第六話 蛙のグルメ

「ゲコゲコッ」


 待ち合わせの場所で、奇妙な鳴き声が聞こえた。何の音なんだろう。私は周囲を見渡した。


 おっと、その前に自己紹介しておこう。

 私はエナム・バンテン、野牛の仔だ。アニマルアカデミーの要請で動物たちの食レポを記録している。

 アニマルアカデミーにはさまざまな動物がいるが、改造手術を受けており、人間並みの知能を獲得している。大きさもある程度は差はあるが、野性のころと比べると、ある程度近いサイズに統一されているようだ。

 さて、今日の食レポはカエルのはずだけれども。


「どうしたんですか、モモさん?」


 ゲコゲコと奇声を上げていたのは、カエルの達磨だるま百ノ介もものすけだった。水飲み場で蛇口から水を出しながら、何かを洗っている。

 その体色は緑色で、黒や茶色の斑模様が浮かんでいる。喉から腹にかけては白くなっているようだ。目は飛び出ており、手には水かきがあった。体型はずんぐりとしている。どう見てもカエルというべき容貌ではあるが、二足歩行であり、身体の大きさも私と比べれば小柄ではあるものの、大差ない大きさだった。

 そして、口から出ているのは……。


「って、それ何ですか!?」


 思わず大声を出してしまった。

 百ノ介は口から臓器を吐き出している。それは、あまりにも奇怪な光景だった。


「ゲコゲコ」


 私に気づいたのか、百ノ介は臓器を口の中にしまいこんだ。

 いやいや、それどうなっているんだ?


「おお、エナムくんか。久しぶりにジェーデンの女将おかみさんの食堂に行けるのでね、あまりに楽しみなもんで、胃を洗っていたのだよ」


 説明されても何をやっているのかわからない。胃なんて、口から出して洗うものなのか。


「ああ、いや、ちょっとね。昨日飲みすぎちゃって、胃が荒れてたんだ。だからだよ」


 やはり、よくわからない。


「どういうことなんです? 胃を洗うなんて、そんなことあります?」


 私が疑問符だらけで尋ねると、百ノ介はゲロゲロと笑う。


「わからないのかもしれんな。ワシらカエルはそうなのだよ」


 どうやら、そういうものだと思うしかないらしい。

 私は百ノ介にちょっと得体の知れないものを感じながらも、連れ立ってジェーデンの女将さんの食堂へと向かっていった。


          ◇


 カラカラと音を立てて、食堂の扉を開ける。すると、ジェーデンの女将さんの笑顔が飛び込んできた。


「あらっ、いらっしゃい。エナムちゃんにモモちゃん。待っていたのよ」


 そうだ。少しばかり遅れてしまっていた。それもこれも、百ノ介が胃を洗うなんて奇行をしていたからだ。


「すみません、ちょっといろいろあって……」


 私は言い訳にもならないことを口にして、とりあえず、この場を胡麻化すことにした。


「すまんの、ついつい気合を入れて胃を洗っとったら時間が経ってしまってね。いやいや、でも、女将さんは相変わらず綺麗だねえ」


 胡麻化したことを百ノ介は全部言ってしまう。さらに軽口まで叩いていた。

 なんなんだ、このカエルは。


 ただ、少し気になることがある。

 ジェーデンの女将さんは確かに笑顔の気持ちのいい、気分のいい女将さんだ。けれど、一体、何の動物なのだろうか。

 私の知識では彼女がどんな動物なのか、よくわからないでいる。


「今日は昆虫料理を用意してくれてるんですよね。モモさんは昆虫も食べられるみたいだから」


 それを言うと女将さんは朗らかな表情のまま答えた。


「そうそう、用意してあるわ。それだけじゃなくて、川魚とか蜥蜴とかも用意してあるのよ。野菜もあるから、エナムちゃんも楽しめるかな」


 これは、ありがたい。昆虫は私も少しなら食べられるだろうけど、やはり美味しいのは野菜だ。


「ゲロゲロゲロ、これは楽しみだのう。どんな料理が出てくるか楽しみだわい」


 百ノ介が喉を鳴らす。その様子から、本当に楽しみだということがわかった。

 カエルのグルメがどういうものかどうか、見せてもらおうじゃないか。


          ◇


「ゴロゴロゴロ、やっぱりビールは美味いのう」


 料理ができる前に開けたビールを飲みながら、百ノ介は喉を鳴らした。目を細め、美味しそうに飲んでいる。

 でも、確かにビールは美味しい。


 今回のビールはコロナビールだ。人間の世界ではその名前だけで風評被害を受けたらしいが、野牛にもカエルにもそんなことは関係ない。ただ美味しいだけだ。

 ビールを流し込むときの細やかな炭酸は優しい刺激だった。口の中には、仄かな甘さが漂っている。ツンと来るような爽やかな香りがある。ただ、この香りはちょっと邪魔っけかもなあ。


「ふふっ、ビールもいいけど、料理も美味しいのよ。さどうぞ召し上がれ」


 女将さんが料理を運んできた。そこには揚げ物が並んでいる。天ぷらだ。


「おつゆもあるし、藻塩をかけるのも美味しいからね」


 カエルはオタマジャクシ時代、水草を食べるという。だとすると、藻塩というのはちょうど良いのかもしれない。

 私がそう言うと、女将さんはにっこり微笑む。


「おつゆはカツオから出汁を取ってるから、モモちゃんにはちょうどいいと思うのよ。エナムちゃんもこの味わいが楽しめるはずだけど」


 少し様子を見ていると、百ノ介は天ぷらの一つを箸で掴んで、つゆに浸した。触角の伸びた大柄の昆虫を揚げたもののように見える。


「ふむ、これはゴキブリだな。嬉しいな、大好物なんだ」


 その言葉に、私はギョッとする。哺乳類にとっては悍ましく見たくもない昆虫だろう。だが、そんなことはお構いなしに口の中に放り込んだ。そして、もぐもぐと咀嚼するような動きを見せる。


「あれ、カエルは肉食なのに咀嚼するんだ」


 私が疑問を口にすると、百ノ介は目を細めながら返事をする。


「咀嚼なんてできんよ。ワシには歯が上の歯しかないからのう。咀嚼しているんじゃなくて、押し込んでいるだけなのだよ」


 どうやらカエルもまた肉を丸呑みにするようだ。歯はあくまで獲物を逃がさないためにあるもので、咀嚼するためにあるわけではないらしい。


「でも、この天ぷらは美味しいものだよ。カリッとした食感が溜まらんの。眼球にまで伝わってくるようだ」


 カエルが口を動かすのは目の筋肉を使うという。だから、口の中で味わうと、眼にまで伝わるのかもしれない。


「ゴキブリの肉汁も堪らんの。汁は旨味たっぷりだ。何より、新鮮だよ。揚げられているというのに、触手がぴくぴくと動くんだ。この感覚は何とも言えず本能をくすぐるのう」


 どうやら、ゴキブリの天ぷらは美味しいらしい。

 私は緑色の天ぷらを箸で取った。ししとうだ。確かに、カラッと揚げられた天ぷらは噛み心地がいい。魚介のつゆというのも、少しなら美味に感じる。口の中で弾ける味わいと青い香りはししとうならではのものだった。うん、これはいいものだ。


「これは何かな。お、コオロギだな。コオロギも美味いんだよ。殻の感じがいいんだよなあ。揚げてあるからカリカリしてるね。これは消化しがいがあるなあ」


 どうも、カエルというのは口で味わうというよりも、胃で味わうらしい。そりゃあ、口から出して胃を洗うくらいだ。胃と口の境界線というものが薄いのだろう。


 そして、ワカサギに手をつける。川魚を天ぷらにしたものだ。


「うん、魚って美味しいよねえ。昆虫と違って肉厚なのがいい。魚は美味しい藻をたくさん食べているからかな。なんか味わいが深いんだよねえ」


 百ノ介がワカサギの天ぷらを堪能する。

 私も新たに天ぷらに手をつけた。これは春菊の天ぷらだ。濃厚な香りが食欲を掻き立てる。パリパリとした食感も楽しい。これは反芻のしがいもありそうだ。

 藻塩との相性も抜群で、藻の香りと春菊の香りが合わさって、幸せな感覚が押し寄せてくる。


 次に、百ノ介は新たな天ぷらを手にした。ヤモリの天ぷらだ。


「ヤモリってねえ、食べたことあるかい。意外に優しい味なんだよなあ。でも、天ぷらにしたことで刺激もたっぷりになってるよ。なんていうかな、香ばしい肉質が楽しくてね、旨味もたっぷりにあるんだ。胃の中で溶けるごとに満足感がどんどん高まっていくようだよ」


 やはり、肉食の動物は丸呑みにするようだ。けれど、胃の中で味わうというような感覚もあるのかもしれない。

 胃と口の境界が曖昧なカエルのグルメは、またほかの肉食動物とは違うグルメ感覚があるのかもしれない。今回のレポートでそんなことを感じていただければ嬉しい。


          ◇


 さて、ここで今回の食レポを終わろう。

 肉食動物が多い感のあるこのレポートではあるが、むしろ草食動物の珍しさを実感してほしいところだ。動物は基本的に肉食であり、草食はより進化した姿なのだろう。


 今回はようやく昆虫食のレポートをお届けすることができた。どうだろう、肉食や雑食の読者は昆虫食への興味が湧いてきたのではないだろうか。

 明日の夕食はゴキブリかコオロギか。楽しんでもらえるなら、私もレポートした価値があるというものだ。


 次回は地上最大の動物、象に登場してもらいたいと思う。草食動物の最高峰である象によって、草食動物がいかに進化した存在であることを知らしめてもらおうじゃないか。

 それでは、また来週、この時間にお会いできることを願っている。

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