第10話 6月8日
ここ最近は雨の日が多い。今日も窓の外に目を向けると、空は灰色の雲が覆い尽くしており、そこからぽつぽつと小さな水滴が落ちてきて、窓ガラスに跡を残す。
梅雨入りしたと言う割にはあまり降っていないなと少し落胆していると、蒼依がふと思い出したように口を開く。
「紅音って浩二と付き合う事になったの?」
「えっ、そうなん!?」
事情を知らない彩綾が驚きの声を上げ、夕夏と同時に顔を勢いよくこちらに向ける。
「あ、二人には相談してなかったの?」
「うん」
余計な事を言ってくれたなという恨みを込めて蒼依に笑顔を向ける。
「って事はほんまに付き合ってんの?」
私の机を囲む四人にだけ聞こえるよう声を潜めて彩綾が訊ねてくる。
「いや……?」
私はそれに首を振って否定する。
「あれ、ちゃうの?」
「うん」
「じゃあ断ったの?」
「ううん」
蒼依の問いも否定する。
「保留中?」
「うーん……まぁ保留中というか……まだ返事してないというか……」
浩二に告白されてから一週間以上経つが、私はまだあの日出した答えを浩二に伝えられていなかった。
「デートしてから考えるみたいな事言ってなかったっけ?」
「言ってた」
「それを鈴木には……?」
「伝えてへんな」
「えぇ……可哀想……」
「紅音が鈴木に告白されたん?」
哀れみの視線を向けてくる蒼依を余所に、そう訊ねてきたのは夕夏だ。
「うん」
「迷ってんの?」
「いや、うーん……まぁそうやな。今までそういう風に意識してはなかってんけど、せっかく告白してくれたんやし、とりあえずデートしてみようかなぁって。んで、今そのデートに誘おうとして一週間が経ったとこ」
「なるほどね。今行ってくる?」
夕夏は完全に他人事だと思って軽い調子で言うが、それができれば休みを挟んで一週間が経ってもまだ言えずに悩んでいるなどという情けない事にはなっていない。それに、もし今行くという愚行を犯せば忽ちクラス中から注目され、今まで以上に面倒な事になるに違いない。
「そんな事したら死ぬに決まってるやん」
「大丈夫。ちょっと周りから注目浴びるだけやから」
「それは大丈夫ちゃうやろ」
「へたれ」
「あ? じゃあ夕夏が言ってこいや」
「いや怖っ。冗談やん」
少しだけ本心を混ぜて睨み付けると、夕夏はさっと身体を引いて私から距離を取った。
「普通に今日の帰りに言うからええって」
「それでアカンかったからこうなってるんちゃうの?」
「それはあれよ。巡り合わせの問題というか、偶々ちょっとタイミングが合わんかっただけやから」
「じゃあ今日中に言わなかったら罰ゲームとして明日の昼休みに突撃させるから」
「……」
言わなかったとしてもバレないのではないだろうかという考えを口には出さず、心の中に留めておく。
「まぁそんな緊張せんでも私ら誘うのと同じような感じで誘えばええやろ」
「そうそう。向こうが本当に真剣に思ってるなら喜びはしても怒ったりとかはしないでしょうし」
急に優しい声色に変化させた彩綾と蒼依の言葉に再び決心を固めるが、言えるかどうかは結局その時になってみなければ分からない。
蒼依に電話で相談してやる気に満ちていた私でさえも、翌日の朝には無駄に緊張して授業にも集中できず、緊張から逃れるために返事は明日で良いと勝手に決めて、言えないまま別れてタイミングが悪かったのだと誰かに言い訳をしながら帰った。
この一週間同じように逃げ続けた結果、緊張しなくなってきたのと同時に、もう何も言わなくてもいいんじゃないかと思えてきてしまっていた。
それは良くないという事は分かっているのだが、どうもこの緊張感が苦手で逃げ出してしまいたくなってしまう。
これの所為で授業にもあまり集中できておらず、何度か先生の話を聞き逃してしまっている。そんな中でも睡魔は関係なく襲ってくるのだから許し難い。
昼休みが終わり、午後からの授業も時折襲ってくる眠気と戦いながら何とか乗り越え、放課後になる。
蒼依たち三人から冷やかしという名の激励を受け、玄関に向かうと、当然のように浩二がベンチに座って待っていた。
「よし、帰ろうか」
個人的には全くよしではないのだが、いつものように駐輪場へ寄り、学校を出る。
私の様子がおかしい事に気付いているのかいないのか、彼は珍しく何も話さずただ隣を歩いている。もしかしたら話のネタが尽きてしまっただけという可能性もあるが、恐らく彼は私を待ってくれているのだろう。
せっかく告白の返事をする機会をくれているのだから、早く言ってしまえ。そう思いはするものの、何と切り出せば良いか分からず、頭の中で言葉がバラバラになって何を考えていたのかも分からなくなる。
何を伝えようとしていたのだったかと、思い出そうとするが、緊張によって頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、何度も何度も同じ事を考える。
(何を伝えようとしてたんやっけ……。ええと、そう。告白の返事や。告白の返事……。どうするんやっけ……。あぁ、せっかく浩二が待ってくれてんのに。何で黙ってんねやろ。やっぱりバレてんのかなぁ……。もしかして昼休みの会話聞いてたとか? そやったら向こうから言ってきてくれたらええのに。やっぱり私が言うの待ってんのかなぁ……。このまま駅に着くまで黙ってたらどうなんねやろ。いや、流石に気まずいな。どうしよう。ええと、告白の返事や。告白の返事。告白の返事。どうしたらええねん。何でこんな悩まなアカンねん。そもそもあの時浩二が私の返事待ってくれたらこんな事にならんかったのに。なら浩二もすぐに返事聞けて良かったやろうに。多分あの時強引に迫られてたら普通に頷いてたやろうし。いや、ちゃうわ。何を伝えるんやっけ……。ええーっと、告白の返事ね。付き合おうって言われたから……言われたけど、断る理由はなくって、でも付き合いたいわけでもない。断る時ってみんなどうしてんねやろ。やっぱり好きな人がいるから、とかそういうのかな。やとしたら私は別に好きな人居らんから無理やな。でも断るための嘘として好きな人がいるからって言う事もあるよな。んでその後信じさせるために彼氏役を用意してホンマに付き合い出すっていうね。よくあるよね。いや今はそんなんどうでもええわ。というかそう。そもそも浩二について何も知らんからデートをしてお互いもっと仲良くなってから考えようって話や。そうそう。で、どうしたらええんやろ。とりあえずデートに誘えばいいんやっけ……。いや、その前に付き合わないって事を言うた方がええのか。いやでもわざわざ言わんでも伝わるような気もするな。ええと、まず何て言うたらええんやろ。えーっと、いきなりデートしようは変やから、この前の返事やねんけど……って言って、その後に、お互いの事をもっと知りたいからって言って、その流れでデート誘えばええんや。よし。いけるいける。アカンかったらその時はその時や)
途中信号や車の走行音などに気を取られ、同じ事を何度も繰り返し考えながら計画を立て、そのままの勢いで一言目を振り絞る。
「あ、あのっ、ええと……」
「なに?」
ずっと長い間待たせていたにも拘わらず、浩二は優しい口調で私に続きを促した。
気持ち彼の方に顔を向け、勢いがなくなってしまう前に言葉を絞り出す。
「この前の返事なんやけど」
「うん」
「私らってまだ知り合ってそんなに経ってへんやんか」
「そうやな」
「やから、付き合う前にデート……というか、遊びに行ったりできたらええなぁ……と」
下がっていく視線と共に声量も尻窄みになって下がっていく。
彼は今どんな表情をしているのか。それを確かめる勇気が私にはない。
走ったすぐ後のようにドクドクと心臓の鼓動が聞こえるが、もう言いたい事は言えたという達成感と安心感によって徐々に落ち着きを取り戻していく。
それから少しして、しっかりと私の言葉を受け取った彼が徐に口を開く。
「それは……所謂友達からってやつ?」
彼が言っているのは漫画などでよく見る決まり文句のようなものの事だろう。
「多分そう」
安っぽいアンケートのように曖昧な回答をしながらも、私ははっきりと頷いた。
「なるほどね。嫌ではないって事ね」
「うん。嫌ではない」
「よっしゃ。じゃあいつ行く?」
そう言う浩二の声は跳ねるように明るくなっており、顔を見上げると、彼はこちらに笑顔を向けていて、思わず顔を逸らしてしまった。
「私はいつでもええよ。そっちはバイトあるやろ?」
「そうやねんなぁ……。アルバイトしてんのをこんなに後悔したん初めてやわ」
「まだ始めて二ヶ月も経ってへんやろ」
「初めてなんは違いないんやしええやん。それより、どうする?」
いつもより声を大きくしてはしゃぐ浩二は、プレゼントを貰って喜ぶ子どものようで、少し可愛く思えた。
「どうって、だから浩二の予定次第やって。アルバイトってどのくらい入れてんの?」
「ちょっと待ってな」
そう言って浩二は携帯を取り出そうとして、片手では厳しかったのか、自転車を持っていてくれと頼んでくる。
ここで断るような変な人間ではないので、素直にハンドルを受け取ると、浩二は鞄を漁って携帯を取り出し、少ししてその画面をこちらに見せる。
「予定こんな感じ」
「こんな感じって、ほぼ毎日入ってるやん」
見せてくれたカレンダーには恐らくアルバイトを入れているという印であろうチェックマークで埋め尽くされていた。
土日は彼の言った通り全部マークが入っていて、それ以外の平日はバラバラではあるが、基本的に三日以上はアルバイトの予定が入っているようだ。
今日の日付のところに目をやると、そこには何も書かれていなかった。
「今日はバイトないんや」
「うん」
「デートするなら今日みたいなバイトがない日に、どっか寄るくらいになりそうやな」
「……」
返事の代わりに、何故か深呼吸のような音が聞こえてきて、浩二の顔を見ると、彼は目を瞑り天を仰いでいた。
「……何してんの?」
「いや、ちょっと心を落ち着かせようと」
「何それ」
よく分からない行動を取る浩二を無視してどこに行こうか考えるが、この辺りの事は殆ど分からない。近くに図書館があるという事は知っているが、浩二が興味を持つとは思えない。
いや、浩二が読書をする人間だという可能性はゼロではない。
「浩二って小説とか読む?」
「小説? いや、全然。読むとしても漫画ばっかりやな」
想像通りだった。もし小説が好きでよく読んでいるのだと答えられていたとしても、それが原因で嫌いになる事は絶対にないが、少しばかり意外性を期待していた身としては落胆せざるを得なかった。
それはそれとして、この辺りの事を知るにはやはり地元の人間に訊くのが手っ取り早い。
「この辺で何か遊べるようなとこある?」
「遊べるようなとこなぁ……。すぐ近くにお寺とかあるけど……」
「じゃあそこ行こ」
「後はこの前も行ったけど、平等院とかある方に行ったらいろいろ変わった飲食店もあるし、神社もあるし」
「あー……」
そこは前回案内してもらった時に、蒼依と行こうと思ってまだ行っていないところだ。
何となくその時決めた通り、初めは蒼依と観光したい。しかし蒼依と行くとなると、部活が休みの日で観光する時間が取れる日でなければならず、恐らく夏休みの後半、コンクールが終わった頃でなければ行けないだろう。
なら下見も兼ねて、というと少々印象が悪いが、先に浩二と行っておけば蒼依と行く時も迷わずに済むだろう。
何よりデートの場所としては打って付けの場所だ。せっかく観光地の近くに気軽に来られるのだから、行かないのは勿体ない。
「それもありやね」
「どうする?」
「んー……でも暑いしなぁ」
「それ言うたらどこも行けんくない?」
「あんまり暑い中制服で歩き回りたくはない」
「あー、それは確かになぁ」
「浩二の家って近い?」
「……まさか俺ん家に来る気?」
「うん。案内して」
そう促し、いつもは右に曲がる線路沿いの道を左に曲がる。
「うちに来ても何もないで?」
「あぁ、大丈夫。前まで行くだけやし」
流石に七時間授業が終わった後ではあまり時間がない。ここから五分程で浩二の家に行けたとしても一時間も居られないだろう。
最悪行って家の外観だけ見て帰る事になるかもしれないが、ただの暇潰しだ。浩二がどんなところに住んでいるのかという事を知れればそれでいい。
「因みに近いって言うても自転車で十分くらいやから、そこそこ歩くで?」
「自転車で十分……」
頭の中でシミュレーションをする。
浩二が普段どんな速度で自転車を漕いでいるのかは知らないが、大体自転車の速度が歩く速度の二倍だと考えると、歩いて二十分。つまり最寄り駅から学校までの距離よりも少し遠いくらいだろう。
「……まぁ、大丈夫やろ」
自分の感覚に自信がなくなる前に思考を放棄する。
「ほんまかぁ?」
「ちょっとくらい帰るの遅くなっても大丈夫やろうしな」
「そう言えば……家ってどの辺なん?」
「一時間くらい電車乗って奈良のちょっと上くらい」
「ざっくりしてんなぁ」
「っていうか前言わへんかったっけ?」
「あれ? そうやっけ?」
「分からん。他の人と交ざってるかも」
そんな話をしている間にも全身に汗が滲んできて、胸の下や背中辺りが気持ち悪くなってくる。まだ少ししか歩いていないが、既に家に行くと言った事を後悔していた。
会話が途切れ、じめじめとした暑さに挫けそうになっていたところに浩二が前方に見える看板を指差して言う。
「ちょっとコンビニ寄って行かへん?」
「ええけど、何? アイスでも買う?」
「あぁー、アイスもありやな。喉渇いたしジュースでも買おうかと思って」
「なるほどね。あり」
まだクーラーは付いていないかもしれないが、それでも風もないじめじめとした外にいるよりは増しだろうと、浩二に提案に乗ってコンビニに入る。
やはりクーラーは付いていないし、思ったよりも涼しくはないものの、たくさんのアイスや冷たい飲み物を見ると、心なしか暑さが忘れられるような気がした。アイスの入ったボックスから冷気が漏れているので、そのおかげかもしれない。
「紅音は何する? 今やったら何か一個買ってあげるけど」
「いや、ええよ。自分で買う」
一瞬喜びそうになったが、流石に申し訳ないので断っておく。
「いやいや、俺が何のためにバイトしてると思ってんねん」
男の人がアルバイトをする理由として思い付いたものを、間違っている前提で答えてみる。
「……女を金で釣るため?」
「あまりにも受け取り方が捻くれ過ぎてへんか?」
「じゃああれや。金持ちアピールするため」
「アルバイトしてる金持ちは嫌やろ」
「いやいや、将来金持ちアピールをするための準備期間やん」
「やとしたらただの貯金好きやろ」
確かに金持ちは湯水のようにお金を使ってアピールするのだから、アルバイトをして貯めたお金では足りなくなってしまう。
「じゃあ……えっと、待ってな」
他に何かないかとアイスそっちのけで考えるが、途中で浩二に遮られる。
「別に大喜利してるわけちゃうんやからええねんて」
呆れたように溜め息を吐いて言われ、仕方なく答えを訊く。
「正解は?」
「何やろな……好きな人に貢ぐ……は言い方悪いか」
そうやって隙を見せられると突かずにはいられなくなってしまう。関西人の性だろうか。
「やっぱり合ってるやん」
「いや、ちゃうって」
「だって私をお金で釣ろうとしてるんやろ? 騙されへんからな」
「……しゃあない。そんなに言うなら奢るのやめよ」
「え、男に二言はないって言ってたのに……」
「言うた事ないわ」
「はいはい。分かったから早よ選ぼう」
これ以上広げられそうになかったので、強制的に終わらせよう真剣にアイスを選び始める。
「奢んの俺やねんけど?」
「あ、奢ってはくれるんや」
「いらんねやったら別にええけど?」
「いる。ありがとう」
「どういたしまして」
どうやら奢ってくれるというのは本当らしい。
しかし何もせずただ奢ってもらうというのも申し訳ない。特にお金に関する事はちゃんとしておかなければ何かがあった時に困る。
「あ、浩二って誕生日いつなん?」
「誕生日は十二月十五日やな」
「まだまだやん」
もうすぐ誕生日だと言われたならその時にお返ししようかと思ったが、別の事にしておいた方が良さそうだ。
「紅音は?」
「猫の日」
「ええっと、二月二十二日?」
「せいか~い」
ぱちぱちぱち、と小さく音を鳴らして手を叩いて褒める。
「覚えやすくて助かるわ」
「そっちは覚えにくそう……。何か語呂合わせとかないの?」
「クリスマスの十日前」
「語呂合わせちゃうやん」
「でも覚えやすいやろ?」
「まぁ、確かに」
そうは言っても今から半年後なので、どこかにメモしておかなければすぐに忘れてしまいそうだ。たまにこれくらいなら覚えておけるだろうという謎の自信が湧いてくる事もあるが、そうやってメモをしなかったものは大体その数時間後には忘れてしまっている。
過去の失敗を繰り返さないよう、高校生になって手に入れた文明の利器を取り出し、メモアプリにメモをしておく。
「何日やっけ……? 十四?」
「十五」
やはりメモはしておくべきだ。
ふと以前読んだ漫画を思い出す。その中で主人公の友人である女の子が恋人の誕生日を携帯のパスワードにしていた。
一瞬私もそうしようかと思ったが、まだ浩二は彼氏ではないし、恋人になってパスワードに誕生日を設定していたとして、それがバレたらあまりにも恥ずかしい気がして、普通にメモだけにしておく事にした。
他の人のもついでにメモをしておこうかと思ったが、よく考えてみると彩綾と夕夏の誕生日を知らない。蒼依の誕生日は前に教えてもらったが、蒼依のだけメモをするというのも何だか寂しいような気がする。しかしメモをしないでいるときっとまた忘れてしまいそうで怖い。
そして私は迷った末に、何となく、ちょっとした気まぐれで蒼依の誕生日をパスワードに設定した。
携帯を仕舞い、気になっていたコーヒーのアイスを取る。
「これとかどう?」
「一人で食べんの?」
「そんなわけないやん。浩二もこれでいいならこれでいいと思うんやけど」
「ええんちゃう?」
「じゃあそれで」
「おっけー」
浩二がレジに並んで会計を済ませている間、私は端からゆっくりと歩いて何か変わった商品がないか見て回る。
コンビニの商品はスーパーに並んでいるものとは違うものが置いてある事が多く、このコンビニにもあまり普段見かけないものがあった。しかしわざわざ買ってみようと思える程の物はなく、会計を済ませて探しに来た浩二と一緒に外に出る。
相変わらず蒸し暑いという言葉がぴったりと合いそうな空気が身体を包み込み、思わず私は顔を顰める。
自転車を駐めた場所に戻り、浩二が名前のよく分からない金属の輪っかに腰掛けてアイスの袋を開ける。
「俺これ食べんの久々やわぁ」
「あんまり食べる機会ないよなぁ」
「ほいどーぞ」
「どうも」
二つに分けたうちの片方を貰い、蓋に付いている輪っかに指を通して引き千切る。
蓋の方に入っているアイスの切れ端を蓋を咥えて食べてから、本体の方を咥えて中身を吸い出して食べる。
「やっぱ暑い日はアイスやな」
浩二はまるでビールを飲む疲れ果てたサラリーマンのように息を吐き出し天を仰いだ。
「うん。まだまだこれから暑くなるけどな」
「今はまだ曇ってるから涼しさはあるけど、梅雨が明けたら地獄よな」
「暑いのは嫌い?」
訊ねると、浩二は顔をこちらに向けて答えながら私の手に持つ容器の蓋を受け取って袋に入れる。
「寒いのよりは好きやな」
「アウトドア好きそう」
「どういう偏見?」
「いや、何となく」
「まぁ好きやけどね」
容器の周りに付いた氷が溶けて指先が冷える。鞄からタオルを取り出して濡れた手を拭きつつ、手袋の代わりにして容器を持つ。
何度目かの沈黙が生まれ、黙々とアイスを食べながらふと思う。
恋人になったら何をするのだろう。
恋愛小説も漫画も人並みには読んできたとは思うのだが、実際恋人が何をするのかはよく分かっていない。
恋人とする事と聞いて真っ先に思い浮かんだのはキスやセックスだ。恋人とだけする事と言えばそれだろう。いや、世の中にはセックスはするが恋人や夫婦ではないセフレと呼ばれる不思議な関係もあるらしいので、一概にはできないかもしれない。
そうするとキスやセックスをしても恋人とは言えないのだろうか。セフレと恋人の違いは何なのだろう。
浩二に訊こうとほんの一瞬口を開き、閉じた。
流石にこんな事を訊くのは恥ずかしい、というよりはしたないだろう。
ちらと浩二を見ると、偶然か、目が合う。
「何?」
つい眉間に皺を寄せて訊ねる。
「いや、何か考え込んでるなぁって」
相談しろ、ともし言われても考えていた事をそのまま言う訳にはいかないだろう。言うとすればせめてもう少し濁すか、抑の疑問を言うべきだ。
しかし告白を保留している相手にその相談をして良い物かどうか。
少しの間悩み、首を横に振って違う話題を振る。
「この後どうしようかなぁって思って」
「あぁ、そうやなぁ……。こっからまだ結構掛かるけど」
「今日のところは帰ろうかな」
「うん。次までに部屋片付けるわ」
「家まで行くとしたらもっと時間ある日じゃないと無理やなぁ」
「そうやな。でも六時間授業の日は全部バイト入ってんねんなぁ」
「じゃあしばらくは無理やな」
含み笑いをしながら食べ終えたアイスの容器を浩二の持つ袋に入れ、まとめてゴミ箱に捨てる。
携帯で時間を確認すると、帰るには丁度良い時間だった。
「よし、今日は帰るか」
「送ってくわ」
「どうもー」
二人並んで来た道を戻る。
これからも学校帰りにデートをするとなったら今日みたいになるのだろう。これが果たしてデートと言えるかは分からないが、それなりに話もできて退屈はしなかった。
浩二も楽しんでくれていたら良いのだが、残念ながらそれをここで直接訊いて確かめられる程の勇気は持ち合わせていない。
線路沿いを歩き、見覚えのある道に戻ってくる。
「今日はありがとうな」
「ううん。こちらこそ。返事長い事待たせてごめんな」
「いや、それはもう断られんかっただけでもこっちからしたら万々歳やからな」
「ならよかった」
「じゃあまた明日」
「うん。またな」
いつものように手を振り、いつものように走り去って行く浩二の背中を見送る。
いつもと同じようで、浩二と私の関係は少しだけ変わった。
まだ好きかどうか分からない。好きになれるかどうかも分からない。それどころか更なる疑問が生まれてしまったような気もするけれど、まだ雨が降る梅雨の季節。浩二と出会ってまだ二ヶ月も経っていない。
きっとまだ付き合うには早過ぎるから、これでいい。
焦っても良い事なんて何もない。
心に余裕を持てるくらいが丁度良いのだから。
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