第47話 2月22日
朝、目を覚ましてすぐに肌寒さを感じて身体を震わせる。一昨日辺りまでは暖房を入れるという発想が出て来ないくらいには暖かかったが、それも今日で終わりらしい。
重たい身体を起こし、くしゃくしゃになってしまった布団と毛布を綺麗に見えるように畳み、ベッドから足を下ろす。サイドテーブルに置いている眼鏡を掛け、携帯の電源を入れて時計を確認し、そのすぐ下に書かれていた日付を見て、昨晩、寝る前に蒼依が誕生日を祝ってくれた事を思い出した。
胸が満たされるような感覚を抱きながらゆっくりと立ち上がり、それからカーテンの隙間から漏れ出す光を頼りに窓に近付き、カーテンを開ける。
雨が止んでいれば窓を開けようかとも思ったが、灰色の空から降ってくる白い線が微かに見て取れた。妙に身体が重たい気がするのはこの所為だろうと息を吐き、窓は閉めたままでカーテンをタッセルで束ねておく。
誰にも見られていないのを良い事に口を大きく開けて欠伸をして部屋を出る。ギシギシと唸る階段をゆっくりと降り、台所に居る母に声を掛ける。
「おはよう」
「おはよう。誕生日おめでとう、紅音」
嬉しそうな笑みを浮かべる母に、「あぁ、うん」と曖昧な返事をする。
おめでとう、と言われても、何がめでたいのか、よく分からない。少なくとも嬉しくはなかった。
「今日、夕飯はどうする?」
「んー……」
蒼依とは約束をしていない。誕生日だという事は知っている筈なので、何かしらしてくれる可能性はあるが、夕飯を食べに行くというのなら、恐らく前もって言ってくれている筈だ。そうすると、ここで答えるべきは何を食べるかという事になるのだが、誕生日だからと言って特に食べたい物は何も無い。強いて言うならばケーキなどのスイーツが食べたいが、それは既に買ってくれている。
「お寿司か、ハンバーグか……」
「そうねぇ……」
「とりあえず顔洗ってくるか?」
「うん」
母に促され、洗面所に向かう。いつものように歯を磨きながら夕飯について考える。
去年は何を食べただろうか。好きな物で言うと母が言ったように寿司かハンバーグかその辺りの世間一般的にご馳走と言える物になるのだが、食べたいかと訊かれると、そうでもない。
微温い水で口を漱ぎ、目を覚ますために顔を洗う。それからスキンケアをする。その最中も夕飯の事を考えていたが、長く考えれば考える程に悩み、次第に考える事自体がめんどうになってくる。
もう何でもいいか、と思考を放棄した私は、リビングに戻って母に伝える。
「夕飯はお寿司で」
「あぁ、そうなん?」
「昨日の夕飯肉やったし」
「なるほどね」
ココアが置かれている席に腰を下ろし、いくつかある菓子パンの中から、一番消費期限の近い物を取って開ける。もう何度も食べて新鮮さなど欠片も無いが、確実に美味しいと分かっている物を食べるのも悪くはない。
五分と掛からず食べ終わり、少しずつココアを飲みながらテレビを観て寛いでいると、妹が起きてくる。
「おはよう」
「おあよう」
朝に弱いらしい妹は小さく欠伸をした後、開いているのかいないのか、分からないくらいに細められた目で私を見て、少しの間硬直する。どうしたのだろうかと見つめ返していると、「お姉ちゃん誕生日おめでとう」と相変わらず眠そうな声で言った。
「あっ、うん。ありがとう」
突然の事に戸惑いながら礼を返すと、妹は満足したのか、顔を洗いにリビングを出て行った。
コップを手に取り、ココアを飲もうとしたが、既に飲み干してしまっていた事に気付く。炬燵から抜け出し、パンの袋を捨て、コップを水に浸けておき、妹の居る洗面所へ向かう。
ガラガラ、と扉を開くと、歯磨きをしていた妹と目が合った。よくある事ではあるので、驚いた様子は無い。
妹は口を濯ぎ、顔を洗った後、さっさとリビングに戻ったのかと思いきや、何故か後ろから抱き付いて来た。
「んん?」
口の中身が溢れないようにしっかりと唇を閉めたまま訊ねると、妹は離れ、今度こそリビングに戻っていった。私は手を動かしながら首を傾げ、その背中を見送った。
歯磨きを終えて、自室に戻って学校へ行く準備をする。
外は相変わらず雨が降り続けている。窓を閉め切っているため分かりづらいが、やはり気温はあまり高くない。しかしコートを着なければならない程ではなさそうだった。
姿見で身嗜みを整え、忘れ物が無いか時間割と見比べながら鞄の中を確認し、携帯を持って一階に降りて鞄に弁当と水筒を入れる。
「今日は帰ってくるの遅くなるんか?」
「……早く帰ってきた方が良い?」
「そうやなぁ。明日も普通に学校やら仕事やらあるし、夕飯食べに行くなら早めに帰ってきてくれると嬉しいかな」
じゃあお寿司じゃなくていい、という言葉を直前で飲み込み、「分かった」と頷いておく。
家を出る時間になり、いつものように妹に見送られて玄関に向かう。靴を履き替えて玄関の扉を開くと、冷たい風が吹き込んでくる。
「コートは要らんか?」
「うん。大丈夫」
今から戻ってコートを着るのもめんどうなので、首を横に振り、さっさと家を出る。
「気を付けてな」
「はぁい」
少し雨に打たれながら傘を差し、駅に向けて歩く。時折吹く風は冷たいものの、コート無しでも充分に暖かく感じる。雨も思っていた程強くないが、一つ一つの粒が大きいようで、ボツボツと少し重たい音が頭上で響いていた。
駅に着き、電車に乗り込んで、いつもと同じ場所に座る。今日は何となく気分が良く、頭の中も煩くない。そのお蔭で読書も捗り、快速に乗り換えると、あっという間に宇治駅に到着した。それからまた電車を乗り換え、蒼依の待つ黄檗駅に移動する。
普段意識していないだけで、実はこの車輌に乗っている殆どの人がいつもと同じ人なのだろうか、なんて事を考えながら同じ制服を着た人に続いて電車を降り、改札を出ていつもの場所に目を向けると、偶然か必然か、蒼依と目が合った。
「おはよう」
「おはよう」
小走り気味に近付き、軽くこちらに向けられた左手を取り、指を絡ませる。
「誕生日おめでとう、紅音」
「ありがとう」
咄嗟に笑顔を貼り付けた。
「昨日……というか今日だけど、日付変わってすぐくらいにも言ったけど、知ってる?」
「うん。薄らとは覚えてる」
「起きてたんだ」
「薄らとね」
私が笑うと、蒼依それに応えるようにして笑う。
「そうだ。プレゼント何にしようか迷ったんだけど……」
「そういえば、結局私何が良いとか何も言わんかったよな」
「うん。私も訊くのすっかり忘れてたから、昨日大急ぎで買ってきた」
そうなんだ、と在り来たりな相槌を打っていると、蒼依が片手で器用に鞄を開き、中から蒼依の顔と同じくらいのサイズの小綺麗な紙袋を取り出した。
「はい、これ誕生日プレゼント」
「ありがとう」
相変わらず喜び方が分かっていない私は、無愛想な言い方になってしまった事を後悔しながらそれを受け取る。
「中見ても良い?」
「もちろん」
蒼依に許可を貰うと、繋いでいた手を放し、袋の中に入っていた手の平サイズの箱を取り出す。実際にそれを見た事がある訳ではないが、プロポーズの際に指輪が入っている箱のように見える。しかしそれにしては大きいようにも見えた。
恐る恐る箱を開くと、高級感の漂うピンクゴールドの腕時計が入っていた。
「えっ、これ……」
私は思わず顔を上げて蒼依を見遣る。
「あっ、先に言っとくけど、そんな高くないからね?」
「そうなん?」
私が気にしている問題がバレている事に驚きながら首を傾げる。
「証拠としてはちょっと弱いかもしれないけど……」
蒼依はそう言いながら左腕を前にして、袖を捲って見せた。そこには箱の中にある腕時計と同じ物があった。
「紅音にはシャーペン貰ったし、私も何か日常で使える物あげようって思って、どうせならお揃いでって考えてたら……」
「これになったと」
「そう。アルバイトをしてない私が二つ買える程度の値段って思ってくれれば良いかな」
「……お母さんに出して貰ったとか」
「いや、まぁお小遣いだから実質親のお金ではあるんだけどね?」
珍しく動揺する蒼依を見て、余計な事を言ったかと少し反省する。こういうプレゼントはあまり値段を気にする物ではない。相手に悪意が無い限りは貰った時点で喜ぶべきだ。
もしこれが高価な物だとしても、私はその分蒼依にお返しをすれば良いだけの話だ。
「ありがとうな、蒼依」
「どういたしまして」
落としたら嫌だな、と箱を閉じて袋に仕舞う。
「あれ、着けないの?」
「えっ? うん。落としたら嫌やし」
袋を潰さないように鞄に入れようとしたが、今日は七時間授業だという事もあり、とても入りそうにはなかった。
「着ければ良いじゃん」
「あぁ……まぁ、そうか」
「何? 嫌だった?」
「いや、そんな事は無いけど……」
蒼依から機嫌が傾く気配を感じて、言い訳を考えるが、それらしい理由は何も浮かばない。
「えっと……」
「とりあえず着けてみてよ」
「うん」
一旦道の端に捌けて立ち止まり、もう一度袋から箱を取り出す。そこからどうしようか悩んでいると、蒼依が私の手から箱を奪い取り、中から時計を取り出し、箱は私の持つ袋の中へ戻した。
「左と右どっちに着ける?」
「……どっちが良いとかあんの?」
「別にどっちでも良いんじゃない? 利き腕に着けると邪魔だったりはするかもしれないけど」
「あぁ、なるほどね」
「紅音も右利きだから、左に着ける?」
「そうしようかな」
左腕の袖を捲り、蒼依の方へ差し出すと、ひんやりとした革の感触が手首に巻かれる。
「どう? 痛くない?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
手の平を顔の方へ向けると、日の光に照らされてきらきらと輝く文字盤が見える。ドラマなどで見た事があるような状態に自分がなっている事に小さな感動を覚えた。
そんな時ふと疑問が浮かんだ。
「これなんで内側なん?」
「内側って? 向き違った?」
「いや、腕時計って普通手の甲の方に文字盤が来るように着けあらへん?」
「あぁ、男性みたいに外側にしてると、時計を見ようとするとこう……腕が上がっちゃうでしょ?」
蒼依は手の甲を自分の顔の方へ向ける。そうすると、確かに肘が上がっていた。
「この時に、女性は着物とかを着てると袖口から胸が見えるんだって」
「へぇ」
「肘を下げたままでも見られなくはないんだけど、やっぱり意識しないと勝手に上がっちゃうから」
それを聞いて、試しに自分でも同じように文字盤が外側にある想定で時計を見ようとすると、確かに肘が勝手に浮き上がった。蒼依の言った通り、下げようと思えば下げられるが、楽な姿勢とは言い辛い。
「私も腕時計なんか着けた事無かったから、今回調べた時に知ったん」
「なるほどね」
「もし着けるの嫌だったら別に外しててくれても良いから」
「いや、着けるって。せっかくくれたんやし」
「私としては最悪試験の時とか勉強する時とかに使ってくれたら良いかとは思ってたし」
「ちゃんと使うって」
ありがとうな、ともう一度礼を言い、蒼依の手を取って歩き出す。こんな物を貰っても大して心が動かない自分から目を逸らし、蒼依に笑いかけると、蒼依も同じような微笑みを返してくれた。
いつものように学校の近くまで来ると、手を放し、見張りの先生方に挨拶をして門を潜る。それからいつもより少し賑やかな昇降口で靴を履き替えていると、不意に肩を叩かれ、危うく悲鳴を上げそうになった。
「おはよーう」
私を驚かそうとする人物は目の前に居る蒼依を覗けば一人しか居ない。
「おはよう、彩綾」
振り返って睨むと、彩綾は満面の笑みを浮かべて、トロフィーでも入っているのかと言いたくなるくらい大きな箱を手渡してきた。
「はい。誕生日おめでとう」
「いや、でか過ぎん?」
戸惑い混じりに受け取ると、その横から夕夏が現れ、手の平サイズの袋を渡される。
「私からも。誕生日おめでとう」
「ありがとう、二人とも」
「ちゃんと覚えてたで」
誇らしげにする彩綾の横から、夕夏が「彩綾は私が言うまですっかり忘れてたけどな」と補足情報をくれた。
「そうやと思った」
「失礼な」
とりあえず二人から貰った物は教室に着いてからにしようと、一旦蒼依に貰った袋に纏めて入れておき、邪魔にならないよう外に出て二人を待ち、四人揃って教室に向かう。
いつもより少し遅い時間に来たからか、既にそれなりの人が教室に揃っていた。
三人がそれぞれ自分の席に荷物を置きに行っている間に、私も自分の机に荷物を置き、いつもと同じように携帯を弄っている美波の肩を指で叩いて呼び掛ける。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
ガタガタと椅子を引いて座る。
「あっ、そうや。誕生日おめでとう」
「ありがとう」
ぎこちない笑顔を貼り付け、義務的に答えると、小さな赤い箱が机に置かれた。
「何あげようか迷ってんけど、チョコ好きやったやんな?」
「うん」
「てことで、はい。どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
何となく、蒼依に申し訳無い気持ちを抱きながらそれを手前に引き寄せる。
「あっ、それ蒼依から貰ったん?」
見ると、美波は私の左手首を指差していた。
「あぁ、うん。よう分かったなぁ」
「だって時計なんて友達はあげへんやろ」
「確かに」
「色可愛いなぁ……というかめっちゃ高そうなんやけど……」
「ね、ほんまに。ちょっと申し訳無いねんなぁ」
改めて自分の腕に付いている時計を見る。父がよく着けているような黒くごつごつとしたかっこいいデザインではなく、ピンクゴールドの丸く細い、とてもシンプルなデザインだ。時計の価値など全く分からないが、何となくこういったシンプルなデザインの物程高いイメージがある。
「美波、おはよう」
「あぁ、おはよう。これって蒼依があげたんやろ?」
「よく分かったね」
「あれ、もしかしてお揃い?」
「うん。良いでしょ」
「ペアリングとかは聞くけど、初めての誕生日祝いで腕時計って、すごいなぁ」
「そう? 指輪とかの方が重くない?」
いつかお揃いで指輪を着けるのも良いな、と思っていた私は密かに胸を抉られ目を逸らす。
「いやいや、だって腕時計貰ったら着けてなかったらあれ?ってなるやん」
「……確かに」
蒼依は唇に指を当て、頷いた後、私を見た。
「別に着けたくなかったら部屋に飾るとかしてくれてても良いからね?」
「えっ、いや、せっかく貰ったんやし着けるって」
腕時計を守るように右手で手首を握り、胸元に引き寄せる。
「まぁ、紅音が喜んでるなら別に何でもええんやろうけどね」
「いや確かにちょっとやりすぎかなぁとも思ったんだけど、普段使いできる物が全然思い浮かばなくて……」
「リップとかでも良かったんちゃうの?」
「合わなかったら嫌じゃん。化粧品とかも肌に合う合わないがあるから微妙かなぁって思って止めたんだよね」
「一緒に買いに行けば良かったのに」
「それはね、本当にそう」
言い合う二人を余所に、私は彩綾と夕夏に貰った箱を開封しようと、まずはあまりに存在感の大きい彩綾からのプレゼントを手に取り、底面に貼られていたテープを包装紙が破れてしまわないよう丁寧に剥がす。
何が入っているのだろう、とこの大きさの誕生日プレゼントらしい物を頭に浮かべている途中、二人にあげた物を思い浮かべようとして、失敗する。それどころか、彩綾の誕生日も、夕夏の誕生日も、何日だったかさえも思い出す事ができなかった。
何かをあげた記憶はあるし、手渡した瞬間の記憶もある。しかし肝心であるその手に持っていた何かが靄が掛かったように思い出せない。
「紅音、どうしたん?」
蒼依が声を掛けてきて、顔を上げる。
「いや、彩綾と夕夏の誕生日に何あげたっけなぁと思って……」
「私は扇子貰ったでー?」
蒼依が口を開く直前、彩綾の声が飛び込んできた。
「そうそう、花の絵柄のやつだよね?」
「うん。この時期は使わんから家に置いてるんやけどね」
「そうやっけ……」
言われても猶記憶は戻らなかったが、二人がそう言っているのだからそうなのだろうと解決した事にしておく。
「因みに夕夏は何かあの……香りがするやつ貰ってたで?」
「……あぁ。ルームフレグランス」
「そうそれ! ちゃんと使ってはるで。部屋入ったらめっちゃ良い香りするし」
「そうなんや」
気持ちとは裏腹に平坦な声になってしまった。
「というか早よ開けぇや」
彩綾に促され、開き掛けだった袋を開いて箱を取り出すと、透明な部分から中身が見えた。
「何これ?」
枝分かれした鹿の角のような物に、小鳥が止まっている。色の所為で分かりづらいが、どうやら葉の枯れた木のミニチュア模型のようにも見えた。
「何やと思う?」
中身の観察は止めて箱を回して書かれている文字を読む。
「アクセサリースタンド?」
「せいかーい」
「せいかーいって、ここに書いてるし」
「ネックレスとかイヤリングとかを掛けるやつ。前から気になっててんけど、私は使わんからあげようって思って」
「言うて私もそんなネックレスとか持ってへんで?」
言いながら家にあるアクセサリーの数を思い浮かべて数えようとするが、数えるまでもなく一つしか浮かばなかった。
「そうなん? イヤリングも?」
「イヤリングは一個だけ持ってるかな」
「そうなんや。まぁ、台の所に財布とかも置けるらしいから」
「へぇ。まぁ、ありがとうな」
「うん。邪魔やったら全然捨ててくれてええし」
「今絶賛邪魔やな」
三十センチ程はあろうかという高さの箱は到底鞄に入りそうもなく、どこかに置いておこうにもその存在感は隠しきれそうにもなかった。
「やろうなぁと思ったので、こちらのトートバッグを差し上げます」
彩綾は賞状を渡すかのように丁寧な手付きで私の前に四つ折りにされたトートバッグを差し出した。私はそれを見て一つの疑問が解消された。
「これ抱えて持って来たんかと思ってたけど、それに入れてたんか」
「さすがに私もそれを腕に抱えて登校しようとは思わんし、多分先生に捕まる」
「確かに」
彩綾からバッグを受け取り、現時点では邪魔でしかない箱を入れて机の横に掛けておく。
「私の席が壁際じゃなかったら絶対邪魔やったな、これ」
「それを見越してたから」
「絶対嘘やん」
鼻で笑いながら、今度は夕夏のプレゼントを手に取った。一見嫌がらせとさえ思える彩綾の物を見た後でこれを見ると、異様に小さく感じたが、本来友達に贈るプレゼントとはこれくらいのサイズが普通なのだろう。
「そういえば夕夏は?」
蒼依が訊ねた。
「夕夏はねぇ、課題やるの忘れてたらしくて、あっちでがんばってはるわ」
彩綾が自分たちの席がある方を指差した。袋を開けながらそちらへ顔を向けるが、人に紛れてよく見えなかった。
「課題って……英語?」
「やったと思うで? それ以外にあるんやったら私は終わりやな」
「うん。英語以外は別に何も無かった筈」
言い切ると同時に袋がテープにくっついてビリッと音を立てて破れてしまった。そうなった物は仕方が無いので、破れて出来た穴から中に入っていた袋を取り出す。
「リボン?」
彩綾が見たままの感想を口にする。その手の平大のリボンを裏返して見てみると、小さなピンが付いていた。
「あっ、ヘアピンか」
「結構着けるの勇気要るやつちゃう?」
「いや、まぁこれぐらいなら全然……いや、うん。多分大丈夫」
一瞬、私の頭には所謂地雷系ファッションが浮かんだが、すぐにそのイメージを追い払う。
「ちょっと着けてみたら?」
「大丈夫? さすがに校則に引っ掛からない?」
「あー……どうやろ。さすがに派手か」
「そうやなぁ……」
この学校の校則では華美なもの、則ち派手なものは駄目だと書かれているのだが、派手と言葉で言われても一体どういう物が派手なのかが分からない。ある程度応用が利くようにしているのかもしれないが、この曖昧な表記の所為で怒られるなど堪ったものではない。とは言えわざわざ抗議して事態をややこしくしようなどとは思わないので、ここは堅実に行くのが良いだろう。
「帰ったら着けてお礼に写真でも送ろうかな」
「それはどうかと思う」
「紅音、蒼依が自撮りはアカンねやって」
「聞こえとるわ」
蒼依がそう言うならと、私は夕夏から貰ったヘアピンを袋から出し、ブレザーのポケットに入れていたヘアゴムを使って髪をハーフアップに纏め、結び目にヘアピンを着ける。
「どう?」
リボンが見えるように横を向いて蒼依に訊ねると、「可愛い」と色々な意味が込められているであろう短い褒め言葉が返ってきた。
「夕夏ー!」
彩綾が運動部らしいよく通る声で夕夏を呼び、手招きをする。そうすると、予鈴が鳴り始めてしまったが、夕夏は立ち上がってこちらに来てくれる。
私はちょっとしたサプライズをする気持ちでリボンが見えないように夕夏の方へ顔を向けて座って待つ。
「何? やっぱりあのでっかいのは要らんって?」
「いや、それはちゃんと受け取って貰ったから」
「夕夏」
彩綾の言葉を遮るように名前を呼ぶと、夕夏が私を見た。
「見てこれ。どう?」
そう言って顔を横に向けてリボンを触る。
「あっ、着けてくれてんの?」
「そう。どう? 似合ってる?」
「うん。割とボケのつもりで選んだけど、めっちゃ似合ってるわ」
「何で二人して変な物……って言うたらちょっとあれやけど、そんなボケてくんの?」
「今回のコンセプトは貰って嬉しいけど微妙に困る物やからな」
何故か得意気に彩綾が言う。
「人の誕生日に変な遊び混ぜんといてくれる?」
「ごめんって」
含み笑いをしながらでも謝ってくれたのは夕夏だけだった。
ふと、夕夏の後ろで座っている浩二と目が合った。どう反応しようかと迷っているうちに、浩二は右手の親指を立てて意味深に何度も頷いていた。
後で誕生日プレゼントを強請ってやろうかと目論みつつ、改めて夕夏に礼を言い、髪を解いて一時間目の準備をして待機する。
朝からこれだけ心が満たされたというのに、帰ってからは少し贅沢な夕飯とケーキが待っている。私は微かな眠気を感じながら幸せを噛み締めていた。
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