第5話 5月2日

 「遠足」と言われると、私はどうしてもピクニックのようにどこか自然に囲まれた場所でレジャーシートを敷き、そこでみんな仲良く弁当を持ち寄って昼食を食べたり、何かアトラクションがあればそれで遊んだりした小中学校の事が思い浮かぶ。


 それを高校生にもなってやるのかと、溜め息を吐いたものだが、実際は生徒が主体となっていくつかの候補の中から行きたい場所を選び、食材を購入してバーベキューをするというもので、担任の教師が保護者としてついてはくるものの、たしかに高校生向けにはなっている。


 別に何か文句があるわけではない。強いて言うならば、どうしてお金を払ってまで遠くに行ってご飯を食べに行かなければならないのかということくらいだ。


 その答えとして全員に配られた冊子に「自主性と協調性を育む」ためと書いてあるのだが、それくらい学校内でできるのではないだろうか。わざわざこんな片道約二時間千二百円で他県に出てすることなのだろうか。


 そうやって文句ばかり頭の中で言っていると、段々とやる気が削がれていく。


 前向きに考えるのならば、今回のバーベキュー会場である大阪の海沿いにある公園に、本来学校に行かなければならない時間を使って友人たちと遊びに行けるということだ。


 バーベキューができるという点に関しては、私はあまり焼き肉が好きではないということと、火を熾したり道具を準備したりするのが面倒くさいため、どちらにしてもやる気は出ない。


 ついでに大阪の観光ができれば最高だったのだが、今回行く公園の近くにそういう場所はないようだった。


 親指を栞代わりにして閉じたまま持っていた本をうっかり完全に閉じてしまい、諦めて鞄に入れる。


 電車が空いていて良かったと思う。ゴールデンウィーク前なので、満員電車に乗る覚悟で来たのだが、少なくとも大阪に入るまでは座席に座ったままでいられそうだ。


 問題があるとすればこの退屈な時間をどうやって過ごすかということ。


 駅に着いてから電車に乗ってここまで来る間にずっと小説を読んでいたが、約三十分が経過したあたりで、一瞬意識が物語から離れてしまった。それ以降はもう物語に入ることができず、考えても仕方のないことに延々と頭を使っていた。


 ふと、蒼依は今何をしているだろうと思い、携帯を開いた瞬間、蒼依からメッセージが届く。


『暇』


 今までで一番短いメッセージだった。

 いつもの見る人が見れば不機嫌そうにも見える無表情でこれを言っている姿が目に浮かぶ。


『びっくりした! 今ちょうど蒼依に連絡しようとしたとこやったわ』


 画面上に指を滑らせ、思ったことをそのまま書き起こした文章を送信する。


 自分が普段使っている関西弁を文字にすると何かがおかしい気がしてしまう。しかしわざわざ標準語に直すのも違うような気がして結局そのままにする。


『また私のこと考えてたんだ』


 十秒も掛からないうちに返信が来たことが嬉しくて表情が緩む。


『うん』


 そう送って、何だか少し恥ずかしい気持ちが湧いてきた。


 たしかにちょっとした時間に蒼依の事を考えることが多い気がした。他に関わりのある人が少ない所為もあるかもしれないが、それにしたって多い。


 思い浮かべるなら家族だっていいし、彩綾か夕夏でも、浩二でも良い筈だ。けれども私が真っ先に思い浮かべるのはいつも蒼依だった。


 私は自分で思っている以上に蒼依の事が好きらしい。


『蒼依の事が好きやからね』


 今度はなかなか返信が来ない。


 自分が送ったメッセージを見返してみると、確かにこれはどう返事をすればいいのか和からないかもしれないなと思い、連続でメッセージを送ることにした。


『今どのへんにいるん?』


 これならきっとすぐに返信が来るだろう。

 そして予想通りすぐに既読が付き、メッセージが表示される。


『京橋で電車待ってる』


 京橋というのがどこかは分からないが、順調に来ているらしい。


『こんな長い時間乗るの初めてちゃうん?』

『うん。死ぬほど暇』

『本持ってないの?』

『読み終わった』

『なるほどね』

『何か面白い話して』

『地獄みたいな振りやめろ』


 メッセージを送った瞬間に既読が付き、その数秒後に返事が来る。


 どうやら暇だと言うのは本当らしい。


『じゃあ紅音の好きな人の話』

『いない。そんなに気になる?』

『さっき私のこと好きって言ったくせに』


 さっき、というと蒼依からの返信が少しの間なかったときのことだろう。


 一瞬考えてみて、すぐに冗談だと気付く。


 何と返そうか悩んでいると、蒼依から先に送られてくる。


『私のことどう思ってるの?』

『何その面倒くさい女みたいな』

『ひどい。泣いちゃう』


 大泣きしている女の子のスタンプが送られてくる。


 きっとこれを送っている本人はあからさまに口を弓のようにして、にやにやと笑っているのだろう。


『蒼依が泣くところ想像つかへんねんけど』

『紅音はいっぱい泣きそう』

『多分蒼依に嫌われたら泣く』

『それは絶対ないから大丈夫』


 そうしてくだらない話をしているうちに窓の外の景色は京都とは全く違う高いビルだらけになっていた。乗り換えをする予定の駅に着き、私と同じように降りる人の列に付いて行く。


 大阪の中心部にある大きな駅ということで、テレビでしか見たことのない、電車に人が押し込まれていたり、線路に落ちてしまいそうなくらいの人混みができていたりする場所を想像してそれなりの覚悟をして来たのだが、思っていたよりも遥かに人が少なく、余計な苦疲れをしなくて安堵したのと同時に、少しがっかりしている自分がいた。


 蒼依は環状線に乗る時に人が多すぎて息苦しいと言っていたが、とてもそんな風には見えない。もしかしたらこれから乗る電車がそんな風になっているのかもしれないなと期待感を募らせる。


 日本人の謎であるエスカレーターの片側にできた列に行儀良く並び、跨線橋を渡って八番乗り場に移動する。


 携帯でどの電車に乗ればいいのかを予め調べて、そのページをいつでも見られる状態にしてあるものの、いまいち信用できず、ホームに設置されている時刻表と照らし合わせて確認する。


 私はまずその数字の多さに驚いた。


 私の最寄り駅では一時間に二本、朝の多い時間で四本の電車が来るのだが、ここは通常でも五分に一本くらいのペースで電車が来るらしい。おかげで遅刻する心配がないかと思いきや、よく見ると行き先が違うらしく、ちゃんと前日に調べておいた心配性の自分を褒め称えることにした。


 ふと思い立ち、時刻表を写真に収めて蒼依に送りつけると、蒼依が元いた神奈川の方でもこんな感じだったらしく、私ほど驚いてはいないようだった。


 そこで私の普段使っている駅の時刻表を検索して送ってみると、あまりの少なさに驚いてくれて、私は大満足で到着した電車に乗り込んだ。


 車内は蒼依の言っていたことが嘘のように空いていて、座席を挟んで反対側の扉の前に見覚えのある癖毛の女性が立っているのが見えた。


 もしかして、と思いながら振り向いてもらうようにメッセージを送ると、その女性が振り向き、視線が私を通り過ぎる。そして彼女は芸術的な二度見を披露して顔を綻ばせた。


 電車が発車し、蹌踉けた身体を咄嗟に手摺りを持って支えつつ蒼依のところに移動する。


「おはよう」

「おはよー。びっくりした?」


 ひらひらと振られる蒼依の手を捕まえて、蒼依にだけ聞こえるくらいの声で返事をする。


「うん。まさかいるとは思ってなかった」


 ふと、京都駅に行った日の事を思い出す。

 今日は私も蒼依も私服を着てきているからだろうか。


 学校行事ではあるが、暑さ対策のためか、電車を使って遠出をするからか、理由は不明だがいくつかの条件付きで私服で来るように言われている。


 その条件とは、暑さ対策をすること、露出を抑えること、スカートやワンピースなどの広がる服装は控えること、燃えやすい材質の服装は控えること。この四つだ。


 これらを守って服を選ぼうとすると、私が持っている服はもうほとんどなくなってしまった。


 仕方なくフリルブラウスとデニムパンツを合わせて、シンプルだけど可愛い組み合わせにした。敢えて悪く言うなら無難な選択だ。


 そのせいで蒼依と私は白と黒で色違いの双子コーデになってしまっているが、何の約束もしていないのに心が通じ合っているようで嬉しいような、恥ずかしいような、そんな気分になる。


「なに、どうしたの?」

「いや、双子コーデみたいになったなぁって」

「あぁ、たしかに」


 蒼依も少し照れ臭くなったらしい。


 後で写真を撮ろうと脳内の計画書に書き加えておく。


「ところで、さっき満員とか言ってたのに全然おらんやん」

「みんな手前で降りたからね」


 話しながら蒼依に抱きしめられるようにして扉横の角に追いやられる。


 不思議に思ったが、嫌というわけではないので気にせず話を続ける。


「ちょっと楽しみにしてたのに」

「えぇ……? やめときなよ」

「まぁ気持ち良いもんでもないやろうから別にええけどな」

「そうそう。痴漢とかも怖いし」

「たしかに。やめとくわ」


 痴漢には今まで遭遇したことはないし、自分が被害に遭うとは考えにくいが、遭いたいわけではない。


 蒼依は痴漢されたことがあるのだろうかと疑問に思ったが、トラウマを掘り返すようなことはしたくない。


 蒼依は私から見てもモデルをやっていそうなくらいには美人に見えるが、黙っていると少し怖い雰囲気があるため、意外と痴漢の方が逃げていきそうだとも思う。


 こんな風に思うのは失礼だろうか、なんて考えていると、蒼依から失礼な発言をされる。


「そういえば、電車の乗り換えとか迷わなかったんだ?」

「は? 私別に方向音痴ちゃうから」

「よく道間違えるじゃん」

「それはまぁ……そうやけど。迷ってはないんやから方向音痴扱いすんのやめてくれへん?」

「地図が読めるようになったらやめてあげてもいい」

「読めるからここまで来られたんですけど?」

「まぁ、運も実力のうちって言うしね」


 さすがの私もここまで言われて黙っているわけにはいかない。


 以前から私の事を方向音痴として扱ってくるのが気に食わなかったのだ。この際認識を改めさせなければならない。


「じゃあ公園までは私が案内したるわ」

「ほぼ直線……あぁいや。いいよ。任せた」

「任せろ」


 蒼依が言いかけたことは気にしないことにして窓の外を見る。


 中心部から離れ、辺りは住宅が建ち並ぶ見慣れたような景色に変わっていた。


 二人で黙ったまま外を眺め、もう一度電車を乗り換える。


 家を出てから二時間と少し。漸く目的地の最寄り駅に辿り着いた。


「よし、じゃあこっからは任せて」

「うん。間違った道行こうとしたらすぐ連れ戻すから」


 最近蒼依が私の親と同じようなことをするようになったような気がするが、気のせいだろうということにする。


 改札を通り、千円以上減ったことから目を逸らし、学校から配られた冊子で場所を確認する。


 地図を読むと北西に行けばいいということは分かるが、今私がどこを向いているのかが分からない。


 しばらく地図を眺めた後、考えても仕方がないと、とりあえず進んでみることにする。


「はい、逆」


 一歩足を動かしたところで蒼依に手を掴まれる。


「嘘やん」

「本当」

「まだ分からんやん」

「分かるから言ってるの」


 蒼依は楽しそうに笑いながら私の手を握ったまま歩き出す。


「結局蒼依が先行くんやん」

「時間に余裕はあるけど、紅音に任せてたら遅刻しそうだから」

「ちょっとくらい遠回りするのも散歩の醍醐味やと思わん?」

「これは散歩じゃないから」

「せっかくの大阪やで?」

「そうだけど、大して変わらなくない?」

「それはそう」


 蒼依の言う通り、大阪に来ているというのに、周りの景色はいつも見ているものと大差ない。知らない道ではあるが新鮮味はない。


「ていうか暑くない?」

「暑い」


 恨みを込めて言った私の言葉に、蒼依は強く頷いて答えた。


 電車を降りて構内を歩いている間はまだ涼しいと思っていたが、駅を出て屋根がなくなった瞬間、真夏のような日差しが照り付けてきた。


 時折吹く風は冷たいのに空から降ってくる光は熱い。小さい羽虫も増えてきて、蝉が鳴いていないだけでもう夏になったことを思い知らされる。


 日傘を持って来なかったことを後悔しながら歩くこと十分。目的地である公園に辿り着いた。


 集合場所にはもう既にほとんどの人が揃っていた。


 木陰に入って日光が遮られるだけで随分と涼しく感じる。頬を撫でる風がとても気持ちが良い。


「おはよー」

「あ、おはよう。やっときた」


 真っ先に挨拶を返してくれた彩綾の私服は青系統で統一されていて、とても爽やかで見ているだけで涼しく感じる。


 一言で表すならボーイッシュか、スポーティか、その辺りになるのだろうか。こういう時に上手く表現できるような語彙力がないのが悔やまれる。


「彩綾は私服になると更にかっこよくなったな」

「そういう二人もめっちゃ可愛いし、しかもお揃いやん」

「ええやろ。たまたまやけどな」


 隣で水分補給をしていた蒼依の腕に抱き付いて見せびらかす。


 暑い、と一言で撥ね除けられたため、お詫びに扇子を鞄から取り出して扇いであげる。


「え、二人で話し合ってそれにしたんちゃうの?」

「うん。ほんまに偶然こうなった」

「すごいな。でも決まり守ってたらこうなるよな。私みたいな服の人多いし」

「ほんまに。この四人で一番個性出てるの夕夏やもんな」

「え、なに?」


 暑さに負けて座り込んでいる夕夏を見て言うと、どうやらこうやって話している内容もあまり頭に入っていなかったようで、心底怠そうな表情でこちらを見上げてくる。


 そんな夕夏は紫陽花のような淡い紫色のブラウスを着ていて、全体的にふわっとして可愛らしいが、ルールの穴を突いたようなこのふわふわ加減は許されるのだろうかと、少し心配になる。


「おしゃれ勝負は夕夏の勝ちやな」

「何か参加した覚えのない大会で優勝した」

「うん、おめでとう。火の管理は任せた」

「絶対嫌やわ」


 誰だってこの暑さの中で火の近くにいるのは避けたくなる。もちろん私もできることならこの罰ゲームのような役目を放り出して海に入りたい。


 十一時になり、担任の先生から注意事項などを聞いてバーベキュースペースに移動する。


 その途中見えてきたのは大阪のイメージとはかけ離れた、まるでどこか南国のリゾート地のように綺麗な浜辺だった。


 今日はまだ平日とは言え、ゴールデンウィーク直前。そのため既に休暇として来ている人も多く、海ではサーフィンらしき事をしている人の姿もあった。


 想像以上に綺麗な景色に感動しつつ、それぞれの担当毎の仕事に取りかかる。


 私は炉に火を付けるのが仕事だ。まずこれをやってしまわなければバーベキューは始まらない。少々私の知っているバーベキューとは異なっているが、ここはそういう場所なんだと無理矢理納得する。


 今回は火打ち石を使ったり木の棒を擦り付けたりせず、着火剤とライターという文明の利器を使う。いつか原始的な方法をやってみたいものだが、今ここでやっていたら確実に日が暮れてしまうだろう。


 仕方なく施設の人の指示に従って着火剤の周りに炭を配置し、ライターで火を付ける。その上に炭を重ねて団扇で風を送って火を大きくしていく。


 その間に蒼依や他の班の人たちは食器を用意したり食材を切ってくれていたりする。


 灰が飛び交って鬱陶しいのと単純に暑いのを除けばそれなりに楽しいので別に文句はないのだが、蒼依たちは準備をしながら楽しそうに話をしていて、仲間外れにされているような感覚に陥る。


 きっとそんな事はないだろうと思うが、誰か一人くらいこっちに来て話をしてくれてもいいのではないのかとも思う。


 文句を言うとすればそれだ。


「紅音、できとるか?」


 パチパチと音を立てる火を眺めていると、どこからか浩二がやってきて隣にしゃがみ込む。


 黒のパーカを肘の辺りまで捲っていて、彼の細いけれど男らしい筋肉質な腕が見える。


「うん。浩二は何やってんの?」

「調理の担当やねんけど、もう野菜とかは切り終わったから今は暇してる」

「料理できんの?」

「家でも手伝ってるし、それなりにはできるで」

「へぇ~」


 何となく男の人は家では何もしないものだと思っていたため、その認識を改める。


「紅音は?」

「料理?」

「うん。めっちゃ上手そう」

「できんことはないと思う」


 普段から家事の手伝いは妹と一緒にやっているため、料理もできる筈だが、毎度何をすればいいのか聞いてやっているので、自分一人でできるかと聞かれたら微妙なところだ。


「やっぱり家事とか普段から手伝ってんの?」

「うん。お母さんも働いてて疲れて帰ってきはるし、それくらいはやらんとね」

「じゃあこのクラスで一番料理できるんちゃうん」

「流石にそれは分からんけど」

「因みに何で調理係ちゃうの?」

「じゃんけんで負けたから」

「ははっ、なるほどね」

「浩二はここに何しに来たん?」

「いや、だから暇潰しよ」

「あ、そうなんや」


 本当にただの暇潰しだったらしく、「また今度手料理食わせて」なんて言って自分の班のところに帰って行ったが、彼に手料理を振る舞う機会なんていつ来るのだろうか。


 家に呼んだとしても手料理を友達に食べさせることはまずない。蒼依に作ってと言われても多分作らない。


 材料費を払ってくれるのならやってもいいかもしれないが、それでも片付けなどが面倒なのでやりたくはないなと思う。


「紅音。何話してたの?」


 考え事をしていると、蒼依が隣に来て私の水筒を渡してくれる。


 礼を言ってそれを受け取り、乾燥し始めていた口と喉を潤す。気分的にはこれを頭から被りたいくらい暑いが、そんなワイルドなキャラではないし、後で確実に困ることになるので、妄想だけに留めておく。


 ぷは、と止めていた息を吐き出し、水筒をきちんと閉めて、蒼依の質問に答える。


「料理できるのかー、とかそういう話やったで」

「ふぅん」


 興味があるのかないのか、曖昧な相槌が返ってきた。


 ひらひらと団扇を動かしながら、ついでに彼と話したことを蒼依にも訊いてみる。


「蒼依は料理得意?」

「手伝うくらいはするけど、得意ってほどではないかな」


 正直あまり蒼依が料理をしているところが想像できない。


 先ほども食材を切っていたのは蒼依以外の人で、蒼依は食器を自分の班のテーブルに並べていた。


 しかし手伝ったことがあるなら一緒に何か作ることもできるだろう。そう思ってそれをそのまま提案する。


「今度一緒に何か作らん?」

「何かって?」

「……チョコとか、ケーキとか」

「バレンタインには早くない?」

「ええやん。別にその時まで待ってもええけどね」

「待って。もしかして誕生日やったりする?」

「私の誕生日は何と猫の日です」

「ほぼバレンタインじゃん」

「まぁね。というかもうそろそろ焼いてもいいんちゃう? まだ?」

「どうやろ? ちょっと聞いてくる」

「はーい」


 しれっと蒼依の口から関西弁が出てきたことに気付いたが、指摘する前に蒼依は先生のところに行ってしまった。


 そして先生に確認してもらって、漸く焼き始める。


 ずっと火を見ていた私の分は頼んだら取ってくれるらしい。


 それを言ってくれた彼女の名前は何だっただろうと思いつつ、礼を言って素直に頼むことにした。


 しかし困ったことに私はバーベキューや焼き肉という料理において食べたいものがない。


 肉も野菜も海鮮も、嫌いなものはほとんどないのだが、バーベキューや焼き肉になると何故か食欲が失せてしまう。


 好きなものを食べていいとは言うものの、あまり好き勝手し過ぎると他の人が食べたかったものまで食べてしまう可能性がある。


 私は食べたいものがここにないのだから、食べたいものがある人が優先的に食べてもいいとは思っている。けれどもそれをわざわざ言う必要もないように思う。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 赤い縁の眼鏡を掛けた彼女に礼を言って受け取る。


「紅音ちゃん。私の名前知ってる?」


 一瞬心臓が縮こまり、息が詰まった。


 このタイミングで嘘を吐いたところで確実にバレるだろうと、視線を右下に移動させながら、私は潔く肯定する。


「やっぱり」


 そう言って苦笑した彼女は大西桃子と名乗った。


 名前を呼んできた時点で確実に私の名前を知っていることは分かっているが、何となく私も名乗り、忘れないように早速名前で呼ぶ。


「桃子って呼んだらいい?」

「どうぞどうぞ」


 もう用事は済んだだろうと思いきや、彼女はきらきらと目を輝かせて、私に耳打ちでとあることを訊ねてくる。


 それは今まで何度かあったようで、初めての事だった。


「紅音ちゃんって、蒼依ちゃんと付き合ってたりする?」

「は? 何で?」


 思わず彼女から逃げるように身体を離しながらも、他の人に聞かせるものではないと、咄嗟に声を小さくして聞き返す。


「何でって……手を繋いだり抱き付いたりしてたやん」

「それくらい仲良い友達とやらん?」

「やらんと思うけど……」


 そう言われて今までの自分の行動を思い返してみる。


 蒼依と出会って初めの頃は今の桃子に接するのと同じような接し方だったが、最近では確かにしょっちゅう手を繋いでいるし、抱き付くことも多いような気がする。


 それは恋人だからとかではなく、ただ私がそうしたいからそれをして、蒼依も嫌がる素振りをしないから続けているだけだ。


 更に遡って中学生や小学生の時の事を思い出してみても、やはり特に仲の良かった子には同じようなことをやっていた記憶がある。


「やっぱり仲良い子にはやるって」

「じゃあ付き合ってはないの?」

「うん。普通に友達やで」

「なぁんだ……」


 わざとらしく口を尖らせて彼女は言った。そのすぐ後に、何かを思い付いたように目を見開き、再び小声で話しかけてくる。


「実は蒼依ちゃんの事が好きとか、そういうのはないの?」


 どうしてこう人よりちょっと仲が良いからと全て恋愛に繋げようとするのか。


 急激に怒りの感情が湧いてくるのと同時に、先日の更衣室での事が思い出されて余計に腹が立ってくる。それを何とか理性で押さえ込むが、表情が歪んでしまっているのが自分でもよく分かった。


「ないし。そういうのやめてくれる?」


 突然怒り出した私に、桃子は一瞬目を見開き驚愕し、私の表情を見て冗談ではないことを察してくれた。


「ごめん。ずっと気になってたからテンション上がっちゃって……」


 彼女があまりに素直なものだから、私にもすぐに冷静な思考が戻ってくる。


「いや、こっちこそごめんな。ちょっと前にも散々訊かれたから」

「そうやったんや」

「うん。とにかく付き合ってはないから」

「じゃあ鈴木君──」

「ほんまに怒るで?」


 明らかに冗談だと分かるテンションで爆弾を爆発させに来た桃子に、私も冗談だと分かった上で怒る演技をする。


「ごめんて、冗談やから許して」


 あはは、と声を上げて二人して笑う。


 その様子を蒼依や向かい側に座る男子たちが不思議そうに見ていた。


 賑やかになりそうな感じはあるが、食べ始めると私も蒼依もあまり話をしなくなる。そしてそれは桃子も同じのようで、女子三人が並んで肉を黙々と食べる異様な光景が出来上がっていた。


 もちろん話しかけられたら普通に話すのだが、満腹になるまでほとんど会話はなかった。


 全員が食べ終わり、私が炉の片付けをしている間、他のみんなは調理器具やテーブルなどの掃除をしてくれていた。


 因みにこの行事にバスなどは使わず、全員が現地集合、現地解散だ。


 暑い中歩かされて文句を言いたくもなったが、バスを使わない分行事費用は安く済んでいるのだろうし、現地解散なので片付けが終わり次第自由行動になる。


 そこで私は蒼依と話し、彩綾と夕夏も誘って大阪のお土産を買って帰ることにした。


 桃子は他にも仲の良い子がいて、そっちの子と元々約束をしていたらしいので、その場で別れることになった。


 四人で今日ここに来るまでの話をしたり大阪について話したりしながら、迷わないように来た道を帰る。


 電車に乗って三十分。たくさんのビルが建ち並ぶ街に戻ってきた。


 今朝は通らなかった改札の方へ行くと、京都駅のようにたくさんの人が行き交うイメージに負けない景色があった。


 ここには駅に大きなショッピングセンターが隣接していて、お土産を買う前に少しだけそちらを散策しに行くことにした。


 そこで売られているものはどれも私からすれば高級品だった。


 可愛いと思って手にとってみたら一万円だった。なんてことが常で、段々と私がここにいるのは場違いなのではないかと思えてくる。


 それでも蒼依たちといればそれなりに楽しく、カフェで一息吐いたりもしながら一時間ほど見て回った。


 お土産を選ぶのにも時間がほしいため、また今度来ると口ばかりの約束をして駅の地下に移動する。


 美味しそうな飲食店に目を惹かれながらそれぞれお土産を選び、私も家族へのお土産にお洒落な入れ物のお菓子を買った。


 さあ電車に乗ろうというところで、悲しいことに私だけ乗る電車が違うことが判明した。


「紅音って奈良に住んでるの?」

「いや、奈良ではないんやけど、ほぼ奈良やな」

「家に遊びに行こうとか思ってたけど大変そうだね」

「来てもええんやで」

「片道一時間とか掛かるでしょ?」

「そりゃあもちろん。あ、でも蒼依の駅からやったら快速乗れるし……でもそんな変わらんか」

「学校まで一時間掛かってるなら変わらないでしょ」

「まぁ無理して来んでもええし」

「うん。考えとく」


 明日からしばらく蒼依に会えないのかと思うと少し寂しくなって、ハグでもしようかと思った時に、桃子に言われた言葉が頭に過ぎった。


「どうしたの?」


 自分がやっていた事は他人から見れば恋人にやる事と同じだと思うと、途端に恥ずかしくなった。


「ううん。明日から蒼依たちは部活やろ?」

「うん」


 蒼依が答え、彩綾と夕夏が頷く。


「遊べへんのかと思ったらちょっと寂しくなっただけ」

「何それ」


 珍しく蒼依が口を開けて笑い、私の頭に手を置いて優しく撫でてくる。


「夜電話でもしよう」

「ええけど……」


 恥ずかしさが限界になって頭を振って蒼依の手から逃げる。


「そろそろ電車も来るっぽいし私も行くわ」

「うん。気を付けてね」

「蒼依もね。二人もまたな」


 手を振り、三人を見送って姿が見えなくなってから自分が乗る電車が着くホームに向かう。


 気にしなくても良い筈なのに、電車に乗ってもずっと桃子から言われた事が頭の中でぐるぐると巡り、紙に書かれた物語が少しも頭に入ってこなかった。

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