牧草のサラダ、ポタージュスープ、それにパンと牛乳だ。仔牛の生活においては、ややバランスの崩れた栄養になっているが、エネルギーのために糖分の高いスープとパンを食べなくてはならない。

 野性の牛であれば草を咀嚼し、反芻し、それで十分なエネルギーを得るのだが、それでは時間がかかり過ぎる。時間効率を考えると、どうしても糖分から得られるエネルギーを避けてはいられない。


 サラダはしばらく置いてあったものらしく、鮮度のよくないものだった。それでもアルファルファと牧草は美味しい。ただ、味付けはしょっぱいばかりで、塩分過剰じゃないかと少し心配だった。

 ポタージュスープは甘い。とうもろこしやジャガイモではなく、サツマイモが溶け込んでおり、甘さが強い。これは好みがあるのだろうが、私の好みではなかった。

 パンはパサパサしている。噛むごとに口の中の水分が持っていかれるようだった。仕方なく、牛乳を流し込む。牛乳だけは美味しかった。けれど、パンと混じり合うことで、奇妙な化学反応が起きるのか、なんとも嫌な噛み応えと香りに変わる。


 ジェーデンの女将おかみさんの料理とは比べるべくもない。早くも食堂が恋しくなってくる。

 しかし、今週は食レポの取材がお休みなのだ。もう一週間、この食生活に耐えなくてはならない。


 ふぅと気分を落ち着かせると、カバンを手に取り、出かける用意を始めた。


      ◇


「エナムじゃん! なにやってんの!?」


 背後から大きな声が響く。アジア象の仔、サハストラ・マキシマムだった。

 何をやっているも何も、これからアニマルアカデミーに向かうところだ。


「あははっ。それもそっか。私もアカデミー行くところなんだ」


 そりゃあ、この時間だからな。

 そう思いつつも、サハストラに愛想笑いを返す。いかんせん、草食動物のヒエラルキーとして、牛は象に勝てない。


「そんなことないでしょー! 私はこんなじゃん。全然、気にしなくていいよ!」


 どうやら、さっきから思ったことをそのまま話している。

 そこに駆け寄ってるものがあった。ドシドシとした巨体。――もっとも、草食動物の宿舎は巨大生物が多いんだけど。


「エナムくんっ、サハスちゃんっ。これからアカデミーに向かうところ? 一緒に行かない?」


 ゴリラのテン・G・G・ディールハイだった。彼女は私たちに気づくと表情がくしゃくしゃの笑顔になる。霊長類というのは表情が豊からしい。


「あははっ。テンちゃん、おはよう」


 サハストラが笑顔を返す。大きな鼻が蠢き、喜んでいるのだということがわかった。

 珍しく、三頭が揃ったものだ。私たちは連れ立って、アニマルアカデミーに向かっていく。


      ◇


 アニマルアカデミーに到着すると、それぞれの教室に向かうため、二頭とは別れた。

 教室に向かっていると、次第に気分が沈んでいく。今日は何をされるのだろうか。そう思うと憂鬱な気分に心が支配されていくようだ。

 けれど、悪い方に考えていても仕方がない。義務を果たすことで得られる権利もあるのだから。


 ガラガラっ


 扉を開くと、教室の中心には大きな椅子が置かれていた。まずは、この椅子に座らなくてはならない。

 私がイスに座ると、両腕と両足に金属製の拘束具が現れ、ガシャリと閉まる。これで管理者が解放してくれない限りはこの教室にいなくてはならない。

 正面には壁一面にモニターが配置されているが、何も映されていないので、鏡張りのように私の姿を反射していた。


 ピピピピピピ


 金属音とともに、椅子の上部からチューブ状の機器が現れる。チューブはうねるように私の頭に近づき、先端の針が突き刺さり頭の中にずぶずぶと入っていった。不思議と痛みが感じられない。

 このチューブから、私の思念が読み取られ、それに関連する情報がモニターに映し出されるのである。


 最初のうちはこの状況に関する情報が検索され、モニターに映し出されたが、核心的な内容は何も出てこない。そのうち、そんなことを検索することはやめ、私の種族に関することや世界の状態についての検索を行うようになった。

 そして、気づいたのだが、どうやらここで検索できる内容は現在のものよりも、少し古いもののようだ。アニマルアカデミーに関する情報もないし、動物を改造する技術も低レベルなものしか出てこない。とても、私たちのような知性を持たせた動物を生み出すことができるとは思えない。


 おそらくは、このによって、動物の思考を調査し、検証しているのだろう。

 しかし、アカデミーの運営者がどんな意図を持って動物を集め、動物を改造しているのか不明のため、そこから何かを探ることはまるでできない。


 仕方がない。今度、ジェーデンの女将さんの食堂で提供される可能性のあるメニューについて検索しよう。

 これで私の思考を読み取れるものならば、読み取ってみろというものだ。


      ◇


 昼食が出される。といっても、手足が拘束されているのだ。まともに食事なんてできるはずがない。

 これまたチューブ状のものが私の口の前に現れ、そこからミルクのような液体が流れ込んでくる。それは私が飲み込みやすい量が放出されるようになっており、飲みづらいとか、飲み切れなくて苦しいだとか、そんなことにはならない。


 しかし、咀嚼すらまともにできない食事というのは味気ない。顎を使わないし、反芻もしないのであれば、どこかしら健康にも悪いだろう。

 以前、テンがゴリラケーキの話をしていたが、それとそれほど変わらない食事なんじゃないだろうか。三食がこれだと参ってしまいそうだ。


 食事を終えると、すこしウトウトしていた。

 それを破ったのは少しの違和感だ。痺れるような感覚がある。電気が流れているんだと気づいた。電気の刺激は次第に強くなり、やがて違和感だった痺れが痛みに変わる。激痛が走った。


「ぎゃあぁーっ」


 思わず悲鳴を上げる。すると、電気は止まった。

 どれだけの電気の刺激に耐えられるのか、どれだけの痛みに耐えられるのかの実験だったのかもしれない。

 唐突にやられると驚きと恐怖を感じてしまう。せめて、事前に連絡をもらえないものだろうか。


 そう思っていると、モニターに映し出されるものがあった。

 今度は何かのテストらしい。図形が出ており、数学的な問題を解いていくらしい。ただ、考える暇はない。直感で抱いた答えがそのまま出力され、回答してしまう。それが正解しているかどうかはわからない。


 その後は視力のテストのようだ。複数の図形があり、それが何か当てなくてはならない。

 さらに、複数の色が映し出され、それが何色か当てるものもあった。

 さまざまなテストが施される。それで何を測っているのか、想像することしかできない。


      ◇


 カチャッ


 拘束具の外れる音がした。今日のカリキュラムが終わったということだろう。

 私は立ち上がり、身体をゴキゴキと動かす。しばらく座りっぱなしだったために全身が痛い。固くなって激痛を発する関節もある。これは、少しずつ慣らしていくしかないだろう。

 身体がどうにかまともに動くようになると、教室を後にした。


 アニマルアカデミーのグラウンドに出ると、声をかけてくるものがある。


「おーい、エナムじゃんか! 元気か? 毎日毎日しんどいよな。一日中閉じこもってたんだ、せめて運動してから帰ろうじゃないか!」


 コモドドラゴンの仔、セムビラン・コモドエンシスだった。爽やかな声がグラウンドに木霊こだまする。

 その隣には、ライオンの仔、サバー・バーバリがいる。

 二頭は野球ボールとグローブを持っていた。キャッチボールでもしていたのだろうか。


「しっかり運動してないと、健康にも悪いぞ! やっていこうぜ!」


 どうも肉食動物は体育会系のノリなのだろうか。

 私は首をすくめつつ、返事をした。


「いや、今日は少し散策してから帰ろうと思っているんだ。また、誘ってくれ」


 そう言うと、校舎の門をくぐり、アカデミーの外部施設を歩き始めた。


      ◇


 気がつくと、海の近くまで来ていた。せっかくだから、海を眺めてから帰ろうか。そう思い、防波堤まで下り、桟橋を歩く。


「あれ? エナムくん?」


 不意に、海の中から声が聞こえた。ザパァっと水しぶきが怒り、そこからぬるっとした流線形の肉体が出現する。ウナギの仔、ウィッタ・アングイユだ。

 そうか。この辺りは水棲動物たちの宿舎がある場所だった。それを思い出す。


「ウィッタか。食レポの時以来だね。まさか、こんなところで会えるとは」


 私は突然のことに驚きつつ、そのことを彼女に伝える。


「うふふ、ほんとに。私もびっくりしたよ。

 そうそう、その食レポだけどね、一回参加したらもう参加できないのかな。まだチャンスあるのなら、私を誘うことも考えてね」


 アニマルアカデミーで食べられる食事の中で、ジェーデンの女将さんの食堂で食べられる料理は格別だ。それを味わってしまうと、普段の食事が味気ないものに思えてしまうだろう。

 それはウィッタも同じことのようだ。


 そう思っていると、ゲコゲコとせき込むような声が聞こえた。

 振り返ると、カエルの達磨だるま百ノ介もものすけが釣りをしていた。まさか、同じ場所で知り合い二匹に出会うとは思いもよらないことだ。


「エナムくん、偶然だのう。でも、釣りをしていると、こういう出会いがあるものなんだよ。

 そうれはそうと、エナムくんよ、その美女を紹介してくれないかね」


 百ノ介は相変わらずだ。私は嫌な顔を一つしつつ、ウィッタを紹介する。


      ◇


 寮の自室に帰ってきた。

 一日の汚れをシャワー室で洗い流す。


 夕食のリクエストを送信すると、食事が提供された。

 干し草を中心にした、野菜のサラダだ。夜は少しばかり時間がある。干し草を十分に咀嚼し、そして胃の中に入れ、反芻する。

 それをしながらも、本を読んだり、インターネットで友人と話したりする。そうして、夜は耽る。


 あとは眠るだけだ。

 これが私の暮らしのリズムである。どうだろう、アニマルアカデミーのことが少しはわかったのではないだろうか。

 動物たちはこうやって日々を過ごし、科学の発展に貢献しているのだ。


 けれど、私たちを使ってどんな研究をしようとしているのか。少し気になってこないだろうか。

 アニマルアカデミーには秘密がある。少なくとも、私たちに秘匿している何かがあるのだろう。

 私は食レポの企画を通して、さまざまな動物たちと出会い、情報を共有し、その謎に迫っていきたいと思っている。


 さて、今回はここまでにしよう。

 前回もお伝えしたが、次回はとんびのグルメをお贈りする。

 鳥類がどんなグルメ観を持っているのか、興味と期待を持っていただけると嬉しい。それでは、また来週のこの時間にお会いできることを願おう。

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