第22話 王太子と子爵夫人を生贄にする(※残酷シーンあり)

 王太子は屋敷の中に入った。そして、玄関から入ってすぐ手前にあるキルゲーン子爵夫人が寝ている部屋に入ってきた。夫人の姿を認めると鼻の下を伸ばした締まりのない顔になった。そのまま、服を脱ぎ棄てベッドの中に入っていった。


「……サイネル……起きてるの?」


 最初フリシア・キルゲーンは俺が戻ってきたと思ったらしい。確かに背格好はよく似ている。


「ん……?私は大公ではないが……」


 夫人は動揺どうようした様子で言った。


「えっ、あなた……誰?いや、こっちにこないで!」


「おっ、おい、君、何を言っているんだ、そもそも君の方から」


 夫人は語気鋭く言い放つ。


「やめて、あっちに行って!」


 王太子が子爵夫人の左手を軽くつかんで言った


「おい話を聞け!静かにしろと言ってるのがわからないのか!」


「離して!今すぐここから出ていって!」


 フリシアは机の上を一瞥いちべつし、短剣に目を止める。夫人は右手を伸ばしてテーブルの上にある短剣を取り、王太子に突きつけてさらに言った。


「今すぐここから出ていきなさい、さもなくばこれで刺すわよ!」


 なにしろ王太子はそれなりのイケメン美男子でありしかも高貴な血筋。女からこんな風に扱われるのは初めてだったに違いない。そして魔法香は人の理性を破壊し感情を高ぶらせる。


「誰に刃を向けている!この無礼者がっ!」


 王太子は狼狽ろうばいした。傷ついた。そして激高した。


 二人はもみ合った。ベッドがぎしぎしと音を立てる。王太子がキルゲーン夫人の手をねじった。短剣が落ちる。そのまま短剣を拾い上げ夫人の胸に突き立てた。


「ああっ!」


 夫人が短く悲鳴を上げる。ベッドが赤く染まる。夫人は恨みのこもった眼差まなざしで王太子をにらんだが、やがて眼から光が消えていく。フリシア・キルゲーンは微動だにしなくなった。


 王太子は自分がやったことが信じられず茫然ぼうぜんとしている。血塗られた自身の手を見つめる。


 数分部屋の時が止まった。王太子の荒い息遣いだけが聞こえる。やがて王太子はよろよろと立ち上がった。さすがにこのままではマズいから、ひとまず部屋を出ようと思ったのだろう。


 ちょうどその少し前に、近衛隊長ジョールズ・コニウェル子爵が邸宅の中に入ってきていた。コニウェル子爵は王太子とは違って警戒心に満ちた顔をしている。屋敷の門前で不審な無人の馬車が停まっていたからだ。このボロい馬車が王太子のものだとは予想できなかっただろう。


 絶妙なタイミングで、コニウェル子爵が部屋の扉を開けた。部屋に満ちる男と女のにおい。血の臭い。魔法香の匂い。血に染まり絶命した女性。彼には雰囲気ですぐに彼女がキルゲーン子爵夫人だと察せられた。そして返り血を浴びた裸の若い男。


「貴様何をした!この盗賊めがっ!」


 近衛隊長は夫人が盗賊かなにかに襲われたと思ったらしい。ご自慢の剣技で一刀両断に男を斬り伏せた。男は倒れた。みるみるうちに床に血だまりができた。


 コニウェル子爵は燭台しょくだいの灯りに浮かび上がる盗賊の顔を確認した。剛毅ごうきな近衛隊長の顔から、たちまち血の気が引いた。


「……あ、あなたは……王太子殿下……なっ、なぜここに……」


 男はこの国で国王、王妃の次に尊貴なる存在、王太子オーター・ブタイッシュだった。近衛隊長はがっくりと膝から崩れ落ちた。


 さあ、ここで俺の出番だ。俺は奥の部屋を出て、惨劇さんげきの起きた手前の部屋へと向かった。ゆったりとした足取りで部屋に入り、茫然自失としている近衛隊長にニタニタしながら言葉を放つ。


「やってしまいましたねえ、近衛隊長コニウェル子爵。王族殺しは大罪。しかも相手は次期国王たる王太子殿下。あなたはもう終わり。一族郎党すべて、拷問されたうえでの処刑はまぬがれませんなあ」


 近衛隊長がうつろな目で俺を見返した。


 俺は続けた。


「ただひとつ、あなたには処刑もされず地位も財産も今まで通りにできる方法がある」


 近衛隊長の目に少しだけ生気が戻った。


 俺は嘲笑ちょうしょうしながら言った。もっとも醜悪しゅうあくな悪魔でもこの時の俺ほど醜い笑い方はできなかっただろう。


「くっくくっ……ふふぁはははは……そう……私の言うとおりに行動すればね」

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