第3話 4月15日
電車に揺られること凡そ一時間。私は京都駅に来ていた。
家の最寄り駅の数百倍はいるであろう人の群れ。改札に人が引っ切り無しに出入りしており、声を出している人はほとんどいないのに、携帯の通知音が聞こえないくらいに騒がしい。
私は京都生まれ京都育ちではあるが、京都駅に来るのはこれが初めての事だ。もしかしたら来たことはあるのかもしれないが、少なくともそれは私の物心が付く前の事だろう。
初めての場所というのは何があるか分からない。それ故に集合時間の三十分前には着くように家を出たのだが、改札を出て真っ直ぐに行くと、ロングスカートを穿いた蒼依がこちらを見て手を振っているのが見えた。
学校の制服とは違って随分と可愛らしい服装をしていることに衝撃を受けながらも、私の口からは別の疑問が飛び出してしまった。
「なんでもう来てんの?」
「待たせるのって嫌いなんだよね。なんか焦っちゃうし」
蒼依は眉を下げて苦笑した。
たしかに気持ちは分からなくもない。集合時間に間に合うように行っても、人を待たせていると分かれば申し訳なくなって、急がないといけないような気がして落ち着かない。
「あとは暇だったからかな」
「もうちょっと早めの方が良かった?」
「ううん。大丈夫。あんまり早いと紅音が大変になるでしょ?」
「いや、別に十時とかでも全然大丈夫やで。私も結構暇してたし」
実際、今日は学校のない平日なのでいつもより一時間ほど遅く起きたが、それでも家を出るまで三時間近くあった。どれだけのんびりと準備しても時間が余ってしまった。
おかげで妹と少し遊ぶ時間もできたため、完全に暇だったわけでもないのだけれど、それでも蒼依と出掛けることを楽しみにしていた私としてはもっと早く会いたかったという気持ちもある。
「じゃあ次からは十時集合とかにする?」
「んーまあ、お店開くのもそれくらいやし、それでええよ」
いつになるか分からない次のお出かけの集合時間を決めて、蒼依の案内のもと、人の波に乗って近くにあるというショッピングセンターに向かう。
外に出るエスカレーターに乗ったところで、ふと忘れていたことを思い出して蒼依の方へ顔を向ける。
「おはよう」
「え、あぁ。おはよう」
蒼依はほんの少しの間きょとんとした表情を見せた後、笑い混じりに挨拶を返してくれる。
「今更?」
「忘れてたんやからしゃあないやん」
「だからってわざわざしなくてもいいでしょ」
「挨拶は大事よ?」
「そうだけど……まぁいいか」
エスカレーターから飛び石を飛ぶように降りて、蒼依の方へ振り返り、改めて蒼依の全身を観察する。
髪はいつも通りだが、今日は少し化粧をしているらしく、いつもより更に大人びて見える。服もデニムジャケットに白のロングスカートというシンプルな組み合わせではあるが、蒼依の大人っぽさに可愛らしさが足されている。
「蒼依ってロングスカートとか穿くんやな」
「滅多に着ないんだけど、せっかくだからね。似合う?」
「うん! めっっっちゃ可愛い!」
狙っているのかいないのか、スカートを摘まんで首を傾げた蒼依があまりに可愛くて、思っていた以上の声量になってしまい、咄嗟に口を手で覆った。
「ありがとう」
蒼依はそう言って照れくさそうに笑い、今度は蒼依が私を見ていた。
私は黒のスキニーパンツに、上は白のパーカーという無難と言えば無難な組み合わせだ。
決して手を抜いたわけではなく、悩みに悩んだ末にこれに落ち着いたのだ。化粧だって軽くしているのだから、手抜きとは言わせない。
「紅音もすっごく可愛い」
「……ほんまに思ってる?」
あまりにさらっと言うものだから、つい疑ってしまった。
「こんなことで嘘吐かないから」
「あ、そう」
「あ、照れた」
「言わんでええねん、そういうのは!」
私はそう吐き捨てて、性格バツの蒼依を置いて先に行こうとしたのだが、すぐに腕を掴まれて引き留められる。
「ちょっとストップ。行くのはこっち」
「……」
道を知らないくせに前を歩いて案の定道を間違えかけた恥ずかしさを隠すように私は口を閉じて、蒼依に腕を掴まれたまま信号が変わるのを大人しく待つ。
信号が変わり歩き出したところで蒼依の声が聞こえた。
「紅音は────てる?」
「え、なんて?」
名前を呼ばれたことは分かったが、蒼依の低い声は周りの音に埋もれてしまい、上手く聞き取ることができなかった。
聞き返すと、今度は少し大きめの声で言い直してくれる。
「紅音はお腹空いてる?」
「あぁ。……うん。先ご飯食べんの?」
「うん。人も多いし、先に食べちゃって後からのんびり散策したらいいかなって」
たしかに駅ほどではないものの、どこを見ても人が視界に入るくらいに混んでいる。お昼を食べるには丁度良い時間だと言えるし、フードコートもあるようだが、この様子なら恐らく席は空いていないだろう。
先に見て回ってもいいが、その時間に空いているとも限らないし、なによりこの空腹感に気を取られて充分に楽しめそうにない。
「蒼依は何か食べたいものとかある?」
「何でもいいけど、強いて言うならお米系かな」
「お米系ね。あっ」
入り口の方に各フロアの案内板があるのが目に入り、蒼依に腕を掴まれたまま小走りになって向かう。
「こことかええんちゃう?」
「高そう」
「そんなん言うたらマクドとかになるで?」
「いや、うーん……とりあえず四階行こう」
「おっけー」
私は蒼依の拘束を外し、蒼依の開かれた手に合わせるようにして握る。
何となく自分でもテンションが上がっているのが分かる。人混みがあまり得意ではない私が珍しく人混みに巻き込まれていても気分が悪くならない。それが蒼依といるからなのか、初めて来る場所に興奮しているのかは分からないが、この調子でいられたらいいなと思った。
エスカレーターに乗って四階に上がり、反時計回りにフロアを見て歩く。
フードコートや中華料理屋などの飲食店の他に、ゲームセンターやホビーショップ、駄菓子屋など、他の階とはまた違う雰囲気のフロアになっていた。
やはりお昼時ということもあり、フードコートは人が溢れかえっていて空いている席は見当たらなかった。それ以外の飲食店の方が比較的スムーズに入ることができそうだ。
「こことかどう?」
「米ちゃうやん」
丁度一周回ろうかというところで、蒼依が立ち止まったのはパンの食べ放題ができるというベーカリーレストランだった。
「ドリアとか米入ってるよ」
「蒼依が食べたいのは?」
「パン」
「米ちゃうやん」
「今はパンの気分なの。紅音は何か他に食べたいのあった?」
「いや、蒼依がここでいいって言うならここにするけど」
「じゃあここにしよう」
そう言ってお店に入り、繋いでいた手が放されて少し寂しい気持ちになる。
「どうしたの?」
「ううん。どうぞ」
頭を振って蒼依に手前の席を譲り、私は奥の席に座る。
メニュー表は今時のタッチパネル式のものになっているようで、蒼依が早速手にとって操作する。
「紅音はパン食べる?」
「うん。せっかくやしね」
「ドリンクバーは……いる?」
「蒼依は?」
「紅音がほしいならつけようかなとは思う」
少しの間悩み、値段を見て決める。
「じゃあなしで」
「了解」
まるで何度も来たことがあるかのような指捌きを眺めていると、タッチパネルを手渡される。
「なに?」
「いや、パン以外にも何か食べるかなって」
「蒼依はパンだけ?」
「うん。食べ放題だからね」
「私も別にええかな」
言いながら指を滑らせてタッチパネルを操作し、美味しそうなものを見つけては表示されている値段を見て諦めるのを何度か繰り返し、右下にある決定ボタンを押した。
「これでもう取りに行っていいのかな?」
「どうやろ……ええんちゃう?」
「じゃあ行こう」
鞄を席の奥に寝かせるように置き、蒼依に付いていく。
「蒼依見て、ドリンクバーこんなに種類ある」
「へぇー。ピーチティーとか……野菜ジュースもある」
「ドリンクバー付ける?」
「……いや、また次来た時にしよう」
「また来るんや」
「そりゃあもちろん」
蒼依が当然でしょ、とでも言いたげな笑みを浮かべながら言った。
もしかして蒼依はパンが好きなのだろうか。たしか朝もご飯ではなくパン派だと以前言っていたような気がする。もともとなのか、京都に来てからなのかは知らないが、私もパンが好きなので、少し嬉しい。
あれが美味しそう、これが美味しそうと、声を抑えながらも楽しげにパンを次々にトレイに乗せていく蒼依を見ていると、妹を見ているような気分になってくる。
私は蒼依が取らなかったものを選び、トレイに乗せて席に戻る。少し遅れて蒼依も戻ってきて、二つの皿に山のように盛られた大量のパンをそっと机に置いた。
「そんなにパン好きなんやな……」
「うん。せっかくの食べ放題なんだから、いっぱい食べないと損でしょ?」
「それはそうやけどね」
それにしたって多すぎるように思うが、幸せそうに食べ進める蒼依を見ていると、そんな小さな疑問はどうでもよくなった。
しばらくお互い無言でパンを味わい、私がパンの追加を取って帰ってくると、蒼依がふと何か思い出したように話題を提供してくれる。
「紅音はアルバイトとか考えてる?」
「アルバイト?」
考える時間を作るため、反射的に同じことを繰り返した。
「うん。やっぱり家が遠いと厳しかったりするの?」
「いや、うん。そうやな。夕飯とかお風呂の時間とか考えたら三時間くらいしかできひんし」
「流石にその辺は分かってるんじゃない? 学生が平日時間取れないのなんて当たり前のことでしょ」
「そうなんかなぁ」
正直アルバイトをやろうという気は全くと言っていいほどなかったため、ほとんど何も知らない。もし一日三時間で働ける場所があったとしても自分がやっていける自信もない。
「蒼依と一緒なら頑張れるんやけどなぁ」
「多分ほぼ毎日部活があるから無理」
「そうやんなぁ……」
はあ、と大きめの溜め息を吐き、座席に凭れかかって脱力する。
「やるなら何のバイトするの?」
「んー……」
天井についた黄色い灯りを眺めながら考える。
人と話すのは嫌いではないから接客はできなくもないだろうが、恐らくやることが多くてパニックになってしまうだろう。私は物覚えが悪いため、そういう大量の何かを覚えないといけないものは無理だ。怒られることが目に見えている。そうすると大体の仕事はできないように思える。
飲食店で働くとしたら、家で夕飯を母と一緒に作ることが多いのもあって料理はそこそこできるため、それを活かして厨房で働くのはできるかもしれない。
それか工場でひたすら同じ作業をするのなら私にでもできそうだ。しかし工場で三時間勤務なんてあるのだろうか。帰ったら調べてみてもいいかもしれない。
「蒼依はそういうのあんの?」
「私? 私はやるならケーキとかお菓子とか売ってるところがいいかな」
「へぇー、なんか意外」
「だって賄いでお菓子がもらえるんでしょ?」
「……そら身長伸びるわ」
溜め息交じりに言うと、
「それを言うなら私は紅音の方が羨ましいんだけど」
蒼依は私の胸元を見てそう言った。
「欲張りは良くないと思う」
「紅音は身長も別に低くないじゃん」
「まぁね」
蒼依は山盛りになっていたパンを全て食べきったかと思えば、またトレイを持って席を立ち、おかわりをしに行く。
少し控えめになった山が蒼依の口に消えていくのを眺め、デザートにそれぞれ違う種類のパフェを食べて、蒼依から一人分のお金をもらって会計を済ませる。
「よし、じゃあ行こうか」
「最初に蒼依の用事済ませちゃう?」
「いや、うーん……他に何か買う予定ある?」
「まぁ、いいのがあれば?」
「じゃあ先楽器屋行っていい? そんなに大きい物は買わないから」
「りょーかーい」
今度は手を繋がずに寄り添って歩く。
一つ下の階に降りて、目的の楽器屋を見つける。
「なんか思ったよりちっちゃいな」
「うん。まぁでも、ショッピングセンターの中に入ってる楽器屋なんてこんなもんじゃない?」
隣にある手芸屋の方が広いのではないだろうか。それもこの楽器屋二つ分くらいはありそうだ。
「一応三条の方に行ったら大きめのとこあるけど」
そこにある楽器屋なら中学生の時に何度か行ったことがある。商店街の中にあるので、広さで言えば大差ないが、五階建ての建物全体が楽器屋になっていて、たしか地下にもあった筈だ。全部が吹奏楽のものではないが、それでもここよりは品揃えも豊富だろう。
「さすがに今日はいいかな」
「じゃあまた今度そっち行く? 商店街やから他にも見るとこいっぱいあるし」
「そうね。部活の休みがあればいいんだけど」
中に入り、蒼依は楽器を手入れする小物が置いてある棚を物色し始める。
「部活どんな感じ?」
「先輩たちもすごいけど、入ろうとしてる人たちも上手い人が多いかな。というかここの吹奏楽部に入りたくてこの学校受けたって人が多いかも」
「へぇ~すごいな」
私にはそんな熱量がない。音楽は好きだし、吹奏楽も嫌いではないけれど、蒼依や他の人たちのようにはなれない。
「だから基本的に真面目に練習する人しかいないね。練習もサボったらすぐ置いて行かれちゃうし、人数も多いから頑張らないとコンクールにも出られないしね」
想像するだけでも嫌になりそうだ。中学校の時でさえ私はいくら頑張っても先生に怒られて他の部員に陰口を言われてとうんざりしていたというのに、周りが自分より上手いなら何の不満も言えなくなってしまう。
「マーチングはやった?」
「うん。ちょっとした体験だけだけどね」
「どうやった?」
「やっぱり難しかったよ。簡単なやつだけだったけど、それでも大変」
「蒼依でも厳しいんだ」
「蒼依でもって何なの。私にだってできないことは普通にあるからね」
一瞬怒らせてしまったのかと焦ったが、別にそんな様子はなく、蒼依は手に持っていたいくつかの道具をレジに持っていった。
私は勝手に蒼依のことを何でもできる人だと思っていた。蒼依は私より勉強ができて、運動もできる。人前に立つのも苦手ではないようだし、吹奏楽でも自信を持ってやっているように思う。
そんな彼女だから、マーチングだって簡単そうにできてしまうのだと思っていたが、彼女は難しいと言った。きっとそれでもできないというわけではないのだろう。けれども蒼依にも苦手だと感じるものがあった。
そのことに私は酷く安心していた。
そして、蒼依に対して嫉妬心を抱いていた事に気付き、また少し自分が嫌になった。
「お待たせ」
「おかえり」
「紅音は何かほしいものはないの?」
「ここにはないかな」
そう言って楽器屋を後にする。
黙っていると余計な事を考えてテンションが下がってしまいそうで、私はとにかく目に入ったもの口に出して話を繋げる。
そのまま文房具屋に入っていったところで、ふと妹のことが頭に浮かんだ。
「妹に何か買って帰ろうかな」
「誕生日かなにか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、何か良いのありそうやし」
そう言いながら私は色鉛筆がたくさん並んでいる棚を眺める。
「妹さん、絵が好きなの?」
「うん。運動とかができひん時期があってんけど、その時にハマりだして、どっか出掛ける時もスケッチブックと鉛筆と持って色々描いてるな」
家で一人大人しく待っていなければならない妹のために両親が色々買ってきた中で、気に入ったのが絵だった。
どうやらその時学校でデッサンを習ったばかりだったらしく、家の中にある色んな物を画用紙に描き写していた。それがまた贔屓目なしに上手く、恐らく妹も自分には絵を描く才能があると分かったのだろう。ただ描くだけではなく、家のパソコンで書き方を勉強したり、図書館で絵に関する本を借りたりして、どんどん上達していっている。
最近はパソコンなどのデジタル機器でイラストを描くのが多いらしいので、そちらの方がいいのかもしれないが、そんなものを買うお金が残念ながら私にはない。
そして更に残念なことに、私には画材に関する知識もゼロに等しいため、どれを買えばいいのかも分からなかった。
「どうしよう……」
「そんな無理に買わなくてもいいんじゃない?」
「でも……」
「それに、妹さんの方が詳しいなら一緒に買いに来た方が確実だと思う」
「それは……たしかに」
たしかに、今ここで私の素人知識で間違った物を買ってお金を無駄にしてしまうより、ちゃんと妹がほしいと思った物を買った方が妹も喜んでくれるだろう。
「よし、じゃあ今日はいいや。あ、シャーペンとかええやん」
ふと思い立った私は、色違いのシャーペンを三つ選び、レジに持っていく。
「はい。一個あげる」
戻ってきた私は三つのうちの一つを蒼依に差し出す。
「え、なに? 私用に買ったの?」
「うん。お揃いね。蒼依やから緑色のやつね。私のは赤色」
蒼色が正確にどんな色なのかは知らないけれど、青ではないことは知っていた。そんな細かいことは今はどうだっていい。
「もう一つは?」
「これは妹にあげるやつ。あれ、中学ってシャーペンよかったっけ?」
「知らないけど……別に家でも使えるし大丈夫でしょ」
「そっか。じゃあいいや。次行こ」
自分用の赤色のシャーペンはペンケースに入れ、妹の涼音用にあげる空色のシャーペンは袋のまま鞄のポケットに大事に入れておく。
「紅音。ありがとう」
「いえいえ。私が勝手にあげただけやからな」
格好付けたいわけではないけれど、面と向かって礼を言われると恥ずかしくなって、平然を装うために顔を背けて手を振った。
そんな私に蒼依が予想外の事を口にした。
「私実は誕生日だったんだよね」
「は!? 今日?」
思わず自分でもびっくりするくらいの大声になってしまい、周りの人の視線が集まるのを感じた。
「ううん。四月二日だからもうとっくに過ぎてるというか、学校が始まる前なんだけどね」
「そうなんや。おめでとう!」
「ありがとう」
「言うてくれたらもっと早よ祝ったのに」
「そういう話題になったら言うつもりはあったけど、自分から切り出したらあからさますぎて嫌じゃない?」
「あぁ、まあたしかに、祝ってって言ってるみたいになるしな」
「でしょ? だからわざわざ言うつもりはなかったんだけど、何かプレゼント貰っちゃったし、言っちゃえって思って」
「よし、じゃあ服も何か買ってあげようじゃないか」
蒼依の手を引き、ミュージカル風にわざと大袈裟に言ってみる。
「いやいや、もう貰ったからいいって」
「やろうな」
本気で言ったわけではないため、すぐに諦める。しかしもし蒼依が乗ってきていたら買うつもりではあった。
「でも普通に服は見ようや。蒼依やったら何でも似合いそうやし」
「あ、じゃあ紅音の服選ばせてよ」
「ええよ。でも変なん選ばんといてや!」
「任せて。目一杯可愛くしてあげるから」
そう言って蒼依は不敵に笑って見せた。
そして人気のブランド店に入り、いくつか服を取って蒼依を試着室に押し込んだ。
しかし高身長スタイル抜群の美人というのはやはり大抵のものなら着こなしてしまうらしい。
普段はスカートばかりだと言うので、色々なパンツを穿かせてみたり、トップスもわざわざ似合わなさそうなものを選んだりしたのに、これはこれでありかも、なんて思わせられるくらいだった。
こんなショッピングセンターにあるような服では蒼依をダサくすることはできないのかもしれない。
結局は真面目に選び、恥ずかしがる蒼依をどうにか説得して黒のショートパンツを穿かせ、デニムジャケットの代わりに王道のベージュのジャケットを着せる。
「どう?」
ゆっくりとカーテンを開けた蒼依は恥ずかしそうに顔を背けながらも全身がよく見えるように腕を広げて上半身を捻ってみせた。
「……うん! 完璧!」
これだけでもこの日ここまで来た甲斐があったというものだ。
変えたのは二つだけで、中に着ていたシャツや靴はそのままなのでやろうと思えばもっと良い感じになるだろうが、それでも十二分に格好良く仕上がっていた。
私は大満足で携帯を構えて写真を数枚撮る。
「前の身体測定の時もちょっと見たけど、やっぱり脚綺麗やなぁ」
普段は隠されている蒼依の長くて白い脚が際立っていて、どうしても視線が吸い込まれてしまう。
そんな私の様子を、蒼依は冷ややかな目で見ていた。
「変態」
「変態ちゃうわ!」
「紅音って脚フェチだったんだ」
「違う……とも言い切れへんのが悔しいな……」
そんなフェチと言われる程の性的嗜好は持っていないとは思うが、やはり綺麗な脚は羨ましいし触りたいとも思う。
「はいお終い」
「あっ」
シャッと音を立てて蒼依がカーテンを閉めて私の視線を遮った。
仕方なく私は先ほど写真に収めた、クールで可愛い蒼依を眺めて待つことにする。
「おまたせ」
「はーい。その服どうする? 買う?」
訊ねると、蒼依は唇に人差し指と親指で摘まむように当てて少しの間悩み。
「せっかく選んでくれたし、買おうかな」
「あ、買うんや」
まさか気に入ってくれるとは思っていなかった。
正直さっきの服のチョイスは蒼依に似合うかどうかよりも私の好みの部分が大きいため、似合わない可能性もあったし、何より蒼依は恥ずかしがって着てくれないだろうとも思っていた。
「たまにはこういう服があってもいいかなと思って」
「まぁ、着てくれたら嬉しいけどね」
「それに、仕返しがすぐできるからね」
蒼依は私を見て不敵な笑みを浮かべ、布で覆われていた灰色の買い物籠からいくつか服を取って差し出してくる。
「まずはこれね」
これは長引きそうだな、と天井を見上げて息を吐いた。
それから三時間ほどいくつかの店を転々としながらお互いを着せ替え人形にして試着を繰り返し、私が購入したのはその内の一着二着だけ。蒼依も結局購入したのは初めの二つだけだった。
「疲れた~」
吹き抜けに設置されたカラフルな椅子に隣り合って腰掛ける。散策中に自動販売機で買っていたお茶で乾いた喉を潤し、背もたれに身体を預ける。
「結構時間使っちゃったね」
「うわほんまやん」
「何かおやつでも買う?」
「あり。下に何かあったっけ?」
「うーん……時間も時間だから帰るついでに駅の方で何か見ようか」
蒼依はそう言うと、猫のように腕を前に伸ばして軽く伸びをして、立ち上がって私に手を差し伸べてくる。私が思わずと言った風にその手を取ると、力強く引っ張られ、勢い余って蒼依に抱き留められた。
「ありがと」
「では行きましょうか。お嬢様」
「……そういうの似合うんズルいよな」
「見た目にはそこそこ自信があるからね」
蒼依に手を引かれるまま歩きだし、鞄を肩に掛け直す。
服を求めてあちこち彷徨ってはいたが、まだ全ての店を見たわけではない。気になるものが視界に映るとつい手に取って見てみたくなる。
「また今度来た時この辺見るか」
「そうだね。別館の方も見に行きたいし」
「あぁ、そういえば本屋さんとかあるんやっけ?」
「うん。紅音は本読むの?」
「読むで。電車の中でしか読まへんけど」
「そうなんだ。学校で読んでるとこ見たことないけど」
「まぁ学校は他にやることあるしな」
外に出ると、冷たい風が勢いよく吹き込んできて思わず目を瞑る。
視界が安定しない状態で人にぶつかってしまわないように、蒼依と繋がったままになっている手に力を入れて、蒼依に身体を寄せる。
「普段はどういう本読んでるの?」
「最近は夏目漱石とか、太宰治とか、知ってるけど読んだことないなって人のを読んでる。因みに今読んでるのは『星の王子さま』ね」
「あぁ、たしかに私もちゃんと読んだことはないかも」
「やろ? ちょっと使ってる言葉が難しかったりするけど、それはそれで勉強になるしええかなって。普段使えへんけどな」
「分かる。小説とかで知った言葉を家族とか友達とかと話す時に使っても伝わらないよね」
「そうそう。それで結局すぐ忘れちゃうっていうね」
「使わなくても日常生活で困ることはないから別にいいんだけど、何か悲しいよね」
「読書好きのあるあるやな」
私が中学時代を思い出しながら笑っていると、蒼依も同じように笑っていた。
「蒼依はこの前何か読んでたやんな?」
「うん。ライトノベルだけどね」
「ラノベかぁ」
「紅音はあんまり読まない感じ?」
「妹がいくつか持ってて、それを読ませてもらったことはあるで」
「へぇ、何てやつ?」
「うーん……タイトル忘れたけど、何かついこの間アニメになってた探偵のやつ」
「あぁ、あれね」
「そう、多分それ。まぁ……妹が持ってるやつは読むけどって感じやな」
「今度何か貸してあげようか?」
「いや、今家に結構溜まってるからそれ読み終わってからかな」
「じゃあ気が向いたら言って。紅音が好きそうなの持ってくるから」
信号に捕まり、辺りに視線を散らせていると、良さげなお店が目に入った。
「蒼依さんや。おやつにドーナツなんてどうかね?」
「偶然ね。私もちょうど同じところ見ていたわ」
「じゃあ決定」
下手な芝居はそこそこに横断歩道を渡り、甘い香りの漂う店に入る。
それなりに人はいるが、店内の飲食スペースにはまだ空席があった。
私たちはそこにそれぞれ買ったドーナツを持って座り、二度目の休憩をする。
「蒼依はほんまによう食べるなぁ。晩ご飯食べれんの?」
「余裕」
得意気な顔でカロリー爆弾を頬張る蒼依をこっそり写真に収め、私はモチモチの生地に噛みついた。
三十分程ゆっくりと過ごし、蒼依も食べ終わったところで店を出て駅に向かう。
時計を見ると、まだ空は明るいのに五時になろうとしていた。
「じゃあそろそろ帰らないとね」
「うん。時間過ぎるん早いわ」
「本当にね」
「次遊べんのいつになるやろ」
「いつやろな……」
「あ、移った!」
「……」
アクセントまで違和感のない完璧な関西弁が聞こえ、思わず指摘すると、蒼依は何故かものすごく悔しそうな顔をしてこちらを睨んでくる。
別に蒼依と話して賭けをしていたわけでも、勝負をしていたわけでもない。
蒼依に出会って少しした頃、私は蒼依がずっと所謂標準語で話しているのが気になっていて、何とか蒼依に関西弁を移せないかどうか、私が勝手に一人で試していた。
だから蒼依はこの勝負とは関係がない筈なのだが、蒼依は更に大きな溜め息交じりに悪態を吐いた。
「最悪……」
「そんな嫌がらんでも良くない?」
「絶対つられないようにしようと思ってたのに」
「あ、そうなんや」
「そう。何か関西弁って移りやすいって聞いたから、意地でもつられないようにしようって思ってたの」
どうやら蒼依は蒼依で勝手に勝負をしていたらしい。
蒼依の表情の意味が分かり、渾身のドヤ顔を作ってやると、蒼依は益々眉間に皺を寄せて睨み付けてくる。
「全部紅音のせいだから」
「なんでやねん。私なんもしてへんやん」
「責任取ってよ」
「嫌でーす」
「代わりに吹奏楽一緒にやろ」
「それはほんまに嫌なやつ」
「ちっ」
「舌打ちすな!」
蒼依がくすくすと笑い出し、それをきっかけに少し昂ぶった気持ちを落ち着ける。
どの時間も変わらない人混みの中を歩き、改札を通って同じ電車に乗る。
空いている席を探し、先に降りる筈の蒼依が通路側に座る。
「一緒に電車乗ってんのなんか新鮮やな」
「ね。というかなんで今日同じ電車に乗って来なかったんだろう」
「……たしかに」
集合場所を京都駅にしていた所為か、同じ方面の電車に乗るということが完全に頭から抜けていた。
「あ、でも蒼依の最寄り駅は快速が止まらんかったり?」
「ううん。私のとこは全部止まる」
「そうやんなぁ。じゃあ次は同じの乗る?」
「そうしよっか。次がいつになるかは分からないけど」
「それはまた今度決めたらええやろ」
「そうね。部活の予定もまだ分からないし」
私は大きめの欠伸を噛み殺し、疲れの溜まった脚をぶらぶらと揺らす。
ちらと蒼依に目を向けると、丁度欠伸をしているところで目が合った。
「……なんか今日恥ずかしいとこすごい見られた気がする」
「可愛いから大丈夫」
「そこはそんなことないよって否定するところじゃないの?」
「可愛いから大丈夫」
「もういい」
蒼依は拗ねたようにそっぽを向いた。
その仕草がまた可愛いと感じて、自然と頬が上がってしまう。
「蒼依。今日はありがとうな」
「なに突然」
「楽しかったから」
「私も楽しかった。誕生日も祝ってもらったしね」
「あ、おやつ食べるときに祝おうと思って忘れてた」
「いいよ別に。ペン貰えたので充分」
「そう? 歌わなくていい?」
「ここでは歌わないで」
「分かってるわそんくらい」
また漫才染みたことをしていると、アナウンスがあり、電車が動き出した。
何となくお互い黙り込んで、手が触れる。
さらさらとした蒼依の手の上に自分の手を重ねると、その温もりが私の心を落ち着かせて、いつの間にか私の意識は落ちていた。
ふと目が覚めて僅かに倒れかかっていた身体を起こして隣を見ると、蒼依も私に凭れかかって眠っていた。そして私はアナウンスを聞いて慌てて蒼依を起こす。
幸いまだ駅に着いたわけではないため、今からならまだ間に合うだろう。
「蒼依。駅着くで」
「んー?」
頭にちらつく妹を一旦振り払い、握られたままの手でもう一度蒼依の太ももを軽く叩く。
「なに?」
「もう駅着いたで。降りんのここやろ」
私がそう言ったタイミングで、アナウンスで駅名が読み上げられ、扉が開いた。
「え、ごめんありがとう! また連絡するから!」
「うん。気を付けてな」
小声で叫びながら早足に電車を降りる蒼依を見届け、席に座り直して一息吐く。
ふと視界の隅に見覚えのある紙袋が映った。
それは私たちが散々試着をした店のものだった。しかし私はこの店では何も買っていない。つまりこれは蒼依の忘れ物だ。
本当に今日は面白い一日だ。
月曜日にからかいついでに持っていってあげよう。
手に何も持っていないことに気付いて焦っているであろう蒼依が頭に浮かんできて、しばらくの間一人で笑っていた。
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