第50話 3月14日

 目を覚ますと、服の隙間に入り込んでくる冷気に身体を震わせ、壁際に追いやられた布団を手繰り寄せて被ろうとするが、カバーの中で乱れて丸まってしまっているようで、上手く広げる事ができなかった。数秒間格闘した後、諦めて身体の方を丸め、どうにか布団を被って寒さを凌ぐ。


 今日から五日間は家庭学習日という事で、学校と、それからアルバイトも休みにしているため、急いで起きる必要は無いと分かっているのだが、二度寝しようにも妙にはっきりと目が覚めてしまっていた。


 枕に頭を置いて目を瞑ったまま、昨夜の記憶を頼りに枕の下に手を入れ、携帯を探し当てると、電源を入れようと横に付いているボタンを押す。しかし携帯が光る様子は無い。試しに画面の下部にあるボタンを押してみるが、やはり反応は無い。どうやら充電が切れてしまっているらしい。


 仕方無く充電しようかとも思ったのだが、どうにも起き上がるのがめんどうに思えて、携帯を手放して再び目を閉じる。しかし少しも眠たくなる気配が無く、時間を浪費するのが嫌で足で勢いを付けて布団ごと身体を起こす。


 丸まった布団を退けてベッドから足を下ろし、寒さを感じる前に立ち上がって伸びをする。それからカーテンの隙間から漏れる光を頼りに窓に近付き、窓を半分ほど開けて換気をする。


 私は携帯を充電器に差し、寒さから逃れるように部屋を出ると、偶然隣の部屋から妹が出てきて、お互いに見合ってほんの一瞬硬直する。


「おはよう、涼音」

「おはよう」


 先に道を譲ろうと立ち止まって見つめるが、妹が動こうとしないため、何となく腕を広げる。そうすると妹は「なに?」と不思議そうにしながら歩み寄ってきて、私の腕の中に収まった。


 妹とハグをすると、蒼依とはまた違った安心感がある。種類は違えどこうして身体をくっつけていると心が満たされるような気がする。


「どうしたん?」


 気が付くと、私は妹の額に口付けをしていた。


「あっ、ごめん。つい……」

「何か嫌な事あったん?」


 そう言って心配そうに眉を下げる妹を見て、思わず笑い声を漏らすと、妹は更に眉間に皺を寄せた。


「なんか、涼音の方がお姉ちゃんみたい」

「お姉ちゃんがちょっと子どもっぽいんちゃう?」

「それはそうかも」


 そう言ってもう一度、今度は頬に口付けをして、優しく頭を撫でる。その間妹は気持ちよさそうに目を瞑って大人しく私の手を受け入れてくれていた。


 そんな事をしていると、「涼音、遅刻するでー」と急かそうという気配のまるで感じられない母の声が響いてくる。「今行くー」と妹が返事をして、私の腕から抜け出そうとする。


「お姉ちゃん放して」

「えー」


 冗談のつもりで抗議の声を上げ、視線を下げると、無言で私を見つめる妹の顔があり、ごめんごめん、と笑い混じりに軽く謝りながら腕を広げて妹を解放する。


 怒らせてしまっただろうかと固まっていると、妹がぶら下げられた私の手を取り、一緒に階段を降りようとするが、この家の階段はそこそこ高さがあるため、さすがに危険だと判断し、妹に声を掛けて手を放してもらう。妹は口を尖らせて不満を表していたが、お互いの身の安全には代えられない。


「おっ、やっと起きてきたか」


 母は私を見ながらそう言って重い腰を上げる。


「別に何も用事無いやろ?」

「そうやけど、いつも休みでももっと早く起きてくるやん」

「まぁ、そうかも」


 テレビの上に掛けてある時計を見てみると、七時二十分辺りを差していた。しかしあの時計は常に十分程度早く動いているので、恐らく今は七時十分くらいだろう。普段に比べれば確かに遅いが、休みの日にしては早過ぎると言える。


「ココアで良いか?」

「うん」


 母がココアを入れてくれている間に歯磨きを済ませ、戻ってくると、ココアがテーブルに置かれていた。母に礼を言い、定位置に座る。母から今日の大雑把な予定を聞きながら菓子パンを手に取り、テレビを見ながらいつも以上にのんびりと咀嚼する。


 そうしているうちに妹が学校へ行かなければならない時間となり、いつもと逆の立場で私は妹に手を振る。


「行ってらっしゃい」

「行ってきまぁす」


 扉が閉まり、母と妹の声がぼやける。盗み聞きをする趣味も意味も無いので、テレビから聞こえてくる音に集中する。


 少しして母が戻ってきて、テレビに一番近い座椅子に腰を下ろした。


「ママはいつ出るんやっけ?」


 私には何の影響も無いので、わざわざ聞く必要は無いのだが、何となく気になって訊ねてみる。


「八時前ってさっき言うたやん」

「聞いてなかった」

「そんな気はしてたわ」


 私が話を聞いていないのはいつもの事なので、母はまたかと言わんばかりに笑っていた。


 手の平サイズの菓子パン一つでは満腹とまではいかないが、満足感はある。すっかり冷たくなったココアを飲み干し、台所に行くついでに菓子パンの袋をゴミ箱に捨て、流し台の洗い桶に溜まっている食器を洗う。


「ありがとうな」

「うん」


 いつもなら母が一番遅くに家を出るため、食器洗いなどの片付けは母が担当してくれていたが、今日のように学校もアルバイトも無い日は基本的に私が洗い物をする担当になっている。洗い物と言ってもみんな朝食には菓子パンを食べるため、洗わなければならないのはココアやコーヒーを淹れたコップくらいの物なので、大して苦ではない。


 私がその数少ない洗い物をしている間、母はいかにも仕事ができそうなスーツに着替えてリビングに戻ってくる。それからすぐに鞄と鍵を持って行こうとするので、私は慌てて水を止めて訊ねる。


「もう出るん?」

「うん。偶には余裕持って早く出てもいいかなぁって」


 濡れた手をタオルで拭き、母を追い掛ける。


「早く出るって……電車やろ?」

「だから一本早いの乗ろうかなって」

「なるほどね」


 母は鞄を壁にぶつけながら靴を履き、トントン、と爪先で地面を蹴って踵を入れる。


「それじゃあ、お留守番よろしく」

「うん。行ってらっしゃい」

「はぁい、行ってきまーす」


 手を振って歩き去って行く母の背中を見送り、玄関の扉に鍵を掛ける。


 リビングに戻ってくると、テレビから芸能人たちの笑い声が聞こえてくる。何があったのだろうかと少しの間画面に集中してみるが、これといって笑えるような事は起こらなかった。


 私はテーブルの上にあるリモコンの赤いボタンを押し込んでテレビを消し、炬燵の電源も消して、それから階段を上って自室に戻る。誰かが居る状態が普通であるリビングに一人で居ると、妙な孤独感に襲われるが、日頃から一人で居る部屋であれば、一人で過ごしていても寂しさなど殆ど感じない。


 部屋の扉を閉め、充電していた携帯を回収した私はそのままベッドに飛び込む。ミシッ、と嫌な音が聞こえたが、気にしない事にして携帯の電源を入れ、布団を被る。パスコードを入力し、メッセージアプリを開く。


 何と送ろうかと一瞬悩んだ後、一先ず『おはよう』と打ち込んで送信する。それからいつの間にか眠ってしまっていた昨夜の事を謝っておく。私が通話の途中で眠ってしまったからと言って蒼依が怒るとは思えないが、マナーのような物だ。


 少しの間画面が見えるように携帯を枕元に置いて眺め、目を瞑る。


 やる事が無いという訳ではない。一年生最後の期末試験は終わったが、終業式までの五日間は家庭学習日とされており、一年生で習った事の総復習や二年生に向けての予習をしておけなどと言われている。


 しかし必ずやらなければならない訳ではない上に、試験という小さな目標も無い所為でいまいちやろうという気になれない。もちろん私が目指そうとしている栄養士になるための勉強や、その前段階として存在する大学に入るための勉強など、やった方が良い物はあるのだが、久しぶりに家でのんびりと過ごせるという事もあって、勉強する気には全くなれそうになかった。


 ふと、食後の歯磨きをしていなかった事を思い出し、瞼を開いて身体を起こす。布団の誘惑を振り払ってベッドから降り、どうせなら下で過ごそうかと携帯を持って洗面所に向かう。


 いつも通り洗顔とスキンケアを済ませ、リビングに戻ってきた私は何をしようかと一息吐いて考え、とりあえずテレビの横に置いてあるゲーム機の電源を入れる。


 アルバイトを始めてから妹と遊ぶ機会も減り、ゲームをするのも久しぶりのような気がしたが、試験期間中に妹とやっていた事を思い出す。


 テレビの電源を入れ、ゲーム画面に切り替える。そうすると見慣れた画面が映し出され、コントローラーのスティックを動かして何をしようかと眺める。妹はパズルゲームが好きで、ゲームをするのも妹くらいしか居ない所為で、ここに入っている殆どがパズルゲームだ。それ以外にもロールプレイングゲームやシューティングゲームなどもあり、その中には普段ゲームをやらない私でも知っているようなタイトルがいくつかあった。


 選択肢がたくさんあると悩むのは当然と言えるが、あまり悩みすぎると途中からめんどうになって投げ出したくなってくる。今日の私もそうだった。


 せっかく付けたゲーム機の電源を落とし、テレビも消す。一階に降りてきたのは歯磨きのついでだったのだから、その予定通りになっただけだ。


 また一階に降りてくるのはめんどうなので、昼食用にと買ってあったパンを二つとお茶とコップを纏めて両手に持ち、自室に戻る。


 両手の物をテーブルに置き、ベッドに腰掛けて携帯を開くと、蒼依から『おはよう』とだけ送られてきていた。


 時計を確認し、蒼依はそろそろ学校に着いて部活の準備をしている所だろうと思った私は『部活がんばってね』という在り来たりなメッセージを送信し、携帯を枕元に放り投げる。


 これから少なくとも六時間は一人で過ごす事になるのだが、どうにもやる事が無く退屈だ。二年生に向けての勉強というやるべき事はあるが、こんな学校も始まっていない時間からやろうとは思えない。ただやる気が無いだけだと言われれば否定はできない。


 何をしようかと悩みながら立ち上がり、窓を閉める。それから暇潰しの方法として思い付いた読書でもしようかと、本棚の前に移動する。


 既に読んだ物とまだ読んでいない物で場所を分けてあるのだが、この一年で溜まっていた未読の小説が随分と減り、手前一列分一杯にあった小説が、いつの間にかあと十冊程度にまでなっていた。


 その事に感動していると、並べられている本の手前側に少しだけ空いているスペースに埃が溜まっている事に気が付いた。普段ならあまり気にしない事が多いのだが、今は時間が持て余す程にある所為か、掃除をしようという気分になった。


 先程閉めたばかりの窓を開け、ハンディモップを手に本棚の埃を払う。外から入り込んでくる空気に身体が冷やされるが、掃除で身体を動かしていればそのうちに気にならなくなるだろう。そう信じて部屋の上から順に埃を払っていく。


 一通り埃を払った後、クローゼットから掃除機を取り出し、電源コードを繋げて届く範囲に掃除機を掛けていく。それから本棚やカラーボックスの中身も取り出して掃除をする。


 そうこうしているうちに有り余っていた時間はあっという間に過ぎていき、空腹を訴える腹の音が昼の時間を報せてくれた。


 掃除機を一旦置いておき、携帯で音楽を聴きながら持って来ていたパンを食べる。その途中、蒼依から『今何してるの?』というメッセージが届き、それをタップして画面を開く。


『ご飯食べてる』


 送信してすぐに既読が付く。


『一人?』

『うん。蒼依は今から休憩?』

『そうだよ』


 その言葉を見て、会話下手な私は返答に頭を悩ませる。するとそこに続けて蒼依からメッセージが届いて画面がスクロールされた。


『紅音は何やってたの?』

『部屋の掃除してた』


 私は嬉々として送信する。蒼依は友達と話しているのか、ご飯を食べているのか、少し間が空いて返信が来る。


『そんなに紅音の部屋って散らかってたっけ?』

『散らかってはないけど、埃が結構溜まってたから、そのついでに掃除機掛けたりしてた』


 打ち込みながらモップ掛けもしておこうと頭の隅に記憶しておく。


『お昼からも掃除?』


 訊かれて少し考える。


『そのつもり』


 それからまた時間が空き、『そろそろ練習に戻るね』と送られてくる。まだ三十分も経っていないと思うのだが、それだけ楽器を演奏するのが好きなのだろう、と不満を押し隠して納得し、『がんばってね』と同じ言葉を送り、食べ終わったパンの袋を捨て、掃除を再開する。


 掃除機を廊下に出し、部屋に仕上げとしてモップ掛けをする。それから妹の部屋に掃除機を持って移動し、自分の部屋を掃除した時と同じように上の方から埃を払っていく。


 妹の部屋には絵を描くための道具があるのはもちろんの事だが、私よりも持っている本の数が多い。私よりも背の高い本棚も既に一つ埋まりきっており、いつだったか私が譲ったカラーボックスももう少ししたら埋まってしまいそうになっている。


 こうして見ると妹は愛されているのだと思う。絵を描く道具も本棚も、それを埋め尽くす量の本も、決して安くはない。それなのにまだ小学生の妹がどうしてここまで揃えられているのかと言うと、父がよく甘やかしているからというのが恐らく八割。残り二割は恐らく私の所為だろう。


 妹自身はあまり物を強請る事はしないのだが、私と父、特に父の金遣いが荒く、誕生日以外でも妹にプレゼントと称して色々な物を買い与えている。この部屋以外にもリビングにあるゲームやお菓子など、妹が喜びそうな物をよく買ってきてしまう。


 その結果がこの部屋なのだと、改めて見て少し反省する。


 埃を払ったら次は掃除機を掛け、仕上げにモップを掛ける。本棚などの細かい所は本人に任せるとして、続けて廊下を掃除する。


 廊下や階段には棚などの家具が置かれていないため、掃除機とモップだけですぐに終わらせられる。一番大変、というよりめんどうなのがやはりリビングだ。台所も大変と言えば大変なのだが、冷蔵庫の上や換気扇など、本格的にやらない限りは廊下と殆ど変わらない。結局広くて物も多いリビングが一番めんどうなのだ。


 物を動かしながらハンディモップで埃を取り、ついでに要らなさそうな物があれば捨てる。それから掃除機を掛け、滲む汗を拭いながら仕上げにモップで水拭きする。同じように玄関までの廊下も掃除して、和室も軽く掃除して、満足感を胸に抱きながら一息吐く。


 掃除をして綺麗になった筈のリビングを見るが、遠目に見ただけでは綺麗になったとは感じられない。家の前に散らばっている落ち葉を取ったり庭の雑草を抜いたりするのとは違い、目に見えないくらい小さな埃を吸い取ったところで見た目には殆ど変化は無い。


 何はともあれ掃除をしたという満足感を得られただけでも良しとして、掃除機とモップを片付けに階段を上って自室に戻る。


 掃除用具を片付けた後、洗面所でしっかりと手を洗い、何をしようかとリビングの壁掛け時計をぼうっと眺める。するとそこに玄関の方から鍵の開く音が聞こえてきて、私は意識を現実に引き戻す。


 カチャカチャと軽い金属音が近付いてきて、リビングの扉が開かれる。


「あっ、ただいま」

「おかえり」


 妹は荷物を床に置き、洗面所で手を洗って戻ってくると、電気のスイッチに手を触れて私を見る。


「電気点けへんの?」

「えっ? 点けてええよ?」


 私はテレビを観たり本を読んだりしていたわけではないので、カーテンを開けていれば充分に光が入ってくる。


「じゃあ点けまーす」


 妹がカチ、と小気味良い音を立ててスイッチを押すと、電気が点き、先程までは思っていた以上に暗かったのだと、ちょっとした感動を覚えつつ、妹から水筒を受け取り、流し台に置いておく。


「あっ、お姉ちゃん暇?」

「うん。暇やでー?」

「じゃあまたゲームしよう?」

「ええよ。じゃあ準備しとくし、荷物片付けといで」

「はぁい」


 妹は教科書が一杯に詰まった鞄を両手で抱えて階段を上っていく。私はそれを見届けてから今朝やったようにゲームを起動し、テレビの電源を入れる。何をするかまでは分からないので、ホーム画面で置いておき、コントローラーを接続して、定位置となっている座椅子に座って妹を待つ。


 少しして妹がバタバタと階段を降りてくる音が聞こえてきて、振り返って訊ねる。


「ゲームは何する? この前の同じやつ?」

「うん。違うのでもええけど、どうする?」

「私は同じのでええよ」

「じゃあそれで」


 妹は私の隣に座椅子を持ってくると、勢い良く座って座椅子がギシ、と軋む。そちらに気を取られている間に妹がゲームを始めていた。


 これからやるのはボンバーマンというゲームで、爆弾を設置してブロックを壊し、その壊したブロックから出てきたアイテムを拾って自分と爆弾を強化して戦う対戦ゲームだ。妹から聞いた限りではそれほど世間で流行っているゲームではないらしいが、それでも充分過ぎる程に面白く、私と妹の間でブームが来ているゲームだ。


 私たちの間で流行っている理由は単純で、このゲームならそこそこ私も上手くプレイできて、妹と実力が拮抗しているからだ。妹は負けず嫌いではあるものの、私とやって勝ったり負けたりするのは楽しいらしい。


 私としてはこれ以上無いくらいに楽しんでいるのだが、それが表に出せずどうも淡々としているのに対し、妹は「こっちこんといて!」「食らえっ!」などと、聞いているだけでも楽しそうなのが伝わってくるくらいに燥いでいる。時折予想外の場所から攻撃を食らって事件か何かかと勘違いしそうな悲鳴をあげるのが玉に瑕だ。


「もう一回!」


 惜しいところで自滅してしまったのが相当悔しかったのか、妹は私のパジャマの袖を引っ張っておねだりする。私は壁掛け時計の方へ視線を向け、袖を掴む妹の手を取る。


「あと一回だけな? これで勝っても負けても最後やから」

「うん!」


 絶対勝つから、と可愛らしく宣言しながらステージを選択し、最後の戦いが始まった。


 結果としては妹の圧勝で終わってしまった。妹も勝ったのは良いが、最後に残ったのが私ではなかったため、少々不完全燃焼になってしまったらしい。というのも、このゲームでは爆弾を蹴ったり投げたりできるアイテムがあるのだが、私は中盤までそれを獲得できず、周りに居たコンピューターの争いに巻き込まれるような形で一番初めにリタイアする事になってしまったのだ。


「まぁ、最後って約束やからねぇ」

「また明日やろ」

「うん」


 潔くゲームを終わり、二人で洗濯物を取り込む。その間に母が帰ってきて、蒼依とメッセージで話しつつ、三人で手分けして洗濯物を畳んで片付けたら、夕飯を私と母で作る。包丁の扱いなども慣れてきた妹は私がアルバイトで居ない時にやっているため、一日ずつ交代で手伝いをする事になっている。


「今日は何してたん?」


 フライパンで野菜を炒めながら母が訊ねてきた。


「今日は掃除して、涼音とゲームしてた」

「掃除ってここも?」


 母が床を指差して言った。


「うん。さらっとやけど」

「そうなんや。ありがとう」

「めっちゃ暇やってん」

「勉強はあれか、今はする事無いんか」

「復習はできるから全く無いわけではないけど、今日くらいやらんでもええかなぁって」

「まぁ、今まで毎日やってたんやし、一日くらいゆっくりしても誰も怒らへんやろ」


 母はそう言って笑い、火を止め、出来上がった物を大皿に盛り付ける。その間に私は味噌汁を温め直しつつ白ご飯をそれぞれの茶碗に盛っていく。部屋に戻っていた妹がいつの間にやら降りてきていて、私が盛った茶碗を持って行ってくれる。


「あっ、パパ帰ってきたな」


 突然母がそう言うと、確かに重い足音が廊下を進んできて、リビングの扉が開く。


「ただいまー」


 父が疲れの溜まった声で言って鞄を床に置く。おかえり、と三人ばらばらに返し、丁度目の前を通り掛かった妹は父によって髪の毛をくしゃくしゃにされていたが、その顔には笑顔があった。


 食後はいつも通り妹が風呂に入り、その後に私が入る。私が上がる頃には妹は既に自分の部屋に戻っていて、私も軽く母と話した後、自分の部屋に戻る。


 部屋に戻ってきた私は、いつもなら勉強をするのだが、今日はもう完全に勉強をしない日だと先程決めたので、窓を閉めた後、ベッドに向かい、柔らかい布団に潜り込んだ。


 微かな眠気を感じながら携帯を開き、蒼依に『今お風呂上がった』とメッセージを送る。そうするとすぐに既読が付いて、『私も今上がったところ』と返ってきた。

そんなちょっとした偶然に喜んでいると、画面が勝手に切り替わり、携帯から流れ出した着信音に驚いて携帯がベッドに落ちた。それを拾い上げ、相手が蒼依である事を確認し、応答する。


「どうもー」

『あっ、大丈夫だった?』


 そう言った蒼依の声があまりに小さく、聞き取りづらかったため、携帯を耳から離してスピーカーモードに変更する。


「うん。ベッドで寛いでるとこ」

『そうなんだ。今日は勉強しないの?』


 今度ははっきりと聞こえた。


「うん。今日は全部お休みの日」

『……もしかして一日中寝てたりした?』

「いや? 掃除してた」

『お休みじゃないじゃん』

「勉強はしてないから」


 欠伸をしながら答える。


『まぁ、今はそんなに勉強する事無いのか』

「そうやね。復習するか、何か他に資格の勉強するかくらいじゃない?」

『何か資格取るの?』

「ううん? 今のところは別に何も取る予定は無いけど」

『あれは? 栄養士になるって言ってたじゃん』


 頭の片隅からも消えかかっていた大事を思い出す。


「あぁ。そっか。今それの勉強できるんか」

『時間無くてできないって言ってたけど、今チャンスでしょ』

「確かに」


 しかしそれをするには一つ問題がある。


「本買わなアカンなぁ」

『あれ? 前買ったって言ってなかった?』

「いや、前一回本屋さんに見に行きはしたけど、買ってはないんよ」

『そうだったっけ』

「多分ね?」


 そんな風に話しているうちに、時間はどんどん進んでいき、私の眠気も少しずつ膨らんでくる。蒼依の方からも時折欠伸をしているような息遣いが聞こえてくるようになった。


「蒼依は明日も部活やんな?」

『うん。基本的に月末までは毎日ある』

「そっか。がんばってね」

『うん。ありがとう。紅音もアルバイトがんばって』

「うん……」


 思い出したくなかった事が脳に浮かんできて、返事があからさまに覇気を失い、蒼依は『嫌そうね』と言いながらくすくすと笑う。


『アルバイトはいつまでやるつもりなん?』

「とりあえず成績下がらんかったら続けるつもりはしてるけど……」

『じゃあ卒業しても続けるつもりはある感じ?』

「本音を言えば今すぐにでも辞めたいところではあるんやけど、初めの時に続けるつもりですーみたいな事言っちゃったような気がすんねんなぁ……」


 面接を受けた時の事を思い返してみるが、既に記憶はぼやけてしまっていて、どういう事を話したのか全くと言って良い程思い出せない。しかし朧気ながらアルバイトをする期間の事は話していたような覚えがあった。だがそれも私が勝手に思い込んでいる可能性があるので、あまり当てにならない。


『別にそんなん気にしなくても良いでしょ。受験シーズンとかなら分かってくれるんじゃないの?』

「どうなんやろうねぇ?」

『めんどくさいからって言わなさそう』

「うん。私もそうなると思ってる」


 自嘲気味に笑い、強引に話を変える。それから今日妹とやっていたゲームの事を話したり、蒼依の部活での様子を訊ねたりして時間を過ごし、『紅音、起きてる?』という蒼依の声掛けに、失っていた意識を取り戻す。


「危な……めっちゃ寝かけてた」

『そろそろ良い時間だからね』

「そうね……」


 時計を見てみると、既に二十三時を過ぎていた。いつもよりは早い時間だが、何もしていなかったらこんなものなのだろう。


『じゃあ私もそろそろ寝るから』

「うん。おやすみ」

『おやすみ。大好きだよ』

「私も大好きやで」


 他人が見ればバカップルだとでも言われるのだろうという様な言葉を交わし、通話が切られる。気が付くと携帯の充電は十パーセントを切っており、腕を伸ばして充電コードを差す。そのついでに部屋の電気のリモコンを手探りで探し当て、カチ、カチ、カチ、と三回スイッチを押し込んで部屋の明かりを消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る