女王のセオリー

羽間慧

第1話 耳飾りにはご用心

 一年生になったら、友達百人できるかな。ハミングしながらランドセルを背負った日、同級生は八十七人しかいないことを知った。だから、中学生は百人以上の友達を作るって決めたんだ。

 なのに、入学初日からピンチ、ピンチ、大ピンチ!


 わたしは家のドアを開けた。隣の家から出てきたかいくんに、大きく手を振る。


世織せおり、おはよ。似合ってんじゃん。セーラー服」


 界くんも学ラン似合ってるよ。そう答えるタイミングなんだろうけど、わたしには余裕がなかった。


「界くん、これ、バレるかなぁ?」


 わたしは両方の耳たぶを指さした。不思議そうな顔をした界くんはわたしの目の前まで歩み寄り、あっと声を上げる。


「ピアス穴、開けたのかよ」


 やっぱり、虫刺されには見えないよね。わたしは界くんの肩をつかんだ。


「もしかして校則違反?」

「そうだよ。生徒手帳に書いてあっただろうが。書類一式もらったときに読まなかったのかよ」

「ついさっき読んだよ。小さい文字がたくさんあるの嫌だから、なかなか読む気になれなかったんだよね」


 お母さんに渡しておいたら、たいていのことは解決する。難しい漢字だらけだと眠くなっちゃうよ。風紀のページをめくったのは、校章のバッジをつける位置が知りたかったから。メイクと髪染めはするつもりがなかったけど、ピアス禁止もダメなんて知らなかったよ。


 界くんは大きなため息をついた。


「なんでピアスなんて開けたんだ? まじめな世織らしくない」

「ずっとピアスをつけてみたかったの。推しカラーのアクセサリー、指輪だとうっかり落としちゃいそうだし。ラバーストラップやアクリルスタンドが売られていないキャラだからこそ、応援しているファンがいることを伝えたいの。『大好きだよ、すみれくん』って」

「……おぉ」


 界くんは、ドキドキすんなとつぶやいていた。


 推しにドキドキしないなんて無理だよ。乙女ゲームのモブキャラだから直接会話することはできないけど、昨日もすみれくん最高と呟きながらプレイしていた。


 すみれくんはヒロインのことが好きなのに、空気を読んで先に帰ったんだよ。告白イベントを邪魔する場面にもかかわらず、ヒロインの幸せを優先するなんて。優しすぎるすみれくんに、どうしてヒロインは気づいてあげないのかな。都合よく卵の買い出しを頼まれる訳ないでしょ!


 すみれくんのスチルを用意してくれない運営もどうかしているよ! 薄い桃色の髪に、ゆらゆらと揺れるリングピアスは、メインキャラと同じくらい目を引く。続編が制作されるときは、攻略対象に昇格させてほしい。

 

「世織に好きなものがあるのはいいことだと思うけどさ。すみれくんについて語るとき、すっげー楽しそうだしよ。でも、ピアスよりイヤリングにしとけばよかったんじゃねーの?」

「イヤリング痛い」

「注射が嫌いな子どもかよ! ピアスの穴を開ける方が痛いだろうが」

「それが、思ったよりも痛くはなかったの! 愛があれば試練を乗り越えられるってことかもね」

「後先考えないで春休みに開けたから、ピンチになっているんじゃないか! 髪で隠すつもりだろうけど、ボブだと隙間から見えるぞ!」


 わたしは横髪を抑えた。そんなに見つめないで。

 このままじゃ、先生もクラスメイトもあきれちゃうよ。普通の学校生活を送りたいのに、不良なんて思われるのは困る。同じ小学校の友達からも、避けられてちゃうかも。


「時間よ、戻れ!」


 両手をにぎり、わたしは叫ぶ。幼稚園の劇で演じた、偉大な魔法使いを思い出して。


「なーんて、呪文が効く訳……」

「おい、世織!」


 焦った界くんにつられて足下を見ると、青白い光がうずを巻いていた。地面に五芒星が描き出され、アルファベットでもハングルでもない文字が刻まれる。


「魔法陣? 世織ん家のサプライズか?」

「そんな手のかかることしないから!」


 界くんに言い返したとき、視界がまっくらになった。立っている感覚がなくなる。まるで一番高いところから駆け下りる、ジェットコースターみたい。安全レバーがないから、浮き上がる体は汗でびっしょりになる。


 世織とわたしの名前を呼ぶ声は聞こえない。だから、界くんも怖くて黙っていただけだと思っていた。闇が晴れて、どこだか分からない庭園の芝生に座り込んだとき、自分一人きりだと知った。

 れんがの壁を覆うのは、青いつるばら。人の手でなければ生み出せない色が、至るところで咲いている。噴水や金色に輝く少年の像も、一般家庭にあるものではない。早く逃げなければ、泥棒に間違われそうだ。


 「本日は会議の後に、お客様と会う予定はなかったはず。どこの国の者ですか。名乗りなさい」


 立ち上がるわたしの背に、少女が鋭い一声を浴びせた。金色の髪に、宝石を思わせる紫の瞳が印象的だ。ミルクティーに深紅のばらを散らしたようなドレスは、絵本で見たお姫様そのものだった。ひじまで隠すロンググローブも、紫水晶の耳飾りも、気軽に近づいてはいけないオーラを出している。


「世織。木野目きのめ世織。日本から来たけど、客じゃないの。よく分からない光に巻き込まれたから。でも、怪しくなんてないよ! あなたを危ない目に合わせるつもりはないの。本当だよ」


 必死に説明すると、少女は目を細めた。


「あなた、魔力がないのですか。それに、その聖なる衣。見覚えがあります。書庫の歴史書に、別の世界から来た英雄について記されていました。国をまとめて去ったときも、あなたと同じ衣を身につけられていたとか」

「ただの制服だよ。大げさじゃない?」


 少女の誤解がなくなったのは嬉しい。でも、キラキラとした視線は恥ずかしくなる。外国人から見れば、日本の制服はかっこいいデザインだって聞いたことがある。でも、セーラー服が英雄と同じなんて信じられないよ。


 とまどうわたしに、少女はドレスのすそを持っておじぎをした。


「わたくしはジェンティ・エーデルスタイン。年は十二です。エーデルスタイン王国の王女で、来週には女王に即位します。あなたの目で、この国を見ていただいたい。そして助言をくださいませ。わたくしがなすべきことを」


 わたしはドキドキした。

 別の世界に飛ばされたヒロインが、王国のピンチを救う。乙女ゲームの定番だ。日本に帰る前に、この世界を見ておきたいな。


「わたしでよかったら喜んで!」

「感謝いたします。こちらに来られてお疲れではございませんか? 客間へ案内いたします」

「固い言葉を使わないでほしいな。わたしは普通の女の子だから。あなたが言っていたけど、魔力はないんでしょう?」

「えぇ。しかし、大切なお客様であることは変わりません」


 わたくしはジェンティの手を取った。


「じゃあ、わたしとお友達になってくれる? それなら、言葉づかいを気にしなくてよくなるよ」

「わたくしとセオリ様がお友達に? ぜひともお願いいたしますわ」


 ジェンティの頬が赤くなった。わたしも嬉しくなる。

 案内された客間で、ジェンティが貸してくれた色違いのドレスに着替えた。満月で染めた生地はほのかに黄色く、動く度に優しく光った。鏡の中の自分が、本物のお姫様みたいに見える。

 ジェンティはわたしの耳に、紫水晶の耳飾りを通していた。金具を止めると、にこやかに肩を触る。


「これもおそろいよ。わたくしの友の証」

「こんなに素敵なもの、もらう訳にはいけません!」


 わたしが買ったプチプラのピアスと違い、紫水晶の粒は大きい上に七色の光をまとっていた。すぐに耳飾りを外そうとしたけど、ジェンティがつけたばかりの金具はびくともしなかった。


「どうして?」

「無駄よ。あなたは王位継承者として認められたのだから」


 ジェンティはくすくすと笑い、扇で顔を隠した。


「臣下が決めた相手との結婚なんてまっぴらよ。わたくしの得るものは何もないじゃない。宰相の操り人形として一生を終えるのは、あんまりだと思わない? わたくしは父のように自分の意見を言えないまま死にたくないわ」

「だからって、見ず知らずのわたしを王にするなんてあんまりよ!」

「女神様の思し召しよ。すぐに耳飾りをつけられる人は、めったに出てこないのだから。頑張ってね、わたくしの身代わりさん」


 鏡からジェンティの姿が消えた。振り返っても、わたし一人だけの空間が広がっている。まるで「不思議の国のアリス」に出てくるチェシャ猫だ。


「わたしの名前は身代わりじゃなくて、せ……せ……よ!」


 わたしの口は縫いつけられたみたいに固まった。名前だけがしゃべれない。

 ドアがノックされ、紺色の服を着た女性が入ってきた。


「姫様、なぜ身支度が終わられていないのですか? お急ぎください」

「わたしは姫様なんかじゃ」


 鏡を見たとき、わたしは目を疑った。黒髪が金色に、瞳の色だってジェンティのものに変わっていた。


「勇者が出立されます。見送りをしませんと」


 侍女の声が冷たく響く。

 ここでは、世織として生きられない。味方が誰か分からないまま、次期女王として過ごさないといけなくなったんだ。わたしは泣きそうだった。会いたいのは一人しかいない。


 助けて、界くん!


 幼なじみの名を心の中で叫んだ。

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