第18話 部下の妻に会いに行く

 俺は馬車に乗ってキルゲーン子爵邸に向かっている。


 もちろん子爵夫人フリシア・キルゲーンを落とすためだ。俺の予想通り、子爵夫人はヘンキロン島に行くことを拒み王都オンドンに留まることを選択していた。


 キルゲーンをヘンキロン島に追いやった理由の一つは、夫人を手に入れるためだ。何しろ子爵夫人はブタイッシュでも評判の絶世の美女。この女と寝なければ、何のためにこの世界でチート容姿と魅了魔法を授かったのかわからない。


 さらには、この女に対し近衛隊長ジョールズ・コニウェルが横恋慕よこれんぼしている。彼女は俺のクーデター計画の鍵でもあるのだ。


 俺は王都内にあるキルゲーン子爵の邸宅を訪ねた。家主の性格を反映したかのような小ぶりで質実剛健な屋敷だった。


 従者を使って都合を尋ねさせると子爵夫人が直接門のところまで来た。あたりが急に明るくなった気がした。彼女の美貌のせいだ。ゆるくウェーブがかかった豊かなロングヘアーに品のよい髪飾りをつけている。香水の甘い香りがあたりに漂う。色とりどりの花々が刺繍ししゅうされた華やかな服に身を包んでいた。


 彼女は淡々と言った。


「夫からあなたのお話はかねがね伺っております。ですが、あなたとお話することはありませんわ。今日のところはお引き取りくださいませ」 


 俺は一礼して帰った。エリンドン大公家に帰る馬車に揺られながら俺は思った。


 けんもほろろ。一見取り付く島もないように見える。俺は夫の仇として憎まれているのか?いやそうではあるまい。


 確かにキルゲーン子爵は俺の悪口を夫人に吹き込んでいるだろう。だが、彼女が俺のことを毛嫌いしているならば使用人を使って門前払いにすればいい。なぜ直接会いに来た?


 本当は俺に興味があって、俺の姿を直接見るために門前まで来たのではないだろうか。あいつのプライドと多少の道徳心がああいう態度を取らせたのだろう。あの気合の入った装いもそう考えると納得がいく。


 もちろん早とちりは禁物だ。俺のことを本当に嫌悪している可能性もある。気合を入れて着飾っていたように見えるのも彼女の美意識の高さがなせるわざで、実は普段通りなのかもしれない。


 俺の魅了魔法も固く心を閉ざした相手に対しては効果がない。慎重に事を運ぶ必要がある。


 俺はフリシア・キルゲーンについて考えを巡らせた。


 彼女はまだ25歳。おれとそう変わらない年齢の若き美女。これまでは伯爵令嬢として甘やかされ、絶世の美女としてちやほやされてきた。それが堅物で面白みのない夫との政略結婚。結婚3年目で子供もいない。しかも格下の子爵家だ。今の日常に満足しているとは思えない。


 彼女の美貌なら侯爵や公爵、いや王族との結婚だってあり得ただろう。父親の伯爵はキルゲーン子爵の将来性を買って娘を嫁がせたのだろうが、ヘンキロン島に左遷されたことで出世の道もなくなった。

 

 彼女にこれから先キルゲーンの質素な邸宅で修道女のようなつつましい生活ができるだろうか?できるはずがない。そもそもキルゲーン子爵との間に本物の愛情があるのならヘンキロン島に付いていくはずだ。


 あの女は退屈で面白みのない乾ききった日常に不満を抱いている。自分よりも美貌において劣る女が大貴族婦人として社交界を闊歩かっぽしている。それを目の当たりにした彼女は嫉妬と不遇感に身をよじらせるだろう。


 あいつは待っている。退屈な日常を打ち破る冒険へと誘う貴公子を。そして、眠らされている感情に火をつけてくれる存在を。あの女の中にひっそりと欲望の蛇がとぐろを巻いている。この蛇をつついてやればいい。


 俺はつぶやいた。


「……フリシア・キルゲーン、ありがたく思え。お前の精神と身体に俺がうるおいを与えてやるよ」

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