2 ファーストミッション

 幼少期の頃のことを、私は回想する。


『あ、ケインだ!』

『やあ、レイラ。元気にしてたか?』

『うん!』


 当時、私の日常は退屈だった。カーライル孤児院では、サルマン院長による独自の教育が行われていたのだが、私は孤児院に入って数ヶ月でその全てを終えてしまったのだ。いや、それどころか、私の理解はサルマン院長の理解を追い越していた。

 後になって知ったのだが、当時サルマン院長は私の今後の教育をどうするか深く悩んだそうだ。飛び級で学校に行かせることや、先の範囲の教材を与えること、さらには私を教える側にしようかとも考えたらしい。だが、どれも実現することはなかった。


 そして私は、自習学習を言い渡されることになる。つまるところ、お手上げ、ということだ。

 それからというもの、私は長い時間を一人で過ごすようになった。自主勉強とは言われても、特に勉強したいことはない。いつも孤児院の中を一人で歩き回ったり、ぼんやりと窓の外の景色を眺めたりしていた。


 そんな私にとって、時々孤児院を訪れるケインさんとの会話は、退屈な時間を一変させる唯一の楽しみだった。そして同時に、ケインさんとの会話は、良い学習になった。


『それは何?』

『これは、クロスワードパズルというんだよ。レイラもやってみるか?』

『うん!』


 パズルは彼に教えられたものだし、


『何を読んでいるの?』

『新聞だよ。例えばこれは——『揺らぐサフラン王朝、胎動する民主主義』』

『サフラン王朝って隣国の王朝だよね? どうして揺らいでいるの?』

『最近の話だからな。歴史の教科書には載っていなかったか。そうだ、こんな本を読んでみればどうだ?』


 本を読むのも彼との会話に追いつこうと始めたことだ。

 後から聞いた話によると、どうやらサルマン院長がケインさんに私の教育に悩んでいるということを相談したらしい。それで、ケインさんが私の話し相手になってくれていたということなのだった。結果から言えば、その試みは大成功に終わった。

 一四歳になる頃には、私は立派な読書家になっていた。他の孤児院の子供からも様々なことを質問されるようにもなり、私はそこに居場所を感じていた。

 そんなある日のことだった。


『あ、ケインさん。こんにちは』

『久しぶり、レイラ』


 久々に会うケインさんは、どこか追い詰められているような様子だった。いや、正しくは、自分自身を追い詰めている、だろうか。自傷的と言ってもいいかもしれない。


『レイラ、推理小説は読むか?』

『……少しぐらい、なら』

『それなら、少し相談に乗ってくれ。この犯行のロジックがわからないんだ』


 その話は、推理小説というには少し違和感のある話だった。

 舞台は上流階級の集まるパーティ。多くの警備員がいる。被害者は、内閣の一人。そこまでいい、だが、一番の違和感があるのは次のことだ。


『それで、容疑者のリストは?』

『それが、わからない。パーティー客の一人なのか、警備員の一人なのか、外部からの侵入者なのか。一切は不明』

『不明……』


 それは殺人なんかじゃなくて、もはや政府要人を狙った暗殺だ。そうは思いつつ、私は思考を巡らせる。


『例えばレイラなら、彼をどう殺そうと思う?』

『一番シンプルなのは、会場に事前に爆弾を仕掛けておく、会場の飲み物に毒を混ぜておく、とかかな』

『周りに被害を出さないようにすると?』


 うーん、と私はしばし考えた。


『まずは遅効性の毒と下剤入りワインを用意。下剤は、トイレに入れさせるためですね。うまく調整できれば、ターゲットをトイレの個室の中で死亡させることもできるはず。それで、ウェイターになりすましたあと、忙しいからと言って他のウェイターに被害者に用意したワインを出させる。この時、ワインとこの手紙は被害者の友人から受け取ったものだ、と手紙を一緒に渡しておけばより疑われにくくなるかな。あとは逃げるもよし、確実を期すなら被害者が死ぬところまで見届けるもよしってところかな』


 私の言葉に、ケインさんは感嘆の息を漏らした。


『なるほど、ありがとう。やはりレイラに相談して正解だった』

『いえいえ。お役に立てて何よりです。あ、そうだ。そういえばこの前、本にこんなこと書いてあったんですけど——


 その会話は、私にとってはただの雑談の一つに過ぎなかった。だが、


 一週間後、国内のとあるパーティーにて、内閣の一人が毒殺された。




 * * * *




「すこし手口は変えられたいましたが、それでも、状況は似ていた。酷似していたと言ってもいいでしょう」

「……」


 ケインさんは、何も言わない。


「まぁ、それだけなら疑惑です。だから、少し調べてみることにした」

「調べてみる?」

「とりあえず、聞き込みですね。調査の基本ですから。まずはサルマン院長に」

「彼には、俺のことを誰かが聞いてきたら、伝えるようにお願いしていたはずなんだがな」

「言える訳ないじゃないですか。可愛い盛りの女の子が、お世話になっている人に健気にもサプライズプレゼントをあげようしている、という建前で聞いたんですから」


 その言葉を聞いて、ケインさんはため息をついた。初めてケインさんを出し抜けることができたような気がして少し嬉しい、というのは性格が悪いだろうか。


「可愛げのないやつだ」

「褒め言葉だと思っておきます」


 私はそう言って、キッチンに向かう。そういえば飲み物を出すのを忘れていた。


「コーヒーはお好きでしたよね?」

「ああ、ありがとう」


 私はコーヒーミルを取り出し、お気に入りの豆を入れ、そしてゆっくりと挽き始める。


「それで、調査の成果は?」

「ケインという名前と年齢、それから退役軍人という経歴ぐらいなら。それ以外の質問は全く答えてくれませんでしたね。サルマン院長以外の他の人も同様でした。それも隠しているのではなく、本当に知らないと言った様子で」


 きっと彼らは、本当に知らないのだろう。ケインさん自身が、そうなるように意図的に情報を操作している。


 私はコーヒーをカップに注いだ。


「だからきっと、流れている情報は全て偽物なんだろうな、と」


 私はケインさんにコーヒーを出す。彼はカップを持ち上げ、匂いを堪能してから、口にコーヒーを充満させる。彼は満足したようだ。


「なんだ、全て知っていたのか」

「少しは私が恐ろしくなりましたか?」

「全く、その通りだ。その話を、他の人には?」

「いいえ全く。カーライル孤児院では、そんな口の軽い女になるような教育は行なっていません」


 私は肩をすくめる。それは良かった、とケインさんはコーヒーを啜った。


「やはりこの仕事は、レイラに頼んで正解なようだ」

「その仕事というのは?」

「その話は——」


 ケインさんは勿体ぶるようにしてから、


「おみあげを食べながらにしようか」


 そう言って、彼はカバンを開ける。


「……ッ! 甘いものの予感!」


 期待感に、思わず私は前のめりになってしまう。ケインさんは驚いたように私を見つめた。その視線になんだか否定されているような気がして、私は口を尖らせて睨み返した。


「なんですかいいじゃないですか甘いものが好きでも。喋るのだってパズルを解くのだってなんだって頭使うんですよ糖分使うんですよ糖分足りねぇんですよ」

「口調が乱れてるぞ……?」


 おっとこれは失礼。


「昔はこんな奴だったか……?」とケインさんはカバンの中から一つの箱を取り出した。


 シンプルなデザインながらも、箱の丁寧さとしっかりしている様子から、それがどこかの高級品であるものがわかる。箱を含めて一つの作品です。まるでそんな印象だ。

 ケインさんは箱を開いた。


「チョコレートだ。好きだっただろ?」

「わーいチョコだ! 私チョコ大好き!」

「そうだろうそうだろう。よしよし」


 なんだかペットのような扱いを受けた気がするが、些事はどうでもいい。


 箱の中に並べられていたのは、数々のチョコレートだった。サイコロ状のものから、滑らかな流線を描くもの、紙に包まれたもの、様々なものが小分けに並べられている。


 私はまずそのうちの一つ、アーモンドに似た形のものをつまみ出す。指先から伝わる、しっとりとした感覚。美味しい、チョコレートを食べる前から確信した。


 そしてチョコレートを口に運ぼうとして、止まる。

 つまんでからこんなことを考えるのもなんだが、こんな高級品を貰ってしまっていいのだろうか。あとでとんでもないものを要求されるのではあるまいか。

 そんな不安な視線をケインさんに向けると、彼は落ち着いた様子でコーヒーを飲み込んでから、私の視線に答えた。


「お召し上がれ」


 その言葉によって、私を止めるものはもう何も無くなった。私はまず、つまんだチョコレートを口の中に入れる。


 瞬間、口の中に広がる甘さ。


 一噛み。

 アーモンドを噛み砕く音が口内に響く。チョコレートの中にはアーモンドが入っていたらしい。少し甘すぎるようにも思えたチョコレートの甘さが、アーモンドと混ざり合ってちょうどよく調整される。


 二噛み。

 すでにアーモンドは原型を失っていた。砕けたアーモンドは溶けかけのチョコと混ざり、先ほどとは違う新しい食感に変化した。


 三噛み。

 幸せの味が儚く浸透し、そして霧散していく。気づいた時には、もう何もなくなっていた。


 コーヒーを飲み、一度リセット。コーヒーを作ったのは正解だった。やはり甘みと苦味は合う。私は記憶からチョコレートの感覚を何度も再現し、わずかに笑みを浮かべる。


「楽しんでいただけたようで何よりだ」


 おっと、チョコレートに集中するあまりケインさんのことを忘れていた。


「まずは注意事項から入らせていただこうか」

「その、仕事というのは、ケインさんが偽名を使っていることと関連しているんですよね?」

「まずはその説明からだな」


 ケインさんは箱の中から一つのチョコレートを手にとって食べる。それ私が目をつけていたやつなのに……。


「……? どうした?」

「なんでもないです」

「そうか」


 私の悲哀をよそに、ケインさんは説明を始める。


「まず初めに言っておくと、俺が偽名を使うのは自分を守るためだけでなく、周りを守るためでもある。周りを巻き込みたくはない」

「なるほど。快楽殺人鬼には快楽殺人鬼の正義があるんですか」

「勝手に邪推で人を快楽殺人鬼にするな。俺は人を殺すが、無差別に殺してるわけじゃない」


 殺人を否定しない。少し驚いたが、一方で、どこか納得できる自分がいる。なんだか不思議な感覚だ。

 私はコーヒーを啜った。


「『無差別に殺しているわけじゃない』。なら、何に従って殺しているんですか」

「自分の良心は持つようにしてる」


 即答。相当の自信を持って言っているのだろう。

 良心に従って人を殺す。とても理解することができない言葉だ。もしかしたら本当に、快楽殺人鬼には快楽殺人鬼の正義がある、という類の話なのかもしれない。


「さて、詳しい説明に入る。ここから先の話に踏み込むには、覚悟が必要だ。引き返すなら今だぞ」


 ケインさんは脅すような口調でそういった。ケインさんは、こんな面白そうな話を聞かないという選択を私ができると思っているのだろうか。


「好奇心は猫をも殺す、か」


 ケインさんの言葉に、私はニヤリを笑みを返す。


「なら、猫よりもしぶとく生き残ってやりますよ」




 * * * *




「お察しの通り、俺は暗殺屋だ。

 良心に従って依頼を受け、依頼主に従って目標を殺す。


 そして今回なんでレイラに助けを求めたかと言えば、はっきり言って、今回の仕事は不可能だからだ。だからお前には参謀になってもらいたい。

 前みたいに内閣の一人を狙うのかって? いや、そんなもんじゃない。今回はそれ以上だ。


 狙いはフローライン・フリューリー女史。

『慈愛の聖女』なんてメディアでは言われている女で、何を隠そうこの国の首相マゼルダ・フリューリーの妻だ。十一月民主革命に深く関わる人だから、レイラも知っているだろう?


 暗殺が世にもたらす混乱? 知ったことではないな。第一、世の安定を願う平和主義者なら、こんな仕事はしていない。

 

 さて、ここからが本題だ。


 女史は、常に首脳官邸、通称ガラムにずっといることで有名だ。

 奴は多くの人から恨みを買ってるからな、外に出るのが怖いんだろう。そのため、夫のマゼルダという駒を使っている。


 なぜ恨みを買っているのかって? そりゃ、奴がいろんなことをやってきたからだ。力を強めるためなら何も恐れないし、力を守るためならなんだってする。

 さすがは『慈悲の聖女』サマってところだ。


 ああ、この称号も「なんでもやる」の一環のイメージ戦略らしい。次に考えてる称号は『新生フラペニア王国の母』だってよ。


 おっと少し話が逸れたか。奴の話題には際限がなくて困る。


 それで女史を殺すにはどうしても首相官邸に侵入する必要があるんだが、そこでお前の力を借りたい。

 強張るな。なに、ナイフを片手に突撃してもらうって言うんじゃない。……そうだ。そのMr.エイリアン何たらの出番じゃない。

 俺が借りたいのは、お前の知恵だ。考えるのは得意分野だろ?


 ガラムは首脳官邸ということもあって内装に関してはトップシークレット扱い。

 俺も一般公開されている場所と裏ルートからかき集めた情報をつぎはぎしたが、なんとか八割程度の構造図を推定で作れる程度だった。

 だが、その空白の場所から、逆に重要な場所を見つけることができる。人は重要なものほど秘密にしておきたい生き物だからな。


 そしてその場所が、二階の南側だ。

 その辺りに、大体全体の五割程度の空白地帯が集まっている。だからフローラインはきっとこの辺りにいるはずだ。


 ガルムの攻略には三つの条件がある。

 まず一つ。確実にフローラインを殺せること、または死んだかどうかの確認ができること。これは暗殺者として、絶対に行わなければならないことだ。

 そして二つ。俺たちに容疑がかけられないこと。対象は不運な事故か、もしくは他の人に容疑をなすりつける形で殺したい。

 最後。フローラインと会話する時間を設けられることだ。奴にはいくつか聞かなければならないことがある。だから、どこかで必ず会話できるようにしてくれ」




 * * * *




「というわけだ。どうだ、何か良いアイデアは浮かびそうか?」

「うーん」


 私は机に並べられた二枚の地図を見下ろす。

 一枚は首相官邸一階のもので、新聞記者などが立ち入れる場所であるためかそのほとんどが埋められていた。壁と壁の間にある空白の場所は隠し通路だろうか。

 もう一枚は、首相官邸二階のもので、厨房や書斎などの部屋が多く比較的プライベートな印象を受ける。中央に大きなバルコニーがあり(ここで演説をしている姿を何度か見たことがある)、建物はコの字を描いていた。所々につけられた罰点は、トラップが設置された場所なのだろうか。地図の南側一帯には、ケインさんがいう通り、大きな空白地帯があった。消去法で言えば、この辺りに寝室があるのだろう。

 確かに、他のどこが露呈したとしても、安眠をするための寝室の場所だけは秘密にしていたいと思うのは自然なことだ。しかし今回はそれが裏目に出てしまった。


「とはいえこれだけ広い範囲全てが寝室というわけではないのだろうし。他にあるとすれば……」

「おそらく、緊急時に軍の司令部として機能する場所だ。きっと襲撃に備えて、防衛に強い仕組みにしてある。フローラインが立てこもる場所とすればそこだろうな。司令室に逃げられると厄介だ」

「それなら、司令部の場所は……ここかな。ここから、この範囲」


 私は空白地帯の三方を窓に囲まれば場所に指先で四角を描く。


「その心は?」

「立てこもる場所を作るんだったら、脱出用の通路もあるはず。秘密通路であろう空白地帯が伸びる様子から、それがそのまま二階にも伸びているとすると、出口はこの辺り」


 おまけに窓際であれば、最悪の場合窓から逃げることができる。逆に言えば窓から侵入される可能性もあるのだが、その時はバリケードなりなんなりが設置されているのだろう。


「ところで、ケインさん。遠くから狙撃はできないんですか?」

「難しいな。襲撃対策のため周囲の建物の高さは制限されている。建物でない場所にしても、周辺の遮蔽物の少ない場所が広すぎてとても狙撃はできない。できて精々投擲ぐらいだろう。でも爆弾を投擲するのでは確実な死亡の確認ができない」

「なるほど……」


 なら、狙撃は無理か。


「言っておくが、狙撃っていうのは小説なんかに書かれるほど簡単なものでもないぞ。狙撃は俺にも習得しきれない高等技術である上、銃の精度もまだ信頼のおけるものじゃない」


 流石、本職は言葉が違う。信頼性、か。今までにない視点だった。その視点から作戦を立てるとすると——


「……?」

「どうした?」

「いえ、どうしても空白地帯が狭すぎる気がして。空白地帯が程度のこの広さなら、入っても数部屋程度でしょう。司令部が寝室なんかより全然広い可能性を考えれば、他の部屋はもっと狭くなる。なら、ここに例の司令本部がない可能性も十分にあります」

「かといって、他に司令室が入る場所はないだろう?」

「それもそうです……が」


 例えば、私がガラムの設計者だとすれば、司令室をどこに配置したいだろうか。安全で、防衛がしやすく、退路が確保しやすく、それでいて国の重鎮が集まるのに十分な広さを確保できる場所。

 いや、そんな広さのものところ、この地図のどこの場所にも——


「いや、ある。地図の中にじゃない。司令室があるのは——地下?」


 驚いたようにケインさんは立ち上がって地図を俯瞰する。各所から伸びる秘密通路は、中心のある一点に向けて伸びているように見えた。


「ここだ、内閣議場。その地下に、きっと司令部がある」


 内閣議場。

 そこは、官邸前広場と同様に、もっともメディアの目に晒される場所の一つだ。首脳官邸、と言われて一番か二番目に思い浮かべられる場所と言ってもいい。

 内閣のお歴々を集め決定を下すための場所で、U字型の大きな机と複数の椅子が並べられている。


 内閣議場と、緊急時の軍司令部として機能する施設が直結している、というのは不思議な話ではない。むしろ、もっとも有力な場所とも言える。


 さて、ガラムに侵入するなら、どうするのが良いのだろうか。


「そうなると……攻略の方法は考えなければならないな」

「王道で言えば、軍隊を引き連れて行って、罠を破壊しつつ建物内を占拠。司令部の防御が固められるまでに行えれれば御の字、できなくても圧力をかけていけば良し」

「王道で言えばそうなるな」

「だけど、今回使える人員はケインさん一人。戦闘はできないから、後方支援として私が参加するにしても二人」


 圧倒的に人数が足りない。ならば、邪道で行くしかない。


「ケインさんは、こういう時どうしてきたんですか?」

「今までは仕事仲間を探したが、これはあのフローライン女史を狙う仕事だ。危険も多くやりたがる奴も少ないだろうし、何より本当に信用できるか不安が残る」

「私は信用してくれるんですね」

「ああ、そうだ。だからどうか、俺の信用を裏切らないようにしてくれ」


 おや、これは意外な反応だ。それだけ、今までに色々あったということだろうか。なんて、今は考えていられる状況ではないな。


 圧倒的に人数が足りないとき、ケインさんは他の人にも仕事に参加してもらうと言っていた。しかし、この仕事においては信用の観点から他の人を入れることはできない。


 ならば、詳細を伝えずに仕事を手伝わせるのはどうだろうか。

 難しいだろう。複雑になるであろうこの仕事を、詳細も伝えずに行わせるのは難しい。使い捨て同然で扱うにしても、私達と繋がりのある人物を敵に捕まえられるのはなるべく避けるべきだ。もし私たちが助っ人を使い捨てたことを助っ人自身が知れば、助っ人は迷わず私たちのことを話してしまうだろう。

 私たちの情報を絞ったとしても、その時は助っ人をガラムを攻撃させるのが難しくなる。信用の問題だ。


「となるとやはり、二人でやるしかないのでしょうか」

「いや、あの設備を一人で侵入するのは流石に難しいな。侵入した後脱出するのはさらに」


 家ごと破壊して殺してしまってはどうか、とも考えたがこれは却下。

 フローライン女史を確実に殺せるかに疑問が残るし、何より条件の一つであった彼女と会話をすることを達成できない。


「無線機でどうにか会話はできませんか?」

「厳しいな。まずサイズが大きいし、距離も短い。ついでに言えば相手は地下だから、電波が確実に届くかに懸念が残る」


 無線では無理。であれば、素直に電話をかけるのはどうだろうか。軍司令部として機能するのであれば、電話線の一本や二本は通っていそうなものだが。


「いや、そもそも電話にアクセスするのが困難だ。電話が繋がっているのは、外部にある各政府組織の建物の大臣室のみ。そこに侵入するだけで、一苦労だ。何より、場所はすぐに逆探知される」

「そうですか……」


 少人数では攻略できないが、仲間を増やすことはできない。

 侵入することはできないが、会話をしなければならない。

 相手は絶対に近い要塞の中に逃げるが、確実に殺さなければならない。


 あれもだめ、これもだめ。

 ケインさんもなかなかの無茶を言ってくれる。元々そういう仕事ではあったのだが、一筋縄では行かなさそうだ。なるほど確かに、これは不可能な任務と言えるだろう。


 演繹や帰納などの垂直の思考ではガラムを攻略できない。もっと、飛躍的で水平な思考を行わなければならない。全てを覆すような、コペルニクス的転回が必要だ。

 もっと、全てを、疑うような——


「あっ」


 ふと。

 あることを思いついた。


 なるほど、これならばいけるかも知れない。


「どうした?」


 期待と不安が入り混じった視線で、ケインさんが私を見る。


「もしかすれば、いい案を思いついたかも知れません」




 * * * *




「その情報は本当かっ!?」


 湿気の高くどこか薄暗い部屋の中で、カイエルは叫んだ。

 新生フラペニア王国の首都サラニアの南方に広がるスラム街の中心、かつてレストランの厨房であった場所には、六人の男が同じ机を囲んでいた。否、六人の男というのは正確ではない。なぜなら、六人はそれぞれ武装した護衛がつけていたからだ。

 私は、サハリンという男の補佐としてその場に居た。


 この会議に、名前はない。議長もいなければ、書記もおらず、ただそこには、スラム街の秩序のため、新興勢力を潰すべしという目的があるのみ。ということすらも建前の話で、現実は互いの牽制、取引、脅迫、敵対、協調など、勢力争いの一部に成り下がっていた。


 麻薬を売り捌いてきたカイエル。

 銀行強盗で財を築いてきたメイナム。

 犯罪行為の斡旋により富を築き上げたガグルトス。

 贋金の製造で経済を混乱させてきたサハリン。

 非合法の武器を売ったオドムソン。

 国際条約で禁止されたものを開発・製造するナルムズ。


 揃いも揃ってビッグネーム。六人衆と呼ばれる彼らは、それぞれがそれぞれの非合法の限りを尽くした泣く子も黙る犯罪の王だった。

 分野が少し異なるとはいえ、結局は商売敵同士。普段は戦力抗争を繰り返している六人衆だが、しかしそんな彼らも常にいがみ合っているのではない。


 六人衆だけでなく、スラム街にいる者が皆等しく願っていることが、一つある。それは、『今の国家を転覆させること』だ。それはこのスラム街が、マゼルダ首相の経済政策の失敗によって生まれたことに起因する。ここスラム街にいるものは皆、マゼルダ・フリューリーの被害者である、と言ってもいい。


 だからこそ、皆、国家転覆の情報にはとても敏感なのである。


「情報源が不明だ。信用に足らない情報ではないのか」

「いや、私の信頼する部下が上げてきた、確かな情報だ。二日後、マゼルダ首相の海外訪問によってガラムの防衛の一部はマゼルダ首相の護衛に回される。その防衛力が弱まった時に時に我々が共同で攻めれば、あのガラムを落とせる」


 ボロボロのスーツを着崩したガグルトスが自信たっぷりにそういった。


「しかし、そう言われてもな。重大な決定の理由を、確実さに欠ける情報にするわけいもいくまい。残念だが、これ以上の情報がないならば俺からは戦力を出せないな」


 対するサハリンは落ち着いた様子だ。その口調から、テコでも動かない、という思いが通じる。


「私からも、兵力を出すことはできないな」


 ナルムズは金でできたヤスリで爪を磨きながら言った。


「我々から銃器を買うというのであれば、優先的に売ってやってもいいが」


 ナルムズはニヤリと綺麗に並ぶ金歯を見せる。金儲けのことしか頭にねぇのかよ、とガグルトスが悪態をついた。


「私の頭にある算盤は、お金以外のことも計算できる。例えば、君の計画の失敗のしやすさだとかね。残念だが、金儲けのことだけでいっぱいになる程私の脳は小さくない」

「あ? いいじゃねぇか、売られた喧嘩は買ってやる。言っておくが、俺はお前の五倍の勢力を持っているんだぞ」

「おっと、この程度の煽り言葉で頭が怒りでいっぱいになる程君の脳が小さかったとは」


 売り言葉に買い言葉。二人は口論をヒートアップさせていく。


 その時だった。ドンドン、と部屋の入り口に置かれた鉄扉が大きな音を立てる。誰かが来たようだ。


「誰かが招いたか?」


 メイナムが周りに問いかけるが、肯定するものはいなかった。六人が訝しげに鉄扉を眺めていると、ある時扉を叩く音が鳴り止む。そして、小さな爆発の音と鉄扉の隙間から漏れ出す光と共に、鉄扉が僅かにズレる。何者かが、蝶番と鍵を爆破して鉄扉を開けたのだ。

 侵入者は、鉄扉を押し倒した。鉄扉が地面に倒れるとともに、轟音が部屋の中に響く。私は他の護衛と共に一斉に扉へと拳銃を向けた。


「支配者の皆々様よ、随分と臆病なことだなぁ?」


 侵入者の声が部屋の中に響く。侵入者は、杖を支えに歩きながらも、高揚したように小さくダンスを踊っていた。


 全く手入れがされていない髪に、どこか魅力を感じる美形の顔。口にはタバコを咥えており、きつい香水の中に混じったタバコの匂いが漂う。彼の左手には拳銃が、右手には杖が握られていた。

 彼の名を知るものは多い。


「お前は、アレスター!?」


 誰かが、驚いたように彼の名前を口にした。


 アレスター。食事のように人を殺し、呼吸のように人を殺さない男。

 彼の殺人の前には、身分や経歴や性別や性格や容姿は一切の価値はない。ただ、そこにいたからと人を殺し、そこにいなかったからと殺さない。そこに、気分や感情はない。ただ、衝動なのだ。

 ……というのが、実際はともかくとして、巷で囁かれている彼の噂である。


 そんな奴を少しでも刺激すればどうなるか。誰の何の行動が、彼の何を刺激して誰が殺されるかわからない。結果として、アレスター以外の私を含めこの場にいる全員が動けずにいた。


「おいおい、随分と景気の悪い顔してんなぁ? なんだ、人の上に立つのがやんなったのかよ?」


 再び部屋の中に沈黙が流れる。アレスターは踊りをやめ、舌打ちをした。かつかつと杖をつく音を立てながら、彼はゆっくりと歩く。


「おいおい、あのクソッタレのフローラインに一泡吹かせられると聞いて、僕は今気分がいいんだ。誰も殺したりする気分じゃねぇよ。言っておくが、こんな僕はレアなんだぜ? 命が惜しいならさっさと用事を終わらせよう」


 六人が顔を見合わせる。やがてメイナムが諦めたように口を開いた。


「今日はどのような用事でここにきたのかね、アレスター君」

「この国一番のクソッタレビッチを殺すって聞いてな。僕もそれに参加させてくれ」


 その言葉に待ったをかけたのは、サハリンだった。


「待て、アレスター。まだ可決されたわけでは——」


 瞬間、部屋の中に一つの銃声が響く。護衛が動いた時にはもう遅かった。私の隣にいたサハリンが頭から血を流し、力を失う。

 我らがボスながら、愚かな真似を。


「ああ、くそ、気分悪りぃ。こんな気分じゃねぇのに、ついやっちまった」


 部屋全体に緊張が走る。アレスターは悪びれもせず、思わず殺してしまったとでも言いたげな様子で左手の拳銃を下ろすと、サハリンが座っていた椅子まで歩いて行き、死体を椅子から地面に倒すとその席についた。

 そして、私に向けて言った。


「おい、お前がこいつの組織のNo.2か?」

「……、そうだが」


 おずおずと、私は答える。こんな歩く地雷原みたいなやつに関わりたくない。


「じゃあ部下に伝えておいてくれ、今日から僕がお前たちのボスだ」

「いや、まさか、そんなことはできない」

「なら、No.3に言っておいてくれ。お前がNo.2を殺せば、僕がお前をNo.2に昇格してやる、と」


 私はしばらく沈黙する。ここは、頷くしかないのだろう。


「わかった、いや、わかりました。アレスター様、今日からあなたが我らのボスです」

「わかってくれやぁいいんだ。これからよろしくな、うまく使い潰してやるよ」


 そしてアレスターは机を囲む他の五人を見回した。


「僕たちの組織、名前なんだったか忘れたな、はもちろん襲撃に賛成だ。出せるだけ全ての戦力を出してやる。それで、他に反対しているっつーのは誰なんだ?」


 五人は沈黙する。やがてメイナムが諦めたように口を開いた。


「反対していたのは、今アレスター君が殺したサハリン君ただ一人だけだった」


 嘘だ。実際は、ガグルトス以外の全員が戦力を出さないと言っていた。つまり、一種の博打だ。そしてどうやら、メイナムはその博打に勝利したらしい。アレスターは上機嫌に頷いた。


「そうかい。じゃあ、襲撃は満場一致で決定だ、それでいいだろ? 指揮は僕に任せてくれ。あのゴミ女には俺が直接手を下してやる」

「……。わかった、それでいいだろう」


 よし、とアレスターは満足したように手を叩く。


「それじゃあ、今日はこれで、解散!」


 彼は、一方的に解散を命じた。まだ議題は多く残されていたが、この場にいる誰もそれに異議を申し立てることはしなかった。




 * * * *




「フローラインに恨みを持ってる奴のリスト、意外に役に立ちましたね」

「ああ、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった」


 私たちは、ゆっくりと街中を歩いていた。左右には煉瓦作りの建物が縦並び、人々が忙しく歩いている。ガラムを遠くから眺める私たちを、気にしているものは誰もいなかった。

 犯罪者組織の扇動が上手に言ったことを確認した私たちは、現在実地での計画の詰めを行っていた。実際の建物を見つつ、地図の上で行っていた計画を脳内で再現するのだ。


「襲撃に入るのは、あそこからでしたっけ」

「いや、そっちの方が良さそうだな。変更にしよう」


 なんて言い合いつつ、私たちは、人工物の砂漠の中にポツンとある緑のオアシスに入る。


 官邸前広場。

 様々な催事を行う場所であるとともに、ガラム周辺の遮蔽物をなくし防衛の難度を下げる効果も持つ場所だ。ガラムの正面しばらく先には大きな噴水があり、老若男女様々な人がいるのが見える。


 ここにいる人たちを傷つけることになるのだ、と悲嘆しているのではない。

 第一、そうはならないように、計画には細心の注意を払われている。作戦に関する三つの条件の零番目は、一般市民に被害が出ないことなのである。


「やはり政府中枢、警備が多いですね」


 私は道に迷ったらしい人と笑顔で話している警備員を遠目に眺めながら言った。ああ、とケインさんは私の言葉を肯定した。


「だが、明日はそうじゃない。首相がライル連合王国を訪問する影響で、ガラムの防衛力が削がれる。そこを攻めるんだ」

「勝機は?」

「それを完全に近づけるために、君に助けを求めているんだ。君が勝機は十割だというのなら、そうなんだろう」


 その言葉には、『言ったことは全て完璧にこなしてくれる』という言外の安心感があった。


 それから、私たちは徐々にガラムから離れていき、政府系の建物が縦並ぶエリアに足を踏み入れる。ガラムからここまでは、道路を数本ほど挟んだすぐ近くにある。


「この辺りからなら、双眼鏡なんかでガラムを監視できるでしょうか」

「ガラム周辺は防衛のためという理由で建物の高さが制限されている。おかげで見晴らしがいいから、ここからも見えるだろうな」


 それじゃあ下準備を終わらせてくる、とケインさんが歩いていく。暇になってしまった私は近くのカフェのテラスに入る。パズルの本は持ってきていないので、代わりにエイトクイーンをすることにした。


 最近は少し脳を使いすぎな気がする。まぁ、国家転覆じみたことを図るのだからどれだけ考えても考えすぎということはないのだろうし、別に考えるのは嫌いではない、というより大の好物なのだが、何にせよ糖分が不足気味なような気がする。


 私はとりあえず、ショートケーキとシュークリーム、あとコーヒーを頼んだ。多い気もするが、なに、糖分には摂らなさすぎはあっても摂りすぎはない。蓄えられる時に蓄えておくべきなのだ。

 

 エイトクイーンに飽きて注文用の紙とペンで回文を作って遊んでいた頃、頼んだものが運ばれてきた。私は給仕に感謝の言葉と共にチップを渡して、運ばれてきたものを受け取る。まずはショートケーキから。


 私はショートケーキをフォークで崩しながら、外を眺める。


 どうして私は、あのケインさんの頼みとはいえ、こんな仕事を受けてしまったのだろうか。


 首脳官邸を攻撃する——国を敵に回す。


 それは、私の一生に影響を与えうる行為だ。どうして私は、そんなことに首を突っ込んでしまったのだろうか。どうして、ケインさんの頼みを断らなかったのだろうか。


 興味、というのはある。だが、それだけではないだろう。


 お金のため、ではない。国を敵に回すような仕事、いくら金を積まれたって釣り合いが取れない。

 ケインさんの期待に応えたい、でもないだろう。リスクとリターンがあまりにも釣り合わない。


 つまるところ、私はこの仕事に、目的を見つけられていない。ヴィジョンがない。


 だというのに、何故か、私はこの仕事に魅力を感じてしまっている。


「……流石に食べ過ぎじゃないか?」


 なんて考え事をしていると、ケインさんが話しかけてきた。準備は終わったらしい。


だってなんか美味しそうなのがふぁっふぇなんふぁおいひふぉうなのふぁ

「喋るなら飲み込んでから喋れ」


 おっと。

 私はゆっくりと咀嚼し、コーヒーで口の中を整えた。


「まぁ人間、食欲に抗うようになったら終わりですからね」

「全くそんなことはないんだが」

「なんですかケインさんも非人間なんですか」

「人殺しが人道を語るつもりはないがな」


 なんて話しているうちに、ケーキを綺麗に食べ終えてしまった。残りはシュークリームしかないし、少し食べるペースを落とすとしよう。


 ふと、私は思う。ケインさんがこの仕事を請け負った理由を知れば、私がこの仕事を受けた理由がわかるのではないか、と。


「ケインさんは、どうしてこの依頼を請け負ったんですか?」

「一生を遊んで暮らせる金が欲しかった、ではダメか?」

「孤児院に多額の寄付を行っている人がいう言葉ではないですね。何より、よほど早急に莫大な金が必要でもなければ、リスクと釣り合いません」


 もっともな言葉だ、とケインさんは不敵に笑った。


「なら、君はなぜだと思う?」


 なぜだと思う、と来たか。

 自分で言っておいてなんだが、早急に莫大な金が必要である、という可能性は薄いだろう。他にも手に入れる方法はあるだろうし、わざわざ国に喧嘩を売る方法をとらなくても良い。

 ならば、消去法でいくとしよう。


「フローラインを敵視している勢力、とのパイプが欲しかった?」

「その心は?」

「フローラインを敵視している人々を集めれば、それなりの勢力になります。その勢力との関係を作ることで、次なる何かを狙っている、とか?」

「なるほど。およそ正解でいいだろう」


 感心したようにケインさんは言った。


「おおよそ、正解だ」

「それじゃあ、フローラインに聞かなければならない、というのも依頼人の指示ですか」


 確認するように聞くと、しかし、ケインさんは複雑そうな表情をした。どうやらそうでもないらしい。


「じゃあ、誰の指示なんですか」

「……そこから先は、やめておけ。あまりにも危険すぎる」

「ここまで手伝わせておいて、何を言ってるんですか。危険なんて百も承知で——」

「やめておけ。俺がこれだけ強く言う理由を、理解できないお前でもないだろう?」


 私はケインさんの圧力に屈服するように、口をつぐんだ。するとケインさんがばつの悪そうな表情をして、すぐに優しげないつもの顔に戻った。


「大丈夫だ。全てが終わったら、教えてやる」


「絶対、ですね?」念押しするように、私は聞いた。


「絶対、と言う言葉を俺は好きではないが、まぁ、いいだろう。絶対だ」

「もし明日の襲撃で死んだら、承知しませんからね」

「縁起でもないことを言う娘だ」

「最悪を想定すして対策を打つのが、参謀の役目ですから」


 私たちは、ニヤリと口角をあげる。


 準備は終わり、できることは全てやり切った。あとは、実際に行動に起こすのみ。

 迫る明日は、ついに作戦の決行日だ。




 * * * *




「大変です! フローライン様!」


 大声と共に、ノックもなしに青年が扉を開けて入ってくる。今まさに寝ようとしていたのを邪魔された私——フローライン・フリューリーは、悪態を漏らす。


「お前」


 私の冷たい声に、青年の背筋が凍りつく。


「このような時間に、ノックもなしに人の部屋に入ってくるなんて——「フローライン様!」


 不機嫌なままに放った言葉さえも遮られ、私は腹の底に溜まる熱いものを感じた。私は彼に冷ややかな視線を向けたまま、彼への距離を詰める。


「何よ」


 私の悪意と怒りを込めた言葉に、青年は気圧される。彼がどんな言い訳をするのか楽しみだ、なんて思っていたその時——窓ガラスが割れ、何かが部屋の中に投げ込まれた。

 私は咄嗟に青年の体を掴み、位置を入れ替わるように彼を盾とする。


 瞬間、光と音と風が同時に発生する。

 幸いなことに、爆弾は品質の悪い粗悪なものであったようで、被害は爆風によって撒き散らされた破片によって青年が多数の切り傷を受けるだけにとどまり、私は無傷だった。私が青年から手を離すと、彼は痛みに悶えるように地面に転がる。


 今更ながらに、緊迫感を煽る警鐘の音が鳴り始めた。


 反応の遅さに悪態をつきながら、私は通路を隠す本棚を動かす。通路の先には、地下の避難所兼司令室がある。


 通路に片足を踏み込みながら、未だ痛みに悶えている青年を私は振り返る。

 どうせ、取るに足らない雑兵の一人。わざわざ情けをかける必要はないが、まぁ、少しぐらいはサービスしてやってもいいだろう。切り捨ててばかりというのも、気分が良くない。


「お前。その傷じゃあ、この本棚を開けられないでしょう。早くこっちにきなさい。閉じてしまうわよ」


 青年はうめき声を上げながら立ち上がると、全身から血を流しながらゆっくりと歩き出した。その姿の醜さに、私は思わず秘密の通路を閉じてしまう。本棚の奥から、何かが倒れる音が聞こえた気がした。


 最悪だ。あれだけ悪感情を与えておきながら、罪悪感まで与えてくるとは。


 私は悪態を表に出すように足音をわざと大きく鳴らしながら、避難所につながる秘密通路の中を歩いていく。




 * * * *




 爆弾を投げただけであのクソババアを殺せた、ってえわけじゃねぇだろうな。


 杖と共に官邸前の道を堂々と歩きながら、僕——アレスターはそう思った。


 各犯罪者組織から集めた兵員の数は百を優に超える。銃や爆弾も、粗悪品ではあるが十分な数が揃っているはずだ。戦力はこちらが上回っている。ならば、真正面から叩き潰すのみ。

 とりあえず官邸前広場の制圧は完了した。次は官邸一階の部分だ。その次に二階のどこかに追い詰められているであろうフローラインを殺して、終了。

 準備時間の都合でどこに隠れているかは特定できていないが、しらみつぶしに探せば見つかるだろう。あまり戦略や知略を練らなくていいのが、王道で攻められる強みだ。


 僕はあたりの男に声をかける。


「おいお前、扉を破壊するやつ、あっただろ。アレを使って扉を開けさせろ」

「しかし、敵も中で待っているでしょう。開けた途端に、開けたやつが撃たれてしまいますよ」

「……、それが何か問題なのか?」


 僕は左手の拳銃を男に突きつける。


「俺がやれと言ったら、やる。それがお前らの仕事だろ?」


「わかりました」男は感情を押し殺すように言った。すぐに、彼は僕に背を向けて突撃の兵員を集めに行く。


「あ、そうだ」


 呼び止めるような声に、男は僕を振り返った。瞬間、僕の左手の拳銃から発射された弾丸が、男の頭を貫く。


「こうなりたくなけりゃ死ぬ気で動けよ、お前ら」


 僕はその様子を見ていた全員に言い放つ。味方の動きが、一段と早くなった。



 * * * *



 そこはどこか閉塞感を感じる、コンクリートに囲まれた空間だった。薄暗く、並べられた机には、何十人という人が忙しげに作業を行なっている。視界の端では、『脱出通路の安全を確認してまいります』と警備の一人が脱出の中へ入っていくのが見えた。

 ガラムの地下にある司令室——正式名称を、地下緊急用避難所兼予備司令室という——に、女の怒号が響く。


「早く、現在の状況を説明なさい! 誰が私たちを攻撃しているの!」

「現在把握中でして——」

「御託はいいわ! あなた方の仕事の遅さが、私の行動を妨げているの! その自覚がおありで!?」

「いえ、はい。……その、誠に申し訳ございません。フローライン様」


 警備の一人に頭を下げさせても、私の怒りは晴れることはなかった。いや、むしろ、さらにつのらせていると言ってもいい。

 この、私が。この、フローライン・フリューリーが、事態も把握できず、後手に回ってしまっている。その事実が、私を怒り狂わせようとする。


「フローライン様、脱出用の秘密通路を使われては?」

「ダメよ、状況を理解していない状態でそれを使うのは、自殺行為に等しいわ」


 状況を理解して逃げることと、状況を理解せずに逃げること。その両者には、大きな違いがある。いや、逃げることだけではない。情報は、すべての行動の土台なのだ。情報の量と質で、上に乗せられるものが全く変化する。

 今の私の状態は、言ってしまえば知らぬうちにチェス盤の前に座らされており、相手の表情どころか、相手の駒すら見えないようなもの。そんな状況でキングが動かして仕舞えば、いつチェックメイトとなってしまうかわからない。


 今まで、夫のマゼルダに始まり、この国全体をコントロールしてきたつもりだった。それが、たったの一夜でここまで追い詰められてしまった。相手は相当の手合いだ。


 その時、初老の男性が封筒と共に近づいてきた。


「フローライン様、ご報告が二つございます」

「何?」


 思わずぶっきらぼうにそう言ってしまったが、初老の男の表情は変わらない。これが仕事だと割り切っているのだろう。結構なことだ。


「まず一つ、現在の防衛の状況についてです。現在、敵は正面扉への圧力を高めています。防衛戦力の四分の一をここ避難所の防衛に、そのほかを地上階の防衛にあたらせておきました」

「わかったわ。正面扉の防衛を分厚めに。あそこが突破されたらガラム全体が逆に奴らの要塞になってしまう、それは確実に防がなくては」


 はい、と初老の男は頷いた。


「続いて、賊の素性がわかりました」

「誰?」

「右手で杖をついて歩いているという様子から、彼でほとんど間違いないかと」


 彼は、封筒の中から書類を取り出した。どこか魅力を感じる顔に、手入れのされていない髪の男の写真。そこに書かれた名前は、アレスター。


「フローライン様、どこかで見覚えは?」

「アレスター……、どこかで聞いた名前ね。しかし、いつ会っていたかまでは」


 暗に私が説明を求めたことを察して、彼は書類を読み上げ始めた。


「アレスター。最近巷を騒がしている連続殺人鬼です。その被害者の大量さと一貫性のなさから、確保には苦戦しているようで」

「被害者たちに一貫性はないのに、どうしてアレスターがやったとわかったの?」

「おそらく、アレスター本人が犯行を隠そうとしないからでしょう。実際に警察が何度も彼と遭遇し戦闘になっていますが、彼はそのたびに警察を返り討ちにしています」


 私は感嘆の息を漏らす。「ただの連続殺人犯に、それほどの武力があるとは」


「いえ、そうではありません」しかし、初老の男は私の言葉を否定した。「彼は強いのではなく、どちらかといえば、少し銃の腕が達者というだけで総合的には弱いと言ってもいいでしょう。用兵に関しても、全くの素人だと思われます」


「なら、どうして何度も返り討ちにされているの」

「それはひとえに、彼が、常軌を逸した存在だからです。曰く、『他人どころか自分の命すらも何にも思っていない』だとか、『奴には痛みの神経がない』だとか、散々なことを言われています。陣形を組んで射撃してくる警官隊に対し、遮蔽物も取らずに笑いながら銃を撃ち返してきたこともあったとか」


 つまるところ、敵は狂人の類か。そんな奴が全体を動かしているのだから、ここまで先の展開を予想できないのも納得だ。だが、そうだと分かれば対処は簡単。

 攻めてくる様子がセオリーとは全く異なるものだったから、何か罠があるのではないかと警戒していたが、きっと単にまともな攻城を知らないだけだろう。

 ならば、定石通りに耐え忍びつつ応援の到着を待つのみ。応援が到着すれば、内と外から敵を挟み撃ちにできる。


「その、はず……」


 だというのに、なんだこの感覚は。まるで、もうすでに詰みが確定してしまっているような。

 いや、そんなことは気にしても仕方がない。ただでさえ後手に回ってしまっているのだ。状況の詳細な把握に努めている余裕はない。今は早く次の手を打たなくてはならない時だ。


「地上で防衛にあたっている兵員を正面扉に集めなさい! 決して、敵を建物の中に入れないように」


 私の一声に、素早く防衛部隊が応じる。彼らはすぐさま、秘密通路へと消えていった。私は彼らの背中を見送る。


「しかし、よりによってあのアレスターか……」


 初老の男の説明を聞いていて思い出した。彼は私に、因縁がある。


 指揮をとっているのが彼ならば、きっと襲撃の狙いはガラムではなく、私自身の命なのだろう。

 ならば、外に通じる通路を使って逃げてしまうのも手だが……。どちらにせよ勝機はもうすでに見えているのだ。わざわざ逃亡する理由もないだろう。



 * * * *



「突撃だ。お前とお前とお前とお前、それからお前とお前。扉ぶっ壊すやつ……破城槌だっけ? トラックにあったろ? あれもってこい」


 そう言うと、支持された六人が素早く動いた。六人は揃いも揃って血相の悪い顔をしていたが、動けるのであれば問題ない。どうせ数分もすれば突撃してもっと血相が悪くなっているのだ。

 僕は六人が破城槌を構えて扉の前に立ったのを見て、指示を出す。


「扉が壊れたらそのまま中に突っ込め。止まるようなら俺が後ろから撃つ」六人のうち一人の背中が震えた。「いいか、合図を待て——。三、二、一!」


 零、とともに僕は腕を振り下ろす。六人は貯めていた力を振り絞り、破城槌を扉に叩きつける。

 瞬間、鈍い音と共に扉が抉れる——だが、反対側にバリケードが構築されていたのだろう、穴を開けることさえ叶わなかった。


「もう一度だ! そこのお前ら! お前らも手伝え」そう言うと、僕の指示した数人が破城槌を持った。「三、二、一!」


 先ほどと同様に、僕は腕を振り下ろす。しかし、結果は変わらない。


 このままじゃ埒があかねぇなぁ。もっと、インパクトとパワーのあるものじゃなきゃ。


 そう思って僕が辺りを見回すと、あった。トラックだ。インパクトも、パワーも、きっと申し分ない。


「おいお前ら、トラックから荷物を下ろせ!」

「何をする気ですか?」

「ハッハ、見ておけ。きっと楽しいぞ」


 部下が積み荷を下ろして行くのを横目に、僕はトラックの運転席に乗り込む。こればっかりは、他に譲れない。

 ああ、なんだか、とってもワクワクする。


「扉までの道を開けろ!」


 一声で、部下が素早く動く。優秀な部下を持てて僕は嬉しいよ。


 扉まで十分な助走距離があるのを確認してから、僕はアクセルに力を込める。

 いい加速だ。

 十分な速度に達したのを感じて、僕は全速力のトラックから転がり降りる。僕は何よりも先に扉に視線を移した。


 次の瞬間、轟音が響いた。

 トラックが扉に激突し、建物の中に消えていく。ガソリンに引火したのか、爆発が発生した。そして悲鳴がいくつか。扉の内側で待っていた敵のものだろう。


 爽快感。

 痛快なほどの爽快感が、僕を襲った。なんだか、視界がチカチカしているような気さえする。一種の絶頂感覚だ。


 しかし、いつまでも余韻にも浸っていられない。そろそろ警察か、それとも軍が到着する頃合いだ。僕は杖を持って立ち上がると、部下たちに指示を出す。


「お前ら! ガラムの中に入れ! この混乱に乗じて突撃だ!」



 * * * *



 私は政府系の建物群の中にあるとある建物から、双眼鏡を片手にガラムにアレスターたちが入っていくのを見ていた。

 ケインさんの様子はわからないが、彼ならきっとうまくやってくれているだろう。

 そろそろ、いい頃合いだ。私はそれに向けて手を伸ばし、繋がるのを待って、そして先んじて言葉を発する。


「これは、真実を明るみにするための正義の戦いである。繰り返す。これは、真実を明るみにするための正義の戦いである。フローライン・フリューリー。質問に答えてくれるならば、我々はガラムへの攻撃をやめ、その場にいる全員の安全を保障しよう。しかしもし、あなたが指示に従わないなら、我々はここガラムを爆破し、これをもって再革命の始まりとする」



 * * * *



 予備司令室に、衝撃が走った。天井からパラパラと粉が崩れ落ちる。


「何があったの!」

「わかりません! 現在調査中です!」


 私は舌打ちをして、あたりの机に手を打ちつける。近くで作業をしていた女が全身を緊張させた。


 何か手を打った矢先に、これだ。不吉や予感は当たってしまっていたのか、それとも外れていたのか。その確認すら碌に行えない。

 行動を起こすよりも情報の収集に努めるべきだったのか。

 いや、まだ悪いことが起きたと確定したわけではない。今は耐え忍ぶしかないのだ。


 そう思っていた時のことだった。机に向かっていた男の一人が叫ぶ。


「経済省から緊急用回線にて入電です!」

「繋ぎなさい」


 経済省からの音声が、拡声器を通じて予備司令室全体に広がる。


『これは、真実を明るみにするための正義の戦いである。繰り返す。これは、真実を明るみにするための正義の戦いである。フローライン・フリューリー。質問に答えてくれるならば、我々はガラムへの攻撃をやめ、その場にいる全員の安全を保障しよう。しかしもし、あなたが指示に従わないなら、我々はここガラムを爆破し、これをもって再革命の始まりとする』


「——ッ!」


 それは、半ば演説めいた女性の声だった。私個人に向けた通信だと知り、この場にいる全員の視線が私に集まる。


 現在のガラムの人員は革命派を中心に構成されている。そのように私がした。つまり、ここにいるものの多くが革命精神が未だ旺盛に残っているのだ。加えて、現在の政府は経済政策に失敗して、反乱の種は燻っている。そこに来て情報隠蔽のスキャンダルがあるとすれば——この場で、もう一度革命が起こったとしても不思議ではない。


 やられた、と思った。アレスターめ、相当に優秀な参謀を味方につけたな。私の言葉の次第で、この場にいる全員が敵に回りうる。これは、相当なピンチだ。


「発信元は経済省ではなかったの?」

「いえ、発信元は確かに経済省であると……」


 発信元は経済省であるが、発信主はテロリスト。

 であるならば、ガラムと経済省が同時に襲撃されていて、あちらはすでに敵の手中にある、ということだろう。


 いや、どうして敵の攻撃はそれだけだと決めつけられようか。もしかすれば、他の施設も襲撃されているかもしれない。であれば、アレスターはただの一人の手駒に過ぎないということになる。もっと大きな存在が、もっと大きなスケールで何かを起こしている。


 一体、何が起きているというのだ。


 この事件の元締めはどこだ。

 まず、ライル連合王国ではないだろう。王国の目的は我が国の安定化で、間違っても再革命などというものではない。

 それでは、軍を中心とするバンダモン帝国派か。いや、軍が国家を転覆させるならわざわざテロリストを使わず、軍隊そのものを動かせば良い。いや、テロリストに襲われる国を軍が救ったというナラティブを作ろうとしている可能性も——


 いや、今はこのようなことを考えている余裕はない。情報の収集に努めなくては。


「他省庁からの連絡は? この現状がどこまで広がっているのか確認しなさい!」

「先ほどから行ってますが、どこからも応答はありません!」


 一体、どうなっているというのだ。私は再び、机を叩いた。手がじんと痛む。


『応答せよ、フローライン・フリューリー。我々はすでに、ガラムへの侵入を果たしている。再び問う、そちらに質問への回答の意思はあるか』


 焦らせるような、テロリストの声。

 応答の意思などない、とはとても答えられない。それを言った瞬間、この場にいる全員が私の敵にまわってしまうだろう。

 こちらからの回答はできる、と近くの通信官に聞き、肯定を得る。私はテロリストに向かって言った。


「わかりました。質問に答えましょう。その代わり、一度攻撃の手を止めてもらいたい」

『いいや、それは不可能だ。そちらが満足のいく回答を行わない限り、我々は攻撃を続行する』


 くそ。敵は完全に我々を下に見ている。


『我々の質問は一つ。フローライン、あなたは、革命の途中で、革命派の力を使い、反革命派だけでなく、自分に都合の悪いものを殺したな?』


 予備司令室の全員の視線が私に集まる。


「——ッ! だ、断じてそんなことは!」


 その言葉は失敗だった。狼狽を全く隠せていない。


 革命の中で、気に食わない奴を殺したのは事実だ。しかし、証拠は何も残していない。だから、それが外部に漏れる可能性などないはずだった。

 だというのに、なぜ。


 私に集められる視線は、暗に返答次第では私を殺すということを伝えていた。


『そんなことはしてない、とは言わせない』

「第一、証拠は何もないじゃない!」


 この発言もまた、失敗だった。これではまるで、私がやったみたいではないか。私はその事実を隠さなければならないのに。


『言っておくが、これは質問の前提だ。これに頷いてもらわなくては、話にならない』

「こちらこそ、話にならないとしか言いようがないわ。ない罪を告白することはできない」

『……そうか』



 * * * *



 フローラインの強情な態度に、私は言葉に困っていた。

 偶然もあったし、必然もあったが、現状フローラインを確実に追い詰められている。だから、相手は質問に答えるしかないはずだ。しかし、実際はそうなっていない。


 であれば、どうしてもフローラインは本当に知らないのではないかという疑問が浮かんできてしまう。

 ケインさんはそこは揺るぎない事実だと言っていた。だからきっとそうなのだろうが、私はその根拠となる情報を教えてもらっていないし、ケインさんほどの確信もない。


 ケインさんから事前にもらった、フローラインへの質問の文章にも、この事態の時の対処方法は書かれていない。

 さて、どうしたものか。


 よし、ではケインさんを待つとしよう。



 * * * *



『そちらがそういうのであれば、我々はいつまでだって待たせてもらおう。ただしその間、襲撃の手は一切緩めない』


 予備司令室に、静寂が流れる。誰もが、作業の手を止めていた。一人の事務作業員が、席を立ち、意を決したように私に質問を投げかけた。


「フローライン様、今のことは本当なのですか」

「だから、知らないと言っているでしょう。お前は、私よりあんなテロリストの言葉を信じるというのですか」


 誤った二分法。いつだって詭弁の力は偉大だ。


 私を問い詰めようとした彼は沈黙する。しかしそれは暗に、彼が私を疑っていることを示していた。いや、違う。彼だけではない。今やこの部屋全体が、私の敵だ。

 いくらこの場で詭弁を披露しても、覆すことは難しいだろう。


 こんなところで、死ぬというのか。


 こんな、何が何だかわからない状況で?

 こんな、敵が誰かもわからない状態で?


 いや、死ねるものか。

 私は今まで権力の拡大のためにこの人生を捧げてきた。そして、これからもそうするのだ。こんなところで死ねるわけがない。


 しかし、このような状態になって、もはや勝てるとは思えない。


 いや、そうだ。勝つことはできなくても、引き分けにすることはできるではないか。

 この予備司令室には、脱出用の秘密通路があるではないか。そこであれば、ガラムから離れた場所に逃げることができる。


 ちょうどそう思っていた時のことだった。


「フローライン様! フローライン様!」


 件の秘密通路から、軍服に身を包んだ男が飛び出してきた。最高機密レベルである脱出用の秘密通路のことを知っている。そのことは、彼の身分の高さを示していた。


「フローライン様、救援に参りました。今すぐに逃げましょう」


 彼の言葉は、渡りに船だった。私は彼に近づいていく。


 先ほどまで私を問い詰めていた男が、今度は私を呼び止めるように叫んだ。


「フローライン様、ご自身の都合が悪いからと逃げられるのですか!? 我々の身の安全は!?」


 その言葉に答えたのは、私ではなく、軍服の男だった。


「お前たち、フローライン様に対して、無礼であるぞ。問い詰めるようなことをしておいた相手に今度は縋りつこうとするなど、恥ずかしくはないのか!」

「しかし——!」

「彼らは『質問に答えてくれれば、全員の安全を保証する』と言っていた。彼らは、フローライン様のいないガラムには興味はないのだ。フローライン様がもういないことを伝え、降伏すれば、きっとお前たちに攻撃は加えない」

「テロリストの言葉を信じろというのか!」

「テロリストの言葉を鵜呑みにして、フローライン様を疑っていたのはお前たちであろう」


 彼がそういうと、私の逃亡を非難する声は無くなった。


「私を護衛する部隊を——「フローライン様」


 私は護衛の部隊を集めようと思ったところを、軍服の男に止められた。


「彼らは信用できません」

「しかし、お前だけでは私を守りきれないでしょう?」

「扉の先、しばらく行ったところに私の仲間が待機しております。ここにいる者どもは、あなたへの疑念をまだ拭いきれていません。秘密通路のような直線で狭い場所では、フローライン様をお守りしきれない可能性も」

「……わかりました」


 軍服の男が秘密通路の扉を開けると、私はそこを通る。


『逃げるのか、フローライン』


 テロリストは私たちの会話の行方を聞いていたらしい。


「残念でしたね」

『……いいや、全く』


 その言葉と共に、通信は切断された。私が逃げることは、奴らの想定済みだった、ということだろうか? いや、きっとブラフだ。私を不安にするのが目的なのだろう。幼稚なことだ。


 あたりでは、もうすでに降伏の準備が始められていた。私はそれを横目に、脱出通路に入っていく。


 通路の端には、ガラムへの電力供給線や電話線など通っているのが見えた。秘密通路は、ガラムに繋がる各種重要インフラの通り道を兼ねているらしい。


 なんて考えていると、一箇所、配線に不審なところを見つけた。配線の先は、同様に他のどこかから伸びてきたのであろう他の配線をまとめて一つの機械に繋がれているのだが、当のその機械に細工がされた痕跡があるのだ。

 いや、細工なんていうものじゃない、破壊だ。螺子が外され、その内側の何本かの配線が引きちぎられている。特に火花が散っている様子もないから電源ではないのだろうが——どちらにせよ、杜撰なことだ。整備業者は何をやっているのだ。


 なんて悪態をついて、ふと思い出す。

 経済省以外のどこにも電話が通じていなかったことを。もし、この装置に、電話線をまとめる機能があったとすれば——まさか、だ。


 しかし、と私は背後を振り返る。

 この明らかな異常を視界に収めながらも、眉ひとつ動かさないこの男は一体——


「そろそろいいか」


 その時、男は突然軍の帽子を投げ捨てた。私が悲鳴をあげようとしたのを、彼は私に拳銃を突きつけて止める。


「フローライン・フリューリー。お前の身柄は、我々が預からせてもらう」



 * * * *



「ガラムの奴らが降伏してきただぁ?」

「はい。フローラインは逃げた、我々に抵抗の意思はない、とのことで。現在各犯罪者組織のトップが増援を連れてここに集まっています」


 部下からの言葉に、僕は耳を疑う。

 ガラムはすでに僕達によって占拠されていて、僕は現在地下の予備司令室にいた。


「どうして俺の目的がフローラインだってガラムの奴らは知ってるんだ」

「それが……その、これは全くふざけて言っているわけではないんですが」

「なんだ、早く言え」


 彼は半ば困惑しているようだった。もしかすると、怖がらせすぎたのが情報伝達に支障をきたしているのかもしれない。


「その、彼ら曰く、テロリスト側からの通信があった、と」


 僕は少し沈黙する。その反応をどう解釈したのか、部下の顔が次第に青くなっていく。なんだか気の毒だし、逃がしてあげようか。


「わかった。ここにいる奴らを捕虜にして、敵の応援が来た時には人質にしろ」


 はい、と部下は逃げるようにどこかへ歩いていった。

 僕は敵がいなくなった予備司令室の椅子に座る。視界の端では、ガラム職員が降伏の意を示すように両手を頭につけて並べられていた。


「想像よりも少ない損害でガラムを制圧できたと思えば悪くない。だが、いや——」


 全くもって、気に食わない。


 テロリストからの通信だって?


 犯罪者組織の連中が裏で手を回していた? 奴らなら僕の目的を知っていてもおかしくはないが、奴らがそんなことをするメリットは思いつかない。


 では、誰だ。僕は頭を巡らせる。

 僕の行動の始まりは、一つの手紙だった。曰く、『六人衆の会議に行けば、フローラインを殺せるかもしれないぞ』と言うもの。当時の思いは、『暇だからせっかくだし行ってみよう』程度のもので、決して深く考えていなかったが——今改めて考えてみるまでもなく、その手紙は怪しい。


 まぁ、つまり、僕は顔も知らぬ誰かによって利用されていた、ということなんだろう。僕は怒りを必死に堪えながら、思考を続ける。


 もし、通信を行なったテロリストと手紙の主が同一人物であるとする。であれば、その手紙を出した何者かは今僕達がここにいることを予想していてもおかしくはない。

 であればその何者かは次に何をする?


 ……………。

 ……。


「……そうか。クックックックック——ハハ! ハハハハハハ!」


 僕は笑い声を堪えきれなかった。誰かが僕を操っていたとすれば、その誰かが次にすることなど、決まっているではないか。


 ここは地下。杖がなければ碌に歩くことはできない僕は、ここから逃げるには時間がかかってしまう。


 僕は杖を片手に椅子から立ち上がり、司令室内に笑い声を響き渡らせる——その刹那の出来事だった。


 爆発音。


 ドッガァァァアアアアンンンンン————!!!! と。

 天井は崩れ、壁は吹き飛び、床は砕け、椅子は粉砕し、机は割れ、計器は狂い、拡声器からは雑音が響き、人は叫ぶ。


 そして、僕は、笑っていた。



 * * * *



 私は、ガラムが爆炎に包まれる様を見届けていた。

 その時、部屋の扉がノックされる。私は扉を開けると、ケインさんがフローラインを部屋の中に入れた。ケインさんはすぐにフローラインを椅子に縛り付ける。


「これから、拷問っていうところかしら。質問に答えなければ私は死ぬ?」


 フローラインのその表情は、面白そうだった。


「さあね。少なくとも私は人をいたぶる趣味はないけど」


 それは安心ね、とシニカルにフローラインは笑った。


「ところで、あなたのその声。お前があの通信の主ね」

「あら、バレてしまいましたか」


 少し声色を変えていたつもりだったんだけども。まぁ、それぐらいはすぐにバレてしまうか。


「見事な話術ね」

「ペンは剣よりも強し。剣で与えられるのは殺意と痛みと恐怖だけだけど、言葉だとそれ以上に多種多様に悪趣味に苦痛を与えられる、でしょう?」


 フローラインからの鋭い視線を感じる。私を恨んでいるのかもしれない。


「敵を多く作りすぎましたね、『慈悲の聖女』フローライン女史。おかげで、私みたいなのに付け入る隙を与えてしまった。つまり、そういうことです」


 私の言葉にフローラインが歯軋りする。さぞ悔しかったのだろう。


「黒幕は誰。誰がこの事件を引き起こしているの」


 フローラインはどこか焦っているようだった。その様子に、私は笑い、ケインさんは肩をすくめる。フローラインだけが、訳もわからず辺りを見回していた。


「黒幕は、俺たちだ」


 その言葉に、フローラインはハッとする。


「なら、政府系施設に対する同時多発的なテロは——」

「ただのミスリードです。想像以上にうまくことが運んでくれて助かりました」


 フローラインは、ひどく衝撃を受けている様子だった。


「一体、どうやってこんなことを……」

「言ってしまっていいんですか?」

「……! 早く言いなさい!」


 全く、女史は堪え性がない。罠を見破る、これが一番楽しいのだというのに。なら、いい加減勿体ぶらずに言ってしまおうか。いっそそっちの方が、尋問がしやすいかもしれない。


「アレスターの、あなたに対する復讐心を利用させてもらいました。六人衆——犯罪者組織にガラムの警備が弱まる時を教え、そしてアレスターに後押しさせたんです」


 フローラインは、絶句する。情報を重視する彼女のことだ。自分の想像と現実にあまりにも乖離がありすぎて、驚きを言葉にもできないのだろう。


「次に細工したのは、電話線でした。秘密通路を使ってきたんだから、あなたも見たでしょう?」

「もしかして、ガラムと経済省の電話線以外を断絶することで、他すべての行政機能が襲撃によって停止しているように見せかけた、かしら?」

「御名答。それもあなたたちのいる司令室は地下だから、周りの状況はわからないだろう、と」


 私は得意げに頷く。


「それに加え、経済省につながる電話線にも細工をしました。私たち二人だけで、経済省を制圧することは無理です。ガラムの方のように他の誰かをぶつけたりしている時間的余裕はありませんでしたしね」


 ここで、発想の転換だ。


「経済省は制圧できない。だから、制圧しなくてもいいようにしました」


 私はフローラインに無線機を見せる。それこそ、私がフローラインを脅すために言葉を発していた機械だった。


「経済省の電話線に、無線機と電話の信号を変換する装置をつけました。だから、この無線機から、ガラムにまで通信を行うことができるんです」


 無線機の通信が届く距離は限られているが、電話はそうではない。ならば、無線の通信を電話に乗っけてしまえばいい。それが私の案だった。経済省近くのホテルに泊まったのも、遠くまで届かない無線機の通信をへ電話線に乗せるためだ。


 昨日、ケインさんにわざわざ作業してもらったのは、このトリックを使うためだった。


「最後に、襲撃の混乱に乗じてガラム内に侵入させていた彼を動かして、あなたをここに連れ出す。そして彼が事前に設置していた爆弾を爆発させて、ガラムを爆発。この衝撃によって、国全体の動きを麻痺させる」


「侵入の難易度はどうでした?」と私が意気揚々とケインさんに聞く。


「抵抗らしい抵抗もなかったな。表で襲撃が起こされているうちに、裏で侵入する。これもミスディレクションの一種か」


 ケインさんは平然とそう答える。その言葉が、決定打となったようだ。


「……。やられた」


 フローラインは、自分の居城が崩されたことに、ひどいショックを受けているようだった。


「ええ、やってやりました」


 私は笑顔で勝利宣言をする。


 今やフローラインは絶望感に打ちひしがれている。この状態なら、素直に質問に答えてくれるだろう。ここから先は、ケインさんの出番だ。

 私が少し身を引くと、ケインさんは察したようにフローラインの前に立った。


「それじゃあ、こちらからの質問にも答えていただこう」

「ええ、もう繕ったりしないわ。なんでも聞きなさい」


 そうか、とケインさんは頷く。


「質問はひとつ、革命期に殺された男の一人、カールについてだ」

「カール。懐かしい名前ね。彼は、殺し屋だった」


 殺し屋——その単語に、私は驚く。


「ケインさ——」「やめろ」


 ケイン、という言葉にフローラインは反応を示した。


「ケイン……まさか、お前」


 名前を呼ばれて、彼は諦めたように言った。


「そうだ。カールは、俺の師匠だ」


 フローラインは再び、言葉を失う。そして、嫌な笑みを浮かべた。


「そう、あれから十二年。カールを殺したあの少年は、今頃、お前のぐらいに成長しているのかもしれないわね」


 一体、どういうことなのだ。ケインさんが、師匠のカールを殺した……? 私は二人の顔を交互に見る。しかし、なんの返答もなかった。


「それで、カールは——師匠は、なぜ殺されなければなかったんだ」

「ふふ。さて、どこから話したものかしらね」


 勿体ぶるような、フローラインの言葉。ケインさんは迷わず拳銃を突きつける。


「革命の一年前、私は一度、彼に依頼をしたことがあるのよ。政敵を一族ごと殺してもらおうとして。標的の名前は、確か、そう、コイル・フォン・ファウス」


 ファウス家。詳しくは知らないが、かつてフラペニアが覇権国家だった頃から続いていた貴族家だ。代々保守派で、なるほど、革命を起こす側のフローラインが敵視するのも頷ける。


「そしてカールは、うまくそれをやってくれたわ。ファウスの父親からまだ三歳だった娘まで、一族全員を証拠も残すことなく事故死させた——そのはずだった」


 しかし、とフローラインはその言葉を強調した。


「彼はひとつ、契約を破った。ファウス家の三歳だった娘を、事故死を偽装させた上で自分の養子にしていたのよ」


 ケインさんが、チラリとこちらを見た。どうかしたんだろうか。


「だから、殺した。カールと、ファウスの娘も」


 貴族というものは、血を重んじる。逆に言えば、血が繋がっていれば貴族の一員として認められることも多い。だから、その血を絶やすための、一家暗殺だった。

 だというのに、娘が生き延びていていたのであれば、意味がない。もし政敵に利用されれば、厄介になるのは目に見えている。時代は革命の中。行動に移すなら、今が最適。


 彼女の説明は、つまり、そういうことだった。


「だからそれでもう安心だと思っていた。それが、一二年後にこんな結果をもたらすとは。皮肉なものね」


 フローラインはシニカルに笑う。それに対するケインさんの対応は冷ややかなものだった。


「今のうちに好きなだけ笑っておくといい。どうせ、もう笑えなくなるんだからな」

「……待ってちょうだい。質問には答えたじゃない。だというのに、私を殺すの?」


 その時、部屋の中の緊張が高まるのを感じた。ケインさんとフローラインが視線を交わす。フローラインの表情は暗く、ケインさんの瞳は冷たかった。


「忘れたか、フローライン。俺は、あの暗殺者カールの弟子だぞ」


 ケインさんはフローラインの額に拳銃を突きつける。あちらを向いていろ、とケインさんは私に向けて言った。


「殺すのは、俺じゃない。——そういうように見せかかける」


 ケインさんはその引き金を引く。「ミッション・コンプリート」というケインさんの声と共に、フローライン・フリューリーだったモノの額から赤い液体が流れ出す。


 どうしてだろうか。

 その冷酷に仕事の完了を告げるケインさんの横顔が、夢の中で私の父を殺す男に似ていた気がした。




 * * * *




 気がつけばそこは、瓦礫の山の中だった。


「何があったんだ……?」


 僕は頭を巡らせる。そうだ、僕はガラムの地下にいて、そしてガラムは爆破された。

 死んだと思った。だが、僕は生きていた。


 僕は瓦礫をどかしながら、山の外に這い出る。


 ああ、また、生き残ってしまった。ここでなら、死んでもいいと思えたのに。


 幸運なことに、五体は揃っていた。元々、五体満足と言える体ではないが。僕はあたりの突き出した鉄パイプを支えに、ゆっくりと立ち上がる。

 瓦礫の上から、ガラムの跡地を俯瞰する。もう敵の応援が到着していたらしい。軍車両が多く止まっているのが見える。あたりは慌ただしく現場処理に追われていた。


 僕はふと、正面を見据える。

 その視線の先には、一つのホテルの、一つの部屋があった。そこから、少女が双眼鏡を手に僕をみているのがわかる。目が合って、少女は困惑したように、双眼鏡を外した。


「——ハハッ」


 見つけた。


「ハハハハハハ!!!」


 奴だ。奴が、きっと、僕を裏で操っていたやつだ。僕は少女に手を伸ばす。


 僕の笑い声によって、あたりの敵兵がやっと僕に気付いたのか、彼らは僕に近づいてくる。そしてすぐに、僕は取り押さえられた。

 しかし、そんなことはどうでもいい。


「見つけたぞ! ハハ、見つけたぞぉ!!」


 僕は地面に取り押さえられてなお少女を凝視し、そして叫ぶ。彼女の顔は、困惑に染められていた。


 あの、知的そうな顔。あの、整えられた髪型。あの、自信に満ち溢れた瞳。あの、恐れを知らぬ表情。


 ああ、彼女が、欲しい。彼女を、壊したい。

 ぐちゃぐちゃに乱し、ぐにゃぐにゃに歪め、バラバラに切断し、粉々に粉砕し、無茶苦茶に絶望させたい。


 僕の一瞬でも長く彼女を目におさめたいと言う願望は、僕を運び出そうとする鎮圧部隊によって遮られた。




 * * * *




 大学から帰った私は、部屋の扉に手をかける。


 いくら首脳官邸を爆破するテロリストの参謀をアルバイトとしてやっていたとしても、学生の本文は勉学に励むことであり、私は大学に通わなければならない。


 ガラムを爆破しても、それは一つのイベントに過ぎず、結局日常は日常のままだった。それがいいことであるか否かは、私のような若輩者には判断できないが。


 しかし、変化がなかったわけではない。

 まずは、新聞を読む機会が増えた。自分が捕まることを心配しているから、ではない。むしろ、私は張り巡らせた謎を解かれることを期待しているようにさえ思う。


 クイズの作問者が、回答者が作ったクイズに苦戦する姿を楽しみと共に、クイズが解かれることを期待しているように。推理小説の著者が、読者が作中のミスリードに引っかかる姿を想像するとともに、まんまと読者に推理されてしまうことを楽しみにしているように。

 私は、テロ事件の作問者として、ニュースを楽しんでいた。


 だから、ニュースを追いかけるのが楽しい。


 ただ一つ気がかりがあるとすれば、双眼鏡越しに初めてみた、アレスターのことだった。彼は確かに、私をみていた。そして彼の表情は、私が黒幕であると確信していることを理解してしまったようだった。

 だが、彼は軍関係者に連れて行かれている。しばらく外に出てくることはないだろうし、手紙という小さな手がかりだけで私にたどり着けるとは思わない。


 つまり、概ね不安材料はないと言ってもいいだろう。こんな図太い性格に育ててくれたカーライル孤児院に感謝である。

 まぁ、私みたいな大犯罪者を輩出してしまったのはカーライル孤児院唯一の汚点なのだろうが。それとこれは別だということにしておこう。


 ケインさんは『今回の事件の後処理を行う』と言われて以来会っていない。今も、きっとどこかで暗躍しているのだろう。


 なんて考えつつ、私は自分の部屋の中に入る。


 瞬間、誰かの気配を部屋の中から感じた。

 私が侵入者なんていうものに敏感になってしまったのは、ケインさんが毎度まともな方法で私を訪れないからである。

 私はいつもの如く玄関に置いてあるバットのMr.エイリアンヘッド=クラッシャーをゆっくりと持ち上げる。彼には、家に侵入者が出るたびに活躍してもらっている。そろそろクラッシャーからハルバードとかに進化させてあげても良いだろうか。


 Mr.エイリアンヘッド=ハルバード。


 ……?


 なんて自分でもよくわからないことを考えつつ、私は部屋の中に歩みを進める。


 部屋の中心には——私の予想を裏切るように、一人の軍服の男を、四人の男女が囲むように立っていた。

 ええと、どちら様? てっきりケインさんだと思っていたのに拍子抜けだ。……じゃない、相手は不法侵入者なのだ。しかるべき対応を取らなくては。


「我々の存在に気づくとは、さすがはあのケインの弟子だな」


 軍服の男は私の気配に気づいていたらしい。彼の手には、ちょうど私が食卓においていた今日の新聞があった。私はMr.エイリアンヘッド=クラッシャーを構えながらゆっくりと軍服の男に近づく。


「『首相官邸地下通路から、フローライン・フリューリーの死体発見。周辺の状況から、アレスターが率いていた犯罪者部隊の下級構成員が殺したものと推測されている。一方、今回の事件の首謀者であるアレイスターは尚も黙秘を続けており、事件から一週間近く、全貌はまだ明らかになっていない。』」


 どうやら、新聞を読み上げているらしい。


「ダマスカス・ハーリー将軍だ。今日は、レイラ君、君に伝えたいことがあってやってきた」


 彼は私に、席につくように促す。

 ここ、私の部屋なんですけど。どうして私の部屋には変な人ばかり侵入してくるのだろうか。人の部屋に侵入する人にまともな人はいないのだろうか。

 いないのだろうな。そんな気はしていたよ。


 私は素直にダマスカス・ハーリー将軍を名乗る男の指示に従うことにした。


 年齢は五十代半ばあたりだろうか。髭を伸ばした男だ。彼の胸元には数々の勲章が付けられており、彼の不動の態度は、彼の位の高さを表している。

 名前は知っているが、やはり、現実で会うと迫力が全く違うな。まぁ、まだ本物だと決まったわけではないのだが。


「あの演説は素晴らしかったな、レイラ君。なんだったか。そうだ、『これは、真実を明るみにするための正義の戦いである』だ」


 そのフレーズは、ガラムで情報操作を行うために行なった演説の冒頭だ。まだ記憶に新しい。


「な、なんの話をしているのでしょうか」

「今回の事件、君には謎が多かったのではないのかね。戦場は完全にコントロールしていたが、しかし、その背景は全く知らされていない」

「ごめんなさい、本当になんのことかわからないのですが」


 こんな方法で私が犯人だとバレてたまるものか。今の私は平和を愛する善良な一般市民なのだ。首相官邸襲撃なんていう物騒なこととは無縁でなければならない。


「なら、わからないまま話を聞き続けると良い。これは、尋問ではないからな」


 おっと、これは皮肉だろうか。

 彼は葉巻を吹かす。人の部屋に侵入した上にタバコ臭くするなんて、どんな神経なのだろうか。心臓に毛どころか、血管が生えているのでないだろうか。まあ、それを言ったら誰だってそうなんだけど。


 なんで私こんな危機感のないこと考えているんだろ。


 将軍は、そんな私の考えことなど知ったことではないとかばりに言葉を続けた。


「ケイン君は、君に重大なことを隠している」


 それは、理解している。だがそれは、彼が私の安全を保つためのもので——


「それをケイン君は、『君の安全を保つためだ』と言っているだろうが、それはおよそ建前と断言してしまっていいだろう。彼は、彼の安全のために、そして君の信用を勝ち取るために、この真実を隠している」


 真実……?


 ケインさんに不都合な、真実。ケインさんが隠している、真実。


「ファウス家の娘、そしてかつての暗殺者カールが養子にとった少女というのは——」


 私は息を呑む。


 ——レイラ君、君のことだ。


 瞬間、いつもの悪夢が脳内を何度も駆け巡る。

 燃える館、火炎瓶を持って迫り来る群集、押し飛ばされる衝撃、ナイフを持って父に迫る男たち、血だらけの父、拳銃を構える誰か、そして、銃声。


 点と点が、全て、つながった。

 ジグソーパズルのように、全てのピースか完全にハマってしまった。


『ミッション・コンプリート』


 冷酷に、終わりを告げる声。


 私の父を殺したのは、そう——ケインさんだったのだ。

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