第9話 5月30日

 関西は梅雨入りしたらしい。


 真面目なのか不真面目なのか分からない朝のニュース番組でそれを知った。


 確かに先週も雨が降っていたし、あまり信用ならない天気予報でも今週はずっと雨か曇りだと言っていた。


「暑い」


 靴を履き替え、外に出た私は無意識のうちに口に出していた。


 気温だけで言えば先週よりも先々週よりも涼しいのだが、昨日から降っている雨の所為で、空気が肌の周りに膜を作るように纏わり付く。ずっと植物園や風呂場にいるような、そんな嫌な暑さをしていた。


 校門まで行く途中、自転車に乗った浩二が現れて当たり前の事のように隣に並び、一緒に駅まで歩く。


 部活のない月曜日やそもそも学校のない土日以外は浩二と一緒に帰っている。


 席が近いわけでもなければ、中学校が同じというわけでもない。ただ二人とも部活に所属していないというだけだが、何故か付き合っているという噂話が聞こえてくる程度には仲良くなっていた。


 噂は訊かれる度に否定しているが、本当だと思っていた人たちの話を聞いていると、今まで恋愛とは無縁だった私にも、何となくそうなのではないかという考えが浮かんだ。


 クラスメイト曰く、彼と会話しているとよく私の名前が出てくるとか、よく私と彼が何でも無い時に見つめ合っているとか、私を駅まで送っていっているとか、勘違いなのではないかと思うものもあったが、そういったものが理由で付き合っているという噂が本当のように思えたらしい。


 付き合っているわけではないが、彼が私にしている事を周りから見ると付き合っているように見える。


 それはつまり、彼は私の事が好きだという事。


 今まで告白をした事もなければされた事もなく、恋人にしたい人というのも存在していないため、あまり自信はないが、クラスメイトの言う事を信じるとすれば、彼は私に対して恋愛感情を抱いているという事になる。

しかしそこで一つ疑問が生まれた。


 以前蒼依と恋人だと思われた時のような事はしていないのに、何故浩二と恋人だと思われたのか。


 手を繋いでいるわけでもないし、抱き付いたりもしていない。自転車に乗った時にしがみつく事にはなったが、あの状況になれば相手が誰であってもそうするだろう。


 浩二としている事と言えば、挨拶をして、一緒に喋りながら帰る程度。とても恋人とする事のようには思えない。小学生や中学生の時にも似たような事はよくあった。別に友人としてでもおかしな事は何もない。


 恐らく彼も恋愛感情ではなく、ただ異性の友人として接してくれているのではないだろうか。


 彼の話を聞き流しながらそんな事を考え、彼の横顔を見ていると、私の視線に気が付いた彼と目が合い、直ぐさま顔を逸らす。


「何かすんごい視線を感じるんやけど」


 彼は恥ずかしさを誤魔化すように微かに笑いを含ませて言った。


「いや、うん。気にせんとって」

「そう言われたら余計気になんねんけど……」


 どうせなら何か訊こうかとも思ったが、本人に直接私の事が好きなのかと訊ねる程私は馬鹿ではない。しかし実際彼が私に対してどう思っているのか、一度気になってしまうと頭から離れなくなってしまった。


 いっそ遠回りにでも訊いてしまおうか。そう思っていると。


「そういえば、ごめんな」

「何が?」


 突然聞こえてきた謝罪の意味が分からず、反射的に聞き返す。


「あの……何か俺らが付き合ってるとか何とかみんな言うてるやん?」

「あ、うん」


 まさか向こうからその話をしてくるとは思わず、つい素っ気ない返事をしてしまった。


「やっぱり知ってるよなぁ」

「そりゃあ、クラスの子らからめっちゃ訊かれたし」


 名前も知らず、顔すら記憶になかったような人たちから馴れ馴れしくされるのはあまり気分の良いものではなかった。後の事を気にしなければ無視をしてその場から逃げていたのだが、生憎そんな事ができる程精神は強くない。


「いや、ほんまにごめん」

「浩二が何かしたん?」

「いや、そういうわけじゃないんやけど、やっぱりめんどいやろ?」

「まぁ正直面倒くさいな」

「そやし……」

「でも浩二が私と付き合ってるとか言うて回ったわけでもないんやろ?」

「うん」

「じゃあええやん。何回も何回も言われるわけちゃうし」


 否定した後彼女たちがどう判断したのかは分からないが、二、三回訊かれて否定してからは誰もその事について訊きに来なかったため、恐らくそれぞれグループに所属している人が別々に訊きに来て、ほぼ全員に伝わったのだろうと思っている。


 噂の火元は浩二だけではなく私も含めた二人。噂が広まったのは学校という集団の中だから仕方の無い事。浩二を責める事があるとすれば、浩二が故意に嘘の噂を広めていた場合だけだろう。


「というか実際どうなん?」


 落ち込んだ様子の浩二を慰めようと言葉を並べていると、それらの波に流されたように私の口はそんな事を言っていた。


「どうって?」


 まだ軌道修正はできる筈だと、おかしくなった頭を回して質問の答えを出す。


「私らって付き合ってんの?」

「は?」


 浩二の反応は尤もだ。


 自分でもおかしな事を言っているなと思う。告白をした覚えもされた覚えもないのに付き合っているわけがない。


 慌てて訂正しようとするが、上手く言葉が出てこない。


「付き合ってはないやろ。告白も何もしてへんのに」

「……そらそうよね」


 あたふたとしている間に冷静な返答をされ、私も落ち着きを取り戻す。


 これ以上この話を深掘りして本当に彼が私の事が好きだった場合、あまりに気まずい空気になってしまう。少なくとも今私からする話ではない。


 少しずつ話を逸らしていこうと、連想ゲームのようにして浮かんだ疑問を口にする。


「浩二は今付き合ってる人とか居るん?」


 言ってからあまり話題が逸れていない事に気付く。


「居らんで。居ったら紅音と一緒に帰ったりせぇへんし」

「中学の時は居ったん?」

「いや、全く。恋愛経験ゼロ! 女子と一対一で話すような機会もなかったんよなぁ」

「今一対一やん」

「そう。だからこれが初めてなんよ」

「へぇ、意外。もっと遊んでるもんやと思ってた」

「いやいや、ほんまに全然女子と関わりなかったって」

「とか言うて仲良い女子何人か居ったんやろ?」

「ほんまに居らんかってんて。いっつも連んでたんは男子ばっかりやったし、部活もバスケ部やから男子しか居らんかったしな」

「マネージャーとかは……中学は居らんか」

「うん。マネージャーは居らんかったな」

「じゃあ女子のバスケの子とか」

「全く喋った事ないな」

「えー、おもんな」

「そういう紅音は中学の時彼氏居らんかったん?」


 少々からかい過ぎてしまったようで、浩二は少しむすっとした様子で矛先を私に向けてくる。


「私も別に彼氏とかは居らんかったで。因みに今も居らんからな」

「へぇ、居らんねや」


 そう言って意味ありげに頷く浩二を睨む。


「何? 喧嘩なら買うで?」

「ちゃうちゃう。意外やなぁって思っただけやって」


 浩二は私の視線を全く意に介する事無く平然と答えた。


「そんな彼氏いそうに見える?」

「……正直に言うと見えへんな」

「やっぱ喧嘩売っとるやんけ」

「それは罠やん……」

「それはあんたがもてなさそうとか可愛くないとか言うてくるからやろ」

「そんな事一言も言ってへんやろ」

「つまり可愛いと……?」

「罠がえぐい……」


 そんな仕様もない事を言い合いながら歩いているうちに駅に着き、いつものように見送ろうとして浩二の顔を見ると、何やら真面目な表情をしていた。


 どうしたのかと訊ねようとして、私が声を発する前に彼が口を開く。


「なぁ、紅音って彼氏居らんねやんな?」

「え? うん。居らんってさっき言うたとこやん」

「……やったら俺と付き合ってくれへん?」


 突然の事に頭が追いつかず、首を傾げ、顔を顰める。


 暑い。湿気った生温い空気が肌に纏わり付き、汗が滲む。


 目だけを動かし、見つめてくる浩二から視線を逸らす。規則的に敷き詰められている長方形のタイルを見て、どこが基準となって斜めになっているのだろうかと思いつつ、視線を少しずつ浩二の方へ戻す。


 浩二は制服のズボンを穿いているが、夏用とは言え暑そうだ。半ズボンなら多少は涼しくなるのだろうが、それではあまりに不格好だ。見慣れないからそう感じるだけなのかもしれない。そう考えると私はスカートという普通のものを穿いて比較的涼しく感じられるのだからまだ増しな方なのかもしれない。


 いや、そんな事よりも今私は告白されたのだろうか。聞き間違いではないだろう。白昼夢でもない。言葉の意味は理解している。こんな人のいる駅前でするものなのだろうか。いや、実際されたのだからそういう事もあるのだろう。


 私の頭は困惑で埋め尽くされており、許容量を上回ったしまった所為で思考が散らかってしまっていた。


 沈黙に耐えかねたのか、浩二が一歩私の方へ踏み出してくる。それによって私の思考は強制的に戻された。


「付き合ってる人は居らんねやろ?」

「……うん」


 頷き、答える。


 嘘はない。


「俺と付き合うのは嫌?」


 少し考え、首を傾げたまま固まる。


 嫌というわけではないが、かと言って付き合う理由も思い浮かばない。


「いや、待って。ごめん。言い方が悪かったわ」


 私が困り果てている事を察してか、浩二はがしがしと自分の髪をかき混ぜ、眉をハの字にして視線を落とした。


「無理に付き合ってもらおうとは思ってへんねん」


 意味が理解できず、眉を顰めて続きを待つ。


「ちょっと口が滑って……というか、ほんまはこんなタイミングで言うつもりなかってんけど……」


 浩二は再び真面目な表情を作り、こちらを見る。


「でも好きなのはほんまやから。それだけ覚えといて」


 そう言って浩二は私の返事を待たずに自転車に乗って逃げるように走り去って行き、あっという間に姿が見えなくなった。


 どうすればいいのか分からず立ち尽くしていると、駅のホームにアナウンスが流れ、とりあえず家に帰ろうと、滲む汗を拭い、ICカードを探しながら歩き出す。


 電車に乗り、空いていた席に座って本を取り出すが、読む気にはなれなかった。


 私の頭の中は先程のイベントの事でいっぱいになっていたが、電車に乗り、少し時間が経った事で冷静な思考が戻ってきていた。


 浩二に告白されたのは間違いない。確かに好きだともはっきり言っていた。


 しかしあのタイミングで告白なんてするものなのだろうか。デートの途中で良い雰囲気になった時や、何か事件があってそれが解決した時など、そういう時にしか起きないイベントだと思っていたのだが、まさかこんなデートも何もしていないただの学校帰りに言われるとは思っていなかった。


 困惑はしているが、嬉しいような気もしている。中学の時は見た目か性格か、その両方か何なのか分からないが、告白などされた事がなかった。高校生になるにあたって多少なりとも見た目は良くなったと思っており、その成果が先程証明された。これは喜ばしい事だ。少なくとも彼には私が良く見えているという事なのだから。


 しかしそれはあの告白が嘘ではなかった場合だ。


 漫画や小説では嘘告白というものがあるが、現実でそういう事はあるのだろうか。もしあれが嘘だったなら彼とその仲間の目玉を抉り取らなければ気が済まない。いや、流石にそれは大袈裟だが、効果があるかどうかはさておき、一発くらい殴らせてもらっても文句はないだろう。


 彼がそんな騙すような事をするだろうか。趣味も合わないのに連んでいるという友人に唆されたのだとしても、彼なら本当の事を言ってくれそうな気もする。そんな彼が嘘吐きかどうか判別できる程彼の事を知っているわけでもないが、信じたい気持ちは大きい。


 嘘だった時は階段から突き落とせばいい。


 あれが本当だったとして、私は彼の彼女になったのだろうか。いや、返事をしていないのだからまだ友人のままだろう。


 私の想像する告白と違いすぎてよく分からないが、一先ずは今までと同じ関係だと思って良いのだろう。


 いや、しかし彼が私と一緒に帰ろうとする理由が分かってしまった。


 明日も普通に学校があるが、今日と同じようにまた一緒に帰るのだろうか。だとすればなかなか気まずい事になりそうだが、もしかすると彼はそれを見越して告白してきたのだろうか。


 いや、彼自身そんなつもりはなかったと言っていたから、それを信じるなら違うのだろう。


 早く返事をした方が良いのだろうか。受け入れた覚えはないが、断った覚えもないので、付き合う事になったのであればそれはそれで良かったのだが、彼は一応私に考える時間をくれたのだろう。


 あれこれ考えているうちに快速に乗り換えるのを忘れ、そのまま結構なところまで来てしまっていた。


 普段止まらない駅に止まり、外の景色を見る。


 気持ちも随分と落ち着いてきて、今なら普通に本を読めそうな気がしたため、本を取り出して読み始める。


 快速に乗り換えるのを忘れたおかげで、結果的にいつも以上に読書が進んだ。


 電車を乗り換え、眠気に抗っていると、見慣れた町並みが見えてくる。


 のんびりと立ち上がり、何もせずただ家に向かう私の頭の中は相変わらず浩二についてだった。


 何となくそうして浩二の事を考えている事自体が彼の思惑に填まってしまっているように思えて、必死に考えを振り払い、スーパーマーケットに立ち寄って夕飯の材料を買う。


 牛乳を買った所為で少し重たくなってしまった袋を持ち、家に帰る。


「ただいまー」


 買い物袋を一旦床に置き、靴を脱いで洗面所で手を洗った後、袋を回収してリビングの電気を点けてテーブルに袋を慎重に置く。


 玄関に妹の靴が置いてあったため、恐らく妹は部屋で絵を描いているか、寝ているかのどちらかだろう。


 とりあえず買った物を仕分けして冷蔵庫に入れ、自室に向かう。


 階段を上りきったタイミングで、丁度妹が顔を出す。


「あ、ただいま」

「うわっ、びっくりしたぁ。おかえりぃ」

「絵ぇ描いてたん?」

「うん。今日のご飯何?」

「今日はチキン南蛮でもしようかなぁと」

「はぁい」


 妹はどうやら喉が渇いたらしく、お茶を飲みに私と入れ違いで階段を下りていった。


 部屋に入り、鞄をベッドに置いて制服を脱ぐ。最近は家に居ても暑さを感じるので、薄手のTシャツと、運動する用に買ったショートパンツに着替える。


 洗濯物を出し、弁当箱や水筒を洗ってリビングで少し寛いでいると、母と父がほぼ同時に帰ってくる。


 それに気付いた妹も下りてきて、一緒に夕飯の準備を始める。母と妹が料理をしている間、私はそれに使う食器を出し、食卓を除菌シートで拭き、そこにお茶などを置く。


 それを終えると料理に関して手伝える事はないので、洗濯物を畳んでくれていた父の方を手伝い、料理が完成し次第全員で揃って食べる。


 食べ終わったらいつも通り妹が先に風呂に入り、洗い物は両親に任せて私は部屋で明日の予習をして、妹が上がってきたら入れ替わりで風呂に入る。


 風呂に入っている時間、特に湯船に浸かっている間はどうしても考え事ができてしまう。そのため私の頭には再び浩二の事が浮かび、考えさせられてしまう。


 湯船に浸かり、ゆらゆらと水面が揺れて足や手が歪むのを眺めながら少し真剣に考えてみる。


 自分が思っている以上に浩二に告白されて喜んでいるのだろうか。


 たまに告白されてから好きになったり、振った相手の事を好きになったりすると聞くが、これがその状態なのだろうか。確かに告白される前よりも確実に気にはなっているが、別に相手の事が知りたくなっているわけではない。ただ印象に残っただけのような気がするが、恋愛経験のない私にはその判別は付けられそうにない。


 告白をしてきたという事はやはり浩二は返事を期待しているのだろう。向こうが真剣に告白してきたのなら、それに答えるのもそれ相応に真剣に考えるべきだとは思う。


 みんなはこういう時に何を基準にして決めているのだろうか。


 とりあえず付き合ってみるというのも有りなのだろうか。いや、浩二は真剣に考えてくれているのだからそんな投遣りな考えでは不誠実というものだろう。


 うー、うー、と声に出しながら悩んでいるうちに面倒に思えてきて、これは良くないと気分を入れ替えるためにも湯船から出て身体を洗う。


 洗いながらも考えていると、ふと蒼依の事が頭に浮かび、相談してみる事にした。

 諸々の用事を済ませ、部屋でベッドに潜り込み、携帯を開く。


 以前の勉強会以来、蒼依とは頻繁に連絡を取り合うようになったが、その内容の殆どは勉強に関する事。恋愛相談なんて寧ろからかわれるのが嫌で私から避けていたくらいなのに、いきなり相談してもいいものなのだろうか。


 何を相談するべきか考え、途中で面倒くさくなってとりあえず告白された事を伝えてみる。


 半ば自棄になって送信すると、丁度見ていたのか、数秒で既読が付く。


『誰から?』


 最初の一歩ができれば後はその場の乗りで何とかすればいい。


『浩二』

『やっぱり』

『やっぱりって?』

『紅音の事好きなんだろうなとは思ってたから』

『そうなんや』

『誰が見ても分かるくらいには分かりやすかったね』

『どうすればいいと思う?』

『付き合わないの?』


 文字を打ち込もうとした指を止めて、悩む。


 何と返せばいいか分からずにいると、蒼依から電話が掛かってきて、肩を跳ねさせながらも電話に出る。


『今大丈夫だった?』

「うん。ベッドで寝転んでるだけやし」

『紅音は鈴木と付き合いたくない感じ?』

「いや、うーん……どうなんやろ」

『嫌いではないんでしょ?』

「うん」


 彼に何か嫌な事をされたわけでもなければ、彼が何か良くない事をしていて印象が悪いわけでもない。嫌う理由はない。


『他に好きな人はいる?』

「ううん」

『じゃあ付き合っちゃえばいいんじゃない?』

「えぇ……? そんな軽い感じでええの?」

『別にいいでしょ。学生のうちの恋愛なんてそんなもんじゃないの?』

「なんかそれっぽい事言うてる……」

『前にも言った事あるかもしれないけど、友達はそんな感じだったからね。意識した事はなかったけどとりあえず付き合ってみて、それから考えるって』

「えぇ……でも何か……あれじゃない?」

『あれって?』

「何かこう……誠実さに欠けるというか……無駄な期待はさせたくないというか……」

『あぁ、なるほどね』


 告白をして、付き合える事になれば当然嬉しいだろうが、実は好きじゃなかったと言われたら相当ショックを受けるだろう。


『じゃあそれを始めに言っといたら? そういう意識はしてなかったけど、これから考えるからって』

「それ結局保留してるみたいにならへん?」

『あぁそっか。……でも別にいいんじゃないの? っていうか告白されて紅音は何て答えたの?』

「いや、えっとなぁ……好きやからって言ってそのまんま帰らはったから私は何も言うてない」

『えぇ? 何それ。どういう事?』


 困惑しているらしい蒼依に経緯を説明するために、あの時の状況を思い返す。


「えっと、一緒に帰ってて、駅に着いて……あ、その前に何か噂の事について謝られてん」

『噂って……二人が付き合ってるってやつ?』

「そうそう。それを謝られて、彼女いるのー?みたいな話になって、そしたら告白された」

『えっ、そんないきなり告白されたの?』

「うん。ほんまに突然、居らんねやったら付き合ってーって言われて、無理に付き合ってほしいわけじゃないけど、好きなのはほんまやからって言って帰ってった」

『あぁ、別に断ってもいいよとは言ってくれてるのね』

「そう。そうやけど……」

『付き合っちゃえばいいじゃん、と思うんだけど、何が嫌なの?』

「いや、だから罪悪感というか、好きでもないのに付き合うのは、なんかねぇ」

『じゃあ普通に断ればいいんじゃないの?』

「うーん……」

『そこでなんで悩むのか分からないんだけど』


 呆れたように溜め息が聞こえてくるが、私だって分からないのだから仕方ない。


「蒼依やったらどうする?」

『私なら断るかな。別に好きでもなんでもないし』

「えっ、そうなんや……」

『あれじゃない? 紅音、好きって言われたのが嬉しいんでしょ』

「え?」

『紅音って可愛いとか何とか褒められるとすごいにやけるし』

「いや、確かに好きって言われたのは嬉しいっちゃ嬉しいけど……」

『何か心配になってきた……』

「何が?」

『んー、でも最終的には紅音の気持ちの問題だからねぇ』

「……」

『まぁ、私としてはとりあえず付き合ってみるっていうのも有りだと思う。好きだって言ってくれる人がいるのは嬉しい事だし』

「……そっか。確かに……」

『うん。鈴木は悪いやつじゃないとは思うし、少なくとも反対ではないかな』

「……別に蒼依の許可が欲しかったわけじゃないんやけど」


 それから少し別の話をした後、そろそろ寝るからと通話を切られ、携帯に充電器を差して机に置く。


 蒼依の言う通り、浩二に好きだと言われたのは嬉しかった。あの告白は突然の事で驚き困惑したものの、彼に好きだと言われた事で私の存在が認められたような気がした。


 浩二と一緒に居る時は無理に明るく振る舞ったり大人ぶったりしていない。言わばほぼ素の状態の自分だ。彼はそれを好きと言ってくれたのだ。


 お試しで付き合うというのはやはり気が引けてしまうため、付き合うとまではいかなくとも、これから彼の事を好きになるために、彼の事を知ろうとするのも良いかもしれない。


 やはり恋人関係になるのは何度かデートを重ねてからの方が良い。


 彼が私の事を好いてくれているのは分かっているため、少しばかり状況は違うが、友達としてデートをして、お互い何が好きか、何が嫌いか、そういった物を少しずつ知って、この人と一緒に居たいと思えたなら恋人になればいい。


 こんな私の事を好きだと言ってくれる人がいるのだから、私はその人を好きになれるようにすればいい。


 しかしそれをどうやって彼に伝えようか。

傷付けてしまわないように気を付けなければならない。嫌われるのは避けたい。


 とりあえずデートに誘えばいいのだろうか。蒼依と行ったようにショッピングもいいかもしれないが、彼がどう思うか分からない。やはりデートで何をするかは本人と直接話して決めた方がいいだろう。


 これを伝えるのはメッセージでいいだろうか。それとも一応告白の返事のようなものだと考えれば、直接伝えた方がいいかもしれない。


 今日はもう寝る時間だ。彼も起きている可能性は充分にあるが、どうせ明日また一緒に帰る事になるだろうから、その時にでも伝えればいい。


 よし、よし、と頷き、我ながら完璧だと自画自賛するも、心臓は縮こまり、胃の中の物が逆流してきそうな感覚に陥る。


 自分でも何故こんなに緊張しているのか分からないが、いつもの事だ。これも勢いと乗りで何とかなるだろう。


 今日はさっさと眠ってしまって、明日の事は明日の自分に任せよう。


 そう必死に自分に言い聞かせるが、あまり眠れそうになかった。

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