少女の弾丸は何を穿つか。

とあるk

1 ある日

 その館は、革命の炎に包まれている。中には、一人の老人がいた。老人の体には多くの傷があり、彼はぐったりと椅子に腰掛けたまま二階の窓から火が迫るのを眺めていた。


「かつて、世界最高峰の殺し屋といわれた私でもこの様だ……。老いとは、怖いものだな」


 背後から少年が近づいてくるのに気づいて、老人は言葉をこぼした。


「早く、早く逃げましょう。ここにも火の手が回ってきてしまいます」

「逃げたとして、何になるというのだ」


 老人は少年を振り返る。少年は納得できそうにない様子だ。


「しかし——」「なぁ、弟子よ」


 老人は少年の言葉を遮った。思わず、少年は萎縮してしまう。


「私は、長く生きた。お前という良い弟子を持つことができたし、女性には恵まれなかったが、豊かな家庭には恵まれた。もう、満足だ」

「あいつのためですか。師匠が生きている限り彼女も狙われてしまうから、だからここで死んでしまおうだなんて」

「くどいぞ」


 再び、老人は少年の言葉を遮った。その言葉に力はなかったが、しかし、それには確かに、有無を言わせない強い圧があった。


「お前なら、あいつの身分を偽造して、安全な場所に保護させることができるな?」


 少年はしばらくの沈黙の後に、肯定した。老人は満足して、再び窓の外に視線を移す。窓の外からは、火炎瓶を手にしたデモ隊が無遠慮に館へ侵入してきているのが見えた。


「そうだ、そういえばまだお前にあれを与えていなかったな」

「何でしょう?」

「最後の課題だ。いや、最期の課題と言った方がいいのかもしれないな」


 老人は最期の力で、窓に背を向けて椅子から立ち上がる。老人の体から、赤の雫が地面へと流れ落ちた。


「私を、殺してくれ」

「待ってください、師匠。何をおっしゃっるんですか」

「じきに、奴らがここにきて俺を殺すだろう。ならば、私は、あんなどこの馬の骨かもわからない奴らよりも、お前に殺されたい」


 老人が、少年の隣にあるテーブルを指差した。そこには、一丁の拳銃が置かれている。少年は躊躇う素振りを見せながらも、ついにはそれを拾った。


「自分にできなかったことを弟子に押し付けるのは最低の師匠だが、どうかこれだけは許してくれ。私は、お前に、愛する人のためならば愛する人をも傷つけられるようになってほしい」


 いいか、と老人は念を押すようにいった。


「決して人の心を失うな。殺し屋であっても、いや、だからこそ、誰かの道具になんかに成り下がるんじゃないぞ。お前は、お前の良心と判断によって人を殺すのだ」


 ——誇り高き、殺し屋になれ。


 その言葉は、いつも老人が口にしていた言葉だった。そして少年はそうあろうと今まで努めてきた。

 だから、この時も。


 火薬の破裂音が、燃える館の中に響く。


 胸から血を流した老人が、最期の力で少年に向けて言った。


「これで、免許皆伝だ」


 力尽きたように老人は後ろに倒れ、窓を突き破って外に落ちていく。外から騒ぎ立てるような声が聞こえた。


「ミッション、コンプリート……」


 少年はゆっくりと、拳銃を机の上に戻した。




 * * * *




 いつだって、私はその夢を見る。


『レイラ! 早く逃げなさい!』


 燃える館、火炎瓶を持って迫り来る群集、押し飛ばされる衝撃、ナイフを持って父に迫る男たち、血だらけの父、拳銃を構える誰か、そして、銃声。


『お父さん!!』


 私は叫び、彼に向けて走るが、私が彼に届いたことは一度もない。走れば走るほど私と彼との距離は引き延ばされ、気づけば彼は遠くへ行ってしまっているのだ。

 夢の中の血だらけの彼は父というには歳が離れているように思えるが、しかし、彼は確かに私の父だった。彼の名前を知らなくても、私は彼の娘だった。


『ミッション・コンプリート』


 冷酷に、終わりを告げる声。その声と共に、いつも私は目をさます。


 その夢のどこまでが真実で、どこからが虚構なのかはわからない。だが、それは確かに、記憶だった。

 そして同時に、呪いだった。


「……」


 いやな夢から覚めた私は、ベッドから起き上がり、体を伸ばす。カーテンの隙間から差し込む陽の光が眩しい。薄ぼんやりとした目をこすりながら、大学への準備を行う。


 カーライル孤児院。

 物心ついた頃には、私はそこにいた。私の持つ名である、レイラ・カーライルのカーライルはそこの院長にもらったものだ。実際、院長は実の父親のように愛情を込めて私たちを育ててくれた。


 私は机の上に並べられた本をどけ、丸められた新聞、パン、バター、そして瓶詰めの牛乳を食卓に並べる。


「『新生フラペニア王国の北方に位置する島国』、ライル。『創歴四九九九年に起こった民主主義革命』、十一月民主革命……、文字数的に十一月かな」


 パンを咀嚼しながら、新聞の裏面のクロスワードパズルを解いていく。『今日の新聞総復習パズル!』と題された問題だ。せいぜいおまけ程度のものなので難易度はそれほど高くはないが、朝のウォーミングアップとしては十分だ。


「今日は社会系の単語が多い気がする。今日はそっち系のニュースが多いのかな。『首相官邸の別名、転じて新生フラペニア王国の内閣』、ガラム」


 これで終わり、と言って新聞を食卓に置く。今日のタイムは二分と少し、いつもより調子が悪いだろうか。

 さらに食事を進めつつ、新聞を読む。




『サラニア共和国(旧サフラン王朝)、バンダモン帝国、ライル連合王国の三大国に囲まれた我らが新生フラペニア王国は、サラニア・バンダモン間の緊張が高まる中、現在複雑な状況下にあります。両国は我々にそれぞれの陣営につけようとしている一方で、ライルは緩衝国として安定した独立を保つことを我々に期待しており——』


『マゼルダ・フリューリー首相が行った大投資政策は、開始から七年がたった現在でも成功の兆しが見えず、首相批判の声が高まっています。首相の妻である『慈愛の聖女』フローライン・フリューリー女史はこれに対し——』


『政権の権力が弱まる中、再び軍部が力を伸ばしています。その中でも特に目立っているのがダマスカス・ハーリー将軍で、彼は著書の『再征服』の中で——』


『経済が低迷する中、反政府派の犯罪者組織が巨大化しており、十一月民主革命につぐ二つ目の革命が発生する可能性を専門家は懸念してしています。一方の政権は——』




 今日も様々なニュースが溢れている。昔は馬が情報の受け渡しの中心だったが、現代では電信環境の整備によって遠くの情報がすぐに得ることができるようになった。情報過多は、その弊害の一つと言えるだろうか。


 朝食を摂り終えて、食器を片付ける。数独の本を片手に大学の荷物を持って、私は部屋の扉を出た。他の部屋からも、ちらほらと学生が出てくるのが見える。

 数独の本を片手に、私は大学へと向かう。


 失敗とされることが多いマゼルダ首相の大投資政策だが、それでも恩恵はあった。大学を中心とする、高等教育環境の整備だ。

 孤児院出身の私が大学に通えているのはその一環で行われた奨学金の拡充のおかげであるし、一七歳での飛び級入学の制度も同様だ。こうして一人暮らしができているのも、学生寮が作られたおかげだと言える。


「おはようレイラ」「おはようマーカル」

「やぁレイラ」「久々ね、ラマルクス」


 学友達の挨拶に応じながら、私は数独を片手に道を歩いていく。太陽は眩しく、風は涼しい。心地よい朝だ。


 きっと今日も、悪くない一日になる。




 * * * *




 大学の講義を一通り終えた私は、家に帰った。数独の本を片手に扉の鍵を開け、家の中に入る。

 その時、私は異変に気がついた。


 家の中に、誰かが居る。


 音を立てないように荷物をゆっくりと床に置き、防犯のためと置いておいたバットを構える。バットは、友人のイタズラによってエイリアンの顔の落書きが描かれていた。名前は確か、Mr.エイリアンヘッド=クラッシャーとか言った気がする。まさか、これが使う時が来ようとは。


 部屋の中にいたのは、一人の男だった。彼は椅子に座り、私の本を読んでいる。彼はこちらに背を向けていて顔は見えないが、きっと我が物顔なのだろう。

 風が私の頬を撫でた。その時やっと、窓が開いていることに気がつく。男はあそこから侵入したのだ。

 私はMr.エイリアンヘッド=クラッシャーを構えながら音を立てずに彼の背後に近づく。


「相変わらずパズルが好きなんだな、レイラ」


 気付かれていた。衝撃と恐怖で全身が震える。

 全身を鎧のような分厚い筋肉で覆った男だった、というのは誇張の過ぎるように思うが、それでも彼の体の屈強さは鎧にも匹敵するように思えた。それでいて、筋肉のつき方はとてもスマートで、運動に最適化されているようだ。一目見るだけで、何かしらの武芸に長けているのであることがわかる。それも、かなり幅広い分野の。

 男は余裕げにゆっくりと振り返る。


「久しぶりだな、レイ——」


 瞬間、男は懐から拳銃を取り出した。とても慣れた手つきで、正確に狙いをつけている。その狙いの先は——私が両手で握ったMr.エイリアンヘッド=クラッシャーだった。

 男は怪訝な顔つきで私の顔を見る。


「……? なんだ、それ」

「これ? これはMr.エイリアンヘッド=クラッシャーだけど」

「? Mr.エイリ……なんだって?」


 男はより一層怪訝な様子を深める。まぁ、それが普通の反応というものだ。人の部屋に無断で侵入するという法外な感性な男でも、どうやら普通の感性は持っていたらしい。

 って、こんなことしてる場合じゃなかった。


「あなた誰よ!?」


 突然大声を出したからか、男は少し驚いたようだった。

 最初はそう思って少し申し訳なく感じていたが、どうやら男は違うことに驚いていたらしい。


 なぜならば。


「まさか、俺のことを忘れているのか?」


 彼は、私の知り合いであったからだ。




「俺だ!」「誰よ!」「本当に忘れたのか?」「私の知り合いに他人の家に無断で入るよな人はいないわ!」


 なんて会話を数回続けた後。

 私はやっと彼のことを思い出した。


 彼の名はケイン。私がかつていたカーライル孤児院の最大の出資者だ。今思い返してみると、彼と何度も会話をしていたのを覚えている。

 様々な方面の知識を持ち、よく私の話し相手になってくれていた。思えば、パズルを好きになったのも彼がクロスワードパズルをしているのを見たのが始まりだ。当時の私は、彼に一種の憧れを抱いていたように思う。


「改めて。お久しぶりです、ケインさん」

「ああ、久しぶりだな。最後に会った時から、もう、三年になるか?」


 私は頷く。


「サルマンさんから聞いたぞ。今はあのエトランド大学の物理学科に在籍しているんだってな」


 サルマンというのは、カーライル孤児院の院長の名前だ。サルマン・カーライル。私が尊敬する大人の一人である。


「奨学金のおかげで、なんとか通えています」

「そうか。そのまま勉学に励め」


 …………。

 さて、何から言ったものか。彼に聞きたい話は山ほどある。なぜ勝手に私の部屋に侵入したのですか、だとか。どうしてしばらく顔を見せなかったのですか、だとか。

 いや、手っ取り早く行こう。時間は有限の資源だ。


「それで、本日はどのような案件でいらっしゃったので?」

「一つ仕事を手伝って欲しい。アルバイトというやつだ」


 アルバイト、か。

 いくら奨学金をもらっているとはいえ、一人暮らしで、家計は厳しい。かといって、特例で大学に通わさせてもらっている身分で、孤児院にお金を借りるわけにはいかない。

 そんな状態の私に、アルバイトのお誘いは願ってもないことだった。支払いの額はわからないが、孤児院の支援者もしているケインさんならば心配はいらないだろう。


「わかりました。微力ながら、お手伝いさせていただきましょう——ただ、その前に一つ質問をさせてください。労働契約を行う上での、とても重要な質問を」

「なんだ?」

「ずっと前から疑問に思っていたのですが——」


 さて、ここからなんと聞いたものか。少々複雑な質問になってしまうが。いや、シンプルにいこう。時間は有限、自分でも言っていたじゃないか。


 意を決して、口をひらく。


「ケイン、という名前は偽名なんですか?」

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