第五話 ゴリラのグルメ
「エナムくん、来るの遅い。どれだけ待たせるのよ」
そんな不満を露わにしたのは、ゴリラのテン・G・G・ディールハイだ。とはいえ、本当に怒っているわけではなく、目元はどこか楽し気に微笑んでいる。私の見当が外れていなければ、ではあるが。
アニマルアカデミーの哺乳動物の宿舎は肉食と草食とで分かれている。雑食性のはずのテンは草食性の宿舎に組み込まれていた。なので、彼女とは顔を合わせる機会が多く、顔馴染みだ。
まずは名乗っておこう。私はエナム・バンテン。野牛の仔だ。もっとも、ここアニマルアカデミーにあっては二足で歩行し、言語を解する。野性なんて、残っていない。
アカデミーの要請があり、さまざまな動物の仔たちの食レポを集めている。今回の主役はテン、ゴリラの仔だ。褐色のふさふさした毛で全身が覆われているが、それでも全身に筋肉がみなぎっているのが見えた。ゴリラらしいルックスといえよう。
だが、
「別に時間には遅れてないはず。むしろ、時間通りじゃないか」
そう弁明したが、どうやらテンは許してくれないようだ。
「もうっ、そういうとこだよねー。もっとさ、時間前にいろいろ説明してくれたり、アドバイスしてくれたりするもんじゃないの。
エナムくんは何回もこの食レポやってるわけでしょ。慣れてきてるから、どうすれば、より上手く回せるとか考えないわけ?」
なるほど、彼女なりに今回の食レポを円滑に進めることを考えていたわけか。
けれど、私も何も考えずに経験だけを積んだわけじゃない。この場は私のやり方に会わせてもらいたいところだ。
「そんなことは気にしなくて大丈夫。自然な感想を見せる場所だからさ。
それより、テンちゃんは肉食したりするの? ゴリラって雑食性だよね」
テンの主張を落ち着かせ、自然に食レポへの導入に変える。
どうですか、見事な手腕といえるでしょう。私も経験を積んで、だいぶ成長しているなあ。
「ゴリラは雑食といってもほとんど草食だから。果物とか、野菜とか、その辺りが主食なのよね。私の祖先は昆虫を食べてたんぱく源にしていたみたいだけど、私がよく食べるのは卵料理とかケーキとかかなあ」
むむ。昆虫食をしていたのか。前回諦めた昆虫食の特集は今回やるべきだったのかもしれない。
しかし、準備ができていないし、それは次回に考えていることがある。後日の楽しみにしてもらいたい。
「聞いたことがあるかも。ゴリラケーキだっけ?」
この発言をすると、テンの表情が曇った。
「それねー。
どうやらゴリラケーキは好きな食べ物ではないようだ。
そんな話をしつつ、私たちはジェーデンの女将さんの食堂へと向かっていった。
◇
カランカラン
食堂の扉が開くと、女将さんの朗らかな笑顔が飛び込んできた。
「あらっ、いらっしゃい。エナムちゃん、テンちゃん、お揃いでどうぞ!」
そう言って、女将さんはテーブルに案内してくれる。私たちは席につくと、女将さんに尋ねた。
「女将さん、今日はどんなメニューなんですか」
そう言うと、女将さんは首を傾げ、少し考えると、ニッコリと笑う。
「うーん、言っちゃおうかなぁ。実はね、ケーキを焼いているのよ」
その言葉に私とテンが目を合わせて固まった。さっき話していたことが、そのまま蘇る。
テンの苦手にしているらしい、ゴリラケーキが出るのだろうか。
「それって、ゴリラケーキってやつですか?」
私が尋ねる。すると、アッハッハッハと磊落な笑い声が女将さんから響いた。
「そんな人間たちの失敗作なんて出さないわよ。ふふふっ、どんなケーキかは楽しみに待っていてほしいなあ。期待して、間違いないはずだからさっ」
それを聞いて、私たちは安堵する。そして、笑いあった。
女将さんの言葉通り、ケーキは楽しみだ。
「そういえば、今まで三人と食レポやってたけど、みんな肉食だったから、あまり味を共有はできなかったな」
私の発言を聞くと、テンは悪戯めいた笑みを見せる。
「あははっ、じゃあ今回は今までの食レポの中でも特別なものになるんじゃない?」
あまり意味はわからなかったが、私はその言葉に頷いた。
◇
「かんぱーい!」
私とテンはビールの注がれたジョッキをかち合わせ、声を上げた。そして、一息にビールを飲む。
今回注がれているのは、ヨナヨナビール。渋みの強い味わいによって、何とも言えない喜びが込み上げてくる。その奥にはフルーティな香りがあり、すっきりとした飲み口によりいくらでも飲んでいられた。実に美味しいビールだ。
この食レポでは毎回さまざまなビールの味わいもお届けしたいと思っている。思ってはいるのだが、つい忘れてしまうことが多かった。
それも仔牛のグルメの持ち味と思い、受け入れてくれると嬉しい。
「うん、ビールって美味しいねっ。甘くないのに甘い感じ、ほかのフルーツの味を思い起こすからなのかなあ」
テンも目を細めながら、ビールの味わいを堪能しているようだ。
そこに女将さんがいくつかの皿を持って近づいてきた。
「まずはフルーツをどうぞ。エナムちゃんには牧草のサラダもあるわよ」
そう言って、テーブルにお皿を置く。リンゴやバナナ、パパイヤなどの果物が置かれていた。
サラダは牧草とほうれん草が絡み合ったもので、リンゴのソースが掛かっている。牧草は無理かもしれないが、ほうれん草の部分なら点も食べられるかもしれない。
「果物はね、こうやって皮を剥いたり、種を避けたり、面倒に思うことでも、やりながら食べることが大切なんだよ」
テンはそう言いながら、バナナを手に取ると、皮を剥いて口に含んだ。そして、むしゃむしゃと咀嚼していく。
ゴリラもやはり咀嚼するのだ。
「うん、美味しい。甘くて、爽やかな香りがあって、どこかミルクっぽい満足感もあるね。これがバナナの美味しさ」
もう一口バナナを食べて、美味しそうに目を細める。
そして、言葉を続ける。
「さっきさ、ゴリラケーキの話をしたじゃない。あれはね、人間がゴリラのために作ったケーキなのよ。ゴリラに必要な栄養素を計算して、それを全部混ぜ合わせて、スポンジケーキの状態にしたのがゴリラケーキ。炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミンとかね。
でも、それを毎日食べさせられたゴリラはどうなったと思う? 全身の毛を自分で剥いちゃったんだ。ノイローゼになってしまったのよ」
そう言いながら、バナナを食べ終えた彼女は、パパイヤを手にして、ナイフを使って皮を剥き始めた。
「食べ物はさ、食べやすければいいってものじゃない。食べる過程だって大切よね。バナナの皮を剥くのだって、パパイヤを切るのだって、美味しさの一つなんだよ。噛み応えだったり、個々の味わいだって、なきゃいけないものだよ。
ただ、咀嚼すればいい。そんな考えで食事をするのは体に悪いんだ。
なんでもそうだよ、必要な栄養だけ取り出して、食事したつもりになるのはいいことじゃないのよ」
私は私で、サラダを食べることにする。
リンゴのソースは甘く、その香りは食欲を誘った。そのソースのかかった牧草は味わいを増したようで、いくらでも食べられる。ほうれん草の鮮烈な美味しさも際立つものになっていた。
「そんなものかな」
私はテンに相槌を打ちながら、第二の胃に弾かれた牧草を反芻して味わう。
「でも、食事は美味しくなきゃいけないってのは同意だな。そこに、何万年、何億年をかけて、本能が選んできた大事なものがあるはずなんだ」
そこに女将さんがやって来た。
「さあ、ケーキが焼けたよ。ふふっ、お口に合うといいんだけど」
そう言うと、パウンドケーキの乗った皿をテーブルに置き、ケーキを切って、お皿に取り分ける。
私の目の前にも、テンの目の前にも、ケーキが差し出された。小麦色に焼けた生地の中にフルーツが散りばめられている。香ばしく、甘い匂いが漂い、いやが応にも食欲が掻き立てられた。
その甘い匂いを感じながら、ケーキを一口大に切り、口の中に放る。ブランデーのなぜだか甘い香りが口いっぱいに広がる。これを甘いと感じるのは、香りから甘さを連想するからだろうか。
そして、散りばめられたフルーツの味わい。甘さとともに苦さを感じる。そして、その苦さが甘さを引き立てていた。スポンジケーキの甘さも強調されるようだ。
うん。上品な味わい。実に美味しいケーキだ。
「ははっ、これ、ほんと美味しい。甘いだけじゃないね、どこかビターでさ、しっとりとした柔らかさもあって。なんていうか、オシャレよね。
女将さんのセンスがすごくいいっていうか。まあ、つまり、美味しんだけどっ」
テンは気持ちの高揚するものを抑えつつ、感想を述べてくれた。
まあ、そういうことだ。美味しい、それが一番大事なことじゃないかな。それをないがしろにした食事はどこかで歪むのだと思う。
女将さんのケーキはゴリラのためのケーキであって、心のないゴリラケーキじゃない。絶品というべき料理だった。
◇
さて、これで今回の食レポは終わりにしよう。ケーキというのは、素晴らしいご馳走だ。堪能させてもらった。
え? テンと私の関係はどういうものかって? 宿舎の隣人と言うしかないと思うんだけど。
ゴリラケーキは話には聞いていたけど、過去に存在したそれは美味しそうな代物じゃなかったな。女将さんも存在を知っていたみたいだけど、あの人は本当に勉強熱心だよね。
その上で、あんな美味しくて、栄養たっぷりのメニューを出すんだから、本当にすごい。
さて、次回は両生類に焦点を当てたいと思う。カエルのグルメと呼ぶべき回になるだろう。
前回、今回とスルーしてしまった昆虫食については、次回取材できるかな。楽しみにしていた方には申し訳ないが、次回に期待してほしい。
それでは、次回もこの時間にお会いできると嬉しい。よろしく頼む。
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