第七話 仔象のグルメ

 トントン


 寮の自室の扉が鳴った。誰が来たのだろうか。

 ちょうど部屋を出るところだったので、そのまま出る。


「エナム、ジェーデンの女将おかみさんの食堂に行くでしょ! どうせ同じ場所なんだし、一緒に行こうよ」


 そこにいたのは三メートルに届こうかという巨体だった。特徴的なのはまず鼻だ。長く力強いフォルムをしている。顔の両横には、大きく広がった耳は垂れ下がっていた。

 だが、その巨体は二本の足で支えられている。アニマルアカデミーの改造技術によるものだが、その足はより一層堅強なものに思われた。


 仔象のサハストラ・マキシマムだ。彼女は私を誘いに来たらしい。


 自己紹介が遅かったなら、すまない。私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 ここ、アニマルアカデミーの要請によって、さまざまな動物たちの食レポを記述している。今回は目の前にいる彼女、サハストラのレポートを行うことになっていた。


「わざわざ来てくれたのか、ありがとう。ちょうど出るとこだったよ。行こう」


 私はそのまま靴を履き替え、部屋を出た。扉を閉めて、鍵をかける。

 その間にも、サハストラは話しかけてきた。巨体に似合わず声は高く、キャンキャンと捲くし立てるかのようだ。


「でもさ、でもさ、ジェーデンの女将さんのお料理、久しぶり! エナムはいつも食べてるんだよね! 羨ましい!」


 道すがら、そんな話をする。


「俺も楽しみだよ。なんか、草食動物のレポがあまりなくてね。だから、今日は美味しい野菜が食べられそう」


 そう言うと、サハストラはケタケタと笑う。本当に楽しみなんだというのが伝わってくるようだ。


「ほんとほんと、何が出るのかな。野菜かな、果物かな。エナムみたいに干し草だったら嫌だけど、女将さんのことだからそんなことないよね」


 干し草だって美味しいだろ。

 そんな言葉は飲み込みつつ、先を急ぐ。歩みの向こうには美味しいご馳走が待っているのだから。

 地上最大にして、草食獣の王であるゾウのグルメをとくと見せてもらおうじゃないか。


          ◇


 カラカラと音を鳴らし、食堂の扉が開く。

 その先には、何かの動物であろう、女将さんの朗らかな笑みがあった。


「あらぁ、いらっしゃい、エナムちゃんに、サハストラちゃん。いつも仲良しだよね」


 その気持ちのいい挨拶に、サハストラも捲くし立てるような口調で返す。


「わぁ、女将さん、お久しぶりでーす。ずっと会いたかったですよ。あ、あの、別にお料理が恋しかっただけじゃなくてぇ、女将さんの顔も見たかったっていうかぁ。

 あははー、私、何言ってんだろ。とにかく、すっごい楽しみだったんですよ」


 なんていうか、サハストラはうるさい。と言っても、不愉快なうるささではなく、周囲が賑やかになるかのようだ。

 ジェーデンの女将さんもそういう風に思っているのか、目を細めて、笑顔を湛えたように彼女の様子を見守っている。


「あ、そうだ。今日のメニューは何ですか? 少しだけでも教えてもらえませんか?」


 サハストラの言葉が止まったタイミングで女将さんに尋ねた。

 すると、女将さんはウフフと笑う。


「そうねぇ。今回はお野菜のメニューと果物のメニューを作ったのよ。特に果物で作ったデザートはちょっとした傑作なの。楽しみにしててね」


 その言葉で私たちの期待が上がる。食堂に入ってからずっとテンションの高かったサハストラはさらにけたたましい叫びを上げた。


「果物のデザートだって! 待って、すごい嬉しんだけど! うわぁ、楽しみすぎっ!」


 いやいや、食べる前からそんなテンションってどういうことなんだ。私は内心、少し呆れつつ、それでも、それだけ喜べる彼女のことを少し羨ましくも思う。

 まあ、私にとっても楽しみなことには変わらないんだけど。


          ◇


「かんぱーい」


 私とサハストラがなみなみとビールの注がれたジョッキをコチッと合わせると、一息にビールを飲み干していく。

 今回頼んだのはハートランドビール。麦の味わいがしっかりしているが、半面、飲み口はすっきりとしている。良く言えばバランスが良く、悪く言えばどっちつかず。でも、その感じが何だかいいね。フルーツが待っていると考えると、このくらいのビールがちょうどいいのかもしれない。


「でも、鼻で掴むんだ」


 私は思っていたことをそのまま口に出した。

 サハストラは長く伸びた鼻の先端でジョッキを掴み、そのまま器用に鼻を動かして、口元にまでジョッキを運んでいた。


「あははー、お行儀悪いかな。でも、こうしないと鼻にビールの香りが来ないのよ。

 それに、ゾウにとっては、これが伝統的で由緒ある食べ方なんじゃないかな! だから、いいってことにしてくれない?」


 なるほど。長い鼻も一長一短ということなのだろう。

 せっかくのビールなんだ。その香りも一緒に味わえないのでは、もったいない。


「エナムちゃん、サハストラちゃん、料理ができたよ。まずはスープからね」


 それはモロヘイヤのスープだった。澄み切ったスープにモロヘイヤの緑が映える。

 口にすると、トロトロのモロヘイヤの食感が楽しい。青みのある香りが実に気分をリフレッシュさせてくれる。


「うーん、美味しい。モロヘイヤのこの味わい、一番好きかもっ! なんていうか、すごい美味しいよね!」


 サハストラはやはり鼻で器用に匙を操り、口元にスープを運んでいた。

 それにしても、騒がしいばかりで、食レポに中身がない。いや、そんなものか。単純に美味しいという感想が最も素直な言葉なのかもしれない。


 続いて、カット野菜のバーニャカウダだ。キャベツやニンジン、ブロッコリー、カリフラワー、パプリカ、セロリが盛り付けられている。

 ディップソースはアルコールランプで軽く焙られており、適度な熱さが心地よく感じた。


「これも美味しい! このソース、すごい美味しいし、キャベツもニンジンもほんと最高! なんで、こんなに美味しいの!」


 サハストラの言葉だけでも美味しいということは伝わるだろう。

 ただ、詳しくレポートするならば、ディップソースはガーリックとオリーブオイルで味付けされていて、刺激的ながらも優しい味わいだ。その奥にあるほのかな酸味と清涼感はレモンだろうか。

 これにブロッコリーをつけて食べる。うん、美味しい。ブロッコリーのコクのある食べ心地がディップソースによって引き立てられている。カリフラワーの噛み応えもいいし、パプリカの香りと厚みも素晴らしい。セロリのスッとする強い香りもディップソースと合わさることで極上の美味しさに変わる。


「いや、これは美味しい」


 私の言葉もサハストラに引っ張られて単純なものになってしまう。


 さらに、スイートポテトが出された。サツマイモをこして、生クリームや砂糖と練った焼菓子だ。

 食べると、その滑らかさに驚かされる。そして、焼き芋の香ばしい香りと甘さが口いっぱいに広がっていった。


「あま~い! 美味しい! 幸せ~」


 もはや、サハストラの語彙が壊滅的だ。それだけ美味しいということだと思っていただきたい。


「ふふっ、本命はこれからなのよ。じゃーん、特製のメロンボール、召し上がれ!」


 女将さんが新たな皿を持ってくる。その中にはまるまる一個のメロンを器に見立てたデザートが入っていた。

 メロンのジューシーな果肉がゼリーでコーティングされて固まりになっており、その上にはチェリーが乗っかっている。


「すごーい、なんて豪華なの! 美味しそう!」


 サハストラも感嘆の悲鳴を上げた。実に美しく、完成度の高いデザートだ。悲鳴が上がるのもむべなるかな。

 そして、当然のことながら、実に美味しいスイーツであった。


「美味しい! ほんとに美味しい! 甘いし、上品だし、幸せ過ぎる! はぁ~、生きててよかった」


 美味しい食べ物というのは食べるものを幸せにしてくれる。料理にはそういう魔力というか祝福のような力があるのだろう。

 メロンの弾けるような瑞々しさ、それを覆う上品な甘さのゼリー、その奥に隠れたカスタードとスポンジケーキ。そのどれもが見事に噛み合い、絶妙なハーモニーを奏でているのだ。

 これは幸せをもたらす料理だ。女将さん、お見事です。


      ◇


 さて、今回の食レポはこれで終わろうと思う。美味しさとは幸せなのだと改めて実感させてもらった。

 アニマルアカデミーで改造され、人間の知性を得たことを必ずしもいいことだとは思わないが、それでも幸せを感じる瞬間があるということだけは喜ばしく思っている。


 今回はゾウのグルメとして送らせてもらったが、いかがだっただろうか。サハストラはいかんせん語彙力が足りないのだが、それでも一生懸命さと味わうことの喜びは伝わってくれていると嬉しい。

 うん、これが地上最強の草食動物の姿だ。と断言していいのかは疑問に残るけれども。


 次回はとんびのグルメをお送りしたいところだが、読者からアニマルアカデミーでの普段の暮らしがどんなものか知りたいとリクエストがあったらしい。そのため、予定を急遽変更し、学園での生活をお送りしよう。

 楽しみにしていただけるとありがたい。


 それでは、来週のこの時間にまたお会いできることを願っている。

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