第三話 開幕のベル 前編
フランチェスカの繰り出すヘビは
ボクは流水の勢いで身体を高速機動させ、毒牙を躱しながら思考を巡らせた。今やるべきは、敵の持つ謎の
既にボクはそのヒントを得ていた。先刻自分が術を掛けられた時、何らかのきっかけで術が自然と解除されたのだ。きっかけはおそらく、フランチェスカがボクに接近した事。だが、術師である彼女の本体が術の対象であるボクに近付きさえしなければよいのであれば、自分から殴り掛かる真似はしない筈だ。推測だが“
「どうしました? 防戦一方でありますねえ。早くしないと、お仲間が“
フランチェスカは此方を挑発しながら、“
「エヴァ―ライフの職人達を甘く見ないでください。あんな蛇程度にやられる程、やわな頭脳じゃありませんよ!」精一杯の強がりを返し、余裕を装う。
「本当に可愛くないお子様でありますねえ」
フランチェスカが三度目の魔眼を切り、跳躍していたボクの身体が空中で静止する。その時間を使って彼女は余裕たっぷりに印を結び、床に黄金の円環を叩きつけた。
「“
裂けた床石から九匹の大蛇が伸び上がり、毒牙を殺到させる。敵の
再び身体が動いた頃には、既に無数の蛇の顎がボクへと迫っていた。
「小生の最強術であります! もう何処にも逃げ場はありませんよお!」勝ち誇った声で叫ぶフランチェスカの眼前で、ボクは白衣の内側に隠し持っていたアゾット剣を取り出した。その柄にはめられた赤い宝石を、ボクはかちりと捻る。
「同期完了――自動オペレーション開始」
ボクの握る刀身は巨大化し、人間が振り回すには余りに巨大なサイズへと変化する。これが鉄学者の武器:アゾット剣。柄の宝石を捻るか、刃に衝撃を加える事で内部に仕込まれた
ボクの掲げる巨大なアゾット剣は背後の水乙女によって握られ、四方の蛇達を一刀の下に斬り掃う。ぼとぼとと落ちる首と血の雨を浴び、ボクは固まっているフランチェスカの目を見返した。
「お前は鉄学者の戦い方を知らなさ過ぎます。自分の力だけを過信して相手を見ないのであれば、何も見えていないのと同じですよ」
「何ですと……? 一度攻撃を見切った位で図に乗らないでもらいましょうか!」
フランチェスカがウインクをしようとした刹那、ボクは両の手を打って水の柱を天上へと噴き上げる。その後一瞬体が硬直したが、それは殆ど意識に登らない程微かなものだった。
「能力が発動しない……? そんな馬鹿な!」
狼狽えるフランチェスカの顔面を、ボクの鉄拳が貫いてぶっ飛ばす。床を転がって目を開いた彼女の頭上には、覆い被さるキザイアの姿があった。
「空間ごと凍結させる
振り下ろされたキザイアの拳に対し、フランチェスカは懐から何かを取り出す。すると彼女の姿が瞬時に掻き消え、キザイアの剛拳が床石を砕いた。
割れた床石の上には、ひしゃげた写真が残されている。
「いやはやまったく……。魔女というのはどいつもこいつもゴリラ揃いで恐ろしいでありますねえ」
フランチェスカはいつの間にか、開放研究室に残っていた長椅子に悠々と腰掛けていた。
「なるほど。それがお前の能力の正体でしたか」
ボクは、その紙切れに心当たりがあった。フランチェスカが最初にボク達へ見せた、部下に撮らせたという証拠写真だ。
「『写真を撮る』のが、お前の
だが固定できるのはあくまで被写体のみだ。裏を返せば、被写体となった空間と写真に写った光景は同一である必要がある。故に被写体以外の目に見える物体が固定されている空間内に入り込むと、
「そしてもう一つが、『写真に収めた空間へと移動する』能力。まさかキザイアさん以外にも、空間跳躍の使い手がいるとは思いませんでした」
ボクの指摘に、フランチェスカは冷笑を浮かべる。それは余裕の表れだ。
「よもや小生の“
フランチェスカはウインクをし、新たな写真を手の内へと錬成する。そして、写真の中へと吸い込まれていった。一瞬の後に、
その動きを、ボクは完全に見切っていた。流水の勢いで放たれる裏拳が、フランチェスカの右胸を捉える。肺腑を叩かれた彼女は「がふっ!」と悲鳴を上げて吐血し、宙を舞って床石へと叩き付けられた。
「な、何故……。完全に死角からの一撃だったのに……!」
「――
ボクはマケドニアの故事成語を呟き、倒れるフランチェスカの喉元にアゾット剣を突き付ける。
古来、
「残念ですが、ボクに死角はありません。“
「う、占い? そんな子供騙しに小生が……!」
「お前如きを騙すのなんて、子供を相手にするより簡単ですが?」
フランチェスカの首を掻き切るべく、アゾット剣に力を籠める。
「お前は此処で始末させてもらいます。
「ひひ……! ならばお望み通りに致しましょう!」
彼女の身体は隠し持っていた写真の中へと吸い込まれていく。その場に残されたのは、最初にボク達へと見せた地下食堂の写真だった。
「しまった! あいつ、
ボクは地下へと走り出す。空間跳躍持ちの敵を相手に、抑え込んだ気になったのは失敗だった。
「アルカ、焦るんじゃないよ。見たところ、写真の空間跳躍は一方通行だ。もうそう遠くへは逃げられない筈さね。
二人で階下へ続く階段に突入しようとしたその時、背後で床石の爆ぜる音が響く。咄嗟に振り返ると、そこには巨大な人間の腕が床を突き破って伸びていた。腕は大きな鱗で覆われており、最早竜と形容した方が相応しい威容を誇る。
「嘘……!」思わず喉の奥から悲鳴が漏れた。
その恐怖に応えるかのように、厚い石の床を容易く突き破り、元の何倍にも大きくなったフランチェスカの上半身が姿を現したのだ。全身の衣服は千切れ飛び、一糸纏わぬ姿で彼女の巨体が這いずり出てくる。
その下半身は、人間の脚から大蛇の胴体へと変貌していた。咆哮するフランチェスカの側頭部からは、“
「素晴らしい……。これが小生でありますか! 全身に力が漲ってくる。脱皮して生まれ変わった気分でありますよ!」
フランチェスカがばしんと印を結ぶと、全身の鱗が剥がれて逆立っていく。
「“
一個一個が短剣同然の刃渡りを持つ鱗が全方位に降り注ぎ、床石へと突き刺さる。閃光にも等しい運動の爆発はボクの肩口を切り裂き、鮮血と共に後方へと押し倒した。鱗が巨大化しているだけではなく、それを射出できるだけの莫大な運動エネルギーを錬り出せるようになっている。
「通常では考えられない量の燈を行使できる……。これが
フランチェスカは“
「アルカ……あんただけでも逃げな」キザイアはそう言って、ネズミの形をした金属生命体を錬成する。
これが“
「あたしが時間を稼ぐ。穴はギルドの外まで繋げておいたから、アルカは他のギルドで身を隠すんだ。ウィッチドリームのギルマンなら匿ってくれるよ」
そう告げるキザイアは脇腹に鱗を受け、最早戦闘不能の傷を負っていた。
「そんな……。ボク、キザイアさんを置いてなんて行けません」
「だからって、此処で二人で死ぬ気かい? あたしはそんな事の為にアルカの世話を焼いてきた訳じゃないさね」
キザイアはボクを言葉で突き放して印を結ぶ。
「“
彼女を背に乗せる形で現れたのは、尻尾の部分で放射線状に融合した七匹の大ネズミである。王を擁かない術師にとって、最大の切り札である
自分達を体躯で圧倒するフランチェスカへと“
相手が人間の術師であれば七つの口に食い殺されて終わりだろうが、フランチェスカは肉を裂かれながらもまるで動じる様子が無い。腕で一匹ずつネズミの胴を鷲掴みにしては、片腕の握力の身で背骨を圧し折って無力化していく。
大した時間稼ぎにすらなっていないのは明白だ。このまま戦いを見守っていれば、ボクもキザイアも殺されるのは時間の問題だろう。
それでもなおキザイアを置いて行けないと言うのなら、ボクは今すぐ立ち上がって彼女の傍を歩くべきなのに。ボクの身体は起き上がる事さえしようとしない。
ボクは自分の安堵に気付いていた。できる事なら、このままやり過ごせないものだろうか。奇跡が起きて、キザイアが敵を倒してくれはしないだろうか。……ああ。ボクは卑怯者だ。こんな時でも頭の中を駆け巡るのは「死にたくない」という思いばっかりで、ギルドの仲間が自分に託してくれた期待だとか、キザイアの親心なんてこれっぽっちも頭に入ってこない。
全部、あの王の言う通りだ。ボクの願いなんて、最果てへ掲げるに値しない。何処までも自己中心的で、閉鎖的で、世界の全てなんてものとは天と地程も遠い。それでも尚、ボクはこの夢に意地汚くしがみ付いてしまうのだ。だって死ぬのは恐ろしい。死ねば全てが終わってしまうという事を、
「誰か……ボクを助けて……!」
小さな鳴き声がボクの孤独な世界に響いた時、地の底から轟音を上げて巨大な勇者は現れた。
その全身には二律背反の統合を表す太陽と月の紋章が刻まれ、真っ白な長い髪は背中で二房に結わえられて、大きな背中で太鼓を鳴らすかの如く踊る。太陽色の肌は巻き上がる瓦礫を鋼の甲冑同然に弾き、蒼天から差し込む光を浴びて黄金のように眩しかった。太い脚がボクの眼前で大地を踏みしめ、周囲の瓦礫が彼に代わって盛大な足音を鳴らす。
王はボクを振り返ると、歯をにっと剥き不敵に笑った。
「無様な姿だな、アルカ。そんな姿勢で乃公の臣下を名乗る気か?」
「な、何でお前が……!」
間違いなく、自分の手で殺した筈なのに。まさかイスカンダルの燈の力も無しに、自力で復活したとでもいうのか!
「憶えておけ。王とは気まぐれなものだとな。……二度も死ねば気が変わったわ。アルカの言う通り、死とはあまり心地のよいものではないな」そして、王は地を這うボクに向かって力強く手を伸ばす。「乃公の王国で永遠を享受したくば、この手を取るがいい。そして、最果てへと導いてみせろ」
両の目から、堰を切って涙が溢れる。だがそれを拭う事すら忘れ、ボクは立ち上がって王の手を握った。
「気付くのが遅いんですよ、このおバカ!」
「ふん、相変わらず生意気な女だ。だが好い。無礼を知らぬは猫の性よ。膝の上で存分に愛でてやろうぞ」
繋いでいた手を王から離すと、胸の前で印を結んでいく。全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。そして、完全なる円環を成す究極の黄金へ。第五の印は円の軌跡から黄金の炎となって立ち昇り、契約の冠となる。
「“
ボクはそれを頭上へと掲げ、頭を下げた王へと被せる。殺戮に熱中していたフランチェスカもその事態にようやく気が付き、此方へと身体を向けた。
「小賢しい真似を……。ですが最早、貴女達が魔女である証拠など不要。疑わしき者は全て小生の独断と偏見により処刑するのであります!」
フランチェスカが印を結ぶと同時に彼女の下半身が蠕動し、
「ふざけた大きさの蛇だな。この世界の鶏は余程栄養があると見える」
そして王は拳を振り被り――術師の叡智も騎士の神秘も、その一切を下らぬものだと笑い捨てるかの如く、横薙ぎの殴打でフランチェスカの頸を直角に叩き折ってぶっ飛ばしたのだ。哀れな獣は潰れた頭蓋から床石に突っ込み、踏みつぶされた虫のように痙攣する。
「この乃公を前に頭が高いわ! その邪魔な図体で息をしていたくば、呼吸の味が土と同じになるまで精々這いつくばれ!」
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